第4話 俊三(2)

 しがない、しがなさすぎる、出来の悪いサラリーマン。

 あの年の俺はそう形容するしかない人間だった。

 稼いだ金は、野球を観るためと、勝利の美酒と敗北のやけ酒と、美酒とやけ酒にくっついてくるつくね串と、と、そんなものに消えてしまった。

 だから、いつまで経っても金は貯まらなかった。

 そして、経営危機というのは、売却された球団の親会社だけの話ではなかった。

 そのころ、俺は中堅クラスの電気機器メーカーに勤めていた。そのメーカーが業績不振で、大規模な社員の配置転換が実行され、俺は通信事業部に回された。

 いまでこそ通信事業部に配属されたらだいたいは栄達だと思ってもらえるだろう。

 また、そのころだって、IT企業が社会を牽引する時代の到来の予感はあった。それは、その経営危機で手放されそうになった球団を、当時の新進IT企業が買収しようと名乗りを上げたことからもわかろうというものだ。

 しかし、俺の勤めていた体質の古い中堅電機メーカーでは、通信事業部というのは左遷先だった。

 年功序列というのか、就職してからの年数のおかげでいちおう「係長」という肩書きはもらい、部下も与えられた。でも、会社は数年内に通信機器から撤退し、事業部と道連れに、俺も部下もリストラできれいに片づけてしまう。そうなるのは目に見えていた。

 そんな俺に、「なにくそ根性」とかいうものが芽生えた……。

 ……ということに、俺の周囲ではなっているらしいが、そんなことは一ミリの一千分の一もなかった。

 ただ、野球に金も時間も使わなくなって、何をしていいかわからなくなっていただけだ。

 それで、やることにない部下たちにアイデアを出させて、携帯電話向けのサービスというものの開発を始めさせた。

 反骨精神とか「なにくそ根性」とかいうものがもし芽生えたとしたら、それは、部長に呼び出されて

「係長の分際で、何をよけいなことをやってるんだ!」

と頭ごなしに叱られたときだった。

 それが、あの騒動のなかで、ある「」な球団のオーナーが言ったことばと重なった。

 しかし、そのときでさえ、部長に対する反骨、というよりは、その連想で自分が野球のことを思い出してしまう、封印を解いてしまうことが恐ろしい、という気もちのほうが先に立っていた。

 「やりますよ」

 俺はなまいきに、そしてできるだけ落ち着いて部長に言い返した。

 「いまの時代に、携帯アプリの開発もやらないで、何の通信事業部ですか」

 そう言い返されて、部長は

「そう見栄を張っても、予算なんか一銭もやらんぞ。イキがってみても予算なしでは何もできまい」

と言って、にたーっ、と笑った。

 サディスティックな笑いというのはこういうのを言うのだ、という見本のような笑いかただった。

 「やりますよ」

 俺は繰り返した。

 「ゼニやないんです。社員の志なんです、必要なんは。こんな問答してても時間のむだやから、持ち場に戻ります」

 落ち着いてそう言い捨てて、俺は部署に戻った。

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