人食いダンジョン


 旧神殿は街から南西に広がる森を抜けた先にあった。森は湿地帯でぬかるみ足場が悪いのでオレアンダーが呼び寄せた大鷲に乗って目的地を目指していた。

「ファフニールか、厄介そうだし俺の魔法だと相性悪いんだよね。なんとかなるとは思うけど」

「ああ、火を吹くからか」

オレアンダーが主に使う術は花葉術のようだし、火を吹く相手には確かに相性が悪い。

「君さ、ダンジョンの抜け道とか知らないの?結構距離があるよね」

「…ごめん。あまり情報には詳しくないんだ。友達とかもいないし」

クシェルの言葉にオレアンダーは目を丸くする。

「え?君、一人も友達いないの」

 気まずそうにクシェルは頷いた。それなりに寄ってきてくれるギルドメンバーもいたが、オメガであることの露見を恐れたクシェルは軒並み人を遠ざけ続けた。そして気づけば孤高の狩人と呼ばれ遠巻きにされるようになっていた。

「それになんであんなボロボロな格好してたの?余計友達できないじゃん」

「弟がオメガとバレたくなければそうしろって」

「ああ、なるほど。整えたらちゃんとオメガっぽいもんね」

 オメガはアルファとの繁殖目的で作られた性だ。繁殖を促すために誘惑香を放つが、それだけではなく見た目も中性的で、男女どちらからも好まれるような容姿の者が多い。これは魔法による遺伝子操作のためだ。

 クシェルにとって弟のノアはオメガらしく可愛い見た目をしているが、自分は当てはまらないと思っていた。目も猫のように釣り上がっているしその上目つきも悪い。ノアがあまりにうるさいので言う通りにしていたが、オレアンダーの発言を聞く限り言う通りにしておいて正解だった様だ。

 さすがはノアとクシェルは心の中で自慢の弟を褒めた。

「弟はいつかオルヒデーエで一緒に暮らそうって。昔からの二人の夢なんだ」

ノアのことを話しているとクシェルは自然と頬が緩むのを感じた。ノアの学費のためにも頑張らなくてはと改めて気合を入れ直した。

「…そう」

 その様子を複雑そうな表情をしたオレアンダーにしげしげと見つめられ不思議に思っていると目的地の旧神殿の入り口の祠が見えてきた。クシェルは声を上げ指さす。

「あそこだ」

オレアンダーが口笛を吹くと大鷲は身体を急降下させた。


 二人で地下迷宮に足を踏み入ると、言い知れぬ不気味な空気が漂っていた。

 地下へと続く階段の隙間にはびっしりと苔が生え、長年手入れされてないことが見て取れた。下るとヒヤリとした風が吹いた様に感じた。夏の終わりだと言うのに肌寒いほどだ。辺りはカビ臭くクシェルは思わず顔を顰めた。

 クシェルはじっとりと手のひらに汗をかいていることに気づく。

こつりこつりと足音を反響させながらクシェル達は道を進む。

「暗いね」

 オレアンダーが杖を振ると人魂のような炎が灯り中に浮いた。

途端に神殿のモチーフらしき彫刻が浮かび上がる。

 口を大きく開けた原始的な得体の知れない何かを目の当たりにし明るくなった筈なのに不気味さが増したようにクシェルは感じた。

 石室でできた神殿の成れの果てが今日のこの世界の地下迷宮といわれている。

 魔法が世間一般に知らしめられると同時に人々の神への畏敬は廃れ、この有様となった。一部怪談伝説的に地下迷宮の魔物達は零落した神の成れの果てだと言われてたりもする。

 周囲に注意し伺いながら進むクシェルだった。周りからはザワザワとした魔物達の気配を感じとり剣を握った手にも汗が滲み出てくる。やはり他のダンジョンで感じる雰囲気とは圧倒的に違った。

 しかしオレアンダーは特に気にした様子もなくスタスタと進んでいってしまう。この男はアルファなだけあって怖いものなしなのかもしれない。呆れ半分関心半分でその背中を見ていると彼がこちらを振り向いた。

「ん?ビクビクして、そんなに怖いの?」

「警戒してるんだ!」

 間髪入れずにクシェル答える。

どんな凶暴な魔獣が飛び出してくるかわからないのだ。身構えない訳はない。

「ほら」

突然オレアンダーは手を差し伸べてくる。

「へ?」

 意図がわからず目をぱちくりさせていると彼はクシェルの空いている手を掴み、そのまま奥へと進み始めた。

「お、おいっ、こんな所で」

「勘違いしないでよ。番がビクついてるとこっちも不安定になるんだから。しっかりしてよね」

 番契約を結ぶと互いの精神にも影響を及ぼしあうことがある。彼の言葉を借りればこの行動も「医療行為のようなもの」なのだろう。

 ダンジョンの中で男と手を繋いで探索することになるとはクシェルは夢にも思わなかったが。しかし番からの接触のせいか確かに気持ちは少しずつ落ちつき始めた。

 思っていたよりも大きな彼の手に包まれ、じんわりと体温が伝わってくる。それに心地よさを覚えクシェルはあらためて番の本能を呪いたくなった。


 順調に進んでいくもオレアンダーが声を上げた。

「気持ちは落ち着いてきたみたいだけどなんかぎこちないというか。君、手を繋ぐの下手じゃない?」

 そもそも手を繋ぐのに上手い下手なんてあるのだろうか。疑問に思うもクシェルは彼の言葉を流した。

 クシェルはオメガであることの露見を恐れ、人を避けて続けてきたためそのせいで他人との触れ合いがぎこちないのかもしれない。

「まあ、誰かと手を繋ぐなんて弟の小さい頃以来だからかもな」

「え?」

 オレアンダーは目を見開いたかと思うとこちらへ向きながらしみじみと呟いた。

「…君、モテないんだね」

「悪かったなぁ!」

 憤慨したクシェルは彼の手を振り解くとそのまま距離を置き、むくれる。しかし途端にクシェルの足元からめきりと何かが崩れる様な音を立てた。

「なっ?」

「あ、トラップだ」

 呑気なオレアンダーの声が聞こえた途端に床がくずれ突然の浮遊感が体に伝わってきた。クシェルが咄嗟に何かを掴もうと手を伸ばしたが時すでに遅し。

「わぁぁぁっ!」

 キョトンとしたオレアンダーに見下ろされたままクシェルは落とし穴から奈落の底へと突き落とされてしまった。


「うっ、わっ」

 浮遊から叩きつけられることを覚悟したが、背に感じたのは思ったよりも柔らかくしなやかな感触だった。下を見ると草や花が緩衝材となってクシェルを庇ってくれた様だ。恐らくオレアンダーの魔法だろう。

「た、助かった」

ため息をつき、クシェルは体制を整えるも、暗闇に包まれていることに気付いた。

オレアンダーとも離れ離れになってしまったようだ。辺りの様子もわからず想定外の災難に見舞われクシェルの心に焦燥感が募る。


 突然ゴオッと何かが燃える音が背後からし振り向くと壁に付けられていたらしい松明が次々と灯りを灯された。どうやら魔法がかかっているようだ。

 クシェルは急な眩い明かりに目がくらんだ。

「なん、だこれっ」

そこは大広間の様な場所だった。中央部に祭壇のようなものがあり昔はここで儀式を執り行われていたのだろうか。天井が高いようで、思ったより声が辺りに反響した。

 しかしクシェルが声を上げたのはその周りに散乱するものの異様さのためだった。あらゆる種類の骨が山積みになっているのだ。

獣、魔物、中には明らかに人骨と思われるものもあった。

 クシェルは思わず身を震わせた。

──どんな化け物がこれを食べたんだ?

 刹那、背後の石壁がメキリと音を立てたかと思うとそれは姿を現した。巨大な何かが勢いよくクシェル目掛けて飛び出してくる。クシェルはすんでのところで身を翻し膝をつくも、全身から冷や汗が吹き出るのを感じた。

「なんだ!?」

 揺れた石床と轟音に怯え、小さな魔物たちが一斉に逃げ惑った。辺り一体に砂埃が舞う。

 クシェルは目をこらすとやがて砂埃が晴れてきた。そこには底なしの沼思わせるような黒の巨体に、視界を覆うほどの翼を広げた禍々しい邪竜、ファフニールの姿を捉えた。ぎくりと背筋に冷や汗が伝いクシェルの身体は凍りついたように動かない。

「…最悪だな」

 クシェル自身もファフニールの幼生体と一回やり合ったことがあるが、それでも凶暴な怪物だった。結局深手を負い命からがら逃げてきた過去がある。目の前のモンスターはどう見ても成体で平均より大柄だった。

とても手に負える相手ではない。クシェルは逃げるが勝ちとばかりに広間を疾走した。

「グオオオオオオオオオ!」

ファフニールが大口を開け、執拗に追いかけてくるクシェルは中々相手を撒くことができずにいた。

 無我夢中で逃げ、ハッとした時にはすクシェルは冷静さを欠いた己に思わず舌打ちをした。足がもつれそうになりながらも駆け続けている。さらに運の悪いことに揺れのせいで砂埃まで立ち込めてきた。

 目を瞬かせながらどうするかと必死にクシェルは思案するもあることに気づいてしまった。前方の砂埃薄くなると、目の前に無情にもそびえ立つ巨大な壁が広がっているのが見えた。

「・・・万事休すだな」

 クシェルは崖のような壁を背にするとファフニールに向き直った。正直お手合わせしたくないところだが、そうもいかなさそうだ。

 ジリジリと寄ってきたかと思うとファフニールが大口を開けクシェル目掛けて食いついてきた。

 飛び上がり避けるとクシェルは素早く腰の剣を引き抜いた。途端に鈍色に光る鋭い剣先を見てファフニールが唸り声を上げ少し怯んだ様に見えた。クシェルはその瞬間を見逃さなかった。

「おらっ!」

 ファフニールの腹部へと容赦なく叩き込む。

クシェルは短期決戦に打って出た。ヒート直後の今の体の状態では長時間は戦えない。相手に避けられても攻撃は最大の防御とばかりに何度もめげずに切り込んだ。

「グギャアアア!!!」

 しばらくするとクシェルの剣がファフニールの腕を掠め、耳をつんざくような咆哮が上がる。

 動きを止めたファフニールに止めとばかりにクシェルは剣を突き立てようとした。しかし悲劇が起こった。

「え?嘘だろ」

 突如手元の剣が折れてしまった。大蠍とやり合った時に嫌な音がしたが、その時にはすでに欠けていたのかもしれない。こんな形でオレアンダーの気遣いが裏目に出るとは思いもよらなかった。

 クシェルはやむを得ず魔法を発動させようと呪文を唱えるも、やはりうんともすんとも言わない。ヒート直後のせいで魔法が使えないのだろう。

 殺気を感じクシェルが顔を上げると、ファフニールが大口を開け炎の塊をクシェル目掛けて噴き出した。発動しない魔発に気を取られる間に隙をつかれてしまった。

クシェル慌てて転がり、退避する。たちまち炎が辺りに広がり背に灼熱を感じた。

 ふと背後を見遣るとまるでゆっくりと獲物を追い詰めるように、そこまで邪竜が迫ってきていた。そのギラギラとした金の瞳はどこか楽しげで爛々と光っている。

絶体絶命だ。

「くそっ」

 なんとか一矢報いたい。苦し紛れの一撃とばかりにクシェルが拳を振り上げたその時だった。

「君、結構やるじゃない」

 突然楽しげな声がクシェルの耳元を掠めたかと思うと同時に首根っこを物凄い力で引っ張られた。

「グエっ」

 締まった首のせいで、クシェルは潰れたカエルの様な声を上げた。察したオレアンダーが体制を変えるとそのまま小脇に抱えあげられた。

 オレアンダーは石壁を蹴り上げると、宙に舞い、二人は禍々しいファフニールを見下ろす形になった。

 ギロリと金色の不気味な瞳と目が合った。

「デカいね、こいつの目玉を君一人でとれなんて意地が悪いよね」

所謂S級モンスターを目前にしてもオレアンダーは焦るどころかギルド長の悪口を言うばかりだった。

「今そんなこと言ってる場合かよ!」

一方命の危機に瀕していたクシェルはそんな悠長な彼が信じられずに声を上げる。

「まあギルドではままあるよ。こういういじめ」

訳知り顔で嘯くオレアンダーにクシェルは思わず噛みついた。

「は?そんなのそいつはどうなる?」

「ギルドでの居場所はなくなるよね。まあ一人くらい喰われればこの子もしばらく大人しくなるんじゃない?」

 しかしオレアンダーはファフニールの攻撃を軽くいなしながら特に気にした様子もなくサラリとのたまう。

「いや、冗談、だろ?」

恐ろしい会話をしていると背後から雄叫びが上がった。

「グォォォォ!」

 腕を切りつけられ激昂したファフニールは二人を追い詰めようと執拗に追いかけてくる。

クシェルは振り向き顔を引き攣らせるも、オレアンダーは眉ひとつ動かさない。

「俺はそういうの好きじゃないなあ。そもそも生き物をいたずらに狩るのも美学に反するよ」

 そう呟くオレアンダーが意外でクシェルはその顔を見上げる。すると突然オレアンダーは足を止めた。

「それにしても埒があかないね。そろそろ鬼ごっこも終わりにしようか」

「いってぇ!」

 クシェルは身体をその辺に乱暴に転がされたかと思うとオレアンダーが地に手をつき呪文を唱え始めた。

 魔法陣が現れカッとと光るすると辺りに美しいアルラウネ達が現れた。

 彼女達はオレアンダーとクシェルを囲うように立つと美しい声で歌い始める。すると花々が咲き誇り、花粉が舞い辺りは霞がかかった。

「けほっ、なんなんだ。目眩しか?」

 大量に振りまかれる花粉にクシェルは思わず咳き込んだ。

しばらくすると空間は嗅いだこともないような不思議な香りでいっぱいになった。

ファフニールは狙いを定めたかのようにこちらへ突進してくる。

「どうするんだ!その魔法じゃ不利だぞ」

「いいから息を止めて」

「むぐっ!」

 クシェルは後ろから伸びてきた手は有無を言わせず口を塞がいできて息を詰めた。

 牙を向いて襲い掛かろうとするファフニールで視界が一杯になる。クシェルは衝撃に備え目を閉じ身を固くした。

 しかし途端にズシーンと大きな音を立てて何かが崩れるような音がした。

恐る恐るクシェルが目を開けて見ると、そこにはファフニールが地響きの様ないびきを立て寝入っていた。

「…え?寝てる?」

「目玉とるなんて可哀想だからね」

 オレアンダーはボストンバッグを取り出すとに口を開けたまま床に置いた。

 息を吹きかける様な仕草をすると途端に竜巻の様な風が起こる。風がファフニールの身体に巻きつくとバッグの中へと吸い込まれていった。

「マジックバッグはこういう時に便利だね」

オレアンダーはのんびりと満足気に呟いた。魔法のかかった鞄はどんなものでも入ると聞いていたが、クシェルは初めて見たので目を丸くした。そもそも生き物を入れる仕様になっているのかは不明だが。

「…お前、一体何個エレメントの契約をしてるんだよ」

 言いたい事は山ほどあったが、クシェルの口から溢れ出たのはその一言だった。

 魔力を有した者は火水土風のいずれか一つのエレメントを持って生まれてくる。大概は些細な魔法を使えるくらいに止まることが多いが、例外もいる。オレアンダーはその例外に含まれるのだろう。クシェルの認識ではそうだった。

 そしてこの世に生まれ落ちた後、他のエレメントを習得する事は可能だが、それには努力、能力を求められるらしい。

生まれ持ったエレメントと相反するものを手に入れるのは中々困難だと聞くが。

「まあ、魔術師ですから」

 なんでもないように笑うオレアンダーだった。

しかし、恐らく四つのエレメント全てを操るためには並外れた修行が必要だろう。

 彼は決して悪人ではないのだろうが。改めて目の前の男の謎の多さにクシェルは複雑な気持ちを抱えた。

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