第7話「初戦」

 市民体育館内部は内因ないいん結界によるものなのか、完全に異界化していた。


「内因結界ってこういうものなのか。俺がいた異世界では、こんな結界を作るヤツは見たことなかったが」


 結人はこの異質極まりない風景に動じることなく呟いた。


 人の営みの存在しない異空間。天井を見上げるとそこは様々な色を混ぜたキャンパスのようなおぞましい空。

 そして内装はまるで人骨と刃物が混ざり合ったようなモノが植物のように地面から生えた森、もしくは内蔵の中のようなという、おぞましい異形の世界だった。樹と思われるものをよく見ると、幹の表面には人の顔のようなものが浮かび上がっていて、枝葉には歪な刀剣や鉄になっている。


「自分の心象風景を一種の投影領域として具現化させたものでしょう。内因結界は内側に閉じて相手を閉じ込める結界だから、基本的に術者は外側からの侵入を制限することは出来ませんが、恐らく自分の手下たちの出入りをしやすいようにわざと“穴”を作ったのかもしれませんね」

「? それに意味はあるのか? なぜそれをする意味がある? 外敵の侵入を想定していないとか、そういう考えがあったのか?」

「そこまではわかりませんが、さっき言った通り内因結界は外因結界より難易度が高い術です。外からの侵入者を招く意味は本来ないのですが、この結界を構築した術者はよっぽど自信があったのでしょう。そのために自分に『誓縛せいばく』を設け、結界の強度を高める代わりに出入口を作ったと考えるべきですね」

「誓縛……。確か、自分に制限をかける代わりに魔術や能力の底上げをするヤツだったけ。そういう応用もあるのか」


 環菜の説明を聞いた結人は納得する。


 誓縛とは西洋、ケルト神話にルーツを持つ自身に誓約と制限をもたらすことで恩恵をもたらす呪法であり、ゲッシュは神への誓約を交わすことで得られるものであるのに対し、誓縛は自分自身及び他者と交わすことで得られるもの。つまりは「自分で自分を縛るか」の違いである。


 今回のケースの場合、内因結界の強度を上げる代わりに内因結界のセオリーである「外部からの侵入・出入りを認めない」を排除したものだと思われる。


「それにしても、このグロテスクな内装……。この結界を作ったヤツは結構狂ったヤツだろうな。血の臭いがすげぇする」


 頼孝が周囲の風景を見ながら言った。


 この空間の中に充満しているのは鼻をつく血の臭い。長い間戦場に身を置いていた結人からすれば慣れ親しんだ臭いではあるが、不愉快であることに変わりはない。人骨と刃が混じった樹が乱立する森の時点で十分不愉快だが、そこは大目に見ることにした。


 そうして先に進んでいくと、何か若者たちの集団が目に見え始めた。


「おい、クソども。こんな所で悪趣味な結界を作ってなにをしようとしているんだ?」


 結人はその集団に対して声をかける。


「お前たち……。まさか草薙機関の連中か!」


 そう声を上げたのは集団の中で、一際目立つ格好をした男。


 右上半身が黄金のようなもので構成されており、蛇を模した仮面をつけている。背丈は結人とそんなに変わらないぐらいで体格も中肉中背といった感じで格好も黄金で構成された右上半身を除いて蛇を模したような金属プレートアーマーに似たようなものを着ており、現代の地球とは文明や時代が違うと言わんばかりの格好をしている。


「貴方たち、こんな所で何をしているのですか? ここは一般人が使用する公共の市民体育館です。今すぐに立ち退き、一緒に機関の方で取り調べをさせてもらいます。投降しなさい」


 環菜はいつの間にか弓を取り出して言った。これからすぐに戦闘になるかもしれないであろうと想定して準備していたのだ。


「投降だと? ふん、何をぬかすか。我らはこれより大いなる計画のための第一歩を踏むための大切な儀式をやっている所だ。邪魔をしないでもらおうか」


 仮面の男はそのように言いながら、右上半身の腕を黄金の剣に変えて剣先を結人たちの方に向ける。


「あの異質な魔力の流れは……。なるほど、あの黄金の剣のようなものがあの男の異廻術イデアか」


 頼孝が仮面の男の黄金の剣を見て言った。


「イデア? なんだ、それは。哲学的なヤツかなにかなのか?」

「そっちのイデアじゃなくて、異廻術と書いてイデアって呼ぶの。オレたち異世界帰還者たちが異世界で手に入れた力をこっちで使うことが出来ている状態のことだ。お前もさっき糸を出して連中の手下たちの武器壊したりしていただろ?」

「なるほど。つまり、異世界で手に入れた力そのものをそう呼ぶのか。……妙にしっくりこないが、まぁそういうこともあるのだろう」


 彼の話を聞いて結人はとりあえず納得したが、自分の使う鋼糸こうし呪法が異廻術イデアだと言われてもよくわからなかった。

 なにしろ、異世界に召喚されて数日後のある日に突然出来るようになっていたので、そういうものだと納得するしかなかったし、考える時間も余裕もなかったので考えたことがなかったのだから。


「……お前たち、まさか我らと同じ『帰還者』か?」

「? 『帰還者』かどうかと言われたら『帰還者』だが、それがどうした?」


 仮面の男に聞かれ、結人は返事をする。お前たちと言っているので結人だけではなく、頼孝のことも言っているのだろう。


「そうか……。なら、尚更ここから立ち去れ。お前たちが我らの邪魔をする謂われはないだろう。我らは、我らがこの世界で主の理想を成就するために、この儀式をやり遂げなければならないのだ。故に、如何なる者であろうと邪魔をされるわけにはいかない。」


 仮面の男の口から出る言葉は、使命感に満ちたハッキリとしたものであった。一つ一つ彼の口から語られる言葉に一切の偽りもなければ邪悪さも感じなかった。


 異世界で多くの為政者や曲者を相手にしてきた結人にとって、それを敏感に感じ取ることが出来る感性があり、この手の人間がどういう人間なのかも、


「知らねえよ。というか、お前さっきからなに寝ぼけたこと言っているんだ? 酔っ払っているのか?」


 ハッキリと、結人は仮面の男に対してそう言い放った。


「……何だと?」


 結人の言葉に仮面の男は静かな怒りを見せる。


「え、ちょ、葛城」


 頼孝は結人の言葉のチョイスに動揺する。


「なんというかさ、痛すぎるだろ。理想だとか、どうたらこうたら言っているけどさ、聞いているこっちは全然理解できないんだよ。お前らのやっているコトって控えめに言ってただの迷惑行為じゃん」


 心底理解出来ないと言わんばかりの、そして遠慮のない言葉の数々を素で言う結人。仮面の男たちを見る目すら冷ややかで嫌悪感を催しているといったような、不快感を露わにした表情をしていた。


「貴様……! どうあっても我々の邪魔をするつもりなのか!」

「邪魔するもなにも、お前らのやろうとしていることはどうせロクなことにならないものだってことは理解できるんだよ。悪いが、その意味がわからん計画ごとお前をボコボコにさせてもらう」


 結人はため息をつきつつ、仮面の男の前に近づく。


「そうか……。やはり、草薙機関……いや。この世界にくみする者共は。なら……」


 仮面の男はそう言うと、右腕の黄金の剣を構え始めた。

 同時に彼から目に見えるほどの魔力の流れがオーラのように立ち込め、不可視の圧力となって結人に向かい風のように響く。


「我が名はクリュサ・オルゴン! “黄金剣の右腕”と謳われた我が名をその身に刻んで死ぬがいい!」


 男は自らの名を明かし、結人へ明確な敵意と殺意を向けた。


「気を付けてください! 今までの下っ端連中とは違います!」


 環菜が弓矢を構えて言った。


「弦木、多々見。お前らは雑魚どもの相手をしてくれ。邪魔が入らないようにな」

「何を言っているのですか! ここは3人で協力して倒すべきです! 相手は得体の知れない異廻術イデアを有した『帰還者』なのですよ!」

「そうじゃない。相手はどこかの異世界からの『帰還者』。あの異廻術イデアがどういうものなのかどうあれ、ああいう面倒くさいタイプのヤツなら、俺は異世界で何度も戦ったことがある。なら、俺の力を見る良い機会になるだろ?」

「……」


 結人の言葉を聞き、環菜はそれ以上反論出来なかった。


 異世界からの『帰還者』はどうあれ、地球とは違う法則で動く異廻術イデアを行使することが出来る。率直に言えば並みの地球の魔術師では、お互いの法則ルールの違いから相性の問題で負けてしまう可能性の方が高い。


 環菜自身はその並みの魔術師の枠には入らないが、いつだって人間は“未知”に対して恐怖する生物でもある。それをよく理解し、そしていつも自分を奮い立たせている彼女からすれば、仲間をもっと知りたいと考えるのは当然のことだろう。


「……わかりました。貴方にお任せします。多々見、良いですね?」

「わかったよ、露払いはこっちに任せとけ!」


 そう言って、環菜と頼孝はクリュサの配下たちに向かい合い、戦闘開始した。


「さて、久しぶりのまともな戦いだ。そのくだらない理想ごと、ズタズタに切り刻んでやる」


 結人は両手に魔力を通し、自らも臨戦態勢に入った。


 彼にとって久方ぶりの術を用いての本格的な戦闘。その事実に、不思議と高揚するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る