第44話【この上なくキミらしくて納得出来る答えだよ】
フェージェニカ・リヴァリューツィヤの研究室に顔を出したウテナは、目当ての人物がいないことに少しだけ驚いた。事前に来ることは告げており、この日のこの時間なら大丈夫だと言われたため、いるものだと思っていたからだ。
フェージェニカの代わりに、別の人物が室内にいた。
月白色の長く癖のある髪を揺らしながら、「やっほーウテナちゃん」などと声を掛けて来る。相変わらず何を考えているのか分からない彼の紫紺の瞳を見詰めながら、ある人物の人相を思い浮かべる。
(垂れ目なところも同じ……)
結果的にお互い見詰め合う形になり、「そんな見詰められたら恥ずかしいなあ、もう」と、思ってもいないことを、わざとらしい口調で言う。
「そんなことはさておき、いきなり私のことをジーッと見てどうしたんだい?」
ラーシャ・ミカエリスの問いに、何でもないことと答えようと思ったが、流石にそれは無理があると思い、違う回答をした。
「大した理由じゃないんだけど、ラーシャって親戚とかいる?」
「それなりにはいるよ。といっても、あまり親戚付き合いする方じゃないから、顔とか名前とか全然知らない相手もいるけどね。最近連絡を取ったのは従兄ぐらいだよ〜。最近と言っても九月だけど。娘が高校生になったんだって」
「ふぅん──いや、それはどうでもいいんだけども。ねえラーシャ、フェージェはいないの?」
「フェージェニカくんはねえ、ちょっと呼び出されて席外しているんだよ。一〇分程度で戻って来ると思うけど、ここで待ってる? キミがいる分にはフェージェニカくんも気にしないだろうし」
室内にあるソファーに座るように、身振り手振りで促されたので、一〇程度なら待とうと思い、促された通り、ソファーに座る。
「紅茶でも淹れるよ。あ、珈琲の方が良いかな? 最近は珈琲飲んでるし」
「どっちでもいいよ」
「じゃあ、珈琲にするね。いつも通りブラックで良い?」
「うん」
慣れた手付きで珈琲を淹れるこの男──ラーシャは、フェージェニカの助手をしている。研究自体はフェージェニカが行っているが、その他の雑務(絶対に本人がやらなければならないことを除く)を担っているらしい。
電話対応とかスケジュール管理とか、そういうことを担っていると以前話してくれた。
「それでさっきの話に戻るのだけど、どうして私のことをジーッと見ていた件だけど、どうかしたの? 一途なキミが私に見惚れたということはないだろうし、何か付いている? さっき親戚がいるかどうか訊いて来たから、何が付いているという訳じゃないか」
「何も付いてはいない……ただ単に似た顔をした人を見掛けたから、もしかして親戚かと思って」
「ああそうなんだ」
「冬休み前から似ているなと思っていたけど、改めて似ているなぁと思って──今更過ぎる話だけど」
「そんなに似ているんだ」
「うん、凄く似ているよ。体格は全然違うけど、顔は本当にそっくり。ラーシャの高校生時代の写真、前に見せて貰ったでしょ? あれにそっくりだったの」
瞳色が同じで、身長があまり変わらなかったから、一〇代のラーシャが飛び出てきたと勘違いしていたかもしれない。
それぐらい似ていた。
生き写しという言葉が似合う程、似ていた。
「へぇ。そのそっくりさんの名前知らない?」
「全然。話したこともないから」
「ふぅん。そうなんだ」
ラーシャのそっくりさんに関するそこで打ち切られた。ノックの音が響いたからだ。ラーシャが扉を少し開けて対応する。聞き覚えのある声が聞こえて来た。
「リヴァリューツィヤくんはいるかい?」
「今はいないんだけど、急ぎの用事?」
「違う」
「用件について訊いても良い? 今、手に持っている書類が関係しているのかな」
「ああ」
「私が受け取って、フェージェニカくんに渡しておこうか?」
「直接本人に渡せと言われている」
「そうなんだ。後少ししたら帰って来ると思うけど、中で待っているかい?」
「ああ」
中に入って来た人物は予想していた通りの人物──エンゲル・アインザームだった。
彼はウテナがいることに少しだけ驚いた様子を見せる。
「キミも彼に用事があってここへ来たのかい?」
「まあね」
「私の記憶が正しければ、彼は一年生の授業は受け持っていなかったと思うのだけど……」
「まあ、ちょっとね」
「そうなのか」
「…………何か、テンション違うね」
「?」
「ラーシャと接しているときと、私と接しているとき、テンションがかなり違うなと思って」
ミウリアと話しているときのテンションが一二〇だとしたら、ウテナと話しているときのテンションは四〇、ラーシャと話しているときは一〇となるぐらい違う。
ミウリアに対してはハイテンション、ウテナには普通のテンション、ラーシャにはローテンション──最初は疲れているのかと思ったが、そうではならしい。
ミウリアとその他では態度が違うとは思っていたが、ミウリアの友人だからその他大勢より、かなりまともな対応をしているとは思っていなかった。少しはマシな対応をしているとは感じていたが。
「それ私も気になっていた」
テンションがあまりにも違いするため、訊かずにはいられなかった。半ば反射で疑問を口に出してしまった。言った後、ラーシャがいるところで訊くのはどうかと思い、質問を取り消そうとしたが、どのような答えが返って来ようとも、彼は気にしないだろうし、彼自身のテンションの違いが気になっているみたいなので、訂正の言葉は口にしなかった。
「ウテナくんはミウリアくんの友達だからね。ミウリアくんの友人である以上、それ相応に対応しないのは、ミウリアくんに対して失礼だからね。ミウリアくんの友人だから、不思議と言葉が出て来て、話していても苦じゃないんだよ」
「仕事相手だと話す気になれなくて、テンションが低い……というか、それが平常運転で、寧ろウテナちゃんに対する態度が例外──ってことか」
「そしてミウリアが例外中の例外……なるほど、そういうことか」
自分の特別側だと思っていなかったので、多少驚きつつも、今までの態度を振り返ると納得出来るところがあったらしく、驚きつつも受け入れられたようだ。
「まあ、一番の理由はミウリアくんの友人だからだけど、ウテナくんの人格とゼーレくんの人格に対して、個人的な興味があるからというのも大きいけどね」
「「えっ」」
ウテナとラーシャの声が、寸分違わず同じタイミングで発され、そして重なる。
あまりにも意外な言葉で──予想だにしていなかった発言だったからだ。
(エンゲルって、私に対してミウリアの友人以上の興味持ってたの?)
(エンゲルくんが、ウテナちゃんに個人的な興味を持つことってあるんだ)
二人の心境を言語化するならば、このようなものになる。
「ねえ、ウテナくんには珈琲を出しているのだから、私にも何か出してくれてもいいんじゃないかい?」
「ならウテナちゃんと同じものを出すよ。それでいいかな?」
呆気に取られる二人だったが、ラーシャはすぐに切り替えることが出来た。年の功という奴かもしれない。見た目こそ、若々しいが、ウテナが切葉として生きた分を合わせたとしても、彼女より長く生きているのだから。
「あぁ」
「ウテナちゃんの人格のどこに興味があるのか教えてよ、代わりにという訳じゃないけど」
「あぁ」
ラーシャが淹れた珈琲を受け取った後、「別に大した理由ではないんだけど」と、エンゲルは口を開く。
ラーシャの前でここまで言葉を発しているエンゲルは珍しいため、聞いている彼は、「これ本当にエンゲルくん?」と、珍妙な者を見るような眼差しを向けてしまう。
「ウテナくんもゼーレくんも、元からああだったから、今こうなっている──ように見えない。ただそれだけ」
「どういうこと? ちゃんと分かるように説明してくれよ、エンゲル」
「ミカエリスくんには分からない話も混ざってしまうかもしれないけど──ウテナくんの友達であるストラーナくんは、先天的にぶっ壊れている人だろう?」
「まあ、うん……そうだね」
ストラーナの顔を一瞬だけ思い浮かべる。彼女は前世の子供時代からああだったため、先天的にぶっ壊れているという考えは、強ち間違っていない。
前世──当時三歳だったストラーナは、何故か赤子の妹を寝る度に、毎度毎度軽く体を揺さぶって起こしていたらしい。揺らして、起こして、起きたよと母親に報告する。これを繰り返していたそうだ。
何度も起こされては堪ったものではないと、母親は妹が寝ている部屋に、彼女が入れないようにしたのだが──すると、ドアをガチャガチャしたかと思えば、どうにか扉を開けようと、物を使って扉を殴り始めたそうだ。
疲れて眠るまで続けていたらしく、彼女が眠った後、母親が扉を確認すると、扉が傷だらけになっていたらしい。
先天的におかしなところがあったのは確かだろう。後天的にそれが悪化──進化した可能性はあるが。
「ユーベルくんの場合は、生来の性質と環境が噛み合い過ぎた結果、ああいう風になっているように見える。彼の環境について詳しくは知らないから、あくまでも憶測だけど」
あくまでもミウリアの過去の記憶から知った程度。直接的に彼の記憶を見た訳ではないため、詳しく知らないのは本当だ。
(…………過去見れるからか、コイツの分析結構当たってるな)
相手が長く生きていればいるほど、処理する情報量が増えるせいで、頭の回転が鈍くなる期間が長くなるため、好んで自身の異能力を使うことは少ないが、それでも必要とあらば普通に使い、ミウリアの頼みとあらば普通に使う。
人の過去を見れてしまうせいで、このような人間になった訳だが。
「ファルシュくんは屑を極め過ぎただけだし」
「詐欺師で有名な男子生徒でしょ? 知ってる知ってる〜」
「アイツ教師だけじゃなくて、研究者の間でも有名なのか」
「騙された奴がいるからね……私が知っているだけでも六人」
思っていたより被害が被っているようだ。
「ウテナちゃんは騙されたりしていない? 大丈夫かい?」
「ああ、うん。私は大丈夫」
前世では彼に金を貸して、今に至っても一円も──この国の通貨で言うなら、一モネ──返って来ていないが、今回は学習し、少なくとも金銭方面では情けを掛けないつもりでいる。余程のことがあれば、考えてあげても良いという、友人に対する甘さは残っているのだ。
「それでアインツィヒくんは、あの面子の中では一番まとも。ウテナくんへの好意から、付き合っているところがある」
「あの子かなりウテナちゃんのこと好きだよね。ウテナちゃん何したんだって思うぐらい」
アインツィヒのことは直接的に知っているからなのか、他とは違う反応を示す。
「ミウリアくんは、環境のせいで壊れたタイプの人間だし」
ミウリアを美しいと評し、それに対して狂信的な感情を抱いている割りには辛辣な評価だった。それはそれ、これはこれ、というなのかもしれないが。
「だけど、ウテナくんとゼーレくんって、ぶっ壊れている人間ではあるけれど、ぶっ壊れる前の精神も同居している──その気になればまともな人間に溶け込める。なのにそれをしない。だから興味がある。ただそれだけだよ」
「そんな理由?」
ラーシャの問いに、そうだよと返す。
本当に、それ以上でもなければ、それ以下もでない。
「ああ良かった──もっと変な理由だったらどうしようかと思った」
「もっと変な理由って、何を想像したのよ」
「変人であるエンゲルくんが興味を持っていりって言ったら、おかしな理由から来るものだと思うのも無理はないでしょ」
言いたいことは分からないでもないが、それは少々言い過ぎなのではないかと思う──それだけのことをラーシャに対しているのかもしれない。研究棟で、普段どのように過ごしているのだろうか。ウテナは興味と同時に恐ろしさを感じた。
結構失礼なことを言われたエンゲルは、何も気にしておらず、淹れられた珈琲を啜っている。
「それで折角だから訊ねてしまうけど、どうしてそんな生き方を選ぶのだい? 一般人に混ざって生きればいらぬ苦労をせずに済んだだろう? 少なくとも家を乗っ取ってからは──普通の人間みたいに振る舞って生きれた筈だよ」
──キミになら出来た筈だ。
そんなことを言って、ウテナを一瞥する。
「出来たけど、それは愉しくないし──何より、ラインハイトが好きになった私じゃない」
「ああ──ウテナちゃん、ラインハイトくんのこと、大好きだもんね」
ラーシャは納得したような、呆れたような声を発する。彼女のラインハイトに対する好意は異常だ。それを捨てるなど、考えられないことだったのだろう、彼女にとっては。
好き、愛している──そのような陳腐な言葉では表現出来ないほど、情熱的で仄暗い、粘着質な恋愛感情を抱いている、彼女にとっては、あり得ないことなのだろう。
「この上なくキミらしくて納得出来る答えだよ」
エンゲルは小さく笑みを浮かべ、残っている珈琲を啜った。
「それで、そろそろフェージェニカくんが帰って来る頃だと思うけれど──まだかな?」
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