第40話【プロはやっぱ、エンジョイ勢の私とは違うな】
相貌失認と言うらしい。
失顔症と言われることもあるそうだ。
不便と感じることはあれど、顔以外で認識する術を幼少の頃から叩き込まれたため、そこまで困るということはなかった。
彼が初めて人の顔を顔として認識出来したのは──七歳のときの親族の集まりだった。
(人ってこんな顔してるんだ)
この親戚の集まりで、初めて、六歳の従妹と会ったのだが──そこには退屈そうな、美しい顔があった。面倒臭そうに、隅の方に座っていた。
従妹と、従妹の両親──父の妹とその夫は、他の親戚からはよく思われていないのか、腫れ物扱いを受けていたことを、今でもよく覚えている。
特に、父の妹──つまり、彼にとって叔母に当たる女性に関して顕著で、男性陣は皆何かのゲームかと疑うくらい、一定の距離を取り、会話に関してもすぐに切り上げるようにしていた。
何だろうと思いながら、家に帰る途中、不意に従妹の顔が頭に浮かび、彼女のことを、彼女の顔が分かることを、父親に話したところ──非常に驚かれた後、何かを考え込む素振りを見せ、それからある事実について話してくれた。
「本当は、お前が大人になってから話そうと思っていたことなんだが──」
従妹だと思っていた彼女──
「事情があって、私達の養子に──私達の子供になっているの」
流石に七歳児にその事情を話してくれることはなかったが、彼が中学生のとき、彼の実母がふわふわとした笑顔で、明日雨が降るのよと言うぐらいのテンションで、「男の子におっぱい吸われるのはちょっと……って思って、兄さん、過去の事故のせいで子供が作れない体だから、丁度良いと思ってあげちゃったの〜」と、暴露した。
自分の兄の叱られ、自分の娘にまで叱られ、こんなのが実に母親なのかと、愁は頭を抱えたくなった。本当に悪気がなかったらしく、どうして怒られているのか分からない言いたげな顔をしていた。
祖父母も、伯父も、まともな人なのに、どうして実母はこうなってしまったのだろう。
こんな母親に育てられた妹は、一体どれだけ苦労したのだろうと、妹に対する同情が湧き上がって来る。
伯父が後々教えてくれたことだが、母はどうにも異性関係に対しては異様なまでに潔癖で、医師は女性を選ぶというのは序の口で、家に夫がいないときは、肉親であろうと男性は家にあげないらしい。
用事があり、仕方なく妹の家に伯父が行くことがあったらしいのだが、事前に来ることを伝えているのに、その日のその時間に行っても大丈夫だと言ったのに、夫がいないからという理由で、一時間外で待たされたそうだ。季節は冬。雪が降っているというのに、玄関にすら入れて貰えなかったらしい。結構大事な用事だったらしく、別の日にすることも出来なかったので、仕方なく自分の車の中で時間を潰したそうだ。
夫がいる女性が、男性から荷物を受け取るなんてあり得ないという理由で、夫がいないときは、宅配便等の荷物は受け取らないそうだ。娘がいるときは娘が受け取っているらしい。
実母は仕事をしていないらしい。高校を出てすぐに父親と結婚したため、バイト経験すらないそうだ。これだけ男性に対して潔癖であるのに、どうやって実父と結婚したのだろうか。そもそも、結婚以前に、付き合うところまで漕ぎ着けたことにも驚きだ。
「あの人、妹が通っていた高校の教員なんだよ」
「うわぁ……」
「妹が卒業するまで、両想いではあったけど、付き合ってはいないと言っていたけど……ぶっちゃけ嘘だろうなって思ってる」
「…………だよね」
お互い兄妹だと分かってからは、頻繁に会いに行ける距離にいる訳ではないため、電話やメールなどでそれなりに交流をしていたのだが、妹にその辺りのことについて訊ねてみると、実母が高校生の段階でやることやっていたらしい。
「教師になってすぐの頃に付き合い出したから、年齢差は大きくないんだけどね……。自分が勤めている学校の生徒じゃなかったら、まあ普通にあり得そうなライン。一〇も離れていないよ。確か七歳差だった気がする。もしかしたら八歳差だったかも。まあ大体それぐらいの歳の差」
「お互い成人していたらアリな年齢差だな──片方が未成年だったから、アウトだけど」
「愁兄さんが産まれたとき、あの女一九だったからねぇ。せめて成人してにしろよって思う。結婚しているから問題ないんだろうけど、子供産ませるの早すぎない? ガキがガキ産んでどうするのさ、ホント」
だからなのか、生来の気質なのか、生物学上の母親は、彼女にはなれても、妻にはなれず、母にもなれなかった。
生物学上の父親は、彼氏になれて、夫になることは出来ても、父親になることは出来なかった。
「あの人、見た目が若いんじゃなくて、ガチで若いんだ」
「現在高校生の子供が二人いる母親にしては若いよね……歳の割には若い見た目いるから、整っているけど年相応の外見をしているあの男と並んで歩いていると、
「パパ活するなら、もうちょっと、実年齢もそうだけど、見た目も若い娘を選ばない?」
年齢よりも若いと言っても、二歳三歳若く見える程度だ。このとき、二人を産んだ女は三七歳、見た目年齢は三四もしくは三五歳。パパ活をするなら、後一〇歳若返る必要があるだろう。
「それもそうか。というか、そもそもの話、精神年齢が幼稚園児以下のアイツに、パパ活出来る脳味噌なんかないか。男を引っ掛ける側になるなんて無理だよねえ。男の引っ掛かった側だし」
「未成年に手を出す七歳年上の男と結婚するような人だしね。グルーミングされたことは同情するけれど、子供である僕達には関係ないから」
「無自覚であれ自覚的であれ、相談に乗っている振りをして相手を支配する人は一定数存在するよね。結婚して子供を作るところまで行く人はいないだろうし、まして当時五歳の自分の娘に、『切葉ちゃんはママのことを守ってね〜。パパはママより先に死んじゃうだろうから、パパの代わりにママのことを守って欲しいの』と言うのは、極々少数だろうかし」
「まあ、僕達の種馬みたいな人のせいで、年齢差性別を問わず、少なくない人が不幸に陥っているんだろうね。こういう人に引っ掛かって、疑似的なものであれ、洗脳されたものであれ、
「私の顔のベースだし、美人ではあるよ」
「ベースって……」
「兄さんには分からないだろうけど、本当に私の顔のベースって顔だから。伯父さんもそう言っているくらいだし」
「お前の顔は分かるけど、あの人の顔は分からないからね。綺麗に年齢を重ねているなら、三〇後半でも美人なんだろうな」
「腹立たしいことに、三〇後半と思えないくらい美人ではあるよ──ご近所でも、未だに美人ママなんて言われるくらいには」
「ちなみに僕ってどっちに似てるの?」
「うーん、父親かな──どっちかと言えばの話になるけれど」
「どういうこと?」
「
「嬉しい話だね、それ」
「まあ……並べば生物学上の母親と親子と分かるし、兄さんが生物学上の父親と並べば、親子と分かる程度には似ているけどね……」
「生物学上の母親と僕は、並んでも親子と分からない程度には似てない?」
「似てない」
「生物学上の父親と切葉は、並んでも親子と分からない程度には似てない?」
「似てない」
「僕と切葉は並んでも兄弟と思われないくらいには似てない?」
「似てないんだよね……嬉しくないことに」
「髪質とかは似ていると思う」
「髪と目の色は同じ」
二人共、鉄紺色の髪に、玄色の瞳をしている。髪色は母方の遺伝で、瞳の色は父方の遺伝だ。
「「嬉しくねぇ」」
兄妹の声が揃った。
「まあ、髪色は、
「そうだね」
「瞳の色は、生物学上の父親の親戚の誰かに似たと思っておこう。あの人の親族全員僕達が産まれる前に死んだみたいだから、実際はそうなのか不明だけど」
「そうだね……」
そういうことにしておこう。
実際どうなのかは分からないが、妄想するだけならタダだ。
「しっかし、未成年と結婚する場合、親の同意が必要な筈だよね? よく
「……伯父さんから聞いたんだけど、認めない方がヤバいと思ったらしいんだよね。詳しいことは教えて貰えなかったんだけど、僕達の種馬に脅されたりとかもしたらしいよ」
「あの男はやるだろうね……脅すくらいは生易しい部類だよ」
「へぇ」
「生物学上の母親の周りで、よく行方不明者が出ることに比べれば、生易しい方だよ」
「二割くらいはお前のせいじゃないか?」
「自殺者は出したけど、行方不明者は出していないから、私のせいじゃない」
切葉のせいで一家心中した家庭が五つくらい存在している。愁が知っている範囲だけで五つも存在しているのだから、実際はもっと存在しているのだろう。これからも、増え続けるのだろう。
「というか、愁兄さんの友達、
「本人曰く、ヒャッハーしてギュイーンしているせいで結果的に死んでいるから、行方不明にするしかないだけらしいよ……」
「腹掻っ捌いてドリル突っ込まれたら確実に死ぬと思うんだけど? 死なせる気なかったは通用しなくない? てか何でバレてないの?」
「無駄に証拠隠滅能力高いよね」
「…………プロの犯罪者じゃん。プロはやっぱ、エンジョイ勢の私とは違うな」
「お前も充分プロだよ」
「兄さんもある意味ではプロだと思うけどね」
妹との仲は良好だった。
実の両親の下で苦労しながら生きている妹。
義理の両親の下で幸せに生きている兄。
一歩間違えば仲違いしそうなほど環境が違うというのに、それでも良好な関係を築けていたのは──お互い実の両親に対して不満を持っており、大小差はあれど、実の両親に振り回されているからだろう。
共通の趣味があったというのも、大きいかもしれない。
「兄さんはさ、憂って人のことを桂馬の駒みたいな人だって例えたけど、何で桂馬なの?」
「自由過ぎて理解し難い部分で構成されているから。芸術家タイプっていうの? 一般的な人とは違うっていうか、まあその感じの人なんだよね、憂さん」
「私を将棋の駒で例えるなら何になるの?」
「香車──いや、銀将かな」
「理由は?」
「正攻法でいけるのに、正攻法でいかない──捻くれているタイプだから。お前にしか出来ない動きを出来るところがポイントだけど、どこか中途半端感が否めないんだよね。だから銀将」
後から質問したことだが──
愁曰く、
理由は「とことん突き進むからっていうのが第一の理由だけど、第二の理由は不器用だから、かな。第三の理由は、型に嵌まればクソ強いけど、そうじゃないときは凄く使い難いから。第四の理由は、無闇に動かすと守りが弱くなるから」。
愁曰く、
理由は「斜めから入るから。誰にでもなれない存在ではあるからなぁ。正面から攻めてくる相手には弱いし、詰められると駄目って弱点があるのは難点かな? 扱いが難しいけど、ちゃんと使えば、戦局を優位に進められるし、優秀な司令塔がいれば最大限実力系発揮するタイプだと思う」。
愁曰く、
理由は「オールラウンダーで、攻めの要となるから。良くも悪くも物事を左右する存在じゃん、アイツ。とはいえアイツだけに注力すると、足元を掬われる。酷使され易いのが難点だよね」。
愁曰く、
理由は「非力だけど、いてくれないと困る存在だから。歩兵って金に成ったら、金将と同じ能力を持つ駒になるじゃん? 使い方次第では金将に成れるっていうのはかなり強いでしょ? アイツにピッタリじゃん」。
──という答えが返って来た。
「じゃあ兄さん自身は?」
「玉将」
「ええ、玉将? 愁兄さんが? どうしてそう思うの? 何で?」
「ああ、それは──」
──前世の記憶の夢に見たゼーレは、眠気に抗いながら状態を起こした。
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