15話 始めての狩り

「な、なんだなんだ! なんで失敗したんだ!」


 タイミングも完璧だったし位置取りだってよかったはずなのに……!

 と、とにかく今はこいつをなんとか巻かないと!


 突進速度からして直進に逃げるのはマズイ、幸い森の中だから障害物には困らない……ならっ!

 木を背にするように回り込みながらジグザグに動いて猪の突進スピードを削いでいく。


「へっ、どうだ。これならさすがに……げっ!」


 後ろを振り返るだなんてフラグっぽい行動をしたせいか、こちらの作戦なんかお構いなしといった風に猪は器用にもジグザグに移動しながらこちらへと迫ってきていた。


「な、なんだありゃ! なんであのスピードであんな動きが……ん?」


 猪の足元から激しく土が巻き上がっているのに気づく。


ひづめか! あいつの蹄がブレーキになって、ドリフトの要領でカーブしてきているのか!」


 そんな器用なことができる猪なんて聞いたことがないぞ、反則だ!

 だけど、それでもスピード自体は落ちている! この逃げ方なら最悪すぐには追いつかれないはずだ。


「そういえばアデリーは……?」


 ふと周りを見渡すと木の上で手を振っているアデリーの姿を見つける。

 きったね! 魔法で木の上に登りやがったな! くそっ、本当にヤバくなったら助けてくれるんだろうけど、後で覚えてろよ!


 胸中で毒付きながらまずはこの状況をなんとかしないと……。


 幸い体力が上がっているおかげか思ったよりも疲れは感じない。その気になればあと数十分はこうして走り続けられると思えるぐらいだ。

 だけどそれじゃこの状況をどうにもできない……どうする? どうすれば……なにかないか、なにか……。


「っ? これは……」


 使えないものがないかと体中をまさぐると上着の内ポケットに入れていた小さな袋に気づく。


「これは確か、アデリーから渡されたオウライカの種が入った袋……」


 強い衝撃を与えると激しい音と光を放って破裂する種が詰められた袋、か。

 これを直接あの猪に食らわせられればあるいは……。


「…………」


 オウライカ……スリンガン……そして……。

 左腕に装着したスリンガンと腰に差した鞘付きの剣を交互に見て、僕はある考えを閃く。

 ――いけるッ! これならいけるはずだ!

 確証も実験もできる場面じゃないけど、僕の想定ならこの方法でやれるはず!


「うぉぉォォッ!」


 そうと決まれば行動で実践あるのみ! まずはスリンガンの弦をすべて引いておく。


「クロマメさん!」


 ラスクの声が聞こえるが今は振り向く余裕がない、まずは手近な樹木に意識を向けて……。

 あれだっ!

 数度に渡って木を掻い潜りながら進むとまるで待ってましたとばかりにそびえ立つ樹木が真正面に見えた。


「ケイヤちゃん?」


 次は樹木に向かいながらスリンガンに矢をセット。弓矢用でサイズは合わないが乗せて放つだけならできるはず。


「まさかスリンガンでクマイノシシを倒すの! 無理だよ!」


 どこからか様子を見ているのかアデリーの声も聞こえる。

 おうよ、スリンガンであのお化け猪を倒せるとは思っちゃいない、これはな……こう使うんだ!

 左腕を樹木の前に突き出しそのままスリンガンの射出ボタンを押して矢を撃ち出す。


「矢を木に? そんなことをしていったいどういう……あっ!」


 気づいたみたいだな。スリンガンで矢を発射したのは猪をこの矢で倒すためじゃない、この〝袋〟を木に〝打ち付ける〟ためだ!

 矢を直接持って木に打ち付けて袋を固定するのは難しいけど腐っても射出道具、あらかじめ袋を矢の前に置き後は釘打ち機のように矢を釘に見立てて発射すれば袋を木に固定するぐらいはできるってね。まあ即席だから安定感はガタガタだけど少しの間だけ袋を固定できればそれでいい。

 んで、これで準備はOKっと、後は包帯を小さくちぎって丸めたものを耳に押し込んでから……!


「ズぅぁぁらぁァッッ!」


 背後からでも嫌でもわかるぐらいにもう目と鼻の先に猪が迫っているのを感じながら、鞘付きの剣を腰から外し木に打ち付けた袋めがけてフルスイングを繰り出してからすぐに目を瞑る。


「ぐっ!」


 ――刹那、袋とまぶた越しからでもわかるほどにまばゆい閃光が放たれるのを感じ、まるで家の近くに落ちた雷のような轟音が何十回も連続で鳴り響いて耳栓越しでも鼓膜と頭をガクンガクンと揺らされる衝撃が伝わってきた。


「う、ぁ……ぐっ……か、ぁっ……」


 なんとか気絶まではしなかったけど頭がぐわぐわして目の奥がじかじかする感覚は控えめに言って気分が最悪。

 例えるなら学校の長距離マラソンを無理して走ってしまって、激しい呼吸で嗚咽して胃の奥から込み上げてきて吐きそうで吐かないような、あの気分を数倍にしてプラスアルファした気分だ。


 まあ、とはいえ……。


「や、やった?」


 こうやって自分が猪に追撃されていないのがなによりの証拠で、見れば猪は横に倒れ気絶しているように見える。


「びっくりした。まさか袋に入れたオウライカ全部を破裂させるなんて」


 感心しているのか呆れているのか、きょとんとしながら目を見開いているアデリーが木の上から降ってきた。


「スリンガンで直接猪に当てられる自信はなかったし、いくらオウライカの種でも1つずつ使うんじゃ効果がないと思ってね。かといって地面に置いてからじゃ猪の目線に合わないし、下手したら土がクッションになって破裂しない可能性もある。だから木に袋を固定してからぶっ叩いて破裂させたってわけさ」

「なるほどねぇ」

「さて、気絶しているうちにトドメを……うっ……!」


 目眩と頭痛が同時に襲ってくる痛みに頭を抑えながら膝をついてしまう。

 き、気持ち悪い……脳みそがぐちゃぐちゃにかき混ぜられて目の奥でプリズムが発せられているような……きっつい……。


「だ、大丈夫、ケイヤちゃん?」


 くそぉ、ちゃん付けするなってツッコミを入れられないぐらい気持ち悪い、こりゃ少し休んでからじゃないと……。


「……っ!」


 お、おいおい嘘だろ……あれだけの閃光と爆音でまだ動けるってのかよ……。

 さっきまで横倒れに気絶していたはずの猪の体が少しずつ起き上がっていくのが見えた。

 まだヨロヨロとしておぼつかない様子だが間違いなく体を起こそうとし、完全に起き上がればまたこっちを襲ってくるだろう。


「お……」


 なっ……? こ、声が出ない! 三半規管やらなんやらがやられたダメージが一気にやってきて、神経系統が麻痺してか自分の体なのにまるで自由がきかない!


「待っててねぇ、今すぐ魔法で手当てをするからぁ」


 ま、マズイ! アデリーはこっちの手当てで後ろを向いて気づいていない! は、早くなんとか知らせないとこのままじゃ……!


「う……」

「ヤァぁぁぁァッッ!」


 なんとか知らせようと顎だけでも動かして無理やり言葉を紡ごうとしたとき、尋常じゃなく気合いの込もったラスクの声が響いた。


「チェェストォォッッ!」


 普段のおしとやかさからかけ離れたドスの入ったかけ声と共に、構えた剣を無造作に振り下ろしていくラスク。


「えぇっー……」


 あまりの出来事にドン引きにも似たなんとも言えない声が漏れてしまう。

 なにせ無造作にも関わらず振り下ろされたラスクの一撃が猪の首を見事に切り落としたのだから。


「や、やったッ! クロマメさん、アデリーさん、わたしやりました!」


 猪の首が転がる横で目を輝かせてはしゃいで喜ぶラスクの姿に、この子とだけは絶対にやり合ったらマズイな……と、深く心に刻むのであった。





 かくして猪――クマイノシシと呼ばれたこの獣を狩ることに成功し、アデリーに傷の手当をしてもらいなんとか動けるようになる。


「さてと、どうやって運ぼうか……」


 もはや物言わぬ死体となった猪を値踏みするように眺めていく。

 これだけの巨体ともなると取れる肉の量もすごいだろうが、全員で運んだとしても果たして運びきれるかどうか。


「やっぱり解体でしょうか?」

「合ってるんだろうけどさらっと言うなって」


 ぽけーっとした顔でしれっと物騒なこと言うんだよな、この子。


「そうだねぇ、とりあえず皮と肉に分けて解体しよっか。骨も色々と使い道はあるけど、全部はさすがに持ち運べないから、必要分だけ持ってこ」


 言いながらアデリーが鉈をこちらに渡してくる。


「え、俺がやるの?」

「もちろん、ここまでやって狩人だよ」


 あ、やっぱりそういう流れになるのね。

 まあ、別に嫌じゃないけどさすがにいきなりは少々抵抗がある。


「クロマメさん、がんばってください! もしダメだったら、わたしが代わりにやってみせます!」


 ラスクのダメは違う意味に聞こえるけど……ここは観念してやるしかないか。


「まずはお腹の真ん中から切れ込みを入れてみて」

「うい」


 猪を左手で押さえながら右手で持った鉈を何度か往復するように滑らせてなんとか切れ込みを入れ刃を通す。


「意外と切りづらいんだな……」

「コツを見つけるまでは大変だと思うけど、解体状態は気にせずにやってみて」

「あ、ああ」

「クロマメさん、ファイトです!」


 緊張した面持ちで見守るラスク、それとは対照的に子を見守る母親のような柔和な表情で見てくるアデリーの2人に見つめられながら、刃を通した鉈をゆっくりと滑らせるように腹を割いていく。


「お腹には内臓が詰まってて肋骨しかないから、骨に引っかかって切れないことはないはずだよぉ」

「よし……やってみる」


 ニート時代のいたたまれなさから動画を見ながら料理なんか始めたりして、その時に魚も捌いたことはあったけど……あれとはまた感覚が違うな。

 なんていうか魚のほうが繊細さは必要だけどやりやすいっていうか、総じて小さいのもあるけどあくまで食材として扱っているっていう感覚が持てた。


「うっ、生ぬるい……」

「さっきまで生きてたからねぇ」


 そう、特に顕著なのはこの生ぬるさだ。魚やスーパーで買った肉からはまず味わえないであろう、生きてた名残を否が応でも感じさせてくる生物の体温。

 鉈越しから伝わるずりゅっとした肉を切る感触と顔や肌に漂ってくる体温による熱気に軽く吐き気と目眩を覚えてしまう。

 鉈を滑らせ内臓を取り出し皮を少しずつ剥がしていく度にさっきまで間違いなく生きていた生物の死を肌身に感じる……。


「少し臭いますね」

「腐敗はしなくても血や内臓の臭いは仕方ないよねぇ」


 特有の生臭さや獣臭さで不快感はあるが嫌悪とまではいかない。むしろ僕の胸に去来するものは、自分でも驚くほどプリミティブで純粋な感情……。

 〝ありがとう〟。

 到底、命を奪った側の思考とは思えない感謝の念に矛盾を感じてしまう。個人的には動物愛護や他の動物の命を奪うことで生きられるという言い分はあまり好きじゃない。

 だけど実際に自分の糧として他の生き物の命をこうやっていただこうとしていくと、自然と感謝の念が生まれてしまう……。


「んっ?」


 そんな哲学めいた考えを巡らせて内臓を取り出していると、なにやら不自然に固い感触が手に当たった。


「なんだこれ?」


 まさぐりながら引っ張り出すと、親指と人差し指で丸を作ったぐらいの大きさの石のようなものが猪の腹から出てくる。


「きれい……まるで宝石みたいです」


 血で汚れてはいるけど日の光に当てればルビーのような光沢の輝きを発して確かに宝石のようだ。


「あらあら珍しい、それは獣血石じゅうけっせきだねぇ」

「獣血石?」


 アデリーが興味深そうに石を眺めてくる。


「獣の中には激しい興奮状態になったときに出る分泌物が固まる時があって、それが獣血石になるの」

「ほーん」

「珍しいものなんですか?」

「かなりね」


 布を取り出してアデリーが獣血石に付いている血を拭き取っていく。拭き取られた石は目に見えて綺麗な光沢を見せている。


「学者さんが言うには、興奮状態に分泌される物質が固まったものだって以外、なんにもわからないの」

「へー、こりゃラッキーだな」

「ですね。なんだか幸先がいいです!」


 なんだか期せずしてお宝を手に入れたみたいでいいじゃん、ゲーマーとしてはこういうのでいいんだよこういうので。

 ラスクもそれは同じようでやはり同じゲーム好きだった仲としては、こういう思いがけないドロップ品はテンションが上がるってもんで……ん?


「アデリー?」


 僕とラスクのテンションとは裏腹にアデリーが顔をうつむいていることに気づく。


「アデリーさん?」

「どうしたんだよ急に? なんだか元気がなさそうじゃないか」


 なんだろう? も、もしかしてこの石って実はやばいものだったりするんじゃないだろうな……。


「わっ」

「って、ど、どど、どした?」


 突然、アデリーが僕とラスクを一緒に抱き寄せてきた。

 お、おいおいおいぃっ! なにがなんだかさっぱりで頭がどうにかなりそうだぞ!


「ごめんね……アタシ、2人にあやまらないといけないの……」

「あ、あやまる?」


 なんだ? なんのことかさっぱりだけど少なくともいつものおふざけって感じじゃなさそうだ。


「アタシね、2人を試すようなことをしちゃった」

「試すって、なんのことだよ?」


 抱きしめられる形になってアデリーの肩越しにラスクと目が合うが彼女も困惑していて、お互いに要領が得ないといった風になる。


「狩りの恐ろしさを知ってもらうために、わざと遠くから見ていたの」

「あ、ああ、そのことね」


 まあ、確かに言われてみれば無責任というか……監督不行き届きというか、素人と一緒に行動するにしては不適切っちゃそうなるのか?


「もちろん、本当に危なくなったら助けるつもりだったよ? でも、2人ともアタシの想像以上に頑張ってクマイノシシを倒しちゃったから……」


 なるほど、つまりはこういうことか……。


「本当は軽い気持ちで狩りをされると危ないから、少し強引だが俺たちに狩りの恐ろしさを知ってもらう必要があったと?」

「そう……」

「でも、わたしたちが狩りに成功しちゃったから、狩りの恐ろしさを教えるタイミングが無くなったってことですか?」

「そうなのよぉー……!」


 めちゃくちゃ情けない声を出しながらアデリーが続ける。


「失敗して泣きついてきたところをアタシがカッコよく助けてあげるはずだったのに、ケイヤちゃんもカヤちゃんもアタシ抜きで成し遂げちゃうんだもん!」

「なにが〝だもん〟だ! 上手くいったんだから別にいいだろうが」


 くっ! それはそれとして手を離そうとしても外れない! ラスクもそうだけどなんでどいつもこいつもこんなバ怪力なんだ!


「だってだって、これじゃアタシがただの嫌味な女になっちゃっただけじゃない! そんなのやーよ!」

「わかりますよアデリーさん! クロマメさんはヘタレて助けを求めるぐらいがちょうどいいとわたしも思うんです!」

「知ったことか!」


 気づけばラスクがアデリーの手から逃れてるし……えっ、どうやって抜け出したんだよ? ていうかしれっと好き放題言われてるんですけど。


「はっ! これに懲りたら、そういうことは事前にちゃんと言っておくようにしておくんだな。後なんだかんだで恥ずかしいから、ひとまずはこの手を離し……って、いででででっ! 首! 首が折れる!」


 首に回していたアデリーの手に訳がわからないぐらいに力が入り、メキメキメキと首からやばい悲鳴が聞こえてくる。


「あぁんまりよォォッ!」

「わ、わかった! とりあえずわかったから! 理不尽で意味不明だけど俺が悪かったことにしていいから! このままじゃ首が、首が折れるぅーッ!」

「あっ……」


 その後、狩りに成功した余韻もへったくれもなく、小さな骨折音と共にラスクの顔が青ざめて大慌てでアデリーが治療をすることになるというオチであったとさ。

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