第34話 知る


 思い出したのは、冤罪えんざいの記憶だった。


 皆が幸せになれるならそれでいいと思っていた。


 団長の私が一人いなくなっても、騎士たち七人が一緒にいられるのなら——そう思い、喜んで命を捧げた。


 まさか私が死ぬことで、騎士たちがバラバラになるなんて、思いもしなかった。


 最期の夢は、決して辛いものではなかった。


 私は私のために死を選んだわけで、罪を着せられたところで不幸などとは思わなかった。


 騎士たちは永遠に騎士だと思っていた。


 だが騎士たちが騎士を辞めたと聞いて、私は永遠など存在しないことを知った。




「彩弓ちゃん、おはよう。朝ごはんできたわよ」


 姉の友梨香が、着替え中の私の部屋にやってくる。

 

 いつもの朝。だけど、私の気は重い——。


「……ああ、おはよう姉さん」

「なんだか今日は元気ないわね」

「ちょっと……嫌な夢を見たんだ」

「嫌な夢? どんな夢?」

「大切な人たちがバラバラになる夢だ」

「猟奇殺人鬼が出たの!?」

「いや、人体がバラバラになるわけじゃない。居場所がバラバラになる夢だ」

「なあんだ。バラバラになるってそういうこと?」


 私が大きなため息をつくと、姉さんはおかしそうな顔をする。


「大人になる過程でバラバラになるのはよくあることよ。いつまでも子供じゃいられないのと同じで」

「でも離れるのは嫌なんだ」

「だったら結婚なさいよ。少なくとも一人を戸籍で縛り付けることは可能よ」

「一人じゃだめだ。七人全員一緒がいい」

「彩弓ちゃんは幼稚園の時から思考が変わらないわね」

「この気持ち、きっと姉さんにはわからない……」

「そうかもしれないわね。けど、七人の気持ちも彩弓ちゃんにはわからないでしょ?」

「七人の気持ち?」

「そうよ。彩弓ちゃんが色んな気持ちを抱えているように、七人だって色んな気持ちを抱えていると思うわよ」

「……私以外の気持ち……私は……皆がたとえ誰かを好きになっても、一緒にいるものだと思っていたんだ。たとえ私のそばから離れたとしても……騎士たちが一緒にいることは当たり前だと思っていたんだ」

「彩弓ちゃんには……この人だけはそばにいてほしいっていう気持ちはないの?」

「わからない。私は私以外の七人がバラバラになることほど辛いことはないんだ。だから、私がいることでバラバラになるなら……私は……」

「彩弓ちゃん?」


 私は泣きそうになるのをこらえて、朝ごはんも食べずに家を飛び出した。




「おはよう、彩弓」


 学校に着くと、廊下を移動している健と尚人に遭遇した。


 だが二人の顔を見ると、なんだか悲しくなって私は下を向いてしまう。

 

「……おはよう」

「コンテストの写真、現像しておいたから、あとで渡すね」

「ああ、ありがとう。すまない尚人」

「こんなことくらいなら、いつでも頼ってよ」

「なになに? コンテストってなんの話?」

「ああ、実はぬいぐるみのコンテストに出す写真を尚人に撮ってもらったんだ」


 かいつまんで説明すると、健は目を丸くしていた。


「へぇ、面白いね。尚人にそっくりのぬいぐるみって見てみたいな」

「あとで写真を見せてやろう。――そうだ、次のコンテストは、健のぬいぐるみにしよう」

「え? ほんとうに?」

「ちょっと彩弓」

「どうしたんだ尚人? 怖い顔をして」

「ぬいぐるみは俺だけじゃないの?」

「私は七人全員のぬいぐるみが作りたいんだ」

「……」

「あはは、残念だったね、尚人。彩弓はやっぱり皆の彩弓だよ」

「いいよ、誰のものにもならないなら、俺はいくらでも待つからね」

「尚人……」

「そうきたか」




「おい、伊利亜」


 お昼休み。階段の踊り場に来ると、案の定、伊利亜が寝転がっていた。


 だが私が呼びかけるなり、伊利亜は逃げようと立ち上がる。そんな伊利亜の袖を私は掴んだ。


「逃げるな! 少しだけ待ってくれ」

「なんなんだ。俺はジュニアじゃないからな」

「ああ、わかってる。だから……私が言ったことは忘れてほしいんだ」

「忘れる? なんの話だ」

「私が結婚してほしいと言ったことは、忘れてくれ。他の言葉もだ」

「どういう風の吹き回しだ。変な顔して」

「それだけだ……じゃあな、伊利亜」

「一体なんなんだ」






 ***






 今日はルアが休みということで、中庭のベンチで一人弁当を食べていた私だが——周囲に人がいないことを確認してから、ジュニア二号に話しかける。


「おい、ジュニア二号聞こえているか? お前の兄さんへの求婚は撤回してきたぞ」

『……』


 喋りかけても反応がないことを少しだけ寂しく思いながらも、私はひとりごとを続ける。


「勝手に求婚しておいて、すまない。お前の兄さんがいいやつだってことは知ってるんだが……私が誰かを選ぶことで、皆がバラバラになるのは嫌なんだ。だから、お前もわかってくれるよな?」

『……』

「私は騎士たちが平和に仲良く暮らすことを望んでいるが……騎士たちは何を思っているんだろうな——って、お前に聞いてもわからないか?」


 私が今日何度目かのため息を吐いていると、ふいにジュニア二号が可愛い声で話し始めた。


『わかるよ、団長。皆、団長のことが好きなんだ』

「それは困るんだ。だから私は誰の想いにも応えられない……って、ジュニア二号……お前、喋れるのか?」

『なら逆に、もし七人の中で誰かを選ばなきゃいけない状況になったら、団長は誰を選ぶの?』

「わからない」

『特別に想う人はいないの? 目を閉じて浮かぶ人とか』

「目を閉じて……? そういえば……誘拐されて海に落ちた時、助けてくれたのが伊利亜じゃなかったことが……少しだけガッカリしたんだ。ほんの少しだけだが」

『あの時、彩弓を海から引き揚げたのって……僕じゃん』

「ジュニア二号?」

『なんでもない。それより、彩弓の気持ちを聞かせて』

「私は……何度も伊利亜が助けてくれたから……いつも助けてくれるものだと勘違いしていたのかもしれない」

『そっか。彩弓は伊利亜のことが好きなんだね』

「え? 好き……? 私は皆が好きだ」

『じゃあ言い方を変えるね。彩弓はいつでも伊利亜に助けてほしいんだね』

「それは……」


 私がジュニア二号の質問に狼狽えていると、そんな時、尚人がやってくる。


「健、何やってるの?」


 尚人は私やジュニアではなく、近くの茂みに向かって声を放った。



「ん? 健だと?」


 尚人が声をかけるなり、茂みから健が現れる。どうやら、ずっとその場所にいたようだった。


「ちょっと尚人!」


 慌てる健を、私はじっとりと睨みつける。まさか、健がいるなどとは、誰が思うだろうか。


「おい、どういうことだ? ずっと聞いていたのか?」

「ご、ごめん彩弓」

「私とジュニア二号の会話を盗み聞きするなんて、悪いやつだ!」

「え? あ、ごめん……ていうか、バレてない?」

「それより尚人、どうしたんだ?」

「健が皆を遊園地に誘ってくるって言いながら、帰ってこないから見に来たんだよ」

「おお! 遊園地! 皆で行きたいぞ!」

「じゃあ、グループチャットにそのこと書いておくね」






 ***






「今日は遊園地びよりだな」


 初夏ということで、涼しげな服装の甚十さんがそう言って伸びをする。


 私が騎士たち全員を遊園地に誘うと、皆都合をつけて来てくれたのだった。


「ちょっと曇ってるけどね」


 エントランスを出たところで、健が空を見上げる。確かにやや曇っているが、予報では晴れると言われていた。

 

「やっぱり最初はマジカルトルネードか?」


 夏でもグレーのロングTシャツに短パンの私がワクワクしながら言うと、爽やかなサマーニットの尚人がにっこり笑った。


「今日はまんべんなく楽しもうね」

「なら、やっぱりマジカルトルネードだろう」

「絶叫系は他にもあるし、色んな乗り物に乗ろうよ」


 尚人の言葉に、私は思わず唸る。どうせなら、マジカルトルネードに百回は乗るつもりだったので、予想外の提案だった。


「別に、皆で同じものに乗らなくても、乗りたいものに乗ればいいんじゃないか?」


 スウェット姿の霧生先輩があくびをしながら言うが、尚人は苦笑する。


「彩弓は放っておいたらマジカルトルネード一択だから」

「好きな乗り物に好きなだけ乗るのはいいことだぞ」


 尚人に反論すると、今度は甚十さんが口を挟む。


「それじゃあ、他の乗り物の良さがわからないでしょ?」

「ムム……そうかもしれん」


 その言葉には、妙な説得力があったので、私は珍しく別の乗り物に目を向けてみることにしたのだった。




「——そろそろ暗くなってきたし、最後にしようか?」


 遊園地がライトアップされる時間になり、健が皆に声をかけた。


 だがまだマジカルトルネードに乗り足りない私は、不満を口にする。


「ええー、もう終わりなのか? なんだか寂しいな」


 すると、ひかる先輩が夜飯の提案をした。


「じゃあさ、帰りはハンバーガー食べて行かない?」

「いいね。いつもの場所だね」


 健が嬉しそうに言うので、私はしぶしぶ遊園地をあとにした。






 ***






「ここで甚十じんとさんに会った時は驚いたよね」


 ハンバーガーショップで席についたところで、尚人が言うと、甚十は歯を見せて笑った。


「彩弓が団長だったのは驚きだけど」


 あの時は、私から甚十に近づいたわけだが、まさかデートに誘われるとは思わず。


 焦った健たちの顔が、今でもありありと思い出せた。


「あの時は伊利亜が一番心配してたよね」

「うるさい」

 

 健の言葉に伊利亜が顔を背ける中、れい先輩がおそるおそる手を挙げる。


「ちょっといいかな?」

「なんだ?」


 私が目を丸くしていると、れい先輩は表情の読めない顔で笑って告げる。


「実は俺……ニュージーランドの大学に進むことになったんだ」

「え? ニュージーランド? いつ移動するの?」


 健が訊ねると、れい先輩は言いにくそうに説明した。 


「進学に必要な技能があって、準備が必要なんだ。それも含めて……来月移動する予定だ」

「え……」


 突然の話に、私は思わず黙り込むが、慌てて言葉を繋げた。


「そ、そうか! にゅーじーらんどか! 楽しそうだな」


 私は笑顔を作るもの、きちんと笑えているかわからなかった。


 そんな中、斜め向かいのひかる先輩も手を挙げる。


「俺は……親父の転勤で遠方に引っ越すことになったんだ」

「え? 遠方? どこに行くんだ?」


 私が目を瞬かせていると、ひかる先輩は苦笑する。


「隣県だけど……ここから電車を乗り継いでも三時間はかかるかな?」

「そうなのか……転勤だから仕方ないな……」

「そういえば僕も両親が転勤になったんだよね」

「え? 健までいなくなるのか?」

「いや、僕はこっちの大学目指したいから、一人暮らしする予定だけど」

「そ、そうか……」


 あからさまにほっとする私を見て、健は笑った。




「じゃあ、そろそろお開きにしようか」


 なんだかんだ楽しく食事をした私たちは、名残り惜しい気持ちになりながらも、時間も時間なので解散することになった。


「じゃあ、彩弓は俺が送――」


 尚人が言いかけた時、健が伊利亜に向かって声をかける。

 

「伊利亜、彩弓のことを送ってあげて」

「え、なんで伊利亜?」

「なんで俺が?」


 尚人だけでなく、伊利亜本人が首を傾げる中、健はいつになく穏やかな顔で告げる。


「俺は尚人に少しだけ話があるから、伊利亜が彩弓を送ってほしいんだ」

「話って何?」

「尚人には帰り道で話すから……伊利亜お願い!」

「……」

 

 尚人の不服そうな横顔に若干申し訳ない気持ちになったもの、私は伊利亜と帰ることにした。






 ***






「二人で帰るのは久しぶりだな、伊利亜」

「……まあな」


 夜の住宅地。以前はこの辺りで黒づくめの霧生先輩に襲われたりしたが、今ではすっかり平和になっていた。それでも夜道は危険なので、姉には一人で出歩くなとは言われているのだが。

 

「でも残念だな。れい先輩もひかる先輩もいなくなるなんて」

「卒業したらバラバラになるものだろ」

「卒業したら、伊利亜もどこかに行ってしまうのか?」

「どうだろうな」

「いなくなったら……悲しいな」

「今のお前に、もう俺の手は必要ないだろ」

「どういうことだ?」

「自分の頭で考えるようになった今のお前なら、きっと一人でも大丈夫だ」

「そんな……悲しいことを言わないでくれ。私はお前がいてくれるから、強くあれるんだ」

「お前を守りたいというやつは何人もいるんだ。もう俺が親切を押し付けなくてもいいだろ」

「そんなこと……言わないでくれ。お願いだから——」


 私は思わず伊利亜の背中にしがみつく。そして声を殺して泣いた。


 れい先輩もひかる先輩もいなくなると聞いてから、ずっと我慢していたが、とうとう寂しさとも悲しみともつかない感情が決壊してしまった。


 止めたいのに止まらない涙にあえいでいると、伊利亜がこちらを向いて私の顔を見下ろした。


「お前がそんな風にすがってくるから、勘違いするんだ」


 苦い口づけだった。思うようにいかない痛みを共有するように重ねられた唇は、他の誰よりも熱がこもっているように思えた。


 胸が熱い。


 あまりの熱さに、驚いて身を引くと、伊利亜が我に返ったように小さくこぼした。


「悪い……」


 気まずそうな伊利亜に、私は笑いながら泣いた。


 そうか、私は……。





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