井川猛の悲痛な叫び
「引き返すなら、今しかありません。と言っても、完全に元通りとは行かないでしょうが……でも、神格を得ていない今なら────娘の井川珠里はまだ人間のままで居られる」
御札を握る手に少し力を込め、俺は井川夫妻へ視線を戻す。
「別に生き神となることを悪く言いたい訳じゃありません。ただ、リスクの高い方法であることはきちんと理解してください。一度、神格を得てしまえば────最悪、娘の井川珠里は死後ずっと一人で過ごす羽目になりますから」
「「えっ……?」」
声色に困惑を滲ませ、井川夫妻はまじまじとこちらを見つめた。
『それはどういうこと?』と視線だけで問うてくる彼らを前に、俺は少しばかり背筋を伸ばす。
「日本には八百万の神が存在するため、一概にもどうとは言えませんが、基本神格を得た者は成仏出来ません。神界やら天界やらと呼ばれるところに行くのか、はたまた地上に留まり続けるのかは定かではありませんが、神として活動しないといけないのは確実でしょう」
『死んだら、神格を放棄出来るなんて便利なシステムはない』と主張し、俺は祭壇に目を向けた。
隅々まで手入れの行き届いたソレを見つめ、スッと目を細める。
「まあ、それでもあなた方が井川珠里を神として崇め、信仰しているうちはまだいいと思います。でも、その先は?息子の井川猛をはじめとする子孫達が、ずっと彼女を祀っていくんですか?血を絶やしてしまう可能性はないんですか?本当に
『神にした責任は取れるのか』と今一度質問し、俺は更に追い討ちを掛ける。
「もし、途中で井川珠里への信仰が滞った場合……忘れられた神となった場合、娘さんはかなりの苦痛を味わうと思いますよ。誰にも覚えられていない、名前を呼んでもらえない、自分の存在価値を見出せない……そんな孤独と不安に苛まれながら、いつ終わるか分からない日々を送るんです」
『人によっては地獄のように感じる筈』と言い、俺は井川夫妻を順番に見た。
明らかに狼狽えている様子の二人を前に、俺は御札を前へ突き出す。
「これらを踏まえた上で、もう一度お聞きします。本当に娘さんを生き神にしてしまって、よろしいんですか?」
「そ、れは……」
「えっと……」
自分達の間違いを認めるのが怖いのか、はたまた『それでもいいから生きてほしい』と思っているのか……井川夫妻は言葉を濁すばかりだった。
でも、確実に迷ってはいる。
キュッと唇を引き結び悩んでいる彼らを前に、俺は更なる説得を試みようとした。
だが、しかし……それよりも早く────井川猛が両親に詰め寄る。
腰を抜かしたままの状態で。
「俺は妹を……珠里を神様にしたくない!」
半ば体を引き摺るようにして両親の前へ姿を現し、井川猛は凛とした顔つきで言い切った。
一点の曇りもない眼で前を見据え、強く手を握り締める。
そんな彼の前で、井川夫妻は困ったような……申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「これは慎重に考えるべき問題だ。子供のお前は黙っていなさい」
「そうよ。このことはお母さん達で決めるから。貴方は部屋に戻って……」
「────嫌だ!」
両親の説得を跳ね除け、井川猛はじわりと目に涙を滲ませる。
と同時に、歯を食いしばった。
「何で家族のことなのに……俺の妹のことなのに、そうやって除け者にされないといけないんだ!」
絞り出すような声で必死に反論し、井川猛はクシャリと顔を歪める。
「確かに俺はまだ子供だし、馬鹿だし、未熟なところも多いけど……でも!家族の一大事に意見することすら許されないなんて、おかしいだろ!俺だって……俺だって────珠里のことを心配しているのに!」
『どうして、相談してくれなかったのか』という不満を漏らし、井川猛は大粒の涙を零した。
「そんなに俺は頼りないかよ……!?信用出来ないかよ!?」
「「猛……」」
息子の悲痛な叫びを聞き、井川夫妻は小さく震える。
ようやく自分のやっていたことが、どれほど浅はかで愚かだったのか……どれほど子供達を傷つけていたのか知り、自己嫌悪に陥ったようだ。
二人とも涙ぐみ、頭を抱え込む。
これまでの過ちを後悔するように。
「ごめん……ごめんな!俺達が悪かった!」
「貴方の気持ちを蔑ろにしていたわ……!」
色んなことがあったとはいえ、一番見失っちゃいけないものから目を背けていたと気づき、井川夫妻は号泣した。
かと思えば、こちらに向き直り床に手をつく。
「お願いします。珠里を助ける方法を教えてください」
「貴方の口ぶりからして、きっと何か知っているんですよね……?」
縋るような目でこちらを見つめ、井川夫妻は深々と頭を下げた。
すると、井川猛もそれに続く。
いや、お前は依頼者なんだからもっと堂々としておけよ。
『こっちは依頼者の意向に従うまでなんだし』と思いつつ、俺は立ち上がった。
「今、出来ることは主に二つです。まず、儀式の道具や祭壇を処分すること。お焚き上げするのが一番好ましいですが、最悪普通にゴミとして出して頂いても構いません。ただし、御神体代わりの御札だけは絶対にお焚き上げするように」
『でも、その前にお祓いしないとな』と述べ、俺は悟史へ御札を手渡す。
これくらいなら、アマチュアのこいつでも出来ると思って。
『以前教えた方法でやれ』と告げ、俺はチラリと出入り口の方を見た。
「あと、井川珠里の体に溜まった余分な霊力を浄化します。こちらは俺がやりますので、何か作業してもらうことはありません。あぁ、でも、お立ち会いをご希望であればどうぞ」
『心配なら、監視してもらって構わない』と言い、俺は井川夫妻や息子の横を通り過ぎた。
すると、後ろからゾロゾロとついてくる。
その中には、何故か悟史の姿もあったが……きちんと与えられた役目を全うしているため、見逃した。
『もう好きにしろ』という気持ちで一階に戻った俺は、井川珠里の自室を訪れる。
先程と変わらずベッドの上でボーッとしているだけの彼女に、俺は片手を翳した。
もう一方の手で、浄化用の御札を持ちながら。
「井川珠里さん、今から貴方の中に溜まった余分な霊力を浄化します」
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