第42話 知らない幸せ

治安維持機関サイサリスの庁舎を飛びだし、バジリスタ城へと到着するまでのあいだに、ステラは二回の炸裂音を聞いた。つまり、計四カ所が爆破されたということ。


険しい表情で手紙を握りしめたステラは、バジリスタ城へ入城するやいなや、まっすぐ天帝サイネリアの居室へ足を向けた。両肩を激しく上下させ、呼吸も荒いステラに、居室前に立つ二名の護衛が怪訝な目を向ける。


「ス、ステラ様、何かあったのですか?」


「それに、先ほどから何やら大きな音が聞こえてくるのですが……」


その言葉には答えず、ステラは部屋の扉を数回ノックし「ステラです」と声をかけた。「入っていいわよ」と返事が聞こえ、ステラが扉を開けなかへ入る。


「慌ててるようだけど、何かあったのかしら? それに、何やら大きな音も聞こえるけど」


ソファに体を埋めて本を読んでいたサイネリアが、訝しげにステラの顔を見やる。ステラは、先ほど治安維持機関サイサリスの庁舎で起きた出来事をサイネリアへ簡潔に伝えた。


「そ、それで、その……陛下にこの手紙を渡すようにと」


ステラが恐る恐る手紙を差し出す。顔をしかめ、あからさまに不機嫌な様子を見せるサイネリアは、面倒くさそうに封筒から手紙を取りだすとゆっくり視線を這わせ始めた。


跪き顔を伏せていたステラが、ちらりとサイネリアの顔色を窺う。が、すぐに後悔した。手紙を読み進めるサイネリア顔はみるみる険しくなり、唇がかすかに震えているように見えた。


サイネリアは読み終えた手紙をクシャクシャに丸めると、手のひらにのせて魔法を発動させた。ボッ、と炎があがり、手紙が灰となって消える。


「……この手紙、ほかに読んだ者は?」


いつもより低い声色で話しかけられ、ステラの肌がぞわぞわと粟立つ。


「だ、誰も読んでいません」


「本当に?」


「は、はい」


ステラは知りたかった。先ほどの手紙にいったい何が書かれていたのかを。目の前にいる天帝サイネリアは、声こそ荒げないものの、明らかに怒り狂っていた。


ゆったりとした動きでソファから立ちあがったサイネリアが、小さく深呼吸をする。それはまるで、自分の心を鎮めているように見えた。


「……その、アシュリーとかいう小娘を謁見の間へ連れてきなさい。すぐに」


サイネリアの言葉に、ステラがわずかに目を見開いて驚く。手紙を読ませれば必ず会うと言うはず。アシュリーが口にした通りの結果になったからだ。


天帝の居室をあとにしたステラは、すぐさま治安維持機関の庁舎へと引き返した。急がないと、魔鉱石を使用した爆発物でアストランティアがめちゃくちゃにされてしまう、との懸念があったためだ。が――


「……? 爆破が、止んだ……?」


バジリスタ城へ向かうときは立て続けに聞こえてきた爆破の音が今はしない。周りを見渡すと、複数の場所から煙があがっているものの、爆破の音自体はまったく聞こえてこなかった。


一定間隔で爆破を続けるというのはブラフだった……? いや、アシュリー・クライスの口ぶりは、手紙さえ見せれば陛下が必ずお会いになると確信しているようだった。


もしかするとアシュリー・クライスは、治安維持機関へ出頭してから、私が陛下へ手紙を届けるまでに要する時間や動きなど、すべてを予測できていたのかもしれない。


そして、魔鉱石を使用した爆発物を温存するため、必要最小限の爆破で済ませた。もしそうだとするなら、何と恐ろしい娘なのだろうか。いったい、あの娘にはどこまで先が見えているのだろう。


それに、陛下へお渡ししたあの手紙。あれには、いったい何が書かれていたのか。


頭のなかに渦巻き始めた、かすかな疑問を振り払うように首を左右に振ったステラは、真っすぐ前を向き全力で駆け始めた。



――首都アストランティアで突如発生した複数施設の同時爆破テロ。これまで例を見ない事件の発生に、アストランティアの住人たちは大いに戸惑った。


爆破された施設の周辺には治安維持機関の実働部隊が急ぎ出動したが、騒動を収集するには数が足りず、首都入り口の門番や禁軍の一部までもが駆りだされることになった。


治安維持機関の実働部隊を率いる隊長、エルフのムスカリが半壊した建物の前で顔をしかめる。そこに、見慣れたはずの行政庁舎別館の姿はもうなかった。


「クソ……テロリストめ……! どれほどの犠牲を出せば気が済むんだ……!」


立ち昇る煙と鼻をつく異臭。積み重なる瓦礫の山を見る限り、生存者は一名も望めない。悔しさを滲ませた顔で、ムスカリは唇を強く噛みしめた。


「おいっ! 誰か、ここの関係者はいないかっ!?」


周りに群がる野次馬たちに声をかけると、次々と手が挙がった。何と、周りから集まってきた野次馬だと思っていた者たちのほとんどは、行政庁舎の別館で業務にあたっていた者たちだった。


職員と思しき老エルフが、ムスカリへおずおずと話しかける。


「あ、あの……おそらくですが、犠牲者は誰もいないと思います」


「何? 全員が生存しているというのか?」


「は、はい。事前に爆破するから避難するようにと、警告書のようなものが送られてきたので……」


啞然とするムスカリ。平気で他者の命を奪うテロリストが、なぜそのようなまねをしたのか、彼にはまったく理解できなかった。


実はこのとき爆破された四カ所の施設では、死者どころかケガ人すら一名も出ていない。ダリアたち『緋色の旅団』は、爆破したすべての施設に、前もって犯行声明を送りつけていたのだ。


理由は単純で、アシュリーの目的はあくまで天帝を殺すことであり、アストランティアの住人をむやみやたらと殺戮する気は毛頭ないのである。


これまでのテロ行為においても、アシュリーたちは一般の住人に極力被害が及ばないよう配慮していた。こうした経緯もあってか、『緋色の旅団』に対して住人たちはそこまで嫌悪感を抱いていなかった。



――治安維持機関の拠点に戻ったステラは、ネメシアへ事情を説明すると、アシュリーをバジリスタ城へ連れていく手配を進めた。万が一のことを考え、アシュリーの両手を後ろ手に紐で縛り、腰にさしていた短剣も取りあげた。


「歩いてもそう時間はかかりませんが、ここは馬車を使いましょう」


武器を隠していないか、アシュリーの体をくまなくチェックしているステラにネメシアが声をかける。


「そう、ですね。住人たちの目を引きそうですから」


ネメシアがこくりと頷く。彼としては、旧友であり、少なからず好意を抱いていたアシュリーが、罪人として手を縛られている姿を住人たちに見られたくないと思っていた。


馬車に乗りこんだアシュリーの両側を、ネメシアとステラが固める。天帝に会うことを望んでいる彼女が今さら逃走するとは思えないが、念のためだ。


城門をくぐり、いよいよ城のなかへと足を踏み入れるとき、ステラが口を開いた。


「……アシュリー・クライス。間違っても変な気は起こさないことです。まあ、変な気を起こしたところで、天帝陛下に敵うはずはないのですが」


「ふふ。ならそんなに警戒しなくていいじゃない。天帝はお強いんでしょうから」


挑発的なアシュリーの言葉に、ステラが憤慨したように顔をしかめる。


「……あと、天帝陛下への口のきき方にはくれぐれも注意するように。あなたがこれからお会いする方は、至高の種族であられるハイエルフであり、この国を建国した偉大な――」


「ふふっ」


熱弁するステラの言葉を遮るようにアシュリーが笑みをこぼす。


「何が……おかしいのですか?」


先ほどからの不遜な態度に、ステラは怒り心頭といった様子だ。拳を握りしめ、アシュリーに刺すような視線を向けている。


「いえ、ごめんなさい。何も知らないというのは、幸せなようであり、とてもかわいそうなことね、と思っただけよ」


おかしそうにクスクスと笑みをこぼし続けるアシュリーの様子に、ネメシアとステラが怪訝そうに顔を見あわせる。


「いったい……どういう意味ですか?」


「真実を知っても、あなたはさっきと同じ言葉を口にできるかしらね。ま、あなたが真実を知ることはないかもしれないけど」


「だから、いったい何を言っているのですか!!」


苛立ちが頂点に達したのか、ステラが激高する。ギョッとしたネメシアが慌ててステラを制した。


「ステラ殿! 落ち着いてください」


憤慨した様子のステラを尻目に、アシュリーが「ふん」と鼻を鳴らす。そうこうしているうちに、アシュリーとステラ、ネメシアは謁見の間の入り口までやってきた。


重厚な扉を開き、なかへ足を踏み入れる。アシュリーはまっすぐ前を見ていた。豪奢な玉座に体を埋めている美しい女を視界に捉え、アシュリーの瞳がギラリと鈍い光を帯びる。


どれほどこのときを待ち望んでいただろうか。どれほどこのときを夢に見てきただろうか。


理不尽に家族や仲間を殺戮した憎き仇を目の前にして、アシュリーは無意識に笑みを浮かべていた。

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