第5話 俊三(3)

 たぶん、時代がよかったのだろう。

 最初のうちは、部長に反抗したまではよかったが、やっぱり予算がなければ何もできなかった。それに、当時の携帯電話はいまのスマホと較べれば格段に幼稚だった。その携帯電話向けのサービスの開発では、できる商売は限られていた。

 それでもなんとか俺の方針を貫くことができたのはレンタローのおかげだった。

 如才のないレンタローは出世して、総合企画部というエリート部門に異動していた。

 そのレンタローが、いま、電気機器を作るのならば、企業向けであれ家庭向けであれ、通信機能の研究と試行錯誤が必須だと、強く主張してくれた。

 「試行錯誤」と言った、ということは、どうせ失敗するやろ、と思うとったということや。失礼なやつやと思う。でも、そういう「リアリズム」と、それを「試行錯誤」と表現してしまう、あえて言うとずる賢さが、レンタローの長所でもあり、「人好きのするところ」でもある。それは正直に認めよう。

 レンタローは部の意見を決められるような立場ではなかったが、幸い、総合企画部の部長がその意見を聴いてくれた。おかげで、細々ながら予算はつけてもらえた。会社のサーバーを使わせてもらえなかったときには、取引先に交渉して、そこの高機能のサーバーを安く貸してもらうこともできた。

 「左遷先」の部署だから、「こいつは見込みがない」と思われた社員が配属されてくる。したがって、部下が最初からやる気になる、なんてことはなかった。

 しかし、係の人数が少なかったことで、かえって社員どうしのコミュニケーションはうまく行った。

 俺が心がけたのは、部下の言うことを最初から否定したり、頭ごなしに叱りつけたりということをしない、ということだった。

 いや。

 できなかった。

 「心がけた」なんてりっぱなものでもなかった。

 それをやったら、現場で戦う選手たちの都合を差し置いて球団の売却を決めたあの連中と同じになってしまう。

 まちがいなく、日本社会全体のエリートであるはずの、あの連中と。

 その「球団」ということばが自分の思いのなかで湧き上がってくる寸前で止めたい。だから、部下を怒る前に、怒り自体を止めてしまう癖がついた。

 最初のころは

「おまか、そう言うけどな、それ、どんだけ大変かわかってる?」

と言っていたけれど、そのうち

「よし。それやったら、その考えを実現するにはどういうとこをクリアしたらええか、いっしょに考えようや」

と部下に言えるようになった。

 スマートフォンというものが世のなかに登場してきたとき、それまで携帯向けサービスの開発で四苦八苦し、いろんなものごとを学んできた俺のチームにはじゅうぶんな蓄積があった。

 それに対して、俺を通信事業部に「左遷」した会社にとっては、時代が悪かった。

 スマートフォンの登場と時を同じくして「リーマンショック」と呼ばれる衝撃が襲いかかった。

 経営を改善できていなかった会社はなす術なく大手企業に買収された。

 あのときの近鉄球団とは較べものにならないあっけなさだった。ファンから吸収合併反対の声が上がり、マスコミも注目する、なんて流れはカケラもなかった。業界紙の一面にすら載らなかった。経済誌は後ろのほうのページでページ半分ぐらいの記事を載せただけだった。

 そのドタバタのさなかに、俺は自分の開発チームを率いて独立した。

 その会社に、「ベーリング」という名まえをつけてくれたのはレンタローだった。

 わけがわからなかった。

 「なんでベーリングやねん?」

 そう問う俺に、レンタローは、

「世界の北のほうにある理想の街の名や。文学部で修士課程まで行った俺が言うんやから、まあありがたく受け取っとけや」

と、とても無感動に答えた。

 ベーリング海とか、「ベーリング」のつく場所は、たしかに世界の北のほうには違いない。でも、「理想の街の名」かというと、違うと思うんやけど。

 しかも、それと「文学部出身」とどう関係がある?

 わけのわからなさは解決しなかったけど、べつに対案があるわけでもなく、その名まえをありがたく受け取っておいた。

 理想の街の名をつけたからかなのかはわからないけど、ベーリング社の商売は当たった。俺を含めて正規社員七人で出発した会社は、新興のICT企業としてはそこそこ名を知られた会社へと成長した。東京に本社を構えたころ、その地域に再開発話が持ち上がり、何社か共同で都心にオフィスビルを建ててそのオーナーの一社にもなった。昔の大企業のように、あちこちに工場を建てて人をいっぱい雇う、という業態ではないけれど、そのオフィスビルのフロア三階ぶんを使う企業には成長していた。

 ところで、あの会社が買収されて消滅して間もなく、東日本大震災が襲来した。

 買収された会社に勤めていたレンタローは、被災地のボランティアに行った。

 思うところがあったのだろう。レンタローは、そのまま戻って来ず、その新しく住み着いた先で会社を立ち上げた。そして、その会社の経営は軌道に乗った。

 ガラにもなく成長企業の主になっていた俺がアドバイスをしてやったおかげ、なんて言うつもりは、本気で、微塵みじんもない。

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