第15話 奇妙

「ネメシアの兄貴、おはようございます!」


翌日。治安維持機関サイサリスの庁舎へ登庁したネメシアは、大声で挨拶してきたずんぐりむっくりなドワーフをじろりと睨みつけた。


「……サフィニア。職場でその呼び方は止めろと言っただろう?」


「あ、はい。すみません」


声の主はサフィニア。ネメシアと同郷にして、バジリスタ学園時代のクラスメイトでもあったドワーフだ。学園を卒業後、出世に成功したのはネメシアだけではない。


サフィニアも、その類まれなる頭脳を買われる形で治安維持機関に採用され、現在では長官であるネメシアの副官として活躍していた。


学生時代と同様、感情的になりやすいところはあるものの、サフィニアの頭脳と狡猾さが治安維持機関の犯罪者検挙率を高めているのは事実だ。もしかすると、いずれはネメシアのあとを継ぐ形で長官に任命されるのでは、といった噂もある。


「……まあいい。サフィニア、俺は少し調べたいことがあるから資料室に籠もる。全体の指揮を任せてもいいか?」


長官室へと続く廊下をのしのしと歩きながら、ネメシアがサフィニアへ問いかける。


「ええ、もちろん。それにしても兄……長官。調べたいこととは? 何か事件のことですか?」


「まあ……そんなところだ。一時的に決裁権限も与えるから、下からあがってくる報告書のチェックも頼む。俺は資料室にいるから、緊急事態が発生したときは声をかけてくれ」


「わかりました!」


鼻をぷっくりと膨らませたサフィニアの顔は誇らしげだ。長官から直々にお願いされ、一時的とはいえ決裁権限まで与えられたのだから当然である。


その後、長官室でサフィニアを含む複数の幹部と情報を共有したあと、ネメシアは施設内にある資料室へと足を運んだ。



「相変わらず……もの凄い蔵書数だな……」


ネメシアが圧倒されるのも無理はない。資料室とは言うものの、ここに管理されている書物や資料の数は五千点を超える。バジリスタが歩んできた長い歴史のなかで収集されてきた、貴重な書物や資料が室内を埋め尽くす様子は圧巻の一言だ。


広々とした室内にはいくつもの巨大な本棚が設置され、カテゴリー別に保管されている。資料室というよりはまるで図書館だ。実際、ここは治安維持機関の職員以外も利用可能であり、今も外部機関の職員が何人か室内で調べものをしている。


ネメシアは室内を見まわすと、地理カテゴリーの本棚へ一直線に近づいていった。そびえたつ本棚を見上げるネメシアの姿は、まるで像に立ち向かうアリのようである。


何せ、本棚の高さは三メートル以上あるのだ。まるで本棚に見下されているような気がして、ネメシアが思わず眉をひそめる。


とりあえず、本棚の最下段から順番に視線を這わせ、求める情報が記載されていそうな書物を探す。何冊かピックアップした本のページをペラペラとめくりながら選定を進め、最終的に五冊を選んだ。


分厚い五冊の本をドンッ、とテーブルへ置き、自身もドカッと椅子へ腰かける。近くで本を読んでいたエルフが苦々しげな視線を向けてきたが、相手が治安維持機関の長官と分かった途端、軽く会釈してそのまま出ていってしまった。


ネメシアは、学生時代にアシュリーと交わした会話の内容を頭のなかで思い返す。彼女とは、それほど多く故郷に関する話などしなかった。が、たしか生まれ育った故郷は『リエッティ村』だと言っていた。


首都アストランティアから相当離れたところにある小さな村らしいので、俺は全然知らなかったが、雄大な山と自然に囲まれたいいところだと言っていた気がする。


テーブルへ積み上げた本のなかから、最近出版されたものを手にとった。国内の地理について詳しく記載された本だ。バジリスタ全体の地図が載ったページを開き、食い入るようにして見入る。


「……スターチス村……セージ村……ブローディア特別区……」


地図上に記載された村や区域の名称を一つずつ読んでいく。バジリスタ国内にこれほど多くの村や区域があるとはネメシアも思っておらず、少々面食らってしまった。


「トルテ……バーベナ……ラベンダー村……」


……おかしい。隅々まですべて目を通したはずなのに、リエッティ村などという名前の村はどこにも見当たらない。俺の聞き間違い、もしくは記憶違いか……? 


いや、そんなはずはない。たしかに俺は、アシュリーの口からリエッティ村という名称を何度か耳にしている。


そう、アシュリーを見た最後の日。卒業式後のユリ湖でも、彼女は『一度故郷のリエッティ村へ帰るわ』とはっきり口にした。聞き間違いや記憶違いでは絶対にない。


今年出版されたばかりで表紙もきれいな本をパタンと閉じたネメシアは、次の本を手に取った。タイトルは『地理から読み解くバジリスタ』。出版されたのはどうやら二年前らしい。


先ほどと同様、バジリスタ全体の地図が載ったページを開く。目を皿のようにして隅々まで目を通したが、やはりここでもリエッティ村なる村は見つけられなかった。ほかのページにも目を通したものの、リエッティ村について言及した部分はまったくない。


これはいったいどういうことだ? 先ほどの本もこちらの本も、相当規模が小さな村まで取りあげている。リエッティ村がかなり小さな村だったとしても、記載されない理由はない。


ネメシアは何となく不安を感じながら、三冊目の本を手に取った。出版日は今から約五年前。まだネメシアが学生だったときに出版された本だ。


「……ん?」


地図に視線を這わせていたネメシアの目が、ある一点で止まった。


「何だ、これは……?」


ネメシアが見つめる先。そこには、もともと記載されていた文字が強引に消されたような痕跡があった。ザラザラとしたものを使い、紙の表面を無理やり削り取ったような痕跡。


バジリスタの東北部……しかも周りには標高の高い山……。たしか、アシュリーの故郷は周りを山に囲まれ、しかも時期によっては相当冷えるとも言っていた。


ネメシアは慌てて本のページをめくり始める。この本では、地図に記載されている各村や区域についてそれぞれ詳細な説明を記載しているのだ。次々とページをめくっていったのだが……。


「ど、とういうことだ……?」


地図から消されたと思わしき村の情報は、どこにも記載されていなかった。それどころか、数ページにわたってむしり取られたような痕跡がある。


ネメシアの胸中がこれでもかとざわついた。ハッと顔をあげ、残り二冊の本を乱暴に手繰り寄せる。どちらも三~五年前に出版された本だ。


同じようにバジリスタ全体の地図を確認したネメシアの頬を、冷たいものが流れ落ちる。どちらの本も、もともとそこに書かれていたと思わしき文字が無理やり消され、言及されていたと考えられるページも削除されていたのだ。


もう間違いない。これは、意図的なものだ。もともとそこにあったはずの村、区域がなかったことにされている。わざわざ名前を消し去り、ページまで削除するとは相当な念の入れようだ。


しかし、いったい誰が何の目的で……? それに、存在をなかったことにされたその村は、本当にアシュリーの生まれ故郷なのだろうか?

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