第5話「侵入開始」

 輪祢町りんねちょうの繁華街はここ近年、治安悪化の一途いっとを辿っている。


 しかしそれは人間の犯罪者たちによって治安が悪化しているというだけではなく、怪異による霊的被害の意味でもある。


 都市部は人間の負の念や感情などの坩堝だ。都市部といっても具体的には人間が密集するような地域を差し、同時にその影響を受けた土地の霊脈・地脈から漏れる魔力と結びついて「怪異」という異形のモノとなる。西洋の魔術世界においては「魔物」と呼ばれ、これらが人間社会に悪影響を及ぼさないように事前に討伐したりするのも魔術師の務めだ。


「それで、草薙機関の連中が俺に怪異討伐を要請したりしていたわけか」

「貴方、一応魔術師なのにそういう知識はないのですか? 呆れますね……」


 環菜は結人からどういう仕組みで怪異が現れ、なぜ魔術師が怪異を討伐したりするのかを知らなかったことに呆れていた。


「興味なかったからな。最低限のルールさえ守っておけば大抵のことは問題なかったし、討伐したら報酬として金をもらえるわけだ。特に深入りする理由もなかったしな」

「それはそれで問題ですよ。まぁ、そういうことを教えなかった上の人も大概ですけど……。もしかして、貴方が異世界から帰ってきた時の担当が、あの人だったりしました?」


 先ほどの公園でのやり取りから結人にこの世界でのことについて色々教えていたのは彼の叔父の解斗かいとではないかと考え、聞いてみた。


「俺が異世界から帰って来た時、色々あってアイツの世話になった。その時に最低限のことだけしか教えてもらっていない。今となってはもうどうでもいいことなんだけどな」

「……


 そう言う結人の目はどこか虚ろだった。


 まるで心底どうでもいいと考えているような、そんな感じがして環菜はそれ以上は聞きづらかった。


「あー。お2人さん? それでさ、どうするよ? この近辺の連中に下手に聞きこむのもアレだし、もう電灯以外暗くなってきたわけだし、なんか手掛かりとかないの?」


 気まずい空気を破らんと頼孝が声をかけた。


「そうですね……。やっぱり事件現場の市民体育館と殺人事件のあった現場に向かうのが良いかもしれないです。商店街からはちょっと離れているから、一番近い市民体育館を先に見た方がいいかもしれません」

「だよなー。殺人現場ならわかるけど、市民体育館の方に関してはあからさまに変だもんな。機関の連中、手掛かりが掴めていないとか言っていたけど、見落としている所とかあるんじゃない? 結人はどう?」

「俺か? そうだな……。それについてなら俺も同じ意見だな。この世界の魔術師連中の技量がどんななのかは知らんが、見落としがある可能性は無くもないと思うぞ」

「葛城君もそう思う、か……。それならやっぱり市民体育館を優先的に調べるのがいいわね」


 各々で様々な意見を出し合いながら、件の市民体育館に到着する。


 事件が起きて以降、周囲を黄色いテープで警察による封鎖が行われている。そのせいか市民体育館の周辺はどこか物々しい雰囲気に覆われていた。


「なんだこれ。この周辺だけ妙な空気がするぞ」


 結人は市民体育館周辺に漂う雰囲気と空気に違和感を覚えて言った。


「……人除けの結界が張られていますね。一定以上の魔力を持たない人間を通さない外因結界です」

「外因結界?」

「ようは内側に閉じるタイプの内因結界じゃなくて外側に展開、制限をかけて展開される結界です。結界術の中でも比較的難易度は低いですが、一般人レベルの魔力を持たない人間を通さないというだけで私たちは入れますね」


 結界術には2種類のタイプが存在する。


 1つは内側に閉じて内部に何かしらの圧力をかけて空間を圧縮し、閉じ込めることに特化した内因結界。

 もう1つは外側に展開することで何かしらの制限や条件を設け、弾き出すことに特化した外因結界。


 今回のように「人除けの結界」は外因結界に該当する。結界そのものに「暗示」の術式効果を付与し、一定の魔力を持たない人間や生物の意識に干渉して無意識に遠ざける効果を持つ。表の社会から魔術を隠したりする時に使われる事の多い結界術として「人除けの結界」はよく行使される。


 だが結人たちは結界が有する一定以上の魔力上限より上の魔力量を持つため、結界の中に入ることが出来るのだ。


「これはクロの可能性もあります。ここは私が……」

「おい、待てよ。それなら、俺が先陣を切ってもいいぞ」

「え?」


 環菜が結界の中に入ろうとした時、結人は環菜の肩を掴んで言った。


「お、おい、葛城。先陣を切るって言ったって、中では何があるのかわからないんだぞ」


 頼孝が心配そうに言った。


「俺の実力、まだ見ていないだろ? それならある程度実際に見せた方が早いと思ってな。今後、長い戦いになりそうなわけだし、俺も他の『帰還者』とやらがどういうものなのかを知っておきたい」

「それは……。言っていることはわかりますが、危険です。魔術師や怪異ならともかく、『帰還者』だったら相手が何の能力を持っているのかわからないのですよ」

「それは俺だけじゃなくてお前たちも同じだろ。どっちみち、誰かが入らないと敵の正体も能力もわからない上に犯人だったら捕まえることすら出来ない。それに……」


 結人はそう言うと、ニヤリと口角を釣り上げて、笑みを浮かべる。


「この世界に戻ってきて本格的な実戦なんだ。貴重な人間同士の戦いだからな。肩慣らしの一つや二つぐらいはしておきたいんだよ。殺さなければ何も問題はないんだろ?」

「……!」


 獰猛とも言えるようなそんな笑みに、環菜は一瞬背筋に悪寒がはしるのを感じた。


 殺気があったわけじゃない。殺意があったわけじゃない。


“なんで、そんなに楽しそうなの……?”


 ただ、


 何も映さない虚ろな目の中に浮かぶごく僅かな、小さな光と共に浮かべた笑みには、これから殺し合いになるかもしれないというのに、楽しみに満ちていた。


 魔術師の世界でもそういう類の人間はいると聞いたことがあるが、それを目にしたこともなく、ましてやほとんど怪異を相手にしてきた環菜にとって、ほんの一瞬だけ結人が怪異なのではないかと錯覚してしまうぐらいに恐怖を感じてしまった。


「……わかりました。ですが、無茶はしないように」

「ああ。初めからそのつもりだ」


 環菜は結人に先陣をきることを許した。


 打算的な理由とかではなく、これは個人的な考え。


“私たちは、彼のことを全然知らない。今後のことを考えると、やっぱり彼の戦い方や考え方については知っておく必要がある”


 資料ぐらいでしか、葛城結人という人間を知らない環菜にとって、今回は彼の実力を知ることのできる数少ない機会であるような気がした。少しでも理解を深めなければならないような気がした。


 ……いや。厳密にはそれよりももっと個人的で、感情的な理由でもあった。


 、結人のことをもっと理解したいと感じたのだ。


「武器は持って行かないのですか?」


 環菜は結人が武器の類を持っていないことに気づいて聞いた。


「武器? ああ、それなら問題はない。武器なら、作ろうと思えばすぐに作れるからな。行くぞ」

「お、おう! 後ろは任せとけって!」


 そう言って、結人と頼孝は結界の中に入っていき、市民体育館へと近づいていった。


「……」


 結人の後ろ姿を見つつ、環菜は何ともいえない不安を胸に抱きながら、自身も結界の中に入っていくのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る