02

 木神イスターシャの侍神――木侍エスカトゥーラから火神の許に手紙が届いたのは、彼女が侍神選定の為に居城から天界へと旅立つ半月前のことだった。

 内容は元火侍オイロセの訃報を伝えるものであった。

 怪我をある程度回復させて動けるようになったオイロセは、逃げるように火界――火神の領地である《火》の世界――を離れた後、故郷の地へと戻りそこで変死したのだそうだ。死因は現在調査中とのことだった。

 手紙には彼の亡骸の一部だという朽ちた小枝が添えられていた。

「オイロセ……」

 火神の傷だらけの心は、既に彼女の涙を枯れ果てさせていて、今この瞬間に彼女が涙を流すことはなかった。

(何時の日か私達の負った心の傷が癒えた時、ちゃんと話し合って、私も身辺を整理して、そうして再びあの幸せな日々が戻ってくるのだと信じていた。いいえ、信じたかった……)

 しかし、オイロセは彼女の与り知らない所で死んでしまった。

 いっそのこと、冥神を締め上げて彼を生き返らせようかとも考えた。だが、思い止まった。

 オイロセが負傷した時期と死亡時期が近過ぎるのだ。きっともう、彼は火神を許さない。彼の死が火神に関係していようとしていまいと、彼は我が身に起こった不幸の全てを火神の所為にするだろう。実際、治療中もそんな雰囲気があった。

 それに何より、火神の心中に「終わってしまった」という感覚が強くあった。生死の原理を正しく理解し、不死に最も近い彼女達神族にとっても、やはり生物の死は一つの「終焉」であったのだ。今迄多くの生物の死を見送ってきたが故に。

 涙も悲鳴も出せぬまま、火神は手紙と朽ちた小枝を抱きしめて膝を突いた。



   ◇◇◇



 それから半月経ち、天界へと渡った火神は内々に天帝ポルトリテシモの居室に呼び出された。丁度「神宴」――数多の神々を天界に招いて開かれる宴――が始まったばかりの頃合だ。

 神宴自体は平時から度々行われているが、今回の神宴は特別で侍神選定の開会式と候補者達のお披露目も兼ねた規模の大きなものであった。高位神であり侍神に欠員の出ている火神も当然参加させられることになっていた。

「何の用? 私もそろそろ神宴に参加したいのだけれど。次の侍神を探さないと」

「その必要はない。ペレナイカよ、次の火侍は既に決まっている」

 そう告げる天帝の表情は厳しい。普段から笑顔を見せない男だが、今日は特に機嫌が悪いように見えた。

「え?」

 思わず火神は問い返した。

 天帝は話を続ける。

「白天人族の第四王女ブリガンティ・カンディアーナ。聡明で少々気の強い娘だ。彼の英雄――救世王女アイシア・カンディアーナ程ではないが優秀ではある。白天人族自慢の封印系の〈術〉もな」

 今は亡きアイシア王女は、嘗て高位邪神の一柱である渾神ヴァルガヴェリーテを〈封印〉した英雄だった。無論彼女は特異例ではあったが、白天人族は万物の長である神族すらも倒す可能性を持った種族と言える訳だ。

 また、彼等は天帝の側近に当たる眷族でもあった。その白天人族の者を宛がうということは、つまり――。

「脅しのつもり?」

「まだ脅されるだけのことをした自覚があれば、ここまでする必要は無かったのだがな」

「前の火侍が死んだのは事故よ。私の所為ではないわ」

 事実だ。

 言うまでもなく火神はオイロセに危害を加えるようなことは何もやっていないし、眷族達についても彼女自身訝しんでほぼ拷問に近い形で彼等を問い詰めたが、疑わしい証拠は何も出て来なかった。

 結局木神や彼女の眷族達の手によって完全な事故死であったことが証明されたのだが、その結論を信じぬ者は多く、真実は火神かその眷族達に暗殺されたのではないかという疑惑を招いていた。

 ならば天帝はどう思っているのかと言えば、正直な所、世間で言われているような疑惑については半信半疑であった。しかしそれでも、オイロセの死の根本的な原因はやはり火神にあるのではないかとは思っていた。彼が火神に起因する問題で重傷を負っていなければ、或いは死を免れたかもしれないと。

「無意識に殺人を犯す者も世の中にはいる」

「何ですって!?」

「ペレナイカ、無邪気は決して美徳ではないぞ。特に我々のような責任ある立場の者にとってはな」

「……っ」

 怒りで言葉も出て来ないらしい。

「これは罰だ。当面は監視下に置かせてもらう。話はそれだけだ」

 一方的に話を切ると、天帝は歯軋りする火神を居室から叩き出した。



   ◇◇◇



「酷い顔」

 鈴のような声を鳴らして白皙の女神が笑う。風神アエタだ。火神ペレナイカとは幼い頃、姉妹の様に育った間柄でもある。

 火神は子供の様に頬を膨らませた。

「おだまり、アエタ」

「お痛がばれて、天帝にこっぴどく叱られてきたという所かしら。そういうのは分からないようにするべきよ」

「煩いわね!」

 灼熱の神気が巻き起こり風神を襲うが、相手は至って涼しい顔をしていた。

「《風》の私に貴女の《火》の神気は効かなくてよ。貴女も知っているでしょう? それより、良いの? これ以上、悪さを重ねても」

「……!」

 はっと息を呑んだ火神は慌てて神気を収め、再び不貞腐れたような顔をして俯いた。

「気に入らないわ、ポルトリテシモ。神位は私達と同等なのに、神々の王を気取って」

「実際、彼は神々の王だわ」

「そうだけど!」

 身を起こす火神の口元に、風神はそっと人差し指を添えて囁く。

「今暫くの辛抱よ、ペレナイカ。ずっと今のお仕置き状態が続くことはないでしょうから。天帝も、貴女に叛意や悪意があってこんなことになった訳じゃないって、ちゃんと分かっている筈よ」

「そうかしら……」

 ふと火神の視界に一対の男女の姿が飛び込んできた。下位の神族と雲精という組み合わせだ。

 辺りを見回せば、何時の間にか連れ合いのように寄り添う二人組みが、男女問わず増えている様に見える。この神宴で親しくなった者達だろうか。

 彼等は何れ主神と侍神の関係になっていくのかもしれない。

「悔しいわ。皆、思い思いの相手と結ばれるのね」

「あらあら、今から嫉妬? まだ早いでしょうに。それにしても、まるで恋人を選んでいるかのような言い様ね」

「私にとっては似たようなものよ。ずっと側にいる相手ですもの」

「ふふ、困ったこと。でも、そう思っているのはどうやら貴女だけではないようね」

「うん?」

 きょとんとして首を傾げる火神の耳元に、風神は顔を寄せる。

「氷神シャルティローナ。どうやら彼女、今回の侍神選定に自分の恋人を潜り込ませたみたいよ。氷侍にして、公に自分の側に置く口実を得る為に」

「シャルティローナ……私、あの女嫌いなのよね。無垢でしとやかな女に見せかけて、その裏に《氷》の冷たさと強かさを隠し持っている。あの女の側にいる者は皆例外なく不幸になっていくの。本人も気付かない間にじわじわと真綿で絞め殺されるようにね。でも、そのことにあいつは何の痛みも感じない。悪いこととも思ってないのよ……陰湿で独善的。近付きたくもないわ」

「貴女らしい」

 風神はからからと笑った。

「それであの女の新しい犠牲者はどこ?」

「興味が湧いた?」

「少しね。その恋人とやらが将来的に不幸になっても全くもって自業自得だと思うし、救ってやる気は毛頭ないけれど」

「うふふふふ。恋多き貴女がまた粗相をしないか少し心配していたのだけれど、その言葉を聞いて安心したわ。ほら、あそこよ」

 指差された先に居たのは、寒色系の衣装を纏った背の高い氷精だった。白銀の長い髪から覗く青白い面は思わず見惚れるくらいに端正だが、何処か冷たい印象も与える。

「……美形ね。あの女の好みそうな優男。ますます気に入らないわ」

「あっ、そ」

 悪戯好きな《風》の女神は、火神の言葉の裏にある無意識の感情を読み取ってほくそ笑んだ。

「本当に気に入らないわ」

 一方、火神は呪文の様にぶつぶつとその言葉を唱え続けた。

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