第43話 対峙

心臓の鼓動が速くなり、かすかにだが体も震えた。もちろん、緊張や恐怖からではない。そう、これは歓びの感情からくるものだ。ずっと、ずっと。この日が来るのを待ち望んでいた。


思わず歓喜の声が漏れそうなのをアシュリーは堪え、玉座に包まれた天帝サイネリアをじっと見やる。歓喜に打ち震えるアシュリーとは対照的に、サイネリアの顔からは感情がいっさい窺えなかった。


「天帝陛下。ご命令通り、アシュリー・クライスを連行しました」


ステラとネメシアが腰を折る。一方、アシュリーは真っすぐサイネリアを見つめたまま微動だにしない。


「ア、アシュリー・クライス! 天帝陛下の御前です! 頭を下げなさい!」


立ったままサイネリアへ視線を向けているアシュリーへステラが怒鳴る。が、それでもアシュリーはサイネリアの目を見たまま動かない。


「こ、この――」


「かまわないわ、ステラ」


サイネリアの凛とした声が謁見の間に響く。


「い、いえ、しかし……!」


「かまわないと言っているでしょう。その娘には聞きたいことがある。あなたたちはすぐ出て行きなさい」


サイネリアの口から発せられた言葉を聞き、ステラとネメシアは弾けるように顔をあげた。


「へ、陛下。我々の立場でそれはできません。何かあったときのために、我々もここに――」


「二度は言わないわよ?」


冷たい色を宿した瞳で睨まれ、ネメシアは口をつぐんだ。


「あなたたちだけじゃないわ。城内にいる護衛の兵と使用人も城の外へ出しなさい。ここには決して誰も近づけないように」


「なっ……!!」


「早く行きなさい」


何かを口にしようとしたステラだったが、サイネリアの有無を言わさぬような圧力を感じ口をつぐまざるを得なかった。


後ろ髪を引かれながらステラとネメシアがその場をあとにし、謁見の間には沈黙が訪れた。先ほどからずっと、アシュリーとサイネリアの目は合ったままだが、双方一言も発しない。


沈黙を破ったのはアシュリーだった。


「……会いたかったわ。サイネリア・ルル・バジリスタ」


サイネリアの眉がぴくりと跳ねる。


「ずいぶん無礼な小娘ね。天帝である私にそんな口をきくなんて。本来なら即座に処刑するところよ」


言葉を発しながらも、サイネリアの長い耳はぴくぴくと動いていた。


「周りに誰もいないか気にしているの? そりゃそうよね」


挑むようなアシュリーの口調に、サイネリアが眉をひそめた。それを気に留めることなく、続けざまにアシュリーが口を開く。


「で、私を呼び出したってことは、私が何をどこまで知っているのか、私以外にそれを知っている者がいないかどうかを確かめるためなんでしょ?」


「……」


「悪いけど、すべて知っているわ。本当のあなたが何者なのかもね。天帝サイネリア・ルル・バジリスタ。いえ……サイニー」


「貴様……!」


サイネリアの顔が怒りに歪む。唇を噛みしめ、憎々しいと言わんばかりの表情を浮かべている。


「『親愛なる偽物、成りあがりの天帝へ。お腹の調子はいかが?』ふふ。いきなりテロリストからあんな手紙を送られて、あなたは内心酷く焦ったでしょうね」


怒りのためか、サイネリアの全身はワナワナと震えている。


「貴様……やはりハイエルフの里へ行ったのか……?」


「ええ。そこですべて聞かせてもらったわ。サイニー、あなたがどうやって今の地位を築くことができたのか、あなたがもともと何者だったのかもね」


「……!」


絶句したかのようなサイネリアを尻目に、アシュリーは小さく深呼吸をした。高まり続ける胸の鼓動を抑えるかのように。


「もし、バジリスタの国民が真実を知ったら、あなたの求心力は一気に失われるでしょうね。ふふ……ふふふ……」


愉快そうに笑みを漏らすアシュリーへ、サイネリアは刺すような視線を向けた。


「……その話、ほかには誰が知っているのかしら?」


サイネリアは何とか平常心を取り戻すと、絞りだすように言葉を吐いた。


「私と組織の幹部は知っているわ。たとえここで私を殺しても、仲間がその話を広めるでしょうね」


「……そう。でも、それを聞けただけで十分よ。ここであなたを殺して、テロリストも根絶やしにすればいいのだから」


「あなたにできるかしら?」


「後ろ手に縛られたままでずいぶん強気ね。武器もないうえに、報告ではあなた魔法もろくに使えないんでしょう?」


今度は、サイネリアが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。が――


「後ろ手に、って何のこと?」


わざとらしく首を傾げたアシュリーが、おどけたように両手を挙げた。サイネリアがかすかに息を呑む。アシュリーの右手には、小型の小さなナイフが握られていた。


アシュリーが握っているのは、以前ストックに魔鉱石で作らせたナイフである。ブレスレットとして装着でき、魔力を通わせたときのみナイフに変わる優れものだ。


ステラたちが出ていったあと、アシュリーは後ろ手のままブレスレットをナイフに戻し、手を縛っている紐を切っていた。


「ふうん。武器を隠し持っていたということね。でも、だから何だと言うの? 私がその気になれば、たった一撃の魔法であなたという存在はこの地上から消えうせるというのに」


玉座で足を組み、アシュリーへ嘲笑するような視線を向けるサイネリア。


「そうね。魔法を放てるのなら、そうなるでしょうね」


顔色一つ変えずに意味不明なことを口走るアシュリーに、サイネリアは怪しむような目を向けた。


「家族が殺された理由を知り、ハイエルフの里で魔鉱石を手に入れたときから、私はこの状況を思い描いていた。だからこそ……」


アシュリーがスッと左腕を天に掲げた。その華奢な手首に装着された黒いブレスレットが、怪しい光を放つ。


「これを用意した。あなたの魔法を封じるためにね。『魔法禁域アンチマジックエリア』」


黒いブレスレットが輝きを帯び、アシュリーを中心に強烈な光が輪となって広がり始める。彼女の左手首に装着されていたブレスレット。これも、魔鉱石を素材に作られた魔道具だ。


ハイエルフの里で、クレオメが魔鉱石の譲渡を申し出た際、アシュリーは一つのお願いをした。それは、ドワーフがブレスレットへと加工した魔鉱石に、魔法禁域の効果を付与すること。


普段はただのアクセサリーだが、ひとたび起動させると魔法禁域が展開し、あらゆる魔法の発動を禁ずる。アシュリーはハイエルフの里にいたときから、この状況を想定しており、サイネリアを確実に殺せる絵図を描いていたのだ。


「バ、バカな……そ、そんなこと……!」


思わず玉座から立ちあがったサイネリアが、魔法を発動しようと右手を前方へ突きだした。


「『煉獄ヘルファイア』……『煉獄』『煉獄』『煉獄』!」


絶叫に近いサイネリアの声が謁見の間に虚しく響く。何度唱えても魔法が発動しないことに焦るサイネリアを、アシュリーは冷たい瞳で見つめた。


「みっともない姿ね」


呟くように口を開いたアシュリーが、ゆっくりとサイネリアのほうへと近づいていく。


「ひっ……! 『炎帝インペリアルファイア』……『炎帝』! 何なのよ……何なのよっ!!」


「諦めが悪いというか何というか……そのみっともない姿を全国民に見てほしいくらいだわ」


「く、来るな……! 来る……こ、来ないで……!」


足がもつれたのか、サイネリアが転倒し玉座のそばへ尻もちをついた。瞳に冷たい色を宿したアシュリーがサイネリアのすぐそばに立つ。かすかに怯えたような表情を浮かべるサイネリアの顔を、少しのあいだ見下ろした。


「長かったけど……やっと、やっと……このときがきたわ。父さんや母さん、兄さんの仇。死んでもら――」


サイネリアの首もとへナイフの刃を突きつけた刹那、バタバタと足音を立てながら何者かが謁見の間へと入ってきた。


「待てっ、アシュリー!」


「な、何ということを!!」


入ってきたのは、ネメシアとステラだった。


「ス、ステラ! どうしてここに!? ここへは近寄るなと言ったでしょう!?」


もの凄い剣幕で怒声を浴びせるサイネリアに、ステラとネメシアが一瞬怯む。が、どう見てもそのようなことを言っていられるような状況ではない。


「も、申し訳ありません……! しかし、どうしても陛下のことが心配になり……!」


「おっと、二人とも。そこから動かないで。大声を出すのも禁止ね。動いたり大声を出したりすれば、即座にこの女の首を斬り裂くわ」


「や、やめなさい!」


「やめろ、アシュリー!」


眉をひそめたアシュリーが、サイネリアの首にナイフの先端をぷつりと突き刺す。細く白い首から、ツーっと一筋の血が流れ落ちた。


「大きな声を出すなと言っているでしょう?」


「く……! アシュリー・クライス……。あなたは……あなたは何と恐れ多いことをしているのですか……! 至高の種族ハイエルフであり、建国王でもあられる天帝陛下に対して、そのよ――」


「ハイエルフでも建国王でもないわ」


ステラの声を遮り、アシュリーが口を開く。ステラは何を言われたのか理解できなかった。


「な、何を言って……」


「だから。この女はハイエルフでも建国王でもないって言ってんのよ」


ナイフを突きつけられたまま、サイネリアの顔がぐにゃりと歪む。


「あなたたちに真実を教えてあげるわ。この女の正体は、ただのエルフ。しかも奴隷出身のね」


「や、やめ――」


声を出そうとしたサイネリアの首へ、もう一度軽くナイフの先端を突き刺す。びくんと体を震わせ、サイネリアはおとなしくなった。


「この女はただの奴隷エルフだったけど、ある力を手に入れた。その力で、この地域を治めていたエルフの豪族、バジリスタ一族を皆殺しにして、自らバジリスタを名乗って国を興したのよ」


「バ、バカな……そ、そんなこと、あるわけが……!」


「そ、そうだ、アシュリー……陛下は千年以上生きておられる……! 古い文献にも陛下について書かれているんだ。そこまで長寿なのは、ハイエルフしか……!」


一般的なエルフの寿命は約五百年。一方、ハイエルフは千年、二千年と永遠のようなときを生きている。


「ああ。その理由はこれよ」


アシュリーはサイネリアが着ているドレスを掴むと、腹のあたりをナイフで切り裂いた。「きゃっ!」と小さく悲鳴をあげるサイネリアを無視して、ドレスの生地を乱暴に引き裂く。


「ア、アシュリー・クライス! いったい何を――」


駆け寄ろうとしたステラが息を呑む。まるで金縛りにあったように体も硬直した。それはネメシアも同じである。二人の視線は、サイネリアの腹部に集まっていた。


「な……なな……! へ、陛下……! それは……!?」


震える唇を何とか動かし、ステラが言葉を絞りだす。ステラとネメシアが向ける視線の先。そこにあるのは、引き裂かれたドレスから覗く真っ白な柔肌、ではない。


何と、サイネリアの腹部には、黒々とした石のようなものがびっしりと埋め込まれていた。


「この女が、ハイエルフ並みの寿命と魔力を手に入れたのは、特殊な施術で体に埋め込んだ魔鉱石のおかげよ」


呆然としたまま立ち尽くすステラとネメシアの耳に、アシュリーが放った信じがたい言葉がへばりついた。

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