4.春の訪れ


 ダニエルのつぶやきを受け、ブラウが「ふん」と鼻を鳴らす。


「髪を持っていかれなくてよかったよ。おまえも少しは役に立ったな」


「……あ、ああ、そうだね」


「もう、ブラウ、そういう言い方やめて。あの、ダニエル様、ありがとうございました。おかげであのとおり、幽体を送ることができました」


「そう、か、それならよかった。いや、でも僕のおかげだなんて……」


 自分は何をしようとしていたのだろうと、ダニエルは自問自答する。あの幽体は、家族のことを思いやり、家族のために動こうとした。放火犯を呪い殺すという方向は良くないが、それでも人の思いには違いなかった。魂のみになっても思いは生きている。それなのに、炎で焼くなどと考えていた自分を、恥じるほかない。


 ましてや火事で亡くなった人の魂を焼くなどとんでもないことだと、ダニエルは更に自分を追い詰める。知らず苦悶の表情になっていたようで、ティアナが心配そうに「ダニエル様?」と顔を覗き込んできた。


「す、すまない、その……ちょっと、自分が嫌になって……」


「何でですか? 魔力水に髪を入れるのを提案してくださったのは、ダニエル様でしょう? 髪を入れなければ、ただのモノとして拒否されていたかもしれません。ありがとうございました」


「あ、いや……それは幸運だっただけで……。髪って、すごいんだな」


「髪は、伸びるにつれて人の思いが詰まっていくものらしいですよ。魔力を帯びているのも、そのせいかもしれませんね」


「う、うん」


 笑顔のティアナから、ダニエルは顔をそむけた。大きな魔法を使えるからと安易に炎魔法で解決しようとしていた自分を腹立たしく思い、直視できないのだ。


「それにしても、今回は魔力水で何とかなったけどさ……」


 ブラウの言葉に、はっと気付く。そうだ、今回はたまたま自分が持っていただけだ、この先ティアナはまた髪を犠牲にして、厄介な幽体への対処をすることもあるだろう、と。


「……僕が、時々魔力水を持ってくるよ。足りなければ、いくらでも」


「えっ、でもそんなお金……」


「領地の予算編成に口を出せるように、がんばるよ。僕は跡取りではないけど会議には時々参加しているし、何とかできると思う。できるだけ早く、そうなるように努力する」


「いい、んですか……? その、無理はなさらないで……」


「本当は、もっと早くそうするべきだったんだ。無理なんかじゃない。特に今回は神殿に頼らずに幽体を天へ送ることができた分、経費が浮くはずだしね」


「なるほど、それなら……」


 疲れを表情に出して何かを考え込んでいるダニエルの向こう側から、太陽が顔を出している。夜明けの時刻がやってきたのだ。


「わぁ、日が昇ってきましたね」


「もう、そんな時間か……」


「きれいな朝日」


 ティアナの言葉に反応したダニエルが目にした、朝日を見つめる彼女の顔は、きれいだった。清くて、爽やかで、かつて見たことのないほどの美しさだと感じた。元に戻った彼女の瞳の瑠璃色が心の奥深くまで浸透していく快さを、このまま存分に味わっていたかった。


「ああ。美しい」


 ダニエルはティアナから視線を外し、朝日を顔に受けながら、そう言った。



 ◇◇



 ティアナとダニエルが初めて会った日から数日経った頃、警備隊の調査が進み、放火犯の男が捕まった。やはり娘への一方的な恋情を募らせた結果の犯行だったと、再びティアナの家を訪れたダニエルが話して聞かせた。


 今では季節は変わり、春の訪れを感じさせる新芽が木々のあちこちに見られるようになっている。時々ざぁっと音を立てて強く吹く東風にダニエルは目を眇め、小さな家の扉を数回ノックしてから開いた。音に気付いたブラウがテーブルの上から扉の方を見ると、ダニエルが荷物を抱えて立っている。


「あれ? ダニエル、また来たの?」


「ああ、ブラウ。久し振りだな」


「全然久し振りじゃないよ……五日ぶりくらい?」


「五日も来ていなかったんだな」


 やれやれと薄青色の目を半分閉じてみせるブラウに、ダニエルは苦笑いを浮かべた。


「だって、きみは十五年前にティアナに拾われて以来ずっと一緒にいるんだろう?」


「そうだけど」


「ずるいじゃないか。僕だって本当は四六時中一緒にいたいんだ」


「……その熱心さにだけは、感服するよ」


 ダニエルとブラウがそんな会話をしていると、ティアナが奥の部屋から顔を出した。


「あっ、ダニエル様、いらしてたんですね。いつもありがとうございます」


「やあ、ティアナ。今日は魔力水を十本持ってきたんだけど、ちょっと多かったかな?」


「いえ、そんなに早く悪くなるものでもないので、ありがたいです」


 明るく笑いながら小走りで近付いてくるティアナから目を離せず、ダニエルはへらりと口元をゆるめる。


「あのさ、ティアナ、あの……」


「? 何ですか?」


「おいしい、店、見つけたんだ」


「まあ、よかったですね。レストランですか?」


「えっと、カフェで、焼き菓子の種類がほう、ふ、で、その……」


「焼き菓子ですか、いいですね」


「今度、一緒に……」


「はい」


「一緒に、食べないか?」


「次はお土産付きですか? うれしいです。でも悪いので、代金は支払いますね」


 ダニエルのデートの誘いは、失敗に終わった。ティアナはうれしそうに「焼き菓子楽しみです」と言いながら、お茶を用意するために奥のキッチンへと入っていく。そんなティアナを見てブラウは小さくため息をつき、ダニエルの肩に乗って小声で話しかけた。


「これで何回目だっけ?」


「……七回目……」


「そろそろさ、学ぼうよ。ティアナには、はっきり言わないといけないってことを」


「うっ……」


「ま、ダニエルには無理か。弱腰だもんな」


「そ、そんなことない! 僕はもっとがんばる!」


 大きな声でブラウに言ったダニエルの言葉がキッチンにも届いたようで、「ダニエル様すごいですね、お仕事がんばってくださいね」などと無邪気で朗らかな言葉が返ってくる。


 意気消沈したダニエルが椅子に座って待っていると、ティアナがお茶を持ってキッチンから戻ってきた。


「どうぞ。少し休憩していってください」


「うん、ありがとう」


 ダニエルの返答を聞きながら椅子に座ったティアナは、だいぶ伸びてきた髪を触りながら、もじもじと何か言いたそうに顔を赤らめた。


「……ダニエル様……あの、もしよければ……」


「ん?」


「こ、今度、町に買い物に行く時に……」


「買い物」


「い、いつも、買い物してると疲れちゃうので……」


「疲れちゃう」


「休めるところがあれば、いいな、なんて……」


「休めるところ」


「い、一緒に、カフェで、お茶でも……」


「一緒にカフェでお茶」


 何故か鸚鵡おうむ返しで言葉を繋げているダニエルに、肩のブラウが「何やってんだよ、誘われてるだろ」と小声でつぶやく。


「さ、さそっ!?」


「さそ?」


 頬を染めながら小首を傾げるティアナに、ダニエルが勢いよく「一緒に行こう!」と叫んだ。


「あっ、はい……。その、私と一緒でも、いいですか……?」


「もちろん! 一緒に行こう! いつがいい!?」


 甘酸っぱい二人を見ていられなくなったブラウが窓に視線をやると、どこからかやってきた白い花びらが風に舞う様子が目に映る。


「春だねぇ」


 人間のそれとは違うブラウの目には、花びらの中にかつて幽体だった何かも映っていた。


「……きれいな蝶に、なったんだね。伝えておくよ」


 白い蝶はしばらくの間ひらひらと窓の外を飛び、やがてどこかへ飛び去っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

墓守のティアナ 祐里(猫部) @yukie_miumiu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画