第41話【アインザーム先生のこと気になるの?】
ミウリアは、どのような形で手に入れば満足出来るのかを知るために、学園内でもエンゲルのことを意識するようになった。
隠す理由もなかったので、露骨に視線で追っていると、当然だが気付いてくる人も出てくる。
「アインザーム先生のこと気になるの?」
気付いているからといって、わざわざ本人のところまで足を運び、訊ねに来るのは稀だが──。
「……まあ、はい、そうですね」
「べトゥリューガーくんと何かあったの?」
何故そこでエンゲルではなくファルシュの名前が出て来るのだ──ミウリアは三から五秒ほど答えに詰まり、それから何もないと答えた。
「ファルシュ様とは、あの、本当に……何もないですよ……エンゲルさんとは、少し、ありましたけど……」
「へぇ。冬休みに何かあったの? それともその前?」
「……ええ……いや、別に、その……大したアレではないんですけど……」
本職は研究者とはいえ、副業で教師をしている以上、生徒ではある己と同じ部屋の下で暮らしていることは伏せた方が良いと思い、このような回答をした。学園側はエンゲルがミウリアの保護者であり、身元保証人であることは知っている。だからといって、邪推されないとは限らない。学園側はともかく、それを聞いた第三者がどう思うかは別。色気とは無縁の関係とはいえ、血縁者でもない男と未成年の女が一緒に暮らしていると聞けば──何かあるのではないかと考えられる可能性は大きい。
「そういえばアインザーム先生ってミウリアちゃんとはそれなりに話すよね。個人的な付き合いでもあるのかな?」
「…………まあ、少々……メーティス学園に来る以前から、知り合いでは、ありますので……」
個人的な付き合いはないと言うのは簡単だが、嘘を吐いて誤魔化せるとは思えなかったので、本当のことは言っても、詳細に関しては話さないことにした。
「どういう知り合い? 親戚?」
「まあ、そんな感じです……」
保護者であり、身元保証人だ──そして、エンゲルにとって唯一心から美しいと思える対象であるミウリアに対し、狂信的な情熱を抱いている。
「ふぅん」
信じたのか信じてないのか判然としない反応だった。訝しまれているのかもしれない。居心地の悪さを感じ、早くその場から立ち去りたくなったが、「ねえ」と、リューゲが話し掛けて来るせいで、切り上げ時を見付けられず、どうしようかと思考を巡らせていると──
「ミウリアさん。担任が貴方を探していました。提出した課題の件で訊ねたい事が有ると
ユーベルが、リューゲからミウリアを引き離すように、半ば強引に彼女を職員室がある方向に押しやった。
「えっと、はい、ぇぇ、そうします……その、あの、教えて頂き、あ、ありがとうございます、ユーベル様……」
今回は、完全に嘘ではない。担任の教師がミウリアが探しているのは事実だ。あくまでも、今すぐである必要はないだけで。
リューゲは一瞬だけ苛立ったような表情を浮かべるが、すぐにいつもの飄々とした表情に戻し、ミウリアのことは無理に引き止めることはせず、代わりにユーベルに声を掛けた。
「アインザーム先生とミウリアちゃんって、本当に親戚なの? そうは思えないのだけれど」
「僕も詳しい事は存じておりませんし、何より個人的な事情に土足で踏み入ろうとするのは
疚しいことは確かに何もない。
未成年の歳下の少女を天使扱いしている件は、疚しいことと言えなくもないが、天使と呼んでいる側にその気はない。
「彼女は私の天使だからね。天使を天使と呼ぶのは普通のことだろう? 疚しいこと? ある訳ないだろう。天使なのだよ、彼女は」
天使と呼んでいることについて訊ねたり、疚しい何かがあるのではないかと訊ねたりすれば、このような言葉を並べるだろう。彼にとって、天使はあくまでも、美しさの対象であり、情欲の対象ではないのだ。
「彼の男と彼女の関係が
釘を刺すの意を込めて、睨みを効かせながら、語気を強めてそう言った。これ以上詮索するなら殺すといった意味が言外に含まれていたのだが、気付いているのかいないのか、飄々とした表情を崩さず、彼は「ごめんね〜」と、重みを感じない言葉を口にする。白々しいにも程がある。
「少し心配で、つい色々訊ねてしまったよ」
「何が心配だったのですか?」
「そりゃあ、言うまでもないことだろう」
ミウリアのことを心配していたのだろうか。ミウリアとエンゲルが好い仲かもしれないことを心配していたのか。それとも、自分のことを心配していたのか。
何を、一体、どのように──心配とやらをしていたのだろう。
(ミウリアさんが、
今後はどうなのだろう。
欲しいという感情がある以上、いつ恋愛感情に転化してもおかしくない。
寧ろ、エンゲルの方がその気になる可能性は低いくらいだ。一〇以上も歳下の少女に恋愛感情を抱けないのは当然と言えば当然だが──。
絶妙な均衡で成り立っている関係だ。
その均衡が崩れないのは──偏らないままでいられるのは、意外なことに、メランコリアのお陰だったりする。
メランコリアは、ミウリアのことを娘か何かと思っている節があり、二人が男女の仲にならないよう、彼が許せる範囲でしか交流させていない。仲良くするのは構わないが、密着し過ぎるのは駄目──という考えで動いているのだろう。彼とコミュニケーションを取るのは難しいので、はっきりと本人の口からそのような言葉を聞けた訳ではないが、恐らくそうなのだろうとユーベルは思っている。察しの良いファルシュが言っているくらいなのだから、十中八九そうだ。
「僕は用事が有りますので、
と、半ば強引にリューゲから離れ、ゲーム部の部室に足を運ぶ。
「俺のこと好きだと勘違いしたり、エンゲルのことを好きかもしれないと勘違いしたたり、アイツ忙しいな」
リューゲの件をそれとなくファルシュに伝えたら、溜息混じりにそのようなことを言う。頭でも抱え出しそうな雰囲気を纏っていた。リューゲの性格を考慮し、変に訂正すると拗れると思い、肯定も否定もしないスタンスを貫こうと思っていたが、考え直す必要があるかもしれない。
(庇護欲を喚起させるのも良いけど、人間っつーのは大事なモノでもぶっ壊せるからなぁ。保護され過ぎて過保護な扱いを受けるかもしれないっつー致命的な弱点があるんだよな。そのせいで監禁されたりしている訳だし、気を付けないとリューゲ・シュヴァルツもああなるかもな)
どんなことも、良い面があれば、対になる悪い面もある。強さとは対極の能力や性質を有して生き延びてきたミウリアに、今更この処世術をやめろと言っても、まず本人が自覚していない上に、仮に自覚したとしてもやめられないだろう。前世の頃から培って、積み重ねて来たのだから。
止め時を見失っている。
非力であるという点ではアインツィヒも共通するが──彼女には目に見えて分かり易い成果が出る才能がある。技術者としての才能が。
技術者としては最強であり、最凶だ。
ミウリアは目に見えて分かり易い才能がなければ、目に見えて分かる頭の良さもない。それ故に己の弱さを過大評価している。過大評価であり、過小評価だ。
「言うまでもないことだろうが、リューゲ・シュヴァルツには気を付けておけよ。俺も気を付けるけど、俺だけが気を付けてもあんまり意味ねぇしな」
「分かっている。貴様如きに
「分かりきったことでも、言っといた方が良いことってのがあるんだぞ」
認識の齟齬が生まれる可能性を消すという意味では、案外思っていること、考えていることを、言うまでもないと思っていても口にした方が良いこともある。
駄目なときも存在しているため、線引きは大事だが。
(庇護欲を喚起させ過ぎて、過保護な扱いを受けることが多いのに、過保護な扱いを受けることはあっても、害になることはなく、過保護は過保護でも、程度を弁えているエンゲルは貴重な存在と言えば、貴重な存在か)
地球を侵略しに来た宇宙人より厚かましくなり、過剰にか弱き見せる演技に騙され──度を超えた過保護になった人物を何度も見てきたからこそ、余計にそう感じてしまう。
メランコリアも過保護であるが、日常生活の邪魔をすることはない。
エンゲルも過保護だが、彼女の意見をある程度は受け入れる人物で、一方的に押し付けるタイプではない。
「彼女は天使なのだよ? 天使の言葉に耳を傾けないというのはあり得ないよ。とはいえ、彼女は未成年だから、大人である私が意見しなければならない場面もあるだろうし、全てを聞き入れる訳ではないよ」
──ということらしい。
彼女のことを好き好き言っている、過剰にか弱く見せる演技に騙された者達とは大違いだ。
人の過去を見れる異能力を持っているからわざわざ訊ねるまでもないだけかもしれないが、根掘り葉掘りあれこれ知ろうとしないのも、彼の良いところである。
「難しい年頃の女の子にそんなことしないよ」
──という理由から来る行動だそうだ。
言動や表情は偶に気持ち悪くなるが、色恋に尋常ではない情熱と人生を賭ける連中と比較すれば、かなり紳士的と言っていいだろう。
見た目は良いため、それなりに異性と関係を持ったことがあるらしく、そういう経験が良い方向に転んだのかもしれない。対人能力が著しく低いが、それでも見目の良さから若い頃はモテたそうだ。付き合うときは最低限の誠意を持って接したらしいので、別れるときは案外円満だったらしい。
「恋人でいる内は良いけど、結婚には向かないということがよく分かった。私は夫になれる人間ではない。私は人を好きになれても、愛することが出来ない
と、学ぶべきところではしっかり学んでいるようだ。
全員が全員そうという訳ではなく、あくまでも傾向の話であると前置きさせて貰うが、ミウリアに対してのめり込む人物は、男女関係なく、良くも悪くも人間関係が上手くいっていない傾向がある。
エンゲルは対人能力に問題のある男だが、それによって本人が困っているということはなく、上手くいっていないと微塵も思っていない。周りは困っているが、本人は困っていない。
寧ろ、下手に輪に加わりに行くより、孤立して貰った方がありがたいくらいだ。
研究者だから辛うじて職を失わないでいられるが、研究者でなかったから対人能力の低さが原因で職を失っていた──と、実の親から言われる程度には酷い。
「お前が悪い訳じゃないが、お前の対人能力の低さは尋常じゃない──下手に関わるとこっちが危ないから、本当に大事なことがあるときと、年に数度の近況報告のとき以外は連絡しないでくれ」
と、大量の金と共に、土下座されながら、実の父親に頼み込まれる程度には酷い。
心から美しいと思える存在と出会えていなかったら、今頃どうなっていたのだろうか。
(世界でも滅ぼしてそうだな)
世界を滅ぼすは大袈裟過ぎるかもしれないが、世界を恐怖に陥れる犯罪者になっていた可能性は高い。
運命というのは、何がどう転ぶか分からないものである。
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