第42話【私もだいぶおかしいのかもしれない】

 シエル・リュミエールに、ウテナと喧嘩している場面を目撃された。彼女の命令を考えたら都合が良いのかもしれないが、ラインハイトの心境は複雑だった。


 シエルは、感情的に怒っているウテナと、大人しくそれ訊いているラインハイトという部分しか目撃していないため、彼女の日頃の行いが相まって、一方的に彼が責められていると勘違いしていた。


 最終的には一方的に責めるような言葉を投げられたが、最初からこうだった訳ではない。最初はお互い軽く意見を言い合っているだけで、途中から言い合いに発展し、最終的にはウテナが一方的に色々思ったことを罵倒を混じえて言い放ったのだ。


 ウテナにも非があったが、今回の件は、ラインハイトの方が非があった──ウテナの非が二だとしたら、ラインハイトの非が八になる。


 最終的にはお互い非があると謝罪し合い、元通りの仲になった。


「あれは私に非がありましたから……」


 本当は大体八割くらいは自分が悪いと言いたかったのだが、それだと彼女の命令にそぐわないと思い、曖昧な物言いで誤魔化す。


「だとしても、あんなに暴言を吐くのは、些か度が過ぎていると思います」


 それに関しては否定出来ない。

 そこまで言わなくてもと思わなもないが、ウテナの気持ちを考えれば、苛立つのは分からなくもない。


 かなり傷付いたし、思い出しても腹が立つ言葉を投げ掛けられたが、きちんと謝罪して貰えたので、この件についてそれ以上何かを言うつもりはない。


 お互い謝罪し、これで良しとしたのだから、後になって持ち出したら意味がないからだ。


 主人と下僕という関係になってから──その関係になる前から、喧嘩らしい喧嘩をしたことがなかったことを思えば、口喧嘩が出来ている今の方が、遥かに健全だ。


「恋人と言っても過言じゃない関係になった訳だし、婚約しているも同然なんだから、そろそろ下僕でいるの辞めない?」


 と、ウテナが言い出したことが、喧嘩の切っ掛けになった。


 辞めるにしても、辞めないにしても、ハッキリとした返事が欲しかったのだろう。


 どちらにも振り切れず、ラインハイトは曖昧な返事をしてしまった。


 そこから少し言い合いに発展して、ヒートアップして──シエルが目撃した状態になり、最終的にはお互いの非と自分の非を認め、しっかり和解した。


 まだ決め切れていない素直に伝えれば良かったと、今は反省している。


 ウテナも、しっかり話を聞けば良かったと思っているらしく、その件に関してはかなり反省していた。


 プライドの権化であるウテナが、土下座して謝った挙句、しおらしい態度を取るとは思わなかったので、驚いてしまった。


「愛するラインハイトに謝罪すら出来ないプライドなら、ゴミ箱に捨てた方がマシよ。嫌いな相手に謝罪することは嫌だけど、好きな相手に謝罪するのは別に良い。ラインハイトに嫌われる方が嫌だ。そっちの方が地獄。自分のプライドよりも貴方の方が大事」


 などと言い出したときは、照れ臭さやら何やらで、身の置き場に困り、立ち上がっては座り、また立ち上がってはウロウロするなど、説明不能な謎の行動をしてしまった。


 傍から見れば、かなり挙動不審だったと思う。自分でも挙動不審だと思うくらいなのだから、客観的にはもっと酷いだろう。


 何を言ったのか覚えていないが、何か変なことを口走ってしまった気がする。


 錯乱していたのかもしれない。


「まあ、そうですね……昔から、ああいうところがありますので、全然気にしていませんよ……」


 実は全然気にしていないなんてことはないが、ウテナの方が傷付いているため、罰だと思って受け入れている。


「ああいうところというのは──」


「ついつい、ヒートアップしてしまうと言いますか……多少、暴走し易いところがあるのですよ」


 その暴走のためなら、大人しく、虎視眈々と、チャンスが来るのを待ってるのだから──末恐ろしい。


 ヴォルデコフツォ家を乗っ取ろうとしたのが、実は衝動的な発想から来るものだと知ったら──クオーレ辺りは驚愕するかもしれない。


 予想通り、冬休み明け、彼は破滅し、借金を抱える羽目になった。ファルシュの借金の金額が可愛く思えて来るような金額だ。暫くの間、彼は借金返済のために人生を費やさなければならないだろう。


「彼女のせいでとんでもない目に遭っている方が沢山いるみたいですし、私、ラインハイトさんのことが心配です……」


 こんなことを平気な顔で行う人物が、感情的に怒っていたら、不思議と怒っている彼女が悪いと思ってしまうのも無理はないが、今回に関してはウテナだけが悪い訳ではない──誤解していると口に出来ないことが内心心苦しく、「リュミエール様は、何も心配なさらなくて良いんです」と言い、話を終わらせようとした。


「ランイハイトさん」


 シエルは彼の手を取る。

 さり気ない動作だった。


 衝動的に振り解きたくなるが、相手が男爵令嬢であること、ウテナの命令が頭に過ぎり、大人しく言葉の続きを待つ。


「こんなのでも、私は男爵令嬢です。私の家はヴォルデコフツォ家よりも力がありませんが、それでも何の力がない訳でもありません。何かあったときは頼って下さい」


「……気持ちは受け取っておくよ」


 そう言って、さり気なく彼女の手を振り解く。


 傍から見れば、ラインハイトはウテナに良いように利用されているのだろう。実際、利用している側面がないかと言えば、あると返すしかない。嘘ではないと分かっているが、例え彼女の行為が嘘だったとしても、彼はそれでも良いと思っている。


 レッヒェルン家も、ヴォルデコフツォ家も、非凡な人間ばかりしかおらず、非凡な人間の中に凡人が一人存在するというのは、それ自体は大きなハンデだ。


 非凡だらけの世界の平凡な人間が生まれるというのは、それがだけで悲劇的な宿命を抱えていると言って良いだろう。


 才能なんて先天的なもので、それにどうこう言うことほど虚しいものはないが、不条理なものは感じてしまう。不条理に叩き付けられたとしか思えなかった。


 努力していない才人に勝つことは出来ても、努力している才人には絶対に勝つことが出来ないからだ。


 才能があるからと言って、それで人が幸せになるとは限らない。欲しい才能と違ったり、欲しい才能ではあるけれど、それを上手く活かすことが出来なかったり、才能の有無と幸せは別物だ。


 とはいえ、彼からすれば、才能がないことは不運だった。才能がないのに、才人達に囲まれたから、浮いた存在になったしまった。それだけでなく、父親に暴力を振るわれ、背中に傷痕が残る羽目になった。


 生まれた環境こそ非凡だが、彼自身は平凡だった。


 そんな自分と、才能がある彼女では、釣り合わないだろうと時折考えていた。婚約者だった頃も、下僕になってからも、ずっと。


 並外れた・桁外れの才能を持った人物が、生きるため、あるいは愛する者と共に在るためにそれを手放す、喪失するといった在り方は、決して珍しい出来事ではない。


 ウテナの実母は、家を出るために、類稀なる才能を手放した。


 それ自体は間違いではなかったと言うものの、それでもウテナは「私は力を手放すなんて考えられない」「自分が強い力を持っている自覚があるっていうのは最高じゃない」と言い切った。


 ウテナが他の才人達とところは、こういうところなのだろう。強者であるが故の苦労・苦悩とか、そういったものと無縁でいられるのは、真の意味での強者だからなのかもしれない。


「普通の人間として生きたいならば、自分の特異性は出来るだけ隠した方が良い」


 と、述べた、今は亡きラインハイトの母が訊いたら、一体何と返すのだろうか? 己の逸脱さ・異端さに後ろ向きな感情がない彼女のことを、どう思うのだろうか?


 異端者であることを楽しむ彼女に、一種の希望を見た可能性が高い。そんな気がした。


 世界に迎合するくらいなら、世界が迎合しろと言い返せる精神は、中途半端に社会不適合者である母親からすれば、羨ましくて仕方がないのだろうという想像だが、間違っていない気がする。


 ──嫌われ、避けられ、恨まれ、裏切られようと、生き方を曲げない姿はある意味見ていて清々しい。


 シエルのように、悪いことはしてはいけないという、清廉精神を持っている人間からすれば、理解出来ないのかもしれない。


 好きとは、他者には理解出来ない感情なのだろう。恋は人を馬鹿にするというのは、案外正しい言葉なのかもしれない。否──恋に限らず、好意は人を盲目にする力がある。


 ラインハイトの実父も、彼の背中に一生消えない傷を残すような人物だったが──息子を思う気持ちが一切なかったかと言えば、そういう訳ではないのだろう。道具として扱う気持ちの方が大きかったのだろうが、それでも、一切好意的な感情がないという訳ではないのだろう。今だからそう思えるだけで、昔は嫌われているのだと思っていた。


「……私は、本当に、大丈夫ですよ」


 これは本音だ。


(──彼女のことを心底愛しているから、何があろうと構わない、と言ったら、シエル・リュミエールはどんな顔をするのだろうか)


 愛しているし、愛されている。

 愛している対象に、重度のストーカーレベルで愛されているのだから、その後何があっても構わないと思えるほど幸せだ──と言ったところで、きっと理解されないのだろう。


 内情を知らない人間からすれば、洗脳されていると言われてもおかしくない。ストックホルム症候群(この世界にストックホルムという地名はないが、日本が製作したゲームの世界であるため、この言葉が存在している)を患っている──と、言われてもおかしくない状況にあるという自覚はある。


 実際は違う。

 だが、そう見えても仕方がないという、自覚はある。


 結婚の約束まで済ませていること、彼女の父親のところにこの間挨拶に行ったことを告げれば、果たして、どのような反応を見せてくれるのだろうか。


 驚愕のあまり何も出来ず、茫然自失という表現が似合うになる状態かもしれない。


(あぁ、本当に、心から──ウテナのことが、好きだ……)


 私もだいぶおかしいのかもしれない──そんなことを、ふと思った。

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