第51話【どうでも良いのとどっちでも良い、どちらが良いなのだろうか】

 唐突に、ラインハイトに、ウテナは、このような質問を投げ掛けて来た。


 質問内容は「白という言葉を聞いて、お前はどんなイメージが浮かぶ?」といったものだ。いきなりだなと思うが、別段気になるほどのことではないため、素直に頭に浮かんだイメージを口にする。


「純粋とか、綺麗とか、光とか、神聖とか、クリーンなイメージがあります。祝いごととかによく使われるから、そう思うのでしょうね」


「パッと浮かぶイメージはそうだよね」


 どこか含みを持たせた言い方をしているため、「お嬢様はそう考えていないのですか?」と、問うてみた。


「そういう訳じゃないんだけどねぇ──一般的にはそうなんだろうけど、白がイメージ出来る奴だけど、白からイメージされるような人物じゃないって言えばいいのかな? そういう奴を一人知っているんだよ」


 白をイメージすることが出来る人物だは、白からイメージされるような人物ではない──謎掛けみたいだ。


 才能のない凡人であると自覚しているラインハイトは、これは自分には理解出来ないものだと判断し、変人奇人極悪人であるウテナの独特の感性から来る何かだと考える。


「ゼーレのことか?」


 才能のある凡人アインツィヒは、前世では幼馴染で、今も付き合いのあるウテナに対する理解度は高いため、その言葉の意味を理解することが出来た。


「そうそう」


 アインツィヒに才能があると認識しており、非凡人だと勘違いしている彼は、ウテナの言いたいことを理解した彼女に純粋に感心する。


 嫉妬するほど強い精神は持ち合わせていない。肉体的にはどれだけウテナよりも優れていようとも、精神的には弱者なのだ、彼は。嫉妬なんて烏滸がましい、一緒にいられるだけで幸せ──物語の登場人物でも今どき言わないようなことを平気で言えてしまい、平均的な精神強度を持つ人間からすれば、「本気でそんなこと思っているの?」と思うようなことを、本気で考えているのだ。


 精神的な面では、どちらかと言えばウテナも弱者側なのだが、それでも──ラインハイトを自分から近付けているとはいえ、シエルに対して嫉妬せずにいられるのは、彼が自分以外に靡かないという確信があるからで、そうなるように仕組んでいるからでもある。


 ぼんやりとあることについて考えており、それを実行するとなったとき、ラインハイトが信頼されている方が都合が良いから──ということを抜きにしても、嫉妬せず、面白おかしく道化になっているシエルから静観出来るのは、確信出来るように地道な努力をしているからだ。


 地道な努力を重ねているお陰で、彼のことを監禁せずにいられて、普通に外でデートをすることが出来、同じ学園に通ったりすること出来──一般的なカップルらしいことする程度でも、満足出来る。


 その裏で、ラインハイトの財布をチェックし、現金の残高やレシート、交通系ICカードの残高を常に確認するという、束縛の激しい彼女みたいなことをしている訳だが。


 彼の自己評価が低いのは、彼の実の父親のせいでもあるが、ウテナのせいでもある。


 住居も、家族も、財産も、何もかも奪い取り、孤立無援状態に追い込めば、きっと己の手を取ってくれる筈──と、本当に実行したせいだ。


 相手がラインハイトでなければ、悪魔呼ばわりされる所業だが、彼以外にはこのようなことをしない。


「白ってさ、純粋とか、綺麗とか、そういうイメージがあるんだろうけど、それって何にも染まらないからじゃないかな?」


「何にも染まらない……」


 寧ろ染まり易い印象があるのだが、何故何にも染まらないと思ったのだろうか? 黒が全ての色を混ぜると出来上がる、白は基本的に黒の反対の色として名前が挙がることが多いから、白は何にも染まらない色と言いたいのだろうか?


 ラインハイトは色に対する知識がそこまでないため、白が無彩色で、可視光線が乱反射されたとき、物体の表面を見た人が知覚するとされている色であると知らないので、漠然とそのようなことを思う。


「何も染まらないんだよ、ゼーレ兄さんは。何も染まる私と違って」


 前世の実父からは一途さを、前世の実母からは盲目さを、今世の実父からはコネクションを、今世の母親からは勢いを、前世の兄で今世の友人からはドライを、学んだ。


 真逆の兄妹だな、お前達──兄さんと言っている時点で、そのような気遣いは今更遅いかもしれないが、兄妹云々は前世のことを知らない彼の前では言うべきではないと思い、浮かんだ感想は胸の内に仕舞っておく。


 白と黒。

 相性が良いのか悪いのか。


「白には白々しいとか、白紙に戻すとか、そういう言葉もあるぐらいだしねぇ。死装束の色も白だし、決して縁起の良い色って側面がある訳じゃないよね」


「?」


 死装束はともかく、白々しい、白紙に戻すの方はいまいちピンと来なかったらしく、ラインハイトは心底不思議そうな顔をする。


 白々しい、白紙に戻すは、日本語──この世界で言うところの紅鏡こうきょう語という言語を知らないと、ピンと来ないのは当然と言えば当然だ。


 どう説明したものかと考えていると、アインツィヒが上手いこと説明してくれたので、何とか言いたいことは伝わった。


「ハクシニモドスはともかく、シラジラシイは、良い意味で使われることはないでしょうね」


「ああ、人から嘘をの理由で金を借りて、開き直っているクソ詐欺師とかに使う言葉だろうな」


 言うまでもないことだが、とはファルシュのことである。普段よりも私怨が籠もっているのは、昨日の出来事のせいだ。


 昨日、アインツィヒに借りた金で、パチコンに行っていたことが発覚し、金を借りたこと自体は別に構わないが、理由に関して嘘を吐かれたことに思うところがあり、何故嘘を吐いたのか問い詰めた。


 実はそこまで怒っておらず、「あっごめん」程度の謝罪があればそれで良かったのだが、ファルシュは開き直り、「俺が金を借りた時点で大体察しが付いていただろ」とか、言い出したので、軽く脛を蹴った。


「何にも染まらないってどんな感じなのかな? 何にも染まる私には分からないな。負の感情とは無縁でいられるんだろうなとは思うけど」


「何も染まらないということは、何にも影響されないということですからね、正の感情すら無縁かもしれません」


「ゼーレの奴、バカラーナの行動や言動にツッコミを入れてることあるけど、本気でそう思っている訳じゃねぇんだろうな。そう思っていねぇ訳じゃねぇんだろうけど、だからこそ厄介っつーか、面倒っつーか」


 要するに積極的な感情がない。

 どっちでも良いのだろう。

 どうでも良くないが、どっちも良い。

 どうでも良いのとどっちでも良い、どちらが良いなのだろうか。


「きっと兄さんの理解者が現れることはないんでしょうね」


 理解者ではないが、気にせず受け入れてくる存在と、前世──中学生ときに、つまり早期に出会えたのは、ぎょうこうなことなのかもしれない。


 誰かに理解されながら生きることはそれなりに幸福なことだろうけれど、誰にも理解されない人生もまた、それなりに幸福なことではないだろうか──とか、言えるほど、ウテナは兄に対して歪んだ感情を持っていない。


 良くも悪くも兄妹に対する感情は普通なのだ。

 兄妹関係は普通じゃないのに、感情は普通。

 少しだけ奇妙だ。


 きっとあの兄は、誰かに理解されたいと思わないだろう。理解されたくないと思っているのではないだろうが、理解されたいとは思っていない。どっちでも良いのだ。そう。どっちでも良い。その生き方を一生涯変えることはないだろうし、変わったとしてもそれは錯覚に過ぎないだろうが、それはどうも寂しいのではないかと考えてしまう。


 それも、一つの意見として聞き入れるのだろうが、あくまでも、聞き入れるだけで受け入れることはしない。


 何を言っても無駄で、何を言わなくても無駄。


「理解者が現れないまま、それなりに楽しく生きて、楽しく死ぬんだろうね」


 ウテナが愉しく生きて、愉しく死ぬように。


 だけど、ウテナと違い、自分で自分というものを、一片たりとも理解しないまま、生きて、死んでいく。


 ◯◯しないなんて人生損している的な言葉を嫌っているため、彼女はあまりこのような表現を使いたくないが、自分のことを少しも理解しないまま生きて死ぬのは、少し損をしていないかと、思ってしまう。


「損を損と思わず、失敗すれば全てに無駄になる行為に、身を投じれるゼーレ兄さんだし、時間と可能性を賭けて行ったことがご破算になっても気にしないんだろうな」


「少々理解し難いですね」


 好きな相手が兄と呼んでいる相手に対してこのようなことは言いたくないが、しかし口に出てしまった以上、それは取り消せない。下手に言い訳することなく、彼女の反応を待つ。


「そう思うよねぇ」


 特に気を害することはなく、いつも調子でそう言った。


「そういうところが私と兄さんは相容れないだろうね。誰にも思い入れない兄さんと、誰かに思い入れる私、持っている辞書が違うんだろうね」


 ウテナが持っている辞書が、アインツィヒやラインハイトが持っている辞書と違うのと同じように──だけど、彼女と違い、一部分でも一致するということがないのだろう。


 誰にも共感することもなく、誰かに共感することもない。


「私なら退屈で仕方がないんだろうけど、ゼーレ兄さんは退屈とすら思っていないんだろうな」


 思っていたより、呆気ないくらいのことは思っているのかもしれない──とすら思えないのは、何故なのだろうか。


 どっちでも良いというだけで、無感動でもなければ、無感情でもないのに。


「そんな人だからね、何かをさせられることはあっても、何かに使われることはないんだろうな」


 兄に使われたことはあっても、兄を使えたことはない。


「だって、私、兄さんに勝てたこと、一度もないし」


「……そうなんですか?」


「今こうやってベラベラ話しているときでさえ、ゼーレ兄さんに使われていると言っても過言じゃないんだから」


 いつだって、七実ななみしゅうは、ゼーレ・アップヘンゲンは、人を使う側の存在だ。

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