04

 翌日スティンリアが目を覚ますと、彼を取り巻く環境は様変わりしていた。

 今迄彼に良くない感情を抱いていた者達は、彼が「最強の戦闘種族」とも呼ばれている白天人族の王女を倒したことを知って見方を改めた。また試合後に彼が口走ったという惚気が、侍神候補者のみならず天界の住人や果ては神族の間でも笑い話の種となってしまった。

 今やスティンリアは人気者である。尤も、元来内向的な彼はここまでの状況を望んでいた訳ではなかったのだが。

 そんな彼が一番親しくなったのが、倒された側のブリガンティ・カンディアーナであった。

 この日も彼女は朝一番に彼の部屋へとやって来て、一緒に講堂へ行こうと誘った。彼女が自分の許にやって来るのを見る度、スティンリアは「また君か……」と鬱陶しそうに呟いてみせたが、本心では憎からず思っている。

 こうしてスティンリアが当初予想していたよりは、遥かに穏やかな日々が過ぎて行こうとしていた。

 しかしこの日は少し何時もと少し違っていた。二人の様子を遠方から覗き見ている神がいたのだ。

「まさか侍神選定が終わるまで続けるつもりかしら」

 風神アエタは呆れたように呟きながらも、彼女の愚行を止めるでもなく高台の上から眺めていた。

 だが、ややあって自分の周囲の風の匂いが変わったのに気付き、振り返る。

「アエタ」

「あら、兄さん」

 背後にあった梯子を登り現れたのは、天帝ポルトリテシモだった。〈神術〉で空を飛翔した方が早いのに態々梯子を使ってやって来たのは、目立ちたくないという意図からだろうか。

「珍しいこともあるものだわ。何時もは私とは進んで会話したがらないのに」

 本当に、久方振りに彼と話したような気がする。

 風神の方は何とも思ってはいないのだが、天帝は彼女に対して「反りが合わない」と思っているらしい。何となく避けられているのは感じていた。何か特別おかしなことをした覚えはないのだが。

 あからさまな嫌味の言葉に、天帝は態とらしく咳払いをした。

「何?」

「こ、と、ば、づ、か、い」

「んもーっ!! ほんっと面倒臭いわねえ! ペレナイカには、ため口許してるでしょ?」

「あ奴には何を言っても逆効果だからだ。しかし、私は基本的にそういったことを看過出来ない。お互いの立場を考えれば、当然の措置だと思うが?」

「……」

 少し困ったような表情で押し黙った天帝を見て、風神は渋々だが承知することにした。火神のように我を通すこともできるが、残念ながら彼の言っていることは正論だ。

「はいはい、分かりました。天帝様の仰るとおりに致します」

「『はい』は一回」

「はーい」

(不仲ではあっても、昔はもっと楽な付き合いだったというのに)

 責任ある立場に就くということは、ただそれだけで害にしかならないのだと痛感させられる。自由を愛する《風》の者にとっては特にそうだ。

「それで、そのペレナイカはどうした? ここの所、全く姿を見かけないが」

 風神は物言わず顔だけ動かして、彼女のいる方向を指し示した。

 その態度もどうなんだ、と思いつつ天帝は風神の示した方向を〈千里眼〉で探す。すると、侍神候補者の宿舎の側を氷精と白天人族の男女が仲良く語らいながら歩いていくのが見えた。

 女の方には何度か会ったことがある。白天人族の第四王女で火侍に内定しているブリガンティ・カンディアーナだ。

「あれが? 私が尋ねたのはペレナイカの所在だぞ」

 疑問の言葉を口にしつつも、天帝はブリガンティの正体が火神ペレナイカであることを即座に見抜いた。

「……ペレナイカは何をしているのだ?」

「見ての通り逢引きですわ」

 風神アエタは速やかにそう答えた。真面目に尋ねた天帝は、冷ややかな視線を風神に向ける。

「半分は冗談ですが、半分は本当ですわ。でも成就は難しいかも」

「どういうことだ?」

「相手にその気がないんですもの。彼が愛しているのは氷神シャルティローナ」

「ああ、あの者が例の『氷神の恋人』」

 氷神シャルティローナが自分の恋人を侍神選定に捻じ込んできたという話は、天帝の許にも報告として上がってきていた。数日前の火神扮するブリガンティとの騒ぎについては、まだ把握してはいなかったが。

「おや、貴方の耳にも彼の噂は届いていましたか」

「ああ。哀れだな。次の犠牲者か」

「貴方もそういう評価なのですね……」

 意外だ。彼はそういった心の機微が見抜けない性質だと思っていたが。

「他に評価のしようがないだろうが。まったく、神族は問題児ばかりだな。氷神にも一度お仕置きが必要かな」

「お仕置きして彼女の悪癖が治れば良いのですが」

「ならば監視役を付けよう」

「そうですね。となれば、次の氷侍が恋人の彼であっては困るということです」

「……」

 まるで誘導されているかのようだ。天帝は一層冷たい目を風神に向けた。

「何ですか?」

「何を企んでいる?」

「まあ、酷い。企むだなんて……」

「身に覚えがないとでも?」

「あは、どうでしょう?」

 風神は実に彼女らしく笑って誤魔化した。

 個別主義で悪戯好き――彼等自身から言わせれば「自由の信徒」ということだが――な《風》の神とその眷族達は、実に油断のならない存在だ。悪気がない所が最悪である。

「まあ本当に真面目な話をしますとね、私は姉妹のように育ったペレナイカが愛おしくて堪らないのです。だからこそ彼女にも、何者にも縛られず自由であってほしいのですよ。恋だって自由にすれば良い。それも彼女の良さというものでしょう?」

「そうは言ってもなあ、お前……」

「何れにしても、彼と氷神は必ずお別れすることにはなると思いますよ。私達が何もしなくても」

「それはまあ、そうなるだろう、な」

 これには天帝も頷いた。氷神は氷神で性質が悪いと評判の神だ。彼女にまともな恋愛が出来るとはとても思えない。実際数え切れない程の前科が彼女にはあった。

「ところで――」

「はい?」

 ふと湧いてきた疑問を天帝は風神にぶつける。

「本物のブリガンティは何処へ行ったんだ?」

「あっ!」



 衰弱しきった本物のブリガンティ・カンディアーナが発見されたのは、この時から二日後のことであった。



   ◇◇◇



 同じ頃、氷神の居城である氷の神殿では、氷神に仕える氷精の侍女達が朝食の用意の為に主神の居室を訪れていた。

「氷神様、失礼致します」

「どうぞ、入って」

 日課である食事の準備は何事もなく終了したが、侍女の一人が机の近くに置かれていた屑箱に目をやった時のこと、中に未開封の封筒が入っているのに気が付いた。

 彼女にはその手紙に見覚えがあった。自分が氷神の許へ持ってきたものだったからだ。

(これはスティンリアからの手紙、だったかしら? 確か先日届いた……)

「あの氷神様、屑箱の中に未開封の手紙が入っておりましたが」

 侍女は慌てて手紙を拾い上げ、氷神に尋ねる。

 氷神は横目でちらりとその手紙を見たが、すぐに何事もなかったかのように昼食に手を付け始めた。

「処分して構わないわ。もうそれに興味はありません」

「然様で御座いますか」

 それを聞いた侍女は、他の者には聞こえぬよう小さな溜息を吐いた。

(氷神様らしい)

 侍女は、スティンリアが既に氷神の寵愛を失ってしまったことを知った。

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