白百合の記憶

JunMike

白百合の記憶

 車は国境を越え、王国軍が演習している地域に入った。実戦を想定した訓練らしく、絶え間なく銃声や砲声が聞こえてくる。

 道の脇に白百合が生えている。

 白百合。彼女はなつかしい思いをはせるが、今は皮肉めいたもののように感じられた。

 車は一つの建物の前で止まった。それは、大きいとも小さいとも、新しいとも古いとも言えない見た目をした宿だった。王国軍が一時的に接収し、演習司令部としているらしい。

 入り口には忌々しい王国の旗が翻っている。

 中に入ると、従兵に二階の一番奥の部屋に案内された。

 従兵がノックする。深呼吸し、部屋へ入る。

「閣下、お連れしました」

「ご苦労。下がりたまえ」

「はっ」

 ギィーと嫌な音を立ててドアが閉まり、部屋に沈黙が舞い降りる。演習の音だけがかすかにこだましてくる。

「少将殿。ご足労に感謝する」

「……」

 逆光となり、顔は見えにくいが、その声は間違いなく彼女の記憶の奥深くと共鳴していた。

「一五年物のウイスキーはいかがですか?」

 トクトクとウイスキーが注がれたグラスを差し出してきた。

「……」

 彼女は無言の拒絶と圧を示す。

「…………この会談は非公式だ。如何なることを話したとしても、記録には残らないし、世間に出回ることはない」

「……説明を願おうか?」

 相手は動揺もなく、ウイスキーの入ったグラスを見つめている。

「なんのことだ?」

「我が国の皇太子暗殺事件。あれは間違いなく————!」

「あれはもう片がついたのでは? 確か、国内の過激派による陰謀。犯人は既に秘密警察によって拘束され、大逆罪で銃殺だろ?」

「それは表向きだ。あれは間違いなくプロの動き。しかも、現場に残されていた銃弾の破片には王国の紋章が入っていた。わざわざそんな銃弾を使うのは王国の近衛師団か特別憲兵隊だけだ。そして、そのどちらも貴様の傘下にある! 皇太子暗殺は貴様の筋金か!?」

「……だとして、どうする」

「だとすれば——」

 彼女は腰へ手をやり——

「——私の手で貴様を葬り去る」

 ——拳銃を抜き出した。

「いいのか? 我が軍は国境一帯に五十万の兵力を集結させて“演習中”だ」

「たとえ、この引き金を引くことが、戦争と同義であったとしても、私は貴女を殺す」

「ふふ、そうか。その顔は復讐の顔であり、思い人を想う顔だ。悲しいな。身分の差とは。せめて第三皇子ぐらいであれば可能性はあったか……」

「黙れ……」

「そして、車に同乗していたお前が自ら負傷を追いながら皇太子を救い出す。悪くないシチュエーションだな」

「黙れ……!」

 段々と語気が強まる。

「私が死んだ瞬間、我が軍は帝国領へ侵攻を開始する。貴様の引き金と指先には、帝国市民四千万人の命がかかっている。たった一人の女性の今亡き男に対する想いに、それだけの無垢な人間を巻き込むのか? そのようなことを皇太子が望んでいるのか!?」

「ッ…………」

「こっちにこないか?」

「……!?……」

 彼女の問いかけに、彼女は驚くほかなかった。

「私は今の任務が終われば軍を辞める。あんなくそったれな国とはおさらばする。どこか、平和な国で静かに暮らすつもりだ。一緒に来ないか?」

 その微笑みは、裏も表もない。純粋なる優しい笑みであった。かつて、彼女が見ていたものと同じように。

「……」

 心が、揺れている。

「きっと感じていたはずだ。皇太子を思うときも、何か心のどこかで違和感を! ぬぐい切れない焦燥感を!」

「……ッ……」

 否定できない。そんな思いが彼女を堂々と巡る。

「お前も嫌気がさしているだろう? 帝国に。圧政に苦しむ国民を知っておきながら、見て見ぬふりをする皇帝一族、官僚、高級将校。そして、わたしたちを引き裂いた帝国そのものを!

 憎むべきはわたしではない。

 確かに、あの皇太子は改革派だったな。立憲君主制の強化、減税、軍縮、旧領返還。しかしな、知っているか? 改革派もまた既に腐ってしまっている。あの言葉は国民を騙すプロパガンダ。議会で第一党になり、皇太子を利用して政治を牛耳ろうとしているんだ。彼のほかに皇帝一族に後継ぎはいない。死んだのは残念だったな」

 フッとあざ笑うように彼女は笑った。

「貴女は何も思わないの? かつての故郷のことを。あの日、帝国と王国に占領された故郷を。貴女は同じことを繰り返している。そのことを何も思わないの!?」

「全ては君のためさ」

「えっ……」

「あの日から一五年。君のことを想い続けてきた。この一五年間、君を想わない日はなかったよ。歴史から消されたあの国がまだ残されていれば、わたしたちは今頃一緒になっていたかもな。……帝国は後継ぎ争いで間もなく崩壊する。王国も似たようなことになる」

「あなた……、一体何を……!?」

「復讐だよ。わたしたちを引き裂いた帝国と王国に対する。わたしは王国市民に、君は帝国市民にさせられた。負け犬のレッテルを貼られ、敗者と弱者の立場に置かれたわたしたち。今、帝国と王国を滅ぼし、復讐を成し遂げる。おそらく、一か月以内に帝国と王国は開戦し、両国とも内戦状態に陥り、周辺国も参戦する大戦争となる。君に残された選択肢は二つだけだ。わたしを撃って殺されるか、わたしと一緒に行くか。さあ決めろ! 狂気の幕が開ける前に! 過去にしがみついても、過去が戻ってくることはない! 決めろ!」


 翌日、王国軍は演習の終了を宣言して国境地帯から撤収した。

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