03

 その日ブリガンティ・カンディアーナは、寄宿舎の一角にて奇妙な光景を目にしていた。将来的に自分の監視対象になる予定の女神が、寄宿舎の一室を覗いているようなのだ。

 視線の先を追って誰の部屋なのかを確認ししたが、該当の部屋はどう見ても空室であった。

(何だ?)

 誰かを探しているのだろうか。それとも素行の悪い彼女のこと、また何か企んでいるのだろうか。

 ブリガンティは気取られぬよう、背後から静かに火神へと近付いていく。

 そして、あと少しで手が届くという距離まで詰め寄った時、火神は突如目の前から姿を消した。

「……!!」

 火神が上空に飛び上がりそのまま自身の背後に回ったことに気付いた数拍後には、既にブリガンティは意識を失っていた。

「御免なさいね。でも、私の侍神になることが確定している貴女には、侍神教育なんて初めから必要ないでしょう?」

 謝罪の言葉を掛けながらも、哀れむ気持ちは全くない。相手はあの忌々しい天帝の下僕なのだから。

「これで良し!」

 気絶したブリガンティを先程覗いていた空室に隠すと、火神は〈神術〉でブリガンティに変化した。

 そして、本物のブリガンティから奪った二振りの剣を鞘から抜いて軽く振ってみる。

(ポルトリテシモにばれたら、また怒られるかしら。……ふんっ、知ったことではないわ! こちらだって、あいつの横暴を通してやってるのだから、この程度の悪戯は大目に見るべきよ)

 剣の刀身を再び鞘に収めて腰に佩くと、火神はその姿のまま何処かへ走り去っていった。



   ◇◇◇



 その頃寄宿舎周辺にある修練場では、白兵戦の自主修練が行われていた。

 中心にいるのは氷精スティンリアだ。彼が希望して行われている試合であった。

 氷神の恋人であるスティンリアが、その立場を利用して氷神に侍神選定への推薦状を書かせたという噂は、既に他の候補者達の耳にも入っていた。当然不満に思う者達もいた。

 そんな輩を黙らせる為に、彼は自分の実力を証明しようとしているのだ。そして、思惑通りスティンリアは全ての試合に勝ち残り、その剣の腕だけは証明して見せた。

(あら、意外。押せば倒れるような優男と思っていたのだけれど、存外やるじゃない)

 尤も、ただそれだけで皆が黙るとは火神にはとても思えなかったが。

「……ますます、気に入らないわね」

 愚かで傲慢な男。教育が必要だ。

「一つお手合わせ願おうか」

 火神はスティンリアの前に立ち、この戯れの為に観察していたブリガンティの口調を真似て言葉を掛けた。

 続いて、腰に佩いていた剣の一振りをスティンリアに投げて寄越す。彼等が使っている修練用の木剣ではない。実戦用の真剣だ。

 スティンリアは練習試合に真剣を持ち出してきた相手に少々面食らったが、やがて冷静に尋ねた。

「貴女は?」

「白天人族の第四王女ブリガンティ・カンディアーナだ。君は氷精スティンリアだな」

「白天人族……武術に秀でた種族と聞き及んでおります。しかし――」

「女だてらにと侮るなよ、氷精。お前にその気がなくとも、こちらから行くぞ!」

 火神は素早く剣を抜き、スティンリア目掛けて振り下ろした。彼はそれを先程寄越された剣の鞘で受け止めた。

「……っ!」

「ふん、反射神経は悪くはないようだな。……気に入らん」

 二太刀目は抜き身の刀身で受けた。

 激しく打ち合う音が修練場に響く。先程まで木剣で行っていた試合とは全く異なる鬼気迫った様子を他の侍神候補者達は、息を殺して遠巻きに見守っていた。

 剣で押し合い、お互いに大きく身体を離した後、スティンリアは荒い呼吸を吐きながら尋ねた。

「私は、何か貴女の不興を買うようなことをしましたか?」

「まさか。ただ、私が君の実力を試してやろうというのだ。本当に、我等が天界の地に侍神候補者として立つに相応しい人物かどうかをな!」

「なるほど、有り難い。私もそれを証明する為に、天界へ来たのですよ!」

 一際強い力で切り結ぶ。刀身からは火花が散った。

「成程、大した執心だ。余程彼の女神が恋しいらしい」

「下卑た言い方をするなよ、天人族。我が信仰は純粋なものだ」

「情夫であることは事実だろう。しかし良いのか、君はこんな所にいて? あの御方は文字通り《氷》のような神だ。少し距離を置いている間に、君への愛情も冷め切ってしまっているやもしれぬぞ」

「……!」

 スティンリアの力が弱まったのに合わせて、火神は剣で彼を押し返した。

 背後へ退いたスティンリアの表情は完全に固まっている。視線は足元を泳いでいた。

(否定出来ないのね。実際そういう女だもの。貴方も傍で見てきたのでしょう? ……ああでも、だからこそ頑張っているのね。彼女に見捨てられないために。彼女が目を逸らせない程の立派な男になる為に)

「可哀想な子」

 誰にも聞こえないように火神は呟いた。

「そろそろ終わりにしようか」

 いよいよ火神は決着を付けに掛る。狙いは彼の持つ剣だ。もう戦えないよう、刀身を彼の矜持ごと砕いて終わらせてあげよう。

 だがそこでスティンリアは剣を引き、代わりに右腕を前に差し出した。

「ぐ……っ!」

 火神が突き出した剣はスティンリアの右腕に刺さり、氷精の白銀に色付いた半透明の血液に濡れた。

「な……馬鹿なことを!」

(真剣を腕で受け止めた!? 一応ただの練習試合よ、これ!)

 彼の左腕にはまだ剣が握られたままだ。

(やられる!)

 そう思った瞬間、火神は握っていた剣を弾き飛ばされ、その勢いでぺたりと尻餅をついてしまった。

 その様子を見届けて、スティンリアの方も動きを止めた。

 修練場に沈黙が落ちる。二つの荒い呼吸だけが聞こえていた。

 そしてその呼吸が落ち着いた頃、スティンリアが口を開いた。

「貴女は勘違いしています。あの御方が私をどう思っているかは関係ありません。我々は、至高の存在である神族に愛情を強制するような身分ではありません。ただ、それでも私は氷神様をお慕い申し上げています。あの御方が私を愛していようと、いまいと。それは関係のないことなのです」

 火神は暫くぽかんと聞いていたが、どうもその恋愛観とは相容れないものを感じ、胸の内にむかむかとした感触が込み上げてきた。そうして、彼女は思わず悪態を吐いた。

「お互いの方向を向いていない……それを本当に『愛情』と呼べるのかしらね」

「これもまた『愛』、ですよ……」

 スティンリアはやんわりと諭すように答えたが、語尾は聞き取れないくらいに弱々しい。やがてその身体がぐらりと傾いたのに気付き、火神は慌てて立ち上がった。

「ちょっと!」

 疲労の為か、或いは過度の緊張状態から開放されたからか。彼女の腕に倒れこんだスティンリアは、既に意識を失っていた。



 その後、火神は他の侍神候補者達と共に彼を医務室へ連れて行った。次に教官達のお説教が待っていたが、彼女は上の空で聞き流した。

 漸く開放されて、寄宿舎の自室――正確にはブリガンティの自室であるが――に戻った火神は、寝床に座り込み暫くぼんやりと宙を眺めていた。

 そして、ぽつりと呟いた。

「やるじゃない」

 その顔には、満面の笑みが浮かべられていた。

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