第16話 リエッティ村
腕組みをしたまま目を閉じたネメシアがしばし考えを巡らせる。できることなら、地図から消されたその場所へ直接足を運んでみたい。
が、それは難しい。地図で見る限り、首都アストランティアからそこへは相当な距離がある。簡単に行き来できるような距離ではない。
「……ん? 待てよ……もしかして、あいつらなら何か知ってるんじゃ……」
ネメシアの脳裏に、バジリスタ学園時代のクラスメイトが浮かび上がる。アシュリーといつも一緒にいたエルフの双子、ダリアとジュリア。卒業後、一度も会ってはいないが、あいつらの実家は首都にある。その気になればいつでも会えるはずだ。
わずかな希望を見出したネメシアは、椅子から立ち上がると再び地理カテゴリーの本棚へ向かう。必要なのは首都アストランティアの詳細地図だ。
首都の詳細地図には、どこに何の施設があるのか、誰の邸宅がどこにあるのかまでこと細かく記載されている。ダリアとジュリアは、武門の誉れ高きシャーデー家の出身だ。自宅の場所を探すのはまったく難しくない。
案の定、ダリアとジュリアの実家がある場所はすぐに判明した。のだが――
「な、何だと……?」
地図を持つネメシアの太い腕がワナワナと震える。地図には、たしかにシャーデー邸の場所が記載されていたが、そこにはこのような補足情報が書かれていた。
『定住者なし』
「ど、どうなってやがる……?」
いや、もちろんシャーデー家が引越しをした可能性はある。さまざまな事情で首都を離れる者もいなくはない。が、果たしてこれは偶然なのか?
アシュリーがいなくなり、リエッティ村と思わしき村が地図上から消され、さらにアシュリーの親友だったダリアとジュリアも首都から消えた。
と、そこへ――
「おや、これは長官。何か調べものですか?」
突然背後から声をかけられ、一瞬肩をびくんと震わせたネメシアが振り返る。声をかけてきたのは、天帝サイネリア・ルル・バジリスタの側近であるステラ。金色の髪と緑の瞳が印象的な男性エルフだ。
「おお……ステラ殿。お久しぶりです。ええ、少し気になることがありまして」
「治安維持機関の長官自ら調べものとは、よほどのことですか?」
ネメシアが手にしている地図に、ステラの視線が向く。
「え、ええ。まあ……」
「そうですか。バジリスタのためであれば、私もいつでも協力しますから、仰ってくださいね」
天帝の側近だというのに、柔和な笑顔でフランクに話しかけてくれるステラに、ネメシアは少なからず好感を抱いていた。もしかすると、彼なら何か知っていることを教えてくれるかもしれない。そう思ったネメシアは――
「ありがとう、ステラ殿。では一つお聞きしたいのだが、シャーデー家は首都からどこかへ引っ越しされたのですか?」
「……ああ、シャーデー家ですか」
その名前を聞いたステラの眉間に、深いシワが刻まれた。露骨に不快そうな表情を浮かべたステラに対し、ネメシアは訝しげな視線を投げる。
「何か……あったのですか?」
「……亡命ですよ。一年か二年ほど前、シャーデー家は一族総出でバジリスタを離れ、隣国へ亡命しました」
忌々しそうに吐き捨てるステラ。同胞であるシャーデー家の行為が心底許せない、といった感じがひしひしと伝わってくる。
「何と……亡命ですか。しかし、武門の誉れ高きシャーデー家がいったいなぜ……?」
「さあ。大恩ある天帝陛下を裏切り、他国へ亡命した者たちの考えることなどまったく分かりませんね。理解したくもない」
憤懣やるかたない様子のステラ。これ以上この話題を続けるのは藪蛇だな、と感じたネメシアは話題を変えることにした。
「ええーっと……あ、そうだ、ステラ殿! こちらについても何か知っていることはありませんか?」
先ほどまで座っていた場所までステラを案内し、本を開いてバジリスタの地図を見せる。ステラは不思議そうに首を傾げていた。
「ステラ殿、ここを見てください。もともとこの場所には村があったと思われるのですが、何者かによって無理やり消されている。しかも、詳細について書かれていたと思わしきページも削除されています」
「何と……」
「おそらく、ほかの本もすべて同様でしょう。となると、相当規模の大きな隠蔽だ。だが、なぜそのようなことをしたのか、まったく分からない」
「ふむ……たしかに気になりますね。地図から存在を消された村、ですか……」
顎に手をやり、じっと何かを考えこむような仕草を見せるステラ。
「しかし、長官。なぜ長官はこのことを調べているのですか? 何か事件でも?」
「あ、いや。学生時代の友人が姿を消してしまいまして。その友人の生まれ故郷が地図から消されたその村じゃないのかと」
「なるほど……そんなことが」
「ええ……」
「分かりました。こちらでも時間があるときに調べてみましょう。何か分かり次第、長官にお知らせします」
「おお、ありがとうございます!」
天帝の側近であるステラの協力を仰げるのは大きい。謎を解くのに大きな一歩を踏み出せたと信じてやまないネメシアであった。
――三十分後。天帝、サイネリア・ルル・バジリスタの居城。
「陛下、少しお時間よろしいでしょうか?」
天帝の側近であるステラが、豪奢な扉の奥にいる主に声をかける。
「ステラ? 入っていいわよー」
「では、失礼します」
重厚な扉を開いてなかへ入ると、いつものようにソファへ横になっている天帝サイネリアの姿が目に飛び込んできた。体のラインがくっきりと浮き出る、煽情的な服をまとったサイネリアは、ソファへ横たわったまま瑞々しい果実を貪っている。
「ああ、美味しい。ステラ、あなたも食べる?」
首都アストランティアに出回る果物の質はあまりよくない。新鮮な果物がとれる地域から首都までは相当な距離があるためだ。天帝が口にしているような果物を、アストランティアの民が口にすることはまずない。天帝だからこそ可能な特権である。
「い、いえ。結構です」
「あ、そ。で、今日は何?」
立派な葡萄の房から大きな果実をむしり、口のなかへひょいっと放り込むサイネリアの様子に、ステラはやや呆れたような目を向ける。
「ええと……一つ気になることがあったので、報告に参りました」
「気になること?」
「ええ。リエッティ村のことを探っている者がいます」
寝転がったまま、別の果物へ伸ばそうとしていたサイネリアの手が止まる。
「リエッティ村……? うーん……リエッティ村、リエッティ村……」
眉間にシワを寄せて必死に思い出そうとする。
「あ! 思い出した! あのリエッティ村ね?」
「そうです。あのリエッティ村です」
「長く生きていると過去のことはどんどん忘れちゃうのよね~。で、そのリエッティ村を探っている者がいるんですって? いったい誰?」
「……治安維持機関の長官、ネメシアです」
「ふーん……治安維持機関の長官がねぇ。どうして今さらリエッティ村のことを?」
「本人が言うには、旧友がリエッティ村の出身とのことです」
「へえ、そうなんだ。でもまあ、調べたところで何も分からないと思うけど。放っておいても大丈夫じゃない?」
「……陛下がそう仰るのなら、そういたします」
「うんうん。それより、喉が渇いたから美味しい紅茶を飲みたくなっちゃった。ステラ、お願いしていい?」
「は。かしこまりました」
踵を返したステラがそっと小さく息を吐く。
天帝であるこの方にとって、あらゆることは小事なのだ。大切なのは、いかに自分が楽しく快適な日々を送れるかどうか。建国王でもあるこのお方にはその権利がある、とは思うが。
それにしても、ここ最近は特に……。それに、ネメシアが調べていたリエッティ村のこと。もし、
陰鬱な気持ちを秘めたまま、ステラは天帝の自室をあとにした。
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