番の本能

 しばらく狩場にとどまっていた二人だったが、さすがにそこに居続ける訳にはいかなかった。しかし例にもよって言い争いが始まった。

「なんで、俺が軟禁されなきゃならないんだよ!」

 予想した通りオレアンダーはクシェルを連れて隠れ家へ帰る気でいるようだった。

「君が弱っちいと俺のアルファの番の本能がざわつくからだよ」

 端正な顔を歪ませたままオレアンダーは嫌気がすとばかりに吐き捨てた。

「そんな言い方ないだろう」

「悔しかったらもう少しまともに魔法をつかいこなしなよ」

 ぐうの音も出ずにクシェルは悔しさからギリギリと奥歯を噛み締める。

「はぁ、こんなに強く引き合うなんて予想外だ。なんでこんな子噛んじゃったかなぁ」

 番の契約を結んでからお互い落ち着かない。

オレアンダー曰く相性があるらしいが、強く引き合うほど情緒面に影響が出るらしい。今回は予想外に強く引き合っているらしく、そのため二人とも気が立っているようだ。

 心底嫌そうなオレアンダーの言葉にクシェルの心は驚くほど冷えていった。

 オメガの本能のせいか、番に突き放された言葉をかけられ自分の意思とは無関係に涙がこぼれ落ちる。自身もまた本能的になっていることに気づきクシェルは戸惑った。

「くっそ」

 クシェルは普段の自身との違いに戸惑い、こんなことで泣く悔しさからゴシゴシと乱暴に腕で目元を拭った。

「何も泣くことないでしょう。ああ、それもオメガの本能かぁ」

 しかしオレアンダーに腕を取られ、目元を拭うのを阻まれてしまう。ローブの中を覗き気遣う様に目元を撫でられ「赤くなってる」と不満そうに呟かれた。

「おい、離せって」

「仕方ないでしょう?番が悲しそうに泣いてれば落ち着かないよ。アルファの本能なんだから」

 突然強い力で引かれるとクシェルはオレアンダーの腕の中に閉じ込められてしまう。

「おい!やめろって何考えてるんだ!」

 突然の正面からの抱擁に慄きクシェルはジタバタともがくも、痩躯から考えられないほどオレアンダーの力は強かった。

「勘違いしないでよ、医療行為みたいなものなんだから」

 やがてオレアンダーから放たれる花の様な心地よい香りに包まれ、言葉とは裏腹にクシェルの心は癒され落ち着きを取り戻し始めた。

これもやはりオメガの本能のようだ。番に甘やかされれば途端に心が平穏を取り戻していく。

「ああ、先が思いやられる」

 げんなりとした様に呟く言葉に反して、なすがままのクシェルの背中を包む彼の手は温かく気遣わしげだ。最早その温かさに頼りがいさえ覚える自分に驚きを通り越し呆れてしまいクシェルは深くため息をついた。


 オレアンダーの言う「医療行為の抱擁」で落ち着いたのも束の間、今度は結局狩に行く行かないで言い争いが始まってしまった。

「いや、だから俺は弟の学費を稼ぐために狩に出なきゃいけないんだって!」

「学費、学費って弟だっていくらオメガでも都会なら働き口だってあるでしょ?ていうか仕送りしたばっかりなんじゃないの?」

 クシェルの言葉にオレアンダーは訝しげに問うてくる。

 あまり知らない人間に家庭事情を教えたくなかったが、そうもいかなそうだ。

 クシェルは諦めて口を開いた。

「いや、それが…俺の弟もヒートが重くて高価な抑制剤が必要だから、金が足りないんだよ。あと教材費の値上がりが思いのほかすごくて…」

「そんな状況なの?」

 オレアンダーは口調こそ呑気そうなのに、琥珀色の瞳を見開かせた。しかしクシェル達がそこまで困窮する理由にまだ疑問を覚えるのかオレアンダーはすかさず確認してくる。

「弟はすごく優秀なんでしょ?なんで特待生試験を受けなかったの?」

「…運悪く、ヒートで受けれなかったんだ」

 クシェルは眉がすっかり下がってしまった。

思い出すのも辛い過去だ。弟のノアは身内が言うのもなんだが大変優秀なので学費免除の特待生試験も視野に入れていた。

 しかし当日朝に突発ヒートが始まり受けられず。後日の一般試験そのものは合格したものの、その一般試験の受験料がかなりの高額だった。クシェルが学費用に蓄えていた貯蓄では賄いきれなくなってしまった。

 特待生になれずごめんと泣きそうな顔で謝る弟の表情。不安そうなノアを元気づけ、寝る間も惜しんで二人とも働いた日々は辛かった。オメガでさえなければこんな苦労はせずに済んだのに。人生でこれほど自分や弟の第二性を恨むことはなかった。

「なるほど、追試験はないからなぁ」

 ようやく合点がいったとばかりにオレアンダーは呟いた。その横顔は同情というより、別世界を垣間見た驚きの方が強く感じた。

 やはりアルファの恵まれた人間にとってオメガの苦労など想像もつかなくて当然だろう。オレアンダーに問われるほどにオメガのハンデを思い知らされ、惨めな気持ちでいっぱいになってしまった。

 立ち上がり腕を組んだまま少し思案する様な素振りを見せる。

「もうそんなに大事な弟ならそれこそ仮の番の実験に参加して貰えばいいんじゃない?」

「は?」

 彼が口を開いたかと思えば、一瞬何を言われているかわからなくて、クシェルは頭の中が真っ白になった。

それだけこの男の言うことは無神経で非常識だったと思ったからだ。クシェルは怒りで顔が熱を持つのを感じた。

「冗談じゃない!!バカにするな!」

怒りにワナワナと震え、思わず怒鳴りつけた。しかしそれをどこ吹く風と受け流すオレアンダーだった。

「でも建設的じゃないよね、抑制剤に使うお金のせいで学費がなくなるなんて」

「アルファのあんたにはわからないだろう。放っておいてくれ!」

 これ以上の侮辱にはクシェルは耐えられそうにない。怒鳴りつけるも気持ちは懇願に近い。オレアンダーには無理解のまま事情に立ち入って欲しくなかった。

 確かにオレアンダーの言うことは正論だ。

現にノアは抑制剤や生活費を稼ぐために学業の傍ら働いてるせいでクタクタらしい。

 しかし貧しいことを理由に仮とはいえ望まない相手と番わされるなんて、クシェルは断固反対だ。

 兄の自分がそんな目に合わせないように尽力すべきだと強い信念があった。

「放ってって、そりゃあ常時ならそうするさ」

 肩をすくめて苦笑するオレアンダー。その様が憎らしくて思わずクシェルは彼を睨みつける。

「頼むから、俺に構うなよ」

 オレアンダーに背を向けクシェルは歩き出そうとするも、腕を引かれ阻まれてしまう。

 力には自信のあるクシェルだったが、思いのほかオレアンダーの力が強くて振り払えない。

「放してくれ!俺はどうなったっていい、とにかく金が必要なんだ!」

「そうは言ってもね。君に万一があれば俺は廃人になるかもしれない。勘弁してよね」

 万一クシェルの身に何かあれば、番の本能のせいでオレアンダーにも影響が出るのは必至だ。番が死亡し片割れが精神崩壊に陥ることはまま聞く話ではある。

「そんな、それじゃ学費の支払いに間に合わない」

 せめてこんな契約さえ結ばなければ。クシェルは顔を青ざめさせ自分の選択を後悔した。

 気付けばオレアンダーが長杖を取り出していた。魔法を使う気なのだろう。このままでは隠れ家へと強制送還だ。何とかこの状況を打破しなくてはとクシェルの胸に焦燥感が募る。

 しかしオレアンダーの口から出た言葉は予想外のものだった。

「…で、何を狩るの?バジリスク?グリフォン?サラマンダー?」

「え?そんな猛獣狩ったことない」

 それらはとてもクシェルが一人で狩れるような魔法生物ではない。英雄クラスの狩人の武勇伝でしか聞いたことのない獲物だ。

「俺が一緒に狩るって言ってるの。そんなフラッフラの状態じゃ君、スライム一匹まともに狩れないでしょ?」

 予想だにしなかった言葉にクシェルは目を丸くすると同時に、彼の言葉でやっと自分が普通の状態ではないことに気づいた。

確かに足に力が入りにくく、身体も重い気がする。突発だがヒートが起こったせいだろうか。

 とりとめなく考えていると、突然オレアンダーは地面に杖を突き立てた。

 途端にグギャァと何かの悲鳴が聞こえる。瞬く間に地面から湧き上がってきた大蠍がひくついて串刺しになっている。

「いつの間に…」

 クシェルは驚愕した。付近にいた獲物にさえ気付けないなんて、いつもならありえない。このまま狩りに行けば、オレアンダーの言う通り冗談抜きで命を落とすかもしれない。

「大蠍、二、三匹倒しただけじゃ到底学費に足りないでしょ?さっさとギルドで依頼書とってきた方がいいんじゃない?」

 先程までまるでクシェルの事情を理解しようとしなかったオレアンダーだったが。一体どういう心変わりだろう。唖然として固まっていると心底機嫌の悪そうな表情で睨まれた。    

「早くしてよね、俺の気が変わらないうちに」

「わ、わかった」

クシェルはオレアンダーの作り出した魔法陣に乗ると、移動魔法が発動する。光に包まれると二人は姿を消した。

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