オメガとして生きること

 「あいつオメガだったんだな」

 ヒソヒソと囁き合う声がそこかしこからクシェルの耳に入った。

 ギルドに入ったクシェルを迎えるのは殺気立つような視線だった。

刺々しい鋭い視線を受けまさに針の筵だ。

オレアンダーはギルド関係者ではないので外に置いてきたがやはり正解だった。仮といえど自分は彼の番だ。しかも番になったばかりのためより本能的になっている。なのでクシェルに批判的な人間に何をしでかすかわからないからだ。

 奥の受付ではライナがこちらを心配そうに見つめていた。

 ふと彼女に気を取られているうちに、体躯のいい二人のアルファの男がこちらへ詰め寄ってきた。二人ともその表情は険しい。

「お前がヒートになったせいで巻き込まれて死にかけた。無責任なんじゃないのか?」

「嘘ついてまでギルド所属するなんて、気がしれない」

 さっきの狩場で巻き込んでしまった二人らしい。自分の不注意のせいで彼らを巻き込んでしまったのには変わりはない。クシェルは二人に深々と頭を下げた。

「…ヒートに巻き込んで申し訳ないです」

 揉めている三人を見て騒ぎが大きくなり始めたギルド内だったが、突然静寂が訪れた。

「騒がしいな。何があった?」

よく通る低い声が室内に響き渡る。

「…ディーターさん」

 ディーター・バルトはこのギルドの長だ。

年齢は四十代前半くらいだろうか、ガッチリとした長身の体型をしており前髪を後ろに撫でつけたグレーの髪にブラウンの瞳は険しく光っている。

 この街の数少ないアルファの一人で、以前は宮廷魔術師として働いていた実力者らしい。都市部にいたエリートなので尊敬の眼差しで見られることも多いがその実、悪い噂の絶えない男だった。

 クシェルのヒートに巻き込まれた二人が端的にことのあらましを説明する。

 途端にディーターの額に青筋が張った。

「第二性の不正報告は言語同断だ。即刻ギルドを追放とする!」

「申し訳ありせんでした。でも、どうか待ってください!」

 凄まじい剣幕で怒鳴りつけられるも、怯んでいる暇はない。ここを追い出されては稼ぐ術がなくなってしまう。クシェルは膝をついてディーターへ縋った。

 騒ぎに野次馬が周囲に集ってくる。

「うっとうしいぞ」

ディーターは舌を打つ。クシェルはギルドの職員たちに引っ張られると談話室へと押し込まれた。

 ディーターは額に青筋を張らせたままソファーにふんぞり返って座り込んだ。彼の傍にクシェルは立った。

「貴様がオメガなら不正に高額な報酬を受け取っていることになる。速やかに返金しなさい」

「なっ」

 第二性の違いで貰える報酬に差があるのはいかがなものか。しかしクシェルはその言葉を飲み込んだ。元はと言えば不正に申請した自分が悪いのだから。

「…差額はいくらですか?」

 急な展開に平静を装うとするもクシェルは混乱で声が震えてしまう。

 ディーダーがギルドの職員に声をかけ、差額計算させているのが窺えた。しばらくすると職員が一枚の紙を彼へと渡した。

「五万ベルだ。ギルドへの慰謝料も含まれている。明日の夕方までに用意しろ」

「そんな…」

「なんとか、なんでもしますから返金の期限を伸ばしては頂けませんか?」

クシェルは膝をつき情けを求めた。

 途方もなく高額な金銭要求に、クシェルは頭が真っ白になってしまう。クシェルは十五歳からギルドで仕事を請け負っているせいもあってかその額も予想以上に跳ね上がってしまったのだろう。

「そうだなぁ。一つチャンスをやろう」

 その言葉にクシェルが弾かれたように頭を上げるとニヤついた顔のディーターと目が合った。

「南西の旧神殿…地下迷宮のファフニールの目玉を持ってこい。新鮮なものをな。期限は今日の深夜までだ。なんなら生捕りでもかまわないぞ」

 その言葉にクシェルは絶句した。

「南西の旧神殿って…」

 通称人食いダンジョンと呼ばれこの辺の人間は近寄らない猛獣の棲家だった。

 そしてよりによって対象はファフニールだ。邪竜と言わしめるほど気性は荒く知性も高い。討伐ランクとしてはSランクだ。Bランクのクシェルでは到底敵わないだろう。それをわかってディーターも嫌がらせまがいのことをするのだろう。彼のオメガ嫌いの噂を小耳に挟んだことがあるが本当のことのようだ。

 固まったまま押し黙ってしまったクシェルをディーターは嘲笑った。

「出来ないなら、その身体を売って貰うしかないな」

「え?」

 クシェルはディーターの発言の意図が本気でわからずに一瞬固まった。

「まあ、そんななりでもオメガというだけでみんな面白がるからな」

「それはどういう…」

「せいぜい身綺麗にしておくことだ。娼館の責任者にも声をかけておく」

 ディーターは踵を返すとクシェルに一瞥もくれずに奥の執務室へと戻っていってしまった。


 クシェルは気づいたら、ギルドの外にいた。衝撃が大きすぎたのかどうやって出たのか記憶が曖昧だった。とにかく鉛を飲んだように気分はどん底だ。

 外で待機していたオレアンダーが音もなく傍に寄ってきた。

「どうだった?やっぱりあの時のびてたアルファ君達にチクられちゃった?」

 クシェルは黙ったまま力無く頷いた。

「その様子だともしかしてギルド、クビになっちゃったの?じゃあその辺で獲物を狩って闇市に流そうよ」

 クシェルがこの件でなんらかの処罰を受けることは彼も予想していたらしいが、まるで大した事のないように軽く彼は言う。その上違法行為スレスレの次の算段も考えてくれていたようだが、それどころではなくなってしまった。

「…いや明日の夕方までに五万ベルを払えってギルド長に」

 喉がはりついたようにうまく声が出ない。クシェルの口から出たのは思いのほか情けない声だった。

「へぇそりゃまた大金だねぇ。慰謝料?まあ君嘘ついちゃったし仕方ないね。でもさすがに急すぎない?」

「ああ、出来ないなら今日の夜中までにファフニールの目玉を持ってこいって」

「なに、その度胸だめしみたいなの。どちらも出来なきゃどうなるの?」

「…娼館の責任者に話がいくらしい」

 言いにくくてオレアンダーの目を見ずに小声で言うと途端に沈黙が落ちる。

「…へぇ」

 オレアンダーは口元に笑みを浮かべたままだが、右手に持っていた長杖がミシリと音を立てた。かなり強く握っているようだ。

ギョッとしてクシェルは彼を凝視した。仮でも彼と自分は番同士なのでやはり不快に感じるのだろうか。

「君のところのギルド長、面白いねぇ。君はうちの被験者なのにねえ」

「いや、面白いって思ってないだろう絶対」

 すかさずツッコミをいれるクシェルをオレアンダーは無視し、そのまま歩き始めた。

 どこへ向かうというのだろうか。クシェルがぼんやりと見つめていると彼は振り返りその端正な顔を顰めた。

「何してるの?ほら、時間がないから早く行くよ」

「…どこに?」

 まさかギルド長を殴りにでもいくのだろうか。さすがに止めなくてはと思うも彼の口から出た言葉は予想外のものだった。

「何言ってるの?ファフニールの目玉を取りにだよ」

 呆れたような表情をすると焦ったいとばかりに肩を叩いてきた。

「いや、あんたがすごい魔術師なのはわかるけどあの地下迷宮はさすがにやばいって」

 しかし件のダンジョンは遠方から腕の立つ猛者が腕試しでやってくることもあるがそんな者たちでも無傷で帰ってくる者は殆どいない。

「ベータと偽ったってBランクまで昇級するってことは君はそれなりに実力があるんでしょ?」

「なんだよ急に」

 クシェルは目を丸くした。今まで貶されることばかりだった相手が急に肯定的な評価をすれば誰だって驚くだろう。

 そしていつも美形ながら胡散臭い笑みを浮かべていた彼の顔は思いのほか真剣で、クシェルはハッとさせられた。

「オメガってだけで、そんな理由で馬鹿にされて足元見られて。君、悔しくないの?」

「…悔しいよ、悔しいに決まってる」

 クシェルは唇を噛み締め握りしめた拳を震わせた。オメガとして生まれてきてここまでやりきれない気持ちを抱えたのはきっと初めてだろう。そう自覚すれば何糞という気持ちが少しずつ湧いてくる。クシェルは胸の内に闘志の火種が灯るのを感じた。

「いい表情じゃない。ついでにソイツの鼻を明かしてやろうよ」

 普段の綺麗な顔のままちょっと悪い笑みを浮かべているオレアンダーと目が合った。クシェルの気持ちの変化を読み取ったのか実に楽しげだ。琥珀色の瞳がまるで良くない悪戯を考えている子供のように怪しげな光を放つ。

「俺は嘘つきも嫌だけど、意地くそ悪い奴が一番嫌いなんだよね」



「それにしてもそのギルド長、アルファの風上にも置けないよ」

 ダンジョンへと向かう道中、珍しくオレアンダーが吐き捨てるように言った。ディーターのことを嫌悪しているようだ。

「アルファ同士なんだから仲間意識とかないのか?」

 クシェルが不思議そうに訊ねるとオレアンダーはあからさまに顔を顰めた。

「そんなのと一緒にされたら困るよ。たまにいるよね、ゴロツキのアルファって」

「ゴロツキって」

「どうせ左遷か犯罪起こしてここまで流されたんでしょう?」

 オレアンダーの発言は辛辣だが、あながち的外れではないだろう。実際ディーターは悪い噂が絶えない。

「アルファの中にも序列なんてあるのか?」

「あるね。アルファ同士で血を繋いできたのはやっぱり違う」

 アルファの中でもさらに頂点に位置する者は違うようだ。初めてオレアンダーに会った時本物は違うと思い知らされた。

 都市部に移り住んでいる弟のノアからもそんな存在がいると聞いたことがあったが。ディーターやギルドのアルファ達もまるで違ったのは衝撃的であった。

「お前もそうなんだよな」

「…まあね、第二性としては純血種だよ」

 歯切れの悪く含みのある言い方にクシェルは少し気になったがそのまま話を流した。

「アルファなんだから人より器用なのは当たり前。特権や優遇を受けやすいんだ。その分人の役に立たなきゃいけないと思う」

「アルファだって人間だろ?そこまでしなきゃならないのか?」

 なんだか疲れそうな生き方だ。クシェルにはわからない感覚だった。アルファというだけでこの田舎ではかなり持て囃されるが。しかしオレアンダーにとっては価値のないことなのだろう。

「少なくとも俺の周りのアルファ達はそれぞれ誇り、使命感や志を持って生きている」

「そうか…」

 クシェルは彼らアルファが能力の高さからふんぞりかえって特権を思うがままに使っているだけかと思っていた。しかし想像と違い厳格なアルファも少なくないようだ。

 この話は終わりとばかりにオレアンダーが突然手を叩いた。

「さあ、これからダンジョンへ行くんだ。君は装備もボロボロでしょ。怪我されたら堪らないよ。ついでにその薄汚い格好をまともにしなきゃね」

 オレアンダーが指を鳴らすと途端にクシェルのローブや身につけている物が新品に変わった。

「わっ、なんだこれ」

伸ばし放題で目が隠れるほど長かった髪の毛も短くなっている。鏡では見れないが恐らく整えられているのだろう。前髪も短くなり途端に視野が広がる。

 クシェルは被っていたフードを脱ぐと頭をその手で撫でつけた。

「おーすごいなぁ。ありがとう」

クシェルは一度だけ振り返り、オレアンダーに礼を言う。

「剣は使い慣れたものがいいだろうから、そのままにした…」

 背後から聞こえてくる声が言葉が不自然に途切れた。クシェルは不審に思いもう一度振り返った。

 彼はフードを脱いで露わになったクシェルの顔を初めて見つめて固まっていた。

「な、なんだよ」

 あまりの凝視にクシェルが狼狽えると、突然ガッと両頬を手で掴まれてそのまま長躯を折り顔を近づけられる。憎らしいほど端正なオレアンダーの顔立ちが言葉通り目と鼻の先までクシェルに迫る。

 しかしその美貌には困惑の色が浮かぶものの、同時に鬼気迫る空気を感じクシェルはたじろいだ。

──嘘だろ、え?キスされる?

 せいぜい我慢できるのは抱擁までだ。

というかそれ以上してしまえばもう取り返しがつかなくなる様な気がする。

 抑え切れぬほど不安になり、クシェルはこれでもかと首を振りたくって抵抗した。

「まさか、何を!?うぎゃっ、痛い!」 

一方ムッとした表情のオレアンダーは微動だにせず、両頬をつねってきた。

「もう違うって、勘違いしないでよ。はいはいよく見るとオメガっぽい綺麗な顔してますねー。まぁでも俺、少年趣味じゃないから」

 軽口を叩くもののオレアンダーの表情は気のせいかまだ少し固いように感じた。

「少年って、悪かったなぁガキ臭くて」

 童顔と言われ舐められることは確かに多かった。しかし御年二十三歳となる青年に向かって少年呼ばわりとは。馬鹿にしているとしか思えずクシェルは憤慨した。

「ねぇ…君、もしかして素手で熊を倒したこと、ある?」

「…はあ?」

 先ほどまでの飄々とした態度とは打って変わってオレアンダーの恐る恐ると言った感じの物言いとその唐突過ぎる質問に思わずクシェルはポカンとしてしまう。

 確かに以前クシェルは遠方で狩をしている最中に武器を全て破損させてしまったことがあった。その帰りの道中、熊に遭遇し死闘となった。魔法に自信がないクシェルだが体を鍛えることは怠らなく、そのおかげか巨大熊と拳でやり合って相手を捩じ伏せ生還を果たした過去があったのだ。

 しかしそんな話は弟のノアにしかしたことがなかったはずだったが。クシェルは首を傾げた。

「へ?あ、ああ間一髪だったけどな。というかなんでそんなこと知ってるんだ?」

「仕送りってさっき言ってたけど。君の弟って、どこに住んでるの?どこに進学してるの?」

 クシェルの問いかけが聞こえないのか、答える気がないのか彼は更に畳み掛けてきた。その勢いにクシェルは仰反りそうになる。

「…オルヒデーエのエゼル大学だけど。それが?」

 そう答えた途端オレアンダーは目を覆い天を仰いだ。

 五歳下の弟のノアはこの国の中でも屈指の都市部オルヒデーエに住み、名門エゼル大学で魔法の研究をしていた。

「大学、弟、熊殺し…えー嘘でしょ」

 オレアンダーは顔を青ざめせぶつぶつと独り言を言いながら、頭を抱えている。

 もしかしたら熊殺しという言葉が地雷なのだろうか。確かに側から聞けば物騒だが、クシェルにとっては生きるか死ぬかの極限状態だった。

 しかし目の前の男はこれまでのやり取りからそんなことで取り乱す様な繊細な人物ではないと思われたが。一体何が彼をそんなに狼狽えさせているのだろう。

クシェルには皆目検討がつかなかった。

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