第44話 いつかの日
やってしまった。ついにやってしまった――
肩を上下させながら、私は血まみれで倒れているそれを見下ろした。ナイフを握る手がまだ震えている。極度の緊張からなのか、ナイフを握る手は硬直し、いくら離そうと思っても離れてくれない。
私は、反対の手を使って、ナイフを握る指を一本ずつていねいに剥がしていった。
「う……うう……!」
床へうつぶせになって倒れている男が呻き声をあげ、私は思わず叫びそうになった。
まさか、まだ生きている? いや、心臓を刺したうえに喉もかき斬ったんだから、それはない。
案の定、男の呻き声は次第に小さくなり、やがて完全に消えた。命の灯が消えたのだ。たった今、この世界から消失した男はこの地域で絶対的な力をもつエルフの豪族、バジリスタ一族の当主であり、私の飼い主だ。
物心ついたころには奴隷だった私を買い、地獄のような日々を与えてくれた男。使用人として重労働をやらされるだけならまだいいほうだ。
苦痛だったのは、夜な夜な強制される奉仕。私の主人となった男は、まだ幼かった私を毎晩のように犯し、散々凌辱した。ときには泣き叫びたくなるほどの痛みを伴う行為もあったが、私が泣くと男はさらに喜び興奮した。
酷かったのは男だけじゃあない。その妻と娘も、私のことをまるで虫けらのように扱った。床に落とした食べものを食べさせられたり、娘が放つ魔法の練習台にされたりしたこともある。
男が絶対的な支配力をもっていたのは、魔鉱石のおかげだ。あらゆる魔道具の素材や、エネルギー源として活用できる、まさに夢のような鉱石。
男は魔鉱石の採掘と流通を一手に担い、ここら一帯を支配していた。
『お前の価値など、魔鉱石のわずかな欠片にも満たない』
思う存分私を弄んだあと、男はよくそう口にした。たしかに、それは事実だったのだろう。数十グラム程度の魔鉱石があれば、私のような奴隷を数人購入できるのだから。
地獄のような日々は十年近く続いた。それは、出口のない真っ暗な洞窟のなかを延々とさまよっているような日々だった。
でも、意外なほど呆気なくその日々は終わりを迎えた。私が飼い主である男を殺したから。これといったきかっけがあったわけじゃあない。
ただ、いろいろとしんどくなった。死んでしまおうと思ったけど、それならいっそ憎い飼い主も道ずれにしてやろうと思っただけだ。が――
いざ男が死ぬと、私は自由になれる喜びに打ち震えた。そう、生きたいと思えるようになったのだ。男を殺した私は、彼が貯めこんでいた魔鉱石のなかから、手ごろな大きさのものを選び革袋に詰め込んだ。
そして、夜の闇に紛れて逃げた。どこか行くあてがあったわけではない。ただ、一刻も早くこの地から離れたかった。
それからどれほど歩いただろう。いくつもいくつも山を越え川を渡った。私がそこへたどり着けたのは、本当にただの偶然だった。
「ここで何をしている?」
革袋を大切そうに抱えながら、結界に行く手を阻まれ座りこんでいた私に男が声をかけてきた。金色の美しい髪と瞳。神々しいオーラ。目の前にいる男がハイエルフであると確信するのに時間はかからなかった。
そう。私は偶然ながらもハイエルフの里へとやってきていたのだ。私はカトレアと名乗った男に魔鉱石を差し出しながら言った。力がほしいと。自分だけで生きていける力がほしいと。
至高の種族と言われるハイエルフが、ほかの種族と関わりをもつことはほとんどない。そんなことをするのは、よほどの変わり者だけだ。
が、どうやらカトレアはハイエルフのなかでも相当な変わり者のようだった。サイニーと名乗る、みすぼらしく貧相なエルフが分不相応な魔鉱石を手に現れ、力がほしいと口にする。
それだけで、彼の興味を大いにそそったようだ。
「サイニー、お前に力を授けてやろう。だが、もうもとには戻れんぞ?」
私は頷いた。当初、私はカトレアが修業をつけてくれるものだと思っていた。だが、違った。
「この魔鉱石に私の魔力を注入し、お前の体に埋め込む。それだけで、そこいらのエルフよりは遥かに長寿となり、強力な魔力も手に入れられる」
拒む理由はまったく見つからなかった。施術にはかなりの痛みが伴ったが、それでも私は満足だった。これでもう、誰にも虐げられることはなく、自由に生きていけるのだから。
施術のあと、数日をハイエルフの里ですごした。そこで少しわかったことがある。どうやら、カトレアはほかのハイエルフたちから相当嫌われているということ。
というより、以前からたびたび問題行動を起こしているようで、ハイエルフたちからも疎まれていた。おそらく、彼が私にした施術も問題行動の一つなのだろう。
里を出た私は、真っ先にあの忌まわしい地へと向かった。バジリスタ一族が治めていた地域。当主が殺害されたことで、一族総出で私を探しているようだった。
たちまち、私を捕えようと大勢のエルフがやってきた。が、私はそれらすべてを排除した。そして、元飼い主の屋敷へと足を向けた。
とんでもない魔力をまき散らす私を見て、ただごとではないと感じたのか、当主の妻や娘は顔を青くして震えあがった。目の前で屈強な兵士が何人もあっさりと殺される様子を見たのだから当然かもしれない。
妻と娘は地面に頭をこすりつけて私に謝罪した。許してほしいと、何でも言うことを聞くからと、泣きながら訴えた。もちろん、許すわけはない。
私は魔法の実験台にするかのように、まずは二人の足を燃やし、次に腕を吹き飛ばした。そして、言葉も絶え絶えに命乞いする様子を十分に楽しんだあと、屋敷と一緒に燃やし尽くした。
こうして、私はバジリスタ一族に代わりこの地を治めることになった。と言っても、私自身は土地を治めた経験などないため、力で屈服させた者のなかから優秀な者を選んで統治させた。
このころ、名前もサイニーからサイネリア・ルル・バジリスタと変えた。
憎い元飼い主の名前を使うことに抵抗がなかったわけではない。が、バジリスタ一族の名は広く知られていたため、利用する価値はあった。
そして、最初は小さな集落だったのが村となり、町となり、やがて大きな国になった。その過程で、先住のオーガやドワーフたちを殺戮したり追いやったりもした。
ハイエルフの里への謝礼も忘れなかった。何せ、そのころの私は自らをハイエルフであると公言していたから。下々に興味がないハイエルフが、それに対して怒るとは思わなかったが、もし秘密をバラされたらという恐怖はあった。
だから、私は定期的に謝礼の品々をハイエルフの里へ献上した。主に魔鉱石を。
そんなあるとき、私に施術を行ったカトレアが死んだと知った。以前から問題行動が絶えなかったため、ほかのハイエルフたちから粛清されたのだという。
まあ、いつかはそうなるのだろうなと思った。それと同時に、彼が起こした問題行動の一つであり、ハイエルフと公言して国を治めている私も粛清の対象なのではと恐怖に襲われた。
だから、私は今まで以上に魔鉱石を献上した。魔鉱石は素晴らしい素材だ。貰って困るようなものではない。魔鉱石を献上し、感謝の気持ちを忘れていないとメッセージを送り続ければ、私の秘密をバラしたり、粛清したりすることはないだろうと考えた。
何もかもがうまくいっていた。建国したバジリスタは発展し、ハイエルフが天帝として君臨する国として他国から攻めこまれることもなかった。
そう、本当に何もかもが順風満帆だったし、これからもそんな日が永遠に続くと思っていた。が――
今、私の首もとには冷たいナイフの刃があてがわれている。
『いつか化けの皮が剝がれるぞ』
ハイエルフの里を出るとき、私のことをよく思っていなかった者が蔑むようにそう口にした。そして、それは現実のものとなった。
私の耳には、近づいてくる死の足音がたしかに聞こえていた。
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