親心

「それにっ……!触るなぁぁぁぁぁあああ!」


 鬼の形相で拳を振り上げる彼女に対し、俺────ではなく、悟史が蹴りを繰り出した。

と言っても、本当に軽くだが。

狙った場所だって太もも辺り。かなり手加減している。

床に尻もちをつくだけで済んだ井川美里を他所に、悟史はクルリとこちらを振り向いた。


「ねぇ、壱成。生き神って、何?」


「その名の通り、生きたまま神様になった存在のことだ」


「えっ?そんなこと可能なの?」


「色々と条件や制約はあるが、可能だ。まあ、なりたがる奴はそうそう居ねぇーけどな」


 『人間じゃなくなる訳だから』と語り、俺は井川珠里の名前が書かれた御札を眺めた。


「あなた方は妖や幽霊などの霊力を根こそぎ奪い、娘に吸収させている。全ては神へと昇格させるために……違いますか?」


 やっていることは、ぶっちゃけ子狸と変わらない。

妖が生身の人間から霊力を吸い取っているか、人間がこの世ならざる者から霊力を吸い取っているかの違いしかなかった。


「娘の井川珠里には、三つの気配が混ざっていた・・・・・・。一つは生身の人間としての気配、もう一つは妖や幽霊の気配、最後の一つは神……のような気配」


 まだ完全に神格を得ている訳ではないため、俺は言葉を濁す。

────と、ここで悟史がポンッと手を叩いた。


「もしかして、家に充満していた変な気配って井川珠里の?」


「ああ。色んなものが混ざり合ってせいでなかなか気づけなかったけど、間違いない」


 確信を持った声色で肯定しつつ、俺は井川夫妻を見据えた。

バツの悪そうな……でも決して後悔のしていない顔つきで黙りこくる二人に、俺はスッと目を細める。


「娘の井川珠里を生き神にしようと思ったのは、病気を治すためですか?」


「「……」」


 井川夫妻は否定も肯定もせずに俯き、唇を噛み締めた。

それこそが、彼らの答えだろう。


「我が子の身を案じる気持ちは分かります。でも、このような方法ではきっと誰も幸せになりません」


 被害を受けているのが主に妖と幽霊だから、実感は湧かないかもしれないが……彼らのやっていることは殺人と大差なかった。

決して、司法で裁かれることはないものの……だからと言って、誰からの責めも受けない訳じゃない。

この世ならざる者達にも意思はあって、人を恨む心も人を陥れる策も持ち合わせているから。

現世になかなか干渉出来ない存在だから、と侮ってはいけない。


「『親の因果が子に報い』という言葉もあるくらいですし、息子の井川猛や娘の井川珠里が全ての責任を背負う羽目になるかもしれません。何より────こんなことをして、娘の井川珠里は喜ぶのでしょうか?」


 『これは本人の望んだことなのか?』と問い掛けると、井川夫妻はクシャリと顔を歪めた。

恐らく、娘の意見を無視して決行したのだろう。

たとえ嫌われてもいいから生きてほしい、と思って。

それは立派な親の愛情であると共に、娘を束縛する一種のエゴでもあった。


「人間として生き、人間として死ぬ。それが井川珠里の願いでは、ないのですか?」


「「っ……」」


 強く手を握り締めて今にも泣きそうな表情を浮かべる井川夫妻は、勢いよく顔を上げる。


「君に何が分かるんだ……!」


「娘に長生きしてほしいって、思うことの何がいけないのよ……!」


 怒号なのに悲鳴のような声色で叫び、井川夫妻は歯軋りした。

でも、間違っているのは自分達だと薄々勘づいているため、表情は硬い。

ゆらゆらと瞳を揺らす彼らの前で、俺は片膝をついた。


「たとえ、生き神となったとしても病気が治る保証はどこにもありません。また、今のように無理やり霊力を吸収させていると、魂が……いえ、精神が壊れます」


「「!?」」


 ハッとしたように目を剥き、井川夫妻は口を動した。

が、動揺のあまり声を出せない。

でも、何となく言いたいことは分かった。


「今は何とか持ち堪えている状態ですが、こんな急激に……土台を整える暇もなく霊力を与え続けると、それに順応出来ず破滅してしまうんです。現に最近は話し掛けても反応しなくなってきた、と聞いています。恐らく、そろそろ取り返しのつかない地点まで到達するでしょう」


 『もう一刻の猶予もない』と主張し、俺はチラリと祭壇の方に目を向けた。


「引き返すなら、今しかありません。と言っても、完全に元通りとは行かないでしょうが……でも、神格を得ていない今なら────娘の井川珠里はまだ人間のままで居られる」

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