06. 黒き王子

 青年が導いた先には無数の星々に飾られた邸宅があった。異形の闊歩する闇の世界には不釣合いな、幻想的な美しさにアミュは暫し心を奪われる。

「特別な〈術〉を施してあるから、この館には誰も入ってこられないよ」

 そう言って青年は頭巾の付いた黒い長衣を脱ぎ、初めてその姿を曝け出した。

 そこには夜空色の髪と瞳を持った二十歳前後と思われる若者が立っていた。

 アミュは青年の顔を凝視する。すっきりと整ったその面立ちには見覚えがあった。

「初めまして、アミュ。私はシャンセ・ローウェン・ヌッツィーリナ。天帝ポルトリテシモの庇護と神命の下、月神メーリリアと夜神ヌートレイナに奉仕する黒天人族に名を連ねる者……だった。まあ、過去の話だよ」

「シーア様ではないのですか?」

 その名を聞き、シャンセはすっと目を細めた。

「シーア・ヌッツィーリナを知っているのかい。彼女は私の異母妹だよ」

「お兄さん?」

「そう。もう長い間、会ってはいないけれどね。彼女は元気?」

 アミュが微かに警戒の色を見せたので、シャンセは困ったような顔をした。

「まあ、良いさ。とりあえず、現在君の置かれている状況を説明しておかなければならない」

「……?」

 冷淡なぐらい率直にシャンセは言い放つ。

「気の毒だけど、君は既に一度死んでいる」

「……!」

 強く突き放す言葉にまず襲ってきたのは衝撃だった。次に、絶望と諦念が染み出すように湧いてくる。

「……ああ」

 アミュの口から無意識に呻くような声が漏れた。

「……やっぱり……」

 シーアもリシャも、きっと幼い自分に気を使って嘘を教えてくれていたに違いない。

 けれど、自分はやはり死んで天界に行ったのだ。そして、死後の裁きを受け、この地に堕とされた。

「ここは地獄なのですか?」

「似ているね。でも違う。ここは『永獄』だ。そして、君は今生きている」

「え……?」

 アミュは首を傾げる。

 死んだのに生きている。まったく矛盾した言葉だ。

 シャンセは笑った。

「天界に行った時、君はまだ生きていた。そして、天界で不慮の事故により君は死んだ。ただ、人間としての君は死んでしまったけれど、侍神としての新しい肉体を与えられて蘇生した、ということだよ。恐らくだけどね」

「侍神?」

「そうだよ。天界では今、侍神選定が行われているようだね。喜ぶと良い。君は誰よりも先んじて侍神になれたんだ。渾神の侍神――『渾侍』と呼ばれる……」

 シャンセの朗らかな声に反し、アミュは蒼白となった。身体は小刻みに震え、じわりと涙が浮き出てくる。

「……もう、元の世界には戻れないのですか」

「元の世界?」

「私、戻りたい。侍神とか、天界とか、もう良い。怖い。元の世界に戻りたいよ」

 今まで頑張って抑えてきた感情が一気に噴き出す。アミュは堪え切れず、ほろほろと泣き出してしまった。

 シャンセは驚いた顔をすると、アミュの手を握った。小さな手は無機質な人形のように冷く、桜色の指先は痙攣したようにびくびくと動いている。

「御免ね。心無いことを言ったね」

 アミュの背中を摩りながら、シャンセは諭すように囁いた。

「でもね。聞いてもらわなくちゃいけない。君のためにも。状況は芳しくないんだ」

 俯いたまま返事はなかった。だが、シャンセは続けた。

「君を侍神にしたのは、渾神ヴァルガヴェリーテという女神だ。彼女は天界から邪神として扱われている。だから、君は天帝によって一時的に永獄――つまりは牢屋送りとなってしまった。彼は何れ君を処刑するだろう」

「そんな、処刑なんて!」

「うん。だから、聞いて。渾神は邪神だけど、天帝よりも強大な神力を持つ上位神でもある。そして、侍神は主君たる神と根底で繋がっている。と言うことはだ、君には天帝の〈神術〉を打ち破る力があるということなんだ。だから、さっきの囚人達は君を狙った。渾神の力を手に入れて、君が堕とされた〈封印門〉の道穴から外界に出るために」

 墨染めの長い袖の中から、シャンセは鏡のような物を取り出す。

「御覧。〈崩神鏡〉と言う。《闇》系〈神術〉を構成要素から分解する対神族兵器さ。私はこの〈祭具〉で闇神の〈闇籠〉を解術し、君は渾神の神力で天帝の施した〈封印門〉を破壊する」

 話を聞いたアミュは一瞬目を見開き、その後再び暗い表情で顔を伏せた。

「浮かない顔だね。命がかかっていても、やはり怖いかい。神族の王に逆らうのは」

「私、そんな力持ってません」

「今はね。つい先日までただの地上人の女の子だったんだ。無理もない。でも、君には渾神が用意してくれた資質がある。後は知識や経験の問題だ。だから、私が教えてあげよう。君の先生になってあげるよ」

 そうして、沈黙が落ちる。

 暫く間があって、アミュが口を開いた。

「……何故?」

「ん?」

「何故、そこまでしてくれるんですか? 私は貴方とは今日初めて会った筈だし、良くして下さっても何もお返しできません。なのに……」

 シャンセは苦笑した。彼女は自分が親切でこんな申し出をしていると思ったらしい。

 しかし、あどけない年頃の少女に相応しい素直さで微笑ましくもあった。

「困ったな。君を見ていると隠し事をするのが申し訳ない気になってくるよ。こんなこと、言うつもりはなかったんだけど……。さっき、妹と長い間会ってないと言ったよね。私はね、もう二千年以上もこの牢獄に〈封印〉されているんだ。〈禁術〉の研究をしていたという口実でね。でも、冤罪だ。実際は口封じのためだったんだよ。私は見てしまったんだ」

 瞬間、シャンセの目付きが変わった。

「天帝が、世界を裏切る大罪を犯した所を」

 闇よりもなお暗い闇の色。幼いアミュには理解できなかったが、それは侮蔑と怨嗟の光だった。

 只ならぬ空気だけ感じ取ったアミュは、ごくりと喉を鳴らした。

「そんなことの為に、いつまでもこんな場所に捕らえられているつもりはない。つまりね。私も君や他の囚人達と同じ、外の世界に出たいだけなんだ。親切じゃないんだよ。でも、それを知っても君は私に協力してくれるかな?」

 おどけたような仕草で微笑みかけるシャンセからは、既に先程の憎しみの気配は消え去っていたが、アミュは上手く笑い返すことが出来なかった。

「侍神に必要なこと、教えて下さい。天人様」

 至極真面目にそう言い返されたので、シャンセは失敗したなと思った。やはり、少し喋り過ぎてしまったようだ。

 長い間孤独であった所為で、人恋しくなっていたのだろうか。自分は本来そんな性質ではないというのに。

「『先生』だよ。よろしくね、私の生徒」

 どちらからともなく自然に手を差し出され、二人は握手を交わした。



   ◇◇◇



 元々、永獄には暗闇以外何も存在しなかった。

 囚人達は天地も時間も分からぬ暗闇の中で浮遊し、ただただ恐怖と絶望に苦しめられながら狂気に堕ちていくより他はなかった。

 そこに天界随一の〈祭具〉職人であったシャンセが様々な技術を持ち込み、世界に星明かりを灯して偽りの天上と大地を創造した。また、時計や暦も作られ、時間が生まれる。

 そして、彼が創った天地と時間を基盤に囚人達は植物や生物、鉱物等を生み出し、更には道具を作り出して住居や街を形成し始めた。

 このようにして以前に比べれば、永獄は遥かにましな世界となっていったのである。

「でもねえ。ある程度肉体的にも精神的にも余裕が出て来たお陰で、私達囚人には新たな苦しみが生まれたのよね。『捕らえられている』、『不自由である』という自覚と痛みが」

 ふかふかの毛皮布団の上に寝そべって、不貞腐れているのはアミュを襲った女怪物――キロネだ。胴には包帯が巻かれている。

「おいおい、贅沢なことだな。黒天人族の王子様が堕ちて来なかったら、お前さん、今頃ただの大蚯蚓になってたぜ」

「……あんた、よくもやってくれたわね。見なさいよ、このお腹。酷いじゃない!」

「今更、どてっ腹に穴が二、三個開いたところでどうてことはないだろう。その御面相じゃあなあ」

「まあ、繊細な乙女になんて言い様!?」

「仲間割れは止めましょう。今は考えるべきことが他にある筈です」

 言い争っていた異形二人は冷静に諭されて黙り込む。

 仲裁者――エダスは古株の二人とは異なり、シャンセの後に堕とされてきた囚人だ。

 過酷な時代の永獄に身を置いてはいなかった者の身体は進化も退化も必要とせず、人の形を崩してはいない。

 それ故、異形達は彼等の姿を見る度、絶望と劣等感に苛まれるのであった。

「私が造った〈人形殻〉は永獄の空気に満ちた毒素には弱い。以前から再三言っている通り、異形の姿を人前に晒したくなければ濫りに街の〈結界壁〉の外には出ないように。良いですね。それから、怪我が治るまでは〈人形殻〉を纏わないこと」

「それだけどさあ」

 キロネは〈人形殻〉と呼ばれた〈祭具〉を見る。それは堕天する前の、光精随一の美貌を誇った嘗ての自分の姿を模した人型の被り物だった。異形の囚人達は、普段はこうした〈人形殻〉を纏い真の姿を隠して生活していた。

「これ、もっと丈夫にならないの?」

「難しいですね。私の技術ではこれが限界です。シャンセ様なら或いは何とかできるのかもしれませんが」

「ふうん……」

 思ったよりも残念そうな反応ではなかったので、エダスは首を傾げた。

 一体何を企んでいるのだろう。

「渾侍か……。あの娘が永獄に来てから、もう五日も絶つんだな。王子様の『星の館』にいるのだろう?」

「生存反応はあるようですね。まだ、生きている」

「どういうつもりなのかしら、あの子」

「渾侍がですか?」

「シャンセよ。家畜の育成あるまいし、何でまだ渾侍を生かしているのかしら。渾神の神力が欲しいなら、手に入れた時点でとっとと食って取り込んじゃえば良いじゃない」

「確かに」

 もう一人の異形――マティアヌスも相槌を打つ。

 しかし、エダスは首を振って否定した。

「渾侍を体内に取り込んでも、その後が大変だと思いますよ。侍神と神は連結している。つまり彼女を体内に込めば、天帝をも凌ぐと言われた渾神の神力と神力を奪われた女神の怒りが、貴方がたの身体を内側から直接的に蝕むことになる」

「私達の身体は耐え切れずに破壊される?」

「或いは、魂をもね」

 流石に異形達は黙り込んだ。

 人を呪わば穴二つ。あのまま、シャンセがアミュを連れ去ってくれなければ、自分もアミュと共に消え去っていたかもしれないのだ。

「じゃあ、なおのこと渾侍を捕らえておく意味がないじゃない。何でシャンセはあの娘を囲ってるのよ。はっ、まさかそういう趣味?」

「利用する為だろ。自分が〈封印門〉を破壊するんじゃなく、あの娘に破壊させるのさ」

「あ、そっか。じゃあ、その瞬間を狙えば私達も……」

「〈封印門〉が破壊されたことに術者が気付き、新たな〈封印門〉が展開されるまでのほんの一瞬、それも〈封印門〉の道穴の大きさから考えて脱獄可能なのはごく少人数のみという好機かもしれないがな。しかも、運良く外の世界に飛び出せたとしても、その瞬間に天帝と天軍兵の餌食だ。王子様は強いし渾侍もいるから逃げおおせるだろうが、俺達はなあ……」

「でも、可能性がない訳じゃないわ」

「まあな」

 キロネとマティアヌスがぎらぎらと眼を輝かせて語り合う中、エダスだけは興味なさげに工具箱を弄っていた。

 その様子に気付いて、マティアヌスが尋ねた。

「お前さんはどうするんだ」

 すると、エダスはにっこり微笑んで答えた。

「行きませんよ。私がいなくなれば、残された永獄の皆さんが困るでしょう?」

「それはそうかもしれんが……」

「それに――」

 エダスの微笑に薄く影が差した。

「皆さんが思っている程、素晴らしいものでもありませんよ。今の外の世界は」

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