第10話「邂逅」
それは、白と緑を合わせたような奇抜なスーツに蝶を模した仮面をつけた青年の姿をしている。背丈も高いが、全体的に細身でその着こなしと立ち姿とスタイルから、気品と優雅さを感じさせる佇まいをしていた。
そしてそれ以上に感じさせる、見る者を魅了させながらも対峙する者に圧迫感を与えるような威圧感。
彼だけじゃない。
その背後に見えるもの……。暗闇のせいでわかりにくく、結人たちには薄っすらとシルエットのようにしか見えなかったが、それらもただものではない。
獣毛をあしらった鎧に2本の斧を持った戦士を思わせる大柄な男。
鴉を模した仮面をつけた、武装シスターのような出で立ちをした女性。
パンクファッションに身を包んだ猫耳付きフードを被った少女。
背中に翼の生えた全身鎧に身を包んだ騎士。
尼僧のように法衣に骨がまとわりついたような装飾の薙刀を持った少女。
豪奢な紫色のローブに身を包み、左手に杖と剣が一緒になったような武器を持つ男性。
「……!」
数は6人。どれも統一感のない姿形だったが、それでもその存在感はとてつもなく、ただ“そこにいるだけ”で空気が震えるほどの重圧がある。目に見えない圧力が市民体育館に満ちており、常人であればこの空気にいるだけで吐き気を催すか意識を失っていたであろう。
それだけで、結人が殺しを前提とした迎撃態勢に身構えるほど。
「る、ルーラー……! な、なぜここに……!?」
クリュサは現れた蝶の仮面をつけた男……「ルーラー」の姿を見て驚愕していた。
「それはもちろん。挨拶がてらに、我らが同胞である貴方を助けにきた次第です。それと……。お初にお目にかかります、葛城結人さん」
「なんだ、お前ら。というか、俺のことを知っているのか?」
何故か初対面であるはずのルーラーに名前を呼ばれたことで、結人は警戒心を強める。既に指先に込めた術式はいつでも発動できる状態であり、少しでも敵対的行動を取るようなことがあれば、殺すつもりで糸を飛ばそうと考えていた。
「落ち着いてください。私は敵対しに来たわけじゃありません。私たち……いえ私は貴方とお話がしたいのです。後ろの同胞たちにも武器を身構えるようなことはしないように言いつけていますゆえ、なにとぞ……」
「……嘘は言っていないな」
物腰が低く言うルーラーのその態度に嘘偽りがないことを結人は感じ取り、準備していた魔術の発動を取りやめる。だが術式そのものはオフにしていないだけで少しのタイムラグはあるが、もしものことがあればいつでも使うことが出来る。
「ありがとうございます。さて……改めまして。私はルーラー。お察しかと思いますが、こちらのご都合により偽名を名乗らせていただいています」
ルーラーと名乗った男は、お辞儀をした。
「そんなことはどうでもいい。なぜ俺の名前を知っている? お前たちの目的はなんだ?」
結人は不機嫌そうに言った。知らない相手に一方的に名前を知られているということは彼にとっては不愉快なのだ。
「ははは。貴方は我々にとっては有名人ですから。貴方がこちらに帰還してから特に活動はしていないとはいえ、貴方のことについては非常に興味深かったのです。ええ、貴方と私たちはよく似ている。故にこうしてお会いしたかったのです」
「……一方的に俺のことを知っているってワケ? それに意味がわからない。俺とお前たちのどこが似ていると言いたい?」
結人にはルーラーの言っていることがよくわからない。
そもそも自分に会いたいと言っておきながら、偽名を使って話していることも意味がわからないし、それに「自分たちはよく似ている」とか、顔も素性も知らないのにそんなこと言われても意味がわからない。
「確かにこの言い回しだとよくわからないね。だが、貴方の先ほどの質問、我々の目的を教えましょう。きっと貴方も共感できるはずです」
「共感?」
共感という言葉に、結人は首を傾げる。
「我々、『
「――――――――――なに?」
ルーラーの発した言葉の内容に結人は更に不快感を催し、顔をしかめる。
それだけではなく、彼らは自分たちを
その言葉の響きが、彼にとっては凄まじく不愉快なもので。
その目的の内容が、彼にとっては吐き気のするようなもので。
現実主義者である彼にとって、ルーラーの口より語られた言葉は、とてもではないが現実味を感じさせず、同時に意味がわからなすぎて心の底から嫌悪感を抱かせるものであった。
「お前、本気でそれ言っているのか?」
「ええ。我々は本気で言っていますとも。そうでなければこのように語りはしません。正しさなき信念を口にするなど、私の誇りが許しません」
そういうルーラーの顔は柔和で余裕のあるものながら、その目つきはどこまで真剣で眩しさを感じさせるほどに真っすぐであった。
……ならばこそ、尋ねなければならないことがあった。
「なら、自分たちの信念が正しいものだと言うのなら教えろ。お前はこの世界を歪みから救うのが目的だと言ったな。なにを、具体的に、どうやって歪みから救うつもりだ?」
ルーラーの言っていることに嘘偽りはない。むしろ誠実さと清廉さがあると思わせるほどの清々しさすら感じた。
だが、その上で肝心なことを何一つ言っていない。
自分たちの目的が「世界を歪みから救う」と語るルーラーの言葉には言葉が足りない。
具体的に、どうやって、何のために世界を救うのか。
噓偽りを語っていないとしても、肝心要となる「手段」を彼は一切口にしていない。単純な人間であれば、この点を聞かなかったであろうそれを結人は問いただす。
彼の質問の意図を理解したルーラーは、その問いに口を開く。
「―――――如何様に救うか。ええ、それは簡単な話です。全人類の生殺与奪の権限を、我らの手に掌握することにございます」
「――――――――っ」
彼は、そのような言葉を確かに口にした。
あまりの内容に、結人は言葉を失い、後ろで聞いていた頼孝は顔をしかめ、環菜は驚愕する。
「貴方たちは、神にでもなろうと言うのですか!? なにをもって、そんな―――――!」
「貴方の疑問はごもっともでしょう。ですが、その疑問は無駄な問いにて。なぜなら必要なことでございますから」
「なんですって?」
ルーラーは自分たちが「全人類の生殺与奪の権限を握ること」に対する疑問を無駄なものだと言った。言葉の意味がわからず、環菜は流石に表情を曇らせた。
「私はとある異世界に召喚され、その世界の神に使命を与えられました。『どうか、この世界をお救いください』と。私はその使命に従い、私はその異世界を仲間たちと共に50年かけて救いました。使命を果たした私は、神の力でこの地球に戻って来たのです」
「……」
結人はルーラーの「50年かけて救った」という言葉に疑問を感じた。
同時に、彼は
「この地球に帰還して私は、自らがこの世界でするべきことを自覚したのです。この世は、あまりにも歪すぎると。私が地球に戻ってきたのは、この世界を歪みから正すためだったと私は自覚したのです。故に、私は同志を募りました。この世界を真の意味で救うために。だからこそ―――――」
「もういい」
「?」
ルーラーが喋っている途中、結人が言葉を遮るように言った。
「どれだけ耳障りの良い戯言を聞かせてくれると思ったら、頭のネジがぶっ飛びまくった異常者の救世主願望じゃないか。あまりにも本気で言っているものだから聞いてしまったが、もう喋らなくていいよ。お前」
そう言う結人の表情は嫌悪感に満ちている。
「何を言っているのです? 我々の目的はそれこそ人類の、それどころか我々のように異世界からの帰還者たちの救いにもなります。そう、貴方のようにこの世界に帰ってきたことで全てを失った者たち全ての救いになるのですよ?」
「―――――おい」
「!」
ルーラーの言葉に結人は条件反射気味に詠唱なしで両手の5本指から糸を瞬間的に出し、切り裂こうとする。
ルーラーはそれを眼前ギリギリの所をバックステップで避けるが、彼の足元の床が弾け飛ぶように切り裂かれた。
「お前が俺の何を知っている? アレか? 中途半端な同情心や憐憫で俺をそんなくだらない事に誘おうとしているのか? お前の言っていること、これっぽちも共感出来ないし、これ以上聞こうとも思わない」
「愚かな。それほどの力を持っていながら、世のために使おうとは考えないのですか。力を持つ弱者を抑えつけ、力無き強者が世を動かし搾取するこの歪な世界を救うことを間違いだと貴方は思うのですか?」
結人の拒絶の言葉に、ルーラーは変わらない笑みを浮かべながら語る。
「間違いだと思うかどうかじゃない。ようは自分たちに居場所がないから、自分たちで勝手に居場所を作ろうとしているだけだろうが。世界を救うとか言っておきながら、やろうとしていることは大量虐殺の大義名分を欲しがっているだけじゃないか」
「……ほう? では、貴方自身はどうなのです? 全てを失い、居場所を失い―――――どこにも居場所もなく、どこにも行けないであろう貴方自身が、どうあっても救われていないのではありませんか?」
結人のことを見透かしたように言うルーラー。
彼の口から出て来る言葉は、現実に空いた、抜け出せない「穴」のような真っ暗で甘美な響きがあった。
……だが、その言葉が彼に届くことはない。
「それこそ愚問だ。俺はこの世界に帰るために、そのためになんでもしてきた。血を流し続けた。俺がしたことは、お前が言っていたような救いを成し遂げたわけでもない。ただそうするしかなかっただけだ。だが……」
現に、ルーラーの言葉は結人の心に出来てしまった底なしの空虚の中に入り込み、多少なりとも興味を示しかけていた。
だが、それではどうしようもないほどの空虚を埋められないからこそ、結人はルーラーの言葉を拒絶した。嫌悪した。
過酷極まりない異世界での環境。
生来有していた早熟な精神性。
そして、5年という血塗られた年月を経て帰還した地球で待ち受けていた喪失と絶望。
「失ったものは戻らない。無くしたものは二度と返ってこない。あの
そう語る結人の目は虚ろで揺らぐことのない一種の信念と狂気すら感じさせるほどのもの。
かつて抱いた自らの理不尽に対する恩讐も。かつて親しき者たちに抱いた慈愛も。
血に濡れきった彼の道程と共に置いていかれ、彼に残されたものは
「その上で、俺はお前の救世を否定させてもらう。お前たちの正しさとかそんなものに興味ないし、どうでもいい。
結人はそう断言し、指先から糸を出して自分の周りに浮かべ、殺意と共に臨戦態勢を取る。
「……なるほど。確かに、これはとても救えない。愚かを極めると愚鈍な輩に成り下がるというわけですか。ええ。私も、久しぶりに少しばかり怒りが湧きました」
ルーラーはその言葉と共に周囲に魔術式の刻まれた魔法陣のようなものを展開し、結人と同様に臨戦態勢を取った。その背後に控えているルーラーの仲間と思われし者たちも身構え始める。
状況は一触即発。
今まさにぶつかろうとしていた時―――――。
「はーい、おイタはそこまでよ、
「!?」
「ぐっ!?」
快活な女性の声と共に、結人の目の前を斬撃の衝撃波のようなものが飛んできて、ルーラーの展開した魔法陣全てを破壊して吹き飛ばした。
「応援要請があって駆け付けてみたら、どうも大当たりを引いたようね。さぁ、そこの胡散臭いお兄さん? お姉さんと斬り合う?」
現れたのは、モダンチックな狩衣に似た紫色の戦闘服に身を包んだ女性だった。
ポニーテールにまとめたブロンドの髪に左目の下にほくろがあり、手に持っているのは一本の太刀で、その太刀は鞘越しに可視化するほどの魔力を纏っている。
「……
「えー、つれないなー。というか―――――。人様の
「……!」
女性はルーラーや結人が冷や汗を軽くほどの殺意を漏らしながら、鯉口を切っていた。
「キャスター!」
「お任せあれ」
ルーラーは背後の仲間の一人―――――ローブの男に声を呼びかける。
すると、ルーラーやクリュサを含めた仲間たちの周囲を魔力の光が覆い、一瞬で姿を消した。
「え、うそ、空間転移!? あーもう! 逃げられたー! つまらなーい!」
「なんだ、この人」
目の前で一瞬にして消えたルーラーたちに女性はうがーと頭を抱えながら叫んだ。そんな彼女を結人は呆れたような目で見るのだった。
「葛城君! 大丈夫?」
環菜が結人の目の前に来て言った。
「……ああ」
結人は彼女にそっけなく返す。
市民体育館に草薙機関の職員たちが入り込んでくる中、結人の表情はどこか暗く、遠い所を見るような目をしていた。
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