アルファとオメガ


「クシェルさん、どうされたんですか?そんなに慌てて」

キョトンとしながらも、いつもの様に変わらぬ笑顔で迎えてくれたのはライナだった。

「一番、報酬が高い依頼を、教えて、くれ」 

 クシェルが息を切らせながら訪れたのは街のギルドの受付だ。いつもはこんな頼み方などしないが、今日だけはそう言ってもいられない。

「あら、朝にお渡しした南の湖の害獣駆除の依頼は期限切れですね。今は他の方が担っているようで」

「ああ、せっかく教えてくれたのにごめんな。ちょっとトラブルがあって」

 各依頼には達成期限があり、それを過ぎると他の受注者へ回ってしまう。いい依頼だったのに。悔しさとライナへの申し訳なさでクシェルは眉根を下げた。


 気が焦って仕方ないクシェルをライナは落ち着かせると、依頼書の束を目にも止まらぬ速さで捌いてくれた。

「そうですねぇ。東の樹海の大蠍退治がおすすめです。ここから近いですし、費用対効果が良いかと」

 クシェルは依頼書にさっと目を通す。確かに報酬もそこそこで申し分ない。今出発すれば遅くとも夕方には帰って来れるし、そこから他の依頼もこなせそうだ。

「ありがとう!ライナ」

 依頼書を受け取り駆け出そうとするクシェルをライナが引き留めてきた。

「あ、クシェルさん依頼書受け取りの際は確認のためにギルド所属のブローチを提示していると思うのですが…」

 クシェルはぎくりと肩を震わせた。そのブローチは現在オレアンダーの手中だ。いつもはローブの胸に付けているのですっかり忘れてしまっていた。

「え、えーっとそれが」

 クシェルは焦りで言葉がつかえてしまった。やはりブローチがなければ依頼受注はできないだろう。しっかり者のライナだその辺は融通がきかないに違いない。

 しかし予想に反してライナは声をひそめ、そっと耳打ちしてきた。

「…クシェルさん、もしかしてブローチ無くしちゃったんですか?」

 項垂れたままこくりと頷くと。くすりとライナに笑われてしまった。

「…大丈夫です。内密に処理しておきますから。ちゃんと探しておいてくださいね」

 思いも寄らぬ申し出にクシェルは目を丸くする。

「え?ライナ。でも、いいのか?」

 クシェルが目を見開くとライナはにっこりと笑って肩を叩いてきた。

「…ノアさんの学費もそろそろ用意しなくちゃいけないでしょう?私、お二人の夢を応援したいんです」

 雑談で話したことを彼女は覚えててくれたらしい。ノアが進学して魔法の研究をしたいこと。そしてそれを支えたい自分の話を。その事実がじんわりとクシェルの胸を温かくしてくれた。

「ありがとう、ライナ。この恩はいつか返すから!」

「いいんですよ、気をつけていってらっしゃい」

 クシェルは深々と頭を下げると、ライナに手を振ってその場を後にした。

 寝る間も惜しんで狩り続ければ何とかなるかもしれない。クシェルは俄然やる気が出てきた。ライナの優しさに後押しされ駆け抜けていった。


 クシェルは今度こそ馴染みの魔術師の移動魔法で東の樹海へと辿り着いた。

 鬱蒼とした森林は外の光を通さずどこまでも不気味だ。

 クシェルが改めて依頼書内容を確認する。三匹の大蠍の退治依頼で、大蠍達は徒党を組み近隣の村の農作物に被害が出ているとのことだった。獲物は群れで連携する位の知恵を持っていることが見てとれる。

「油断ならないな」

 情報によると樹海の北の風穴を棲家としているらしいので、クシェルは風穴を探していた。歩みを進めると木の葉に埋まっていた風穴に気づき慎重に覗き込む。しかし、もぬけの空だ。もしかしたら場所を間違えているのかもしれない。クシェルは思考を巡らせるも突然殺気を感じ剣に手をかけ身構えた。

 地が揺れたかと思うと、木々を蹴散らしながら後方から禍々しい大蠍が飛び出してきた。

「ちっ」

飛び上がり回避したクシェルは手をつき地面につき、済んでのところで振り下ろされた大鋏を剣で受け止めた。

「くっ、そ、…馬鹿力だなっ!」

 ミシミシと音を立てて力が拮抗する。剣がガキリと嫌な音を立てた。

力の押し合いとなるが、ズルズルと徐々に後ろへとクシェルは追いやられてしまう。

──足の踏ん張りがまるできかない!

クシェルの心に焦りが占めだす。いつもなら大蠍ごときにこんなに手間取らないはずなのに。何とか、打開策をと頭を必死に回転させる。

「キシャァァァ」

 突如上がった雄叫びにクシェルが振り向くと、後ろからもう一匹の大蠍が大口を開け飛びかかろうとしている。

──しまった、油断した!

 クシェルが体を硬直させた時だった。

 ふと濃厚な花の香りがする。

 突然視界にふわりと薄紅の花びらが舞い散り始めた。

「なにそのへっぴり腰、腹具合でも悪い訳?」

 聞き覚えのある声が耳元に聞こえてきたと思った途端、大蠍達が急に固まったように動かなくなった。

「…一体、なんなんだ?」

 息を整えながら様子を見ると大蠍達に無数の植物の蔓のようなものが巻き付いている。

「虫二匹相手になにしてるんだか」

 いつの間にか側には呆れた表情のオレアンダーが長杖を携え立っていた。

 彼がスッと杖を振ると蔓の締め上げが強くなる。

「ギャアアアアア!!!」

聞くに耐えない断末魔の悲鳴が上がる。蔓はやがてブチブチと酷い音を立てて、大蠍達を八つ裂きに引き裂いた。

 ボロボロと崩れ落ちる肉と外殻。おどろおどろしい光景にクシェルは言葉を失ってしまう。

 間一髪だった。

 オレアンダーの助けがなければどうなっていたことか。緊張が解け、クシェルはその場に膝をつき崩れてしまう。

「くっそ」

 自分の不甲斐なさ、苛立ちから地面に剣を突き立てるも力が上手く入らずに縋り付く。すると刺すような視線が降ってくるのを感じクシェルは顔を上げた。

 華やかな美貌は無表情で、鋭く冷たい視線で見下ろされる。

「庭で大人しくしててって言わなかった?」

 目の前でオレアンダーが膝を付くとクシェルは乱暴に顎を掴まれ、顔を上げさせられる。聞こえてくる声はどこまでも静かなのに、周りの空気は怒気に満ちている。ビリビリと痺れるような迫力を感じクシェルは背に冷や汗が流れるのを感じた。

 クシェルの知るオレアンダーは呑気で飄々としているのが常だったが、まるで違う。しかしここで雰囲気に呑まれる訳にはいかなかった。

「…俺が悪かった。でも弟の学費の支払い期限は一週間後だ、このままじゃ間に合わない」

 クシェルは真剣だった。掴みかからんばかりの勢いでオレアンダーに詰め寄った。

しかしその刹那、ドクリと胸が大きく打つのを感じクシェルはその場に座り込んでしまった。

 身体が熱を持ったかと思うと、途端に全身が痺れるように感じクシェルは身体を震わせる。

「な、んでこんな時に」

 それはクシェルが経験したことのある感覚。オメガの発情ヒートの兆しだった。

しかし周期としてはもっと先のはずだったが。なぜ今なのだろう。

「君もしかして、ヒート?」

様子のおかしいクシェルにオレアンダーの表情が固くなる。途端に彼の周りに張られていた結界呪文ようなものが割れた。

「嘘、ヒート対策の保護呪文が…っ!君どれだけ重症なの?!こんなの隔離ものでしょ」

クシェルはヒートの熱で回らない頭で必死に現場で何が起きているか理解しようとする。どうやらオメガのフェロモンを弾く保護呪文を打ちこわしてしまったようだ。

 珍しく焦った様子のオレアンダーは慌てて身を離そうとするも遅かったようだ。クシェルに近づき過ぎていたらしい。

彼もその場に膝をつき苦しそうに息を吐き出した。

「くっ、余計なことしてくれたよね、本当に。このままだとヒートの巻き添えだ」

 オメガのヒートに誘発され、アルファのオレアンダーも発情が始まりそうな様子だ。

 わざとじゃないとはいえ彼を巻き込んでしまった。その事実にクシェルは身体は熱で火照っているのに心は冷や水を浴びせられたような気持ちになった。

 ふと少し離れたところに人の気配を感じる。アルファなら彼の言う通りオメガのクシェルのフェロモンにあてられ、オレアンダーのように巻き添えだ。

「うっ、なんだこの匂い」

「身体が痺れる」

 戸惑った男達の呻くような声が聞こえる。どうやら運悪くアルファの二人組だったらしい。こんな危険地域で身体が思う様に動かなければみんな死んでしまう。

 呻くオレアンダーが魔法を使おうとしているようだが、いずれも上手く発動しない。どうやらフェロモンをあてられたせいで魔法が上手く使えないらしい。

 辺りは猛獣ばかりの危険地域で魔法を使えず両者とも動けない。クシェルは死を覚悟した。

「構わず、行けよ、早く。倒れたヤツらをなんとかしてやってくれ」

 クシェルは呻き声を上げた。彼にかけるべき言葉は沢山あるのだろうが、優先事項は周りへの被害を少しでも小さくすることだ。

 魔法を使えずともオレアンダーはまだ動けるようだ。ここは人気の狩場なのだ。必ず誰かいるはず。少なくとも彼だけはなんとか助かるだろう。

「…怨まないでよ」

 その一言で彼が離れていった。

魔法が発動し一陣の風が吹く。どうやら今度は移動魔法が発動させられたらしい。

 朦朧としながらもクシェルがほっと息をつく。しかしふと気付けばクシェルの背後にオレアンダーが座り込んでいた。

「早く行けよ、な、んで、そんなとこに」

クシェルは驚愕に目を見開くとひどく取り乱した。

「…飛ばしたよ、アルファの二人組」

「…な、んで。お前も一緒に行けば」

 このままではオレアンダーも巻き添えだ。彼はクシェルにとっては会ったばかりの相手だが自分の行動を心底後悔した。

「二人飛ばすのが限界だった。それに君を番にするにはうなじを噛まなきゃいけないでしょ」

「なにいって…ぐっ、」

 座り込んでいたクシェルをうつ伏せのまま、地面に押さえつけるとオレアンダーは長い呪文の様な物を唱え始める。

「死にたくないなら、殺したくないなら、動くな喋るな」 

 彼の指がうなじに触れると、焼印を押されている様な痛みを覚えた。

「あつい」

クシェルはヒートの熱も相まって譫言の様に呟く。

「あ、あ、やめろやめてくれ」

 オメガの本能のせいか、頸に触られると身体が凍りつくほどの恐怖をクシェルは感じ身を捩った。

「あ、あああ」

しかしそれと同時に触れられた箇所から覚えたことのない快楽を感じ声が漏れる。

「…っ確かにすごいヒートだね、普通のアルファなら、倒れるかも、ね」

 呆れた様な呟きが耳に落ちる。オレアンダーの息が首にかかったかと思うと同時にガブリとうなじを噛まれた。するとクシェルの中で何かが切れるような感覚がした。

 噛まれたはずなのに、甘美な痺れが続きそれが波の様に全身に広まる。思わずクシェルは身体を大きく震わせた。目の前がチカチカとし、やがてオーロラの様な波打つ虹が瞼の裏に流れ込む。

「は、ぅ、く」 

 身体が作り変わる様な、生まれ変わる様な。それはクシェルがこれまで生きて来た上で初めて味合う神秘的な感覚だった。

あまりの衝撃に身の置き所がなく、クシェルは自身の身体を強く掻き抱いた。そしてそのまま意識が遠のいていった。



 意識が浮上すると、クシェルは自分が地面に横たえられたままだと言うことに気づいた、

燃え上がる様な熱が引いて、倦怠感が残るものの幾分か落ち着いた体調に気づく。ふとチリチリとうなじに痛みを覚えた。

「君を番にしたら、ヒートが弱まってね。その瞬間に防護壁を張ったの」

 念の為ここ一体に人が入れないようにしてくれたそうだ。

クシェルは頸を噛まれた衝撃が大きすぎて言葉を発せずにいた。

聞くところによると、番のいないオメガのヒートは相手のアルファを寄せ付けるために強力らしい。

「こんな所で実験の成果を活用することになるとは思わなかったよ」

オレアンダーがぐったりとした様子でぼやく。どうやら仮とはいえクシェルと彼が番になったため窮地を逃れたようだ。

「…集団ラットは防げたみたいだね」

かすれた荒い息のままオレアンダーは呟く。

 ふと彼の指がクシェルの頬を辿った。触れられるだけで体は熱を持ち、クシェルはどうしようもない劣情を感じる。ヒートが落ち着いてもやはり番に対しては反応してしまう。これが番の本能なのだから。

「触られるだけでも凄いでしょう」

「あ、あ、はぁ」

 オレアンダーの手が首筋から肩と体を順に撫ぜるだけで剥き出しになった神経を触られたかの様な快楽を感じクシェルは震え息を乱す。

取り憑かれた様にオレアンダーが執拗に身体を撫で回してくる。

「ん、く。ふぅ、ああっ」

 着衣したまま果てた感触を覚えクシェルは焦りと不快感で身震いした。

急な脱力を、不審に思ったのかオレアンダーが顔を覗き込んできた。

「もしかして今のでイっちゃった?」

 直に刺激を与えることなく果てることなど、これまでなかった。番によって与えられる快楽は予想以上のものだ。衝撃に頭が真っ白になりクシェルは生理的な涙をポロリとこぼした。

 オレアンダーの目はクシェルのヒートにあてられたせいか少し熱っぽさを感じる。

 しかし眼差しはどこまでも冷淡で刺す様に見下ろされているのを感じ、クシェルは身のすくむ思いだった。

 オレアンダーが徐に指を鳴らすとその手元に小型のナイフが現れた。

 クシェルは身構を固くした。ヒートにあてられて加虐欲が掻き立てられてしまったのだろうか。

変な性癖のないアルファを番にした方が良いと彼が言ったのはその通りだったのかもしれない。

 クシェルは顔を引き攣らせるも、オレアンダーの取った行動は予想外のものだった。

「何を!」

 オレアンダーはぐさりと自身の左腕へナイフを突き立てた。そこから次々と血が滴り落ちクシェルは思わず目を剥いた。

「あー危ない危ない。あえなくヤってしまうところだった」

どうらやクシェルのフェロモンにあてられ心とは裏腹にいかがわしい行為に及びそうになっていた様だ。

 オレアンダーが腕の垂れた血を払うと見る間に、彼の腕の傷は塞がって行く。その速さにクシェルは唖然とした。もしかしたら回復魔法なのだろうか。目を離した隙に血で汚れていた腕もすっかり綺麗になっている。

 クシェルの弟も魔術に精通しており、とても優秀だがここまで手際が鮮やかではない。

「は、あう、」

「ほら口開けてさっさと飲んで」

 小瓶を開ける音を聞こえると、クシェルは顎を掴まれ薬の様なものを飲まされる。

得体の知れない薬に危機感を感じクシェルは身を捩るがヒートのせいで思うように身体が動かない。

「暴れないで、オメガ用の抑制剤だよ」

 腹がタポタポと音を鳴らすほど薬を飲まされ続けるクシェルだったが、十分ほど経つと身を焦がすほどのヒートが落ち着きを見せ始めた。

「ほら、服も気持ち悪いでしょ?綺麗にするから座ってて」

これ以上彼に世話になるのも気が重い。例え魔法で触られずに処理してくれるにしても、自分の精液の始末はさすがに他人に任せたくない。

「いや、いい構わなくて」

「君が良くても俺は嫌なの」

クシェルが被りをふるも彼にピシャリと返される。

「…へ?」

思わず驚きの声を上げる。

「オメガの精液、しかも今は番の匂いだ。惑わされて仕方ない。全く俺の身にもなってみてよ」

「はぁ?わかったよ、さっさと出ていけばいいんだろ!?」

要するにこの場にいて欲しくないと言うことだろうか、クシェルは立腹しながらも身体を引きずる様にしてオレアンダーと距離をとろうとする。

「動かないで」

しかし彼が望むことはそうじゃなかったらしい。

 オレアンダーが指を弾くと途端に水が生まれ、鉄砲水の様にクシェルに降り注いだ。

「うわっ、ちょっ」

頭から水を被りすっかり濡れ鼠だ。

「あー、調子悪いなヒートに巻き込まれかけてたもんなぁ」

オレアンダーは悪びれた様子もなく呑気に肩を鳴らしていた。

「おいっ!どうしてくれんだよ!びしょびしょじゃないか!」

「あーはいはい、うるさいなぁ」

 悪態をつきながらオレアンダーが指を鳴らすと今度は無数の旋風が現れた。

「う、おお?」

 風がクシェルを取り巻いたかと思うと一気に水分を弾き瞬く間に全身が乾き切った。

驚きでクシェルはオレアンダーを見つめた。

「はぁ、やれやれまさかこんなことになるとは」

 オレアンダーが髪をかきあげると深々とため息をついたのが真正面で見える。大変なことになってしまったとクシェルはやっと回り出した頭で理解した。

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