08. 神の寵愛

 白い陽光が使い古された講堂に差し込んだ。

 教室の壁土に混ざった石英がきらきらと虹色に輝き、講義に聞き飽きた生徒達の視線の拠り所となっていた。

「まず、神族の階級において最上位にあらせられるのは光神プロトリシカ神と闇神ユリスラ神です。この二柱神は『源神』とお呼びします」

 生徒達の中にはこっそり欠伸をしたり、気持ち良さそうに舟を漕いでいる者までいた。心此処に在らずという様子の彼等に内心怒りを覚えながらも、講師は注意もせずに講義を続ける。代わりに特に怠惰さの目立つ生徒の名前を机の上の書物にこっそりと書き記した。

 神々が実際に候補者達の中から侍神を選ぶのはこの教育期間を終えた後だが、侍神選定自体はこの時既に始まっているのだ。

 全世界の侍神候補者がまず天界へと集められる理由について、大きく分けて以下の三つが挙げられる。

 一つ目は侍神を求める神の側の利点で、資質を持った者を一ヶ所に集めておけば、神自らが各地を放浪して探し回るような手間が省けるということだ。

 二つ目の理由は神族に関わる重要人事を天界が取り仕切ることで、権威の中枢が天界にあることを示す為である。

 そして、天界にとって何より大事な三つ目の理由が、侍神候補者に教育――つまりは洗脳を施す為であった。天帝体制寄りの思想を植え付けた侍神を神の側に配置することで、神族を管理するという仕組みである。神が自ら選んだ侍神内定者についてもこの洗脳教育だけは後から受ける決まりになっていた。

 故に、講義に対して真摯な態度で挑まなかったという理由で天界から失格者の烙印を押され、神の前に立つことなく天界を去る者も少なくはない。講師達もそんな候補者を過去に何百人と見てきているので、現在の一部の生徒達が取っている好ましくない行動も冷淡に受け止めていた。この先何があっても全ては彼等自身の選択の結果だ、と。

「次席は《時》《理》《虚》《渾》の四柱神。『外神』と称されます。第三位は《天》《地》《火》《水》《風》《木》と《幻》《実》《命》《冥》《智》《力》の十二柱神。このうち、《光》から出でた六柱神が『正神』、《闇》側の六柱神が『逆神』となります。その中で、ユリスラ神は《闇》と《幻》を兼ねておいでですが、上位の闇神の名でお呼びするのが一般的です」

(知っているわ。そんなこと)

 白天人族の王女メリルも正直うんざりとして聞いていた。

 今はまだ初期の講義で基礎段階だ。ここにいる全ての生徒が知っている一般常識であり、当然メリルにもこの程度の知識はあった。

「詳細は数が多いので後の講義に回しますが、正逆十二《元素》から直接分岐した《元素》の《顕現》神が第四位となります。《光》側が『従神』、《闇》側が『次神』。従次神以降の《元素》から分岐された神は《光》側が『族神』、《闇》側が『属神』となります。また、神族同士、或いは神族と他種族の婚姻によりお生まれになった方で神格を得られた神は『雑神』。神族以外の出生でありながら、後に神格を得られた神は『昇神』とお呼びします。なお、貴方がたが目標とする『侍神』はあくまで補佐役。神族そのものではありませんので、昇神には当たりません。辞任すれば、侍神としての地位と能力は当然失われてしまいます」

(それも知ってる)

 メリルは溜息を吐いた。

 こんな講義、必要ないのに。特に白天人族は他のどの種族よりも優れているのだから。

 そう、こんなつまらない講義が必要なのはあの地上人の小娘くらいのものだ。

 けれど――。

(無知なあの子でさえ、既に上位神の侍神なのだわ)

 反体制の邪神ではあったが、第二位神である渾神の地位と神力は軽視出来ない。特に体制の思想に染まり切らない天界外の種族にとっては、彼の女神は恐怖の象徴であると同時に敬意の対象でもある。何より天帝よりも上位神の侍神ということで、渾侍となったアミュは侍神候補者達の好奇と羨望の的となっていた。

 その名誉は本来メリルが火神の侍神――火侍となって享受する予定のものだったのに。

 否、仮に火侍に就任できていたとしても、火神は第三位神で渾神よりも下位に当たる為、メリルはアミュ程の評価は受けなかったに違いない。

「火神では駄目。外神以上でないと……」

 他の生徒に聞こえないくらいの小さな声で独り言を呟きながら、メリルは長めに整えられた爪を噛んだ。

 ふと、前列の席に座っていた候補者達の声が耳に入った。

「あーあ、こんなに早く先越されちゃうなんてねえ」

「邪神じゃない」

「本気で言ってる? ああ、そうか。あんた、天界育ちだったわね」

「そうだけど……。何よ?」

「邪神の定義ってのはね、まあ例外もあるけど、主には天帝に従属しているかどうかなのよ。元は先帝である光神様がお決めになった基準らしいけど、引退なさってから変動もあったし、大体そんな感じ。でも、私達木人族の主神は天帝ではなくて天帝と同列の木神様でしょう。木神様も一応天帝を立ててはいらっしゃるけど、下の方にはあんまり浸透してなくてね。その所為か、木界では天界が邪神と定めた神を忌避しない風潮があるのよ。木界以外でも、そういう場所は結構あるらしいわよ」

(何という無礼! 天帝は神族の王よ!)

 メリルは心の中でそう叫んだが、天界育ちという木人族の少女は素直に同族の言葉を信用してしまったようだ。

「そういうものなの?」

「そういうものなの。しかも、相手はあの伝説の渾神よう。地上人の小娘でさえ、あんな高位神の侍神になれたって言うのに、これで私達が侍神になれなかったら、故郷に顔向けできないわ」

 全くだ、と思った。

 普段メリルは白天人族以外の者を侮蔑しているが、この時ばかりは心の中で彼女達に同調した。

「それにさあ。侍神当確なのは、あの地上人だけじゃないみたいよ。ほら、講義が始まってからずっと欠席してる黒天人」

「ええっ!」

「黒天人」と聞いて、思わずメリルは息を呑む。

(シーア・ヌッツィーリナ!)

 才女と名高い黒天人族の第三王女は、いつもメリルの存在など知ったことかという顔をしていた。寄宿舎に来たばかりの頃にも一度だけ偶然擦れ違ったことがあったが、あからさまに無視され素通りされた。そんな不愉快極まりない女だったと記憶している。

 すると、木人族の娘は声を潜めて言った。

「闇神様の侍神に決まりかけてるって」

 驚きの余りメリルは持っていた筆記具を落としてしまった。

(何ですって――っ!)



   ◇◇◇



 うっすらと 目を開けば真っ白な天井が視界に入ってきた。

「私の部屋……」

 そうだ。ここは寄宿舎の自室だ。

 寝台の布団の乾いた肌触りが心地良い。それに良い香りがする。天宮の人々はそれを「太陽の匂い」と呼んでいた。

 しかし、何故自分はここにいるのだろう。ついさっきまで〈封印門〉の前にいた筈なのに。

「根を詰めすぎじゃないのか」

 傍らで闇神の声がした。

「〈封印門〉の前で倒れていたから連れてきた。原因は恐らく疲労と睡眠不足だ」

 闇神は椅子に座って本を読んでいた。推理小説だ。最近三番目の兄があの作者の本にはまっているらしい。今迄興味はなかったが、最上位神が手に取る程に面白い内容なら、今度兄から借りようかと思い立った。

 ふと、シーアは腹に痛みを感じ、布団の上から擦ってみる。 

「お腹空いた……」

「食事を摂ってないのか。何時からだ」

「たまには食べてますよ」

「『たまには』……呆れたものだな。食事を摂るぐらいの時間は設けても良いだろう。あと、風呂も入れ。臭うぞ。……はっ! まさか、便所にも――」

「それ以上仰ったら、しばきますよ。蹴りますよ」

 捲し立てるような口調でシーアは闇神に詰め寄った。神族に対し失礼極まりない暴言であったが、闇神の方も自身の発言に問題があったと思ったようで、逆に謝ってこられた。

 しかしながら、その後に闇神は厳しくシーアに言いつけた。

「とにかく、お前は少し休息を取れ。これは命令だ」

「……」

「それから、侍神選定への参加が天宮へ入る為の只の口実だとは知っているが、それを知るのは私やお前の身内だけで、他の者はそうではない。否、天宮の者が真実を知っていたら、お前がここに入ることは許可されなかっただろう。だから、せめて講義に出席するぐらいはしないと、早晩侍神候補者の資格なしとされ叩き出されるぞ」

「そんな時間は……」

「お前は二つ、大きな勘違いをしている」

 闇神は人差し指を立て、シーアの目の前に突き出した。

「一つはお前の今の行動についてだ。〈封印門〉から永獄内部の様子を把握しようとしているのだろうが、全く必要のないことだ。渾侍の娘には〈闇籠〉という〈神術〉を施した。〈闇籠〉は拘束術だが監視術でもある。渾侍の現在地や行動、周囲の状況、接触した相手の様子等もこの〈闇籠〉を通じて常に感知出来る状態にある訳だ。そして、確かにお前の予測通りシャンセは既に渾侍と接触している。そう、お前が動かずとも、全て私が把握しているのだよ」

「私が自分の手でそれを行いたかったのです。他人ではなく私の手で彼を――」

「意味のない自己満足だな。二つ目、例えシャンセの動きを知り、お前がいち早くあれと対峙することが出来たとしても、お前にシャンセを倒すことは出来ない」

「……っ!」

 その言葉を聞いたシーアは、憎々しげに闇神を睨んだ。

 だが、構わず闇神は続ける。

「シャンセは渾神さえも〈封印〉したあの救世王女とも比肩する程の実力者だった。お前の力など遥かに及ばない。無論、渾神の企みを止める力もお前にはない。本当は分かっているのだろう?」

 一拍おいて、闇神は言い放った

「お前に出来ることは何もない」

 沈黙が落ちる。シーアには返す言葉もなかった。

「全てが渾神の謀ならば、ここから先は神族の領域。我々の仕事だ。任せておけば良い」

「貴方だって渾神と同じ邪神ではありませんか。信用なんて出来ません。真実、味方であられたとしても、いつ天界を追われることになるかも分からない方になんて――」

「渾神が手を引くまでは天界も私の滞在を黙認せざるを得ないだろう。光神は既に去り、唯一の最上位神である私の力が必要な筈だからな。それと私はあれとは同じではない。そもそも体制、反体制という縛りに拘っているのは、天帝とその同胞達だけだ。いや、そんな体制を築いた天帝自身でさえ、どこまで本気で言っているのか……」

 最後の一文は独り言であったが、シーアの耳にもしっかりと届いていた。シーアは「え?」と声を漏らす。

 それを聞いた闇神は不味いことを言ったという風に視線を逸らした。

「その話は良い。ともかくだ。お前が黒天人族の地位と誇りを取り戻したいと言うのなら、シャンセ如きの尻を追いかけるより、勉学に励み自分を売り込み高位神の侍神を目指すべきだ。今、お前の目前にはその希少な好機が用意されている」

「お断りします。黒天人族の恥は黒天人族の手で雪ぐ。まずはそれからです」

「頑固な娘だな。恥の上塗りを繰り返し、黒天人族は二度と天界の重職も侍神の地位も望めなくなるやもしれぬというのに」

 現に黒天人族は彼女を守る為に邪神とされている闇神の手を借りることになったのだ。

 すると、シーアは何とも形容しがたい表情で闇神に問いかけた。

「そうなったら、闇神様が私を貰って下さいますか?」

 その目は完全に死んでいた。

「……本当に疲れているな」

 闇神は呆れて溜息を吐き、シーアに頭から布団を被せた。

「もう寝ろ。私が目を話した隙に〈封印門〉まで這いずって行くんじゃないぞ」

 被せられた布団の向こうで闇神の気配が消えるのを待って、シーアは布団から顔を出す。

 闇神が去った後には沈黙と白い天井だけが残っていた。

「『お前に出来ることは何もない』か……」

 シーアはぼんやりと天井を眺め、そう呟いた。



   ◇◇◇



「闇神様の侍神に決まりかけてるって」

 その言葉を聞いた時、声の主の友人もメリルと同様の驚きを見せた。

「嘘っ、最上位神じゃない! しかも、《闇》側は侍神制度なんて受け入れないって話じゃなかったの?」

「――の筈なんだけどねえ。噂じゃ、かなり御執心らしいよ。四六時中、ずっと側にいてあの娘を守ってるんだって。ほら、神宴の時だって……」

「大事そうに抱きかかえてたもんね。ああっ、何であんな美形を……!」

「そこなのか。……ってか、あんた天界寄りだったんじゃないの?」

「あの方は別。うん、別格。美人過ぎ、ユリスラ様!」

「ああ、うん。そうだったんだ……。でも、確かに綺麗な神様ではあるわよねえ」

「貴女達、講義の邪魔です。お喋りがしたいだけなら教室から出て行きなさい!」

 本人達の気付かない間に話し声が大きくなっていたらしい。流石に堪りかねて、講師は木人族の娘達を叱り付けた。

 苦笑して謝る彼女達に講義室中が注目する。

 呆れたような、見下しているようなその目は、前席の木人達に向けられたものであったが、何だか後ろにいる自分に向いているように思えて、顔がかっと熱くなる。

 その後、生徒達は講師に促されて教壇の方に向き直ったが、メリルの憤りは収まらない。

 そして、怒りの矛先は再びシーアへと向いた。

(汚らわしい黒天人族の女が、「最上位」の侍神ですって……?)

 黒髪のさらりと流れる音が耳元のすぐ近くで聞こえた気がした。



 紅い夕日が窓から差し込む。

 今日の講義が終了し誰もいなくなった講堂で、メリルは一人、殺意を孕んだ眼差しでシーアの座る筈だった席を睨み続けた。

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