魔術師の庭


 オレアンダーが魔法を使えば途端に無惨な庭も元通りだった。

本当に賠償は必要なのだろうかとクシェルは思ったが、さすがに口が裂けてもその言葉は出せなかった。

 広い庭はハーブや季節の花々、果樹や緑樹が美しく整えられている。古めかしい魔女の小屋を彷彿とさせる建物が小高い丘にあった。

清々しい陽気に包まれ、どこまでも長閑な雰囲気であった。

 しかしクシェルの気分は晴れやかな天気とは真反対だった。突然の怪しい魔術師の襲来、得体の知れない場所への拉致、オメガ性の露見、怪しげな実験への参加。当然のことだろう。

「とにかくこの庭で大人しくしていて」

「いや、だから…」

「お金が欲しいなら被検の報酬は支払われるんだから問題ないでしょ。生活費はこちらで負担するし」

「え?」

 オレアンダーは長い契約書面のある項目をトントンと音を立てて指差ししてきた。

「研究機関からもなかなか高額な補助金が出るんだから。それでいいでしょ」

 そこをクシェルが注視するもある疑問が浮かんだ。

「これ、いつ支払われるんだ?ってあれ?もういない!」

 クシェルが契約書に注視している間にオレアンダーは忽然と姿を消してしまった。

「くそっ、撒かれたか」

思わず舌を打つ。彼がいなくてはこの魔法がかかった庭から出られないかもしれない。クシェルを苛立ちや焦りが募る。

「…これ、支払いは一ヶ月後じゃないか」

 クシェルは顔を青ざめさせた。よくよく確認すると契約書面の支払日は約半月後の日にちが記されていた。学費の支払い期限は一週間後だ。これでは間に合わない。

 オレアンダーは魔法の契約書の内容は絶対と言っていたので前借りも厳しそうだ。というか前借りを頼めるほど彼と関係性が出来ていないだろう。そもそもオレアンダーはどこへ行ったのか、いつ帰ってくるのかもわからない。

「何とか、ここから出ないと…」

 夏の庭は青々とした樹木で茂っており、鮮やかな花々がまるで歌うように咲いている。

 魔術師の庭は当たり前だが、魔法がかかっており現実離れした美しさがある。

 枯れない花、実り続ける樹木。なので一目でわかる場合が多い。

 このオレアンダーの庭は特段広く整えられており非の打ち所がない美しさだ。

これだけの庭を維持できるということは、胡散臭いが、彼が凄腕の魔術師なのは間違いないだろう。

 魔術に必要な薬草、花、果実の木で溢れている。青々しい木々が茂った先には小さな泉があったり、こんな状況じゃなければ腰を落ち着けのんびりしたいと思わされるほどだ。

 しかし広いと言えど庭に違いない。歩き続ければ出られると思ったが、そんな簡単な話ではなかった。

 もう小一時間クシェルは歩き続けているが、一行に出られる様子がない。

「どうなってる…」

 漂う清らかな匂いに顔を上げると、風に揺れるラベンダー畑があった。記憶に間違いがなければあの畑の側をクシェルはもう七回以上は通り過ぎている。

 同じ所をぐるぐる回っているのには違いない。

おそらくオレアンダーの魔法のせいだろう。

「…ん?なんだあれ?」

 ふと脇道の陰に赤地に白の斑点があるキノコの形を模した家が見えてきた。

 しかしその家にはとても人が住んでいる様には見えなかった。何故なら高さがクシェルの胸ほどしかないからだ。

 ドールハウスか何かだろうか、子供のおもちゃにも見える。

 クシェルが小さな窓から中を覗き込んで見ると、中には地面に並べられたきのこが見えた。もしかしたら貯蔵庫なのだろうか。

 さらにクシェルが覗き込もうとするとくるりときのこ達が一斉にこちらを向いた。

「ん?!」

 意思を持った様な動きに、驚きクシェルは固まってしまう。

『あれ?お客様だ〜』

『だぁれ?』

『お茶飲む〜?』

甲高い声が上がり、クシェルは矢継ぎ早に話しかけられる。

「な、何だぁ?」

 よくよく見るときのこ達には顔があった。赤い傘に白い斑点。丸っこいずんぐりとした柄の上部にはつぶらな瞳、小さな鼻と口がある。そして小さく短な手足も生えている。大きさも形もまるで子供用のぬいぐるみのようで愛らしい。


 人生の中できのこにお茶に誘われる日がくるとは想像もつかなかった。クシェルは人知れず胸中で呟く。

「あ、ありがとう」

 ご丁寧に外に小さな机を出され、手のひらサイズの小さなコップにアイスティーを注がれる。側の小さな皿に木苺が乗せられていた。

『どうぞ〜。いいお菓子がなくてごめんねぇ』

申し訳なさそうなきのこにクシェルは首を振った。ツヤツヤして美味しそうな木苺だった。庭で獲れたものだろうか。

『オレアンダーさまのお友達〜?』

『お名前なんていうの?』

 元気いっぱいのきのこ達から質問攻めにあい、クシェルは戸惑う。

「いや、友達とかじゃ」

 そもそも名乗る必要はあるのだろうか。クシェルは迷うも、きのこ達はクシェルに興味深々だ。

『ねぇ、ねぇ、あなたをなんて呼べばいい?』

あまり関わり合いになるつもりはないが、邪気のない瞳で見つめられクシェルはついに絆される。

「…クシェルだ」

『クシェルっていうの。いい名前だねぇ!』

 名前を言った途端きのこ達から歓声が上がる。何がそんなに楽しいのだろうか。クシェルはエネルギーの塊のようなきのこ達に圧倒されそうになる。

『クシェル〜お話しよ〜』

『クシェルは何でお庭にいたの〜?』

 当初は戸惑っていたクシェルだった。しかしもしかしたら彼らとの会話からこの庭から出る手掛かりがあるかもしれないと思い至り、情報収集のために話をすることにした。

「ああ、ちょっとな。オレアンダーからここにいろって言われて。みんなはオレアンダーの使い魔か何かなのか?」

 彼らから聞いた話をまとめると、きのこ達はオレアンダーの実験の過程で使った魔法による副産物らしい。

 最初は一匹だったが、その一匹が寂しがったため二匹、三匹と増やすうちに気づけば大所帯となったそうだ。

『ボクたち、オレアンダーさまの手伝いをしているの〜。庭のお手入れにお掃除に仕事の手伝いとか」

「へぇ、それはすごいな」

『えへへ〜』

 素直に感心したクシェルが言葉をこぼす。するときのこ達はニコニコして照れくさそうに笑った。満更でもなさそうだ。

『ボクたちそれだけじゃなくて、門番まで任されてるんだよ〜』

えへんときのこ達は得意そうに胸を張る。

「…門番?」

 その単語にクシェルは目を輝かせる。

 きのこ達は外へと繋がる場所に関わりがあるようだ。

「オレアンダーから信頼されているんだな。でも門なんて本当にあるのか?この庭のどこにも見当たらないぞ?」

 クシェルはきのこ達を褒めながらもさりげなく、怪しまれない程度に探りを入れる。ついでにわざとらしく辺りをキョロキョロと見回した。

『ちゃんとあるよぉ〜ほらぁ〜』

 きのこ達は一斉に棲家の傍らにあるオークの木を指差した。

どっしりとしたオークの木はこの庭の中でも存在感があるが、とても門には見えない。

クシェルは不思議に思い首をかしげた。

「これが門?」

『ちゃんとここに扉があるんだよ〜』

よく見れば太い巨木の裏側に扉が付いていた。

「ここから出入りできるのか?なぁどうしても外に行きたいんだ。俺を出してくれないか?」

 クシェルが頭を下げて頼むと、きのこ達は顔を見合わせた。

『ねぇどうする〜?』

『外からくる人は入れちゃダメってオレアンダーさまが言ってたけど』

『中にいる人を出すのは?』

きのこ達はうーんと唸りながら頭の傘を傾け真剣に悩んでいる。

『だめだよ、クシェルが迷子になったらオレアンダーさま心配するよ」

『そっかぁ』

 小さな親切大きなお世話というのだろうか、要らぬ心配から話の雲行きが怪しくなってくる。クシェルは焦り出した。

「いや、弟のためにどうしても金を作らないといけないんだ」

 きのこ達に伝わるかわからないが窮状を訴えるも、中々首を縦に振ってくれなかった。

『お金より大事なものがあるよ〜』

 そうはいっても、金がなければ弟の夢は潰えてしまう。

 何としてでも、きのこ達にはあの扉を開けて貰わなくてはならない。

 この手は使いたくなかったが。クシェルは胸のうちで彼らに懺悔するとわざとらしく声を上げた。

「あー、街には美味しいお菓子が沢山あって、実は買いに行こうと思ってたんだ!みんなも食べるか?」

 お菓子という言葉にきのこ達が一斉に頭の傘をぴくりとさせた。

『お菓子〜?何のお菓子?クッキー?マフィン?ケーキ?』

 きのこ達は目を輝かせてクシェルに詰め寄ってきた。

 先程お茶をもらった時にお茶請けに不満があるような素振りが見えた。なので試しに話を振ってみたが、思いのほか彼らは食いついてきた。クシェルは内心ほくそ笑んだ。

「チョコレートだ!」

クシェルが声を上げ答えると歓声が上がった。

『チョコレート、チョコレート!!』

 チョコレートは街に売っているが高級品だ。とても今のクシェルの財政状況では手に入らないだろう。嘘をつくのは心苦しいが、クシェルはこの庭からなんとしても出たかった。

きのこ達を集めるとクシェルは声を潜めた。

「なぁ、みんなにも買ってきてやるからちょっとだけ外に出してくれよ」

『え〜?』

ざわざわときのこ達が話し合い始めた。

『オレアンダーさまに甘いものばっかり食べちゃダメって』

『勝手にお菓子を食べたら怒られちゃうよ〜』

 クシェルは心配そうにしているきのこの頭をそっと撫でてやった。

「大丈夫だ、俺とみんなの秘密にすれば。バレないって!すぐ帰ってくるから、な!」

『う〜ん。でもぉ』

 まだ決めあぐねているきのこ達にクシェルは最後の追撃を開始する。

「キャラメルも買ってこようかな!」

『キャ、キャラメル!』

 きのこ達はそのつぶらな瞳を輝かせ、小さな口からは涎が出ていた。

「みんな、チョコレートとキャラメル、食べたいよな?な?」


『外に出ると東南の森の入り口に着くからね』

 きのこ達はワクワクとした様子で着々と準備をしていく。クシェルはオークの大樹の前に立たされた。

『クシェル早く帰ってきてね!』

『クシェル気をつけてね、知らない人には付いて行かないでね』

『金平糖もほしいよぉ』

「わ、わかった」

『門限は五時までだからねぇ』

「…ああ」

 門限は多分守れないだろう。

 嬉しそうなきのこ達を騙して庭を抜け出すのは心が痛いが、背に腹はかえられない。クシェルは腹を括った。

『じゃ、いってらっしゃ〜い』

 きのこ達が呪文を唱えた瞬間にクシェルは突然背中を引っ張られるような感覚を覚える。

 傍にあったオークの木の扉がバンと開いたかと思えば体がそこに吸い込まれた。

「うわぁっ!」

 強い力で引っ張られるクシェルはなすがままだ。真っ暗な空間を抜けると、気づけば見慣れた街の東南の森の入り口に転がっていた。

「いてて、結構乱暴だな」

 近くに先ほど見たものとそっくりな大きなオークの木があったが、庭にあったもののように扉はついていなかった。触っても叩いてもなにも変化がない。どうやら一方通行のようだ。

 それにしてもあんな防犯対策でいいのだろうか。

 クシェルはきのこ達の行き過ぎた素直さ、警戒心の無さに今更ながら心配になった。

 しかしそんな考えも束の間、既に頭の中はオレアンダーが気づく前に学費の送金を済ませなくてはということで一杯だった。

 目的が済めばちょっとした土産ならきのこ達にこっそり食べさせてやろうと決め、クシェルはギルドを目指し軽やかに駆け出して行った。



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