07. 夢想と現実

 白天人族の王女メリルが籠一杯の果物と極上の酒を抱え、満面の笑みを湛えて自室を訪れた時、リシャは眩暈で倒れそうになった。

 唯でさえ甘やかされ我侭放題に育った姫様が、これまた無理なお願いを押し通しに来た。そんな気配を体中から放出していたからだ。

 何百年振りともなろう。この有事の際に――。

 取り合えず席を用意させ、ほんの少し雑談を交わした後、面倒な客人は漸く本題を切り出してきた。

「ねえ、リシャ爺様。私、思ったのだけれど……」

「何でしょう?」

「ほら、先日の神宴。想定外の事故で台無しになってしまったでしょう。不浄を祓う意味でも、日を改めてもう一度執り行うべきじゃないかしら」

「メリル様」

「本来宴というものは楽しむべきものだわ。皆さん、嫌な気分のままで終わるのは嫌でしょう? それに侍神候補者の方々も神々と満足に交流も出来なかったんじゃないかしら。こんな状態で侍神選定に挑める訳が――」

「メリル様、神宴の再開催は行われません。これは決定事項で御座います。既に天帝が承認なされ、他の神族の方々にも通達されております。ご存知でしょう」

 隙を与えぬ強い口調で断ると、相手はあからさまに不快な顔をした。

「でも……」

「貴女には神宴の開催を決める権限もなければ、神々の御予定を変更させる資格もありません。また、それを進言出来る御身分もない。弁えられよ!」

「何て口の利き方……っ!」

 メリルは顔を赤く染め上げて、立ち上がった。その肩は怒りと屈辱に震えているようだ。

「たかだか、小間使いの分際で。私を誰だと思っているの? 私は――」

 どうして、その気の強さや矜持の高さが先日の神宴で発揮されなかったのか。リシャは溜息を吐きたくなった。

「侍神候補者達はその出自に関わらず全てが平等に扱われます。そして現状、貴女の御立場は数多存在する侍神候補者の一人であるに過ぎない。そう、貴女はただ、貴女が『小間使い』と呼ぶ者達から神族に奉仕するすべについて教えを請う権利を得たというだけの御身分なのです。その中で特別な者がいるとすれば、それは真に侍神の地位を得た者だけでしょうな」

「……!」

 ――貴女の価値はあの地上人の小娘にすら遠く及ばない。

 そういう真意が見て取れた。

「先程の御提案は聞かなかったことに致しましょう。しかし、これ以上白天人族の名誉を傷つけぬ為にも、貴女は城へお戻りになった方が良いと私個人は考えております」

 そう言うと、リシャは従者達に命じ、呆然としているメリルを土産物ごと退室させたのであった。



   ◇◇◇



 怒りを通り過ぎて頭が真っ白になった。何も考えられなかった。

 リシャに突き返された土産物はその辺に塵箱があったので捨ててしまった。一秒たりとも持っておきたくなかった。

 所在なさげに白柱石の回廊をとぼとぼと歩いていると、どこからか話し声が聞こえてくる。

 どうやら回廊の先が広場になっているようで、他種族らしき娘が三人、中央の噴水の前で談笑していた。

 それを見たメリルは思わず柱の陰に隠れた。先程の一件で、すっかり人間不信になってしまったようだ。

「あんた、この間の神宴、欠席したんだって?」

 耳障りなくらい、よく通る声だ。

「すみません……。私、凄く緊張し易いみたいで、前の日からお腹痛くなって出られなかったんです。でも、お陰で闇神様や渾神様に会わなくて済みました。良かったです」

 今度は気弱そうな声。少しアミュを思わせて苛ついた。

「ええーっ、勿体無い。特に渾神なんて滅多に見られない珍しい神様なのに。前回確認されたのって何百年前だっけ?」

 また、別な声。今度もはきはきと通った声だ。いかにも今時の娘という感じで下品に思えた。

「珍しくても、怖いものは怖いですよ」

 気弱な少女がしゅんとなると、一人目の娘が突然含み笑いをし出す。

「そうそう。『怖い』で思い出したわ。白天人の話。あんたにも話してやろうと思って」

「ああ、あれね。ぷっくくっ、私も見たわ。くくくくく……っ」

「何ですか?」

「鳴り物入りでやって来た白天人族のお姫様が渾神相手に腰抜かしてべそ掻いてたって話よ」

(……!)

 どきりと心臓が大きく鳴り、メリルは胸元を掴んだ。

 息が苦しい。

「火人族のヴリエ女王に怒鳴り散らされても動く気配すら見せず、がたがたぶるぶる怯えて首を横に振ってたの。ずうっと」

「天人族なんて、普段はあんなに威張り散らしてるくせに実際は大したことないじゃないの。無様よねえ」

「過去の栄光や天帝の権威にしがみ付いてるだけの、老いた種族よ。昔はどうだったか知らないけど、今となってはただの能無し」

「言い過ぎですよう。私だってその場にいたら、同じ反応しかできなかったと思いますよ。もっと酷かったかも……」

 アミュに似た少女がメリルを庇う。

 痛みを帯びた熱が心臓から滲み出してくる。

 ――苦しい。

「私等は別に天人族みたく他の種族を下に見たりはしてないでしょ」

「そうですか?」

「いやまあ、確かにどこの種族も自分とこが一番って思いはあるから、やっぱり他種族を対等とは見てないんでしょうけど、天人族ほど酷くはないわよ。ああいうの、『選民思想』って言うんだっけ? 特に白天人族は悪質過ぎ」

「それは、そうかもしれないですけど……」

「あんたはいい子だねえ。他人の悪口は言うのも聞くのも嫌なんだよね」

「駄目だぞう。それじゃあ、善人にはなれても、強い人間にはなれないぞお。戦って戦って、鍛えられて初めて人は人の中で生きていけるだけの強さを身に付けることが出来るのだ!」

「え、ええー……」

「阿呆の冗談には真面目に応対しなくても良いからね。……あっ、そう言えばさあ、ここに来たばっかりの頃、あいつにお茶会に誘われてたの」

「ええっ!」

(え……?)

 メリルも驚いた。そんなことがあっただろうか。

「本当に?」

「嘘言ってどうするのよ。あの頃はまだ、侍神選定の宣誓直後でここも人少なでね。他の連中にも声掛けてたみたいだし、私も天界を案内しましょうかって誘われたんだけど……」

「怖っ! 何企んでるのかしら」

「そんな言い方しなくても……。善意で誘ってくれてたのかもしれないじゃないですか」

「無いな」

「無いわねえ。白天人族に限って……。それでね。不気味だったし、申請書類山ほど書かなきゃならなくて忙しかったから断ったんだけど、そしたら今度は『落ち着いた頃に必ずいらしてね』って」

「で、どうしたの」

「行ってないし、それ以降誘われてない。って言うか、それ以前に会話すらしてない。向こうはもう顔も覚えてないと思うわよ」

 メリルはほんの少し柱から顔を覗かせ、声の主を見た。

 少し紫がかった長い銀髪に青紫色をした切れ長の目、乳白色の肌。水人族と思われる妙齢の女性だ。

 しかし、やはり覚えがない。

(知らないわ……)

 胸元の拳を握り締める。

「うわあ。怒らせたんじゃないの? 面倒くせえ……」

「知らん。まあ、関わり合いになりたくないから良かったわよ」

「また、誘ってこられたらどうするんですか?」

「いや、そもそもそんなお茶会存在しないでしょ。社交辞令、社交辞令」

(だって貴女なんて本当に知らないもの。この嘘吐き!)

 もっと、息が苦しくなる。

「一体、誰があの娘と茶を飲むって言うのよ。使用人? 少なくとも侍神候補者の中にはいないでしょ。参加者がいないんだから、そんな会合が開かれることもないのよ」

 ――苦しい。

「白天人族王室御用達の高級茶は姫君御一人で召し上がられるのね」

 ――苦しい。

「あはっ、空想のお友達がいたりして」

 ――苦しい……!

「だから、そんな言い方は……」

 ――苦しい! 苦しい! 苦しい!



   ◇◇◇



 シャンセは漆黒の闇の中でも、満天の星々を従えてやってくる。室内はいつも宝石を散りばめたかのように、煌びやかに照らし出されていた。

 持ってきた小箱から無色透明の水晶球のような球体を取り出したシャンセは、それをアミュの眼前に掲げた。中には灰色の煙のようなものが渦巻いている。

 今日は世界創造についての講義だった。

「この煙がそもそもの世界の形だ。天も地も、光も闇も、善も悪も全てが境目なく混ざり合った状態で存在していたと言われている。この混沌たる状態を《塊》と呼ぶ。けれど、あくまで推測の話だよ。それを見たものは誰もいない。最初に生まれ出た神さえも。私達、人族が出生時のことを知らないのと同じだ」

 そう言い終わると、煙が上方に細長く伸びて柱のような形となり、残された煙の塊は下方へ落ちていく。やがて、柱の上端から水が染み出すように白色の円が描き出され、同時に下方の煙の塊も黒色の円へと変化していった。

「ある時、《塊》の一部が分離し《光》という《元素》となった。残された《元素》は《闇》へと変じる」

 白と黒の円の周囲からそれぞれ六色、合わせて十二色の小さな円が生まれる。

「やがて、《光》は《天》《地》《火》《水》《風》《木》の六《元素》を吐き出し、《闇》もまた《幻》《実》《命》《冥》《智》《力》を生み出した」

 十二色の円の周囲から無数の粒のような円が生み出される。更に大小様々な円から葉脈のような線が伸びて絡み合い、その葉脈からもまた小さな粒状の円が生まれてきた。

「これら二つと十二《元素》は自らの一部を切り離し、または混ざり合って、新たに複雑で多様な《元素》達が生み出された。そして、後に《元素》は様々な形を持って実体化することとなる。それが《顕現》。それらは物質であり精神であり概念であり。或いは、精霊や……神であった」

「神様?」

「そうだよ。とは言え、神は《元素》そのものではない。あくまで形而下に投影された影の一つであって……。例えば、《火》という《元素》があるけど、《火》からは文字通り『火』という現象が《顕現》する。同様に火精や火神も《火》から《顕現》している。つまり、地上人の常識のように、火神が火そのものであり火を司っているということではなく、《火》という《元素》こそが火神の本質であり火神や火を操っているのさ。まあ、火神と火は双子の姉妹のようなものだから、その扱い方が誰よりも上手いというのも、事実だけれどね」

「……」

「だから、神が死んでも大本の《元素》が消失することはなく、やがて同じ《元素》から新たな神が《顕現》する。或いは類似する別の《顕現》神が《元素》を引き継ぐことも出来る。当代闇神が好例だ。ユリスラ神は、元は幻神だったのだけれど、今は《闇》の《顕現》神も兼ねている」

「先生、あの……」

 アミュは気まずそうに俯く。

 それを見て、シャンセは困ったように笑った。

「どの辺から分からなくなったのかな?」

「あ……う……」

 分からないと言えば最初からよく分からなかったのだが、言い出し辛い。

 やはり、侍神になるなんて到底無理な話ではないのか。

「そうだね……。君の場合、説明するより感じ取ったほうが早いかもしれない」

 シャンセは水晶球が入っていた小箱から、今度は先端に琥珀色の宝石が嵌った杭のような物を取り出し、アミュの胸の少し下――心臓のある辺りに宛がった。

「目を閉じなさい。心を落ち着けて身体の中の違和感を感じ取るんだ。今の君の肉体は渾神によって作られた侍神の器。根底ではより強力に《渾》と渾神に連結している。そういう風に作られている。それが今までの君の身体と違う所だ」

 やはり、アミュには意味が分からなかったが、とりあえず言われた通りに試してみる。

「この祭具――〈金光杖〉に嵌った石は光神の血液を凝固させた物だ。《光》は《元素》の根源たる《塊》に最も近いとされる。《光》の刺激が《塊》を介し、《渾》を見つけ出す助けとなってくれるかもしれない」

 そう言いながら、シャンセは〈金光杖〉を発動させる。琥珀色をしていた〈光血石〉が金色の光を放ち始めた。


(――……、……。……)

(……)

(……、……)


 微かに耳に響いた。

 意味は取れない。だが、女の声のようだった。

 身体の――魂の奥底で誰かが自分を呼んでいる。そんな存在を感じた気がした。

「分かる? 分からないかな、まだ」

「いえ、分かります。多分……」

 掠れた声で答えた。

 静かに涙が頬を伝った。大切な何かを失ってしまった気分だった。

 そんなアミュをシャンセは優しく撫でてくれた。

「初めて試したのに凄い成果だよ。思っていた以上に君と渾神の繋がりは強いのだね」

「……」

「やっぱり、嬉しくないか……」

「御免なさい」

 アミュは促されるまま、シャンセの膝枕に横たわった。衣擦れの音を心地良く聞き、ふと彼に尋ねる。

「その女神様はどんな《元素》を持った神様なのですか。『こん』って……?」

 虚ろな目で見上げる。慣れない運動をして眠くなってしまったのだろうか。

「実はね。出自が分かっていない《元素》が幾つかあるんだ。さっき見せた世界の構成図のどこに位置するのかも分かっていない神だよ。時神グレズディア、理神タロスメノス、虚神スーリ――そして渾神ヴァルガヴェリーテ。それぞれ、時間、運命、虚無、不確定を表す。神族の中でも特に高齢で神力も強く、何より世界に及ぼす影響力が強い。天帝より上位の神々だ」

「よく分からない神様なのにですか?」

「全ての《元素》は《塊》から徐々に分離していったものだ。大概の場合、後に生まれた者ほど神力や存在意義に乏しい。神族の階級は《元素》の重要性に比例しているから、天帝よりも年嵩のいっている彼等は必然的に天帝よりも高位となる訳さ。ちなみに、渾神は階級的には上から二番目で天帝は三番目。光神と闇神は第一位となる」

 温かく静かな声を聞きながら、アミュはぼうっと宙を眺めていた。髪を優しく梳いてくれる心地良い感触が今は遠くに感じる。

「邪神なのでしょう?」

「邪神でも必要なんだよ」

 シャンセは笑う。

「暗闇はあらゆる危険を誘発するけれど、多くの生物は真昼の陽光の中だけで生きていくことなどできない。安らかな眠りを得ることもね。だから、白光に満ちた天界にも闇の訪れは許されているし、逆に闇界でも灯火の光が必要となる。それが、邪神の必要性なんだよ。天界が定める邪神の王――ユリスラ神は闇、精神、虚構、《顕現》という現象そのものであり、ヴァルガヴェリーテ神の場合は曖昧な境界、不確定・不完全な状態を意味している。転じて、改革・変化の神とも呼ばれているね」

「変化、ですか」

「不思議だよね。確かに曖昧さは変化の兆しを人の目から隠し、革新や衰退を助けることもあるけれど、変化の兆しが存在しないことも隠してしまう。つまり、停滞をも意味している筈なんだ。でも、いつの頃からか渾神は変革のみを《渾》の本質と謳い、行動するようになったそうだ。それが何故なのかは誰にも分からない」

「何だかうやむや……」

「渾神は正にその『有耶無耶』の《顕現》なんだ。けれどね、『絶対』がないのは救いとは思わないかい? この世には絶対善もない代わりに絶対悪も存在しない。そう思えるのだから」

「……そうですね」

(そして、絶対がないという事実すらも、また絶対ではないのかもしれないけどね。貴女はどう思う?)

 心の奥で誰かに問われたが、答えられなかった。

 自分の意思とは関係のない明瞭な言葉が次々と口から出ていくのも、ただぼんやりと聞いていることしか出来ない。意識がはっきりとしない。

 聡明なシャンセも、声を発しているのが実はアミュではないことに気付いていないようだった。

 どろりと深い眠気に襲われて、アミュは静かに瞼を閉じた。

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