第五章【玉将は失われた時を求めて】

第39話【お似合いではないか】

 カメリアの件が片付いた後、ストラーナは奇妙な夢を見た。


 ストラーナに似た子供が、リベルタに引き取られ、否。押し付けられ、父親のような狂人にならず、子供らしい子供として過ごし、五歳の誕生日を迎えたとき、不良の事故で亡くなる──そんな内容の夢だった。


 変だと思いながらも、夢などそのようなものだと自己完結し、特別気にすることはなく、冬休みが終わる頃にはすっかり忘れてしまった。彼女からすれば、所詮は夢。それ以上でもそれ以下でもない。


「私は……エンゲルさんのことを、欲しているのかもしれません……」


 ミウリアがエンゲルに対して抱いている感情を自覚させることの方が大事だった。冬休みの間、それとなく自覚を促したのが功を奏し、自覚への一歩を歩み出してくれた。


 始業式等が終わった後、不意にミウリアがそのようなことを言い出したときは、一瞬意味が分からなかったが、ストラーナはああそういうことかとすぐに理解し、やっと自覚したことに言祝ことほぎたくなる。


「エンゲルさんのことが、欲しくて仕方がないのかもしれません……」


「かもしれないじゃなくて、そうなんだよ」


「…………どうしてなのでしょう……」


 実際よりか弱く見せる演技をする前に、好意的な感情を抱いてくれたから──自分が演技をしている自覚がないミウリアでは気付けない理由から来る所有欲だ。


 好きや愛しているではなく、欲しい。

 エンゲル・アインザームが、欲しい。


 に、見返りを求めない純然たる奉仕を長期間継続維持する彼が、欲しくて仕方がないのだ。


 無償の愛情だと言っておきながら、感謝の言葉を欲する欺瞞と独占欲を隠せない──ということもなく、一途なくらい相手の幸福を願う精神。


 自分の気持ちを恋だち愛だと言い張っていながら、実情は強い自己愛と尋常じゃない執着、偏心な傾倒、形容し難い嫉妬などが合わさった汚泥よりも醜い、とてもじゃないが他者にはお見せ出来ない感情を向けている人物より──遥かに崇高な感情を抱いている。


 エンゲルはミウリアに全財産渡しても後悔しないだろう。その後、どれだけ苦労することになろうとも、一瞬たりとも恨みの念が湧くことはないと、断言出来る。


 ウテナもラインハイトのためなら、全財産投げ売っても気にしないだろう。何せラインハイトの行動記録(分刻み)を綴り続けているくらいなのだから。だがしかし、もしも投げ売った財産を、ラインハイトが親族ではない他の女に貢いだのなら──報われないことへの怒りと嫉妬などの感情が入り混じり、相手に好意を受け止めて貰えないことで暴走し、叶わぬ恋は地獄行きコースを歩んでいただろう。


 愛情を盾に、何をしても良い訳ではないのに。


 好意とは一種の狂気であり、それは一瞬にして黎明を迎え、一時にして終焉を迎える。真理と感情は不可解であり、非理性的で、いつも渾沌しているもの──ということなのか。


 エンゲルがミウリアに尽くすのだって、究極的には他者救済ではなく、自己救済だが、ウテナのように明確に好意が返って来ること、感謝などが貰えることを、期待していない。


 崇める気持ちと恋愛感情を同列に扱わうべきではないだろうが、好意という点では共通しているのに、あまりにも違いが多過ぎる。


「私……私の好意的で、尚且つ、見返りを求めない人がタイプ、なのかもしれません……」


 嘘偽りない究極の自己犠牲──愛によってしか超えられない一線を超えてくれる相手がタイプなのかもしれない。


(最悪だなぁ……悪し様に言えば、奴隷が欲しいということだし……)


 奴隷という単語が頭に浮かんだ途端に、自己嫌悪に苛まれ、にわかに死にたくなってしまった。


「お前とエンゲルの場合、需要と供給が一致している訳だし、趣味嗜好は強要してなきゃ問題ないだろ。双方の同意があるなら大抵のことは何とでもなる」


 右から左に聞き流していたファルシュが、不意に容喙ようかいしてくる。


 見返りを求めないで奉仕する男と、見返りを与えないで奉仕される女──お似合いではないか。


 ということが言いたいらしい。


 双方の同意があれば、大抵のことは何とかなるという台詞は、詐欺師と名高い(詐欺師が詐欺師として有名になるのは、今更ながらどうなのだと言いたくなるが)ファルシュが言うと、説得力はあるものの、違う意味合いを感じ取ってしまいそうになった。


「……私、エンゲルさんのことは、普通に、好きですが…………エンゲルさんのことが、好きだから、欲しい、というのとは、また違うと申しますか……私に、何も要求しないから、欲しい、というのが……正鵠を射ているのではないか、と思います…………」


 見返りという見返りは求めていないが、あくまでもそれは、彼が人生で初めて美しいと思えた対象だからということで──それが見返りと言うのであれば、見返りを求めていると言えなくもないが。


「…………結構酷いですよね、これ」


「今更だろ」


「今更だよね」


 アインツィヒも、ウテナも、ストラーナも、ミウリアも、ゼーレも、ファルシュも、ユーベルも──皆社会不適合であり、そこに貴賎・例外などない。


 ミウリアのヤバい奴ランキングは『ストラーナ>ユーベル>ゼーレ>ファルシュ≧ウテナ>自分>アインツィヒ』となっている。


 ストラーナのヤバい奴ランキングは『自分≧ミウリア>ゼーレ≒ウテナ≒ファルシュ>ユーベル>アインツィヒ』となっている。


 ファルシュのヤバい奴ランキングは『ミウリア>ストラーナ>ユーベル≒ゼーレ>自分≒ウテナ>アインツィヒ』となっている。


 アインツィヒのヤバい奴ランキングは『ストラーナ>ゼーレ≒ウテナ≒ファルシュ>ユーベル≒ミウリア>自分』となっている。


 ウテナのヤバい奴ランキングは『ストラーナ>ユーベル>ファルシュ>自分>ミウリア≒ゼーレ>アインツィヒ』となっている。


 ゼーレのヤバい奴ランキングは『ストラーナ>ウテナ≒ファルシュ>ユーベル>ミウリア≒自分>アインツィヒ』となっている。


 ユーベルのヤバい奴ランキングは『ストラーナ≒ファルシュ≒ウテナ>ゼーレ>自分>ミウリア>アインツィヒ』となっている。


「……こんなこと、皆さん以外には、絶対、言えませんよ…………エンゲルさんにも、メランコリアさんにも、言えませんよ……」


 普通の感性をしている人間──善良な一般と形容出来る人間が聞けば、大抵の者は非難の言葉を口にするだろう内容、という自覚はあるらしい。


「…………エンゲルさんも、カメリアさんも、どっちも欲しいというのは……その、あの、強欲ですよね……」


「大丈夫だ。俺達の中に無欲な奴はいねぇ。皆強欲且つ自分勝手だから好き勝手やってんだろ」


「……まあ、そうですね」


「どっちも欲しいなら、どっちも手に入れればいいじゃない。出来ないことを言っている訳じゃないのでしょう?」


「えぇ……まぁ、そうですね……はい……」


 恋愛感情があるとかではなく、純然たる所有欲から、欲しいと思うのは、どうなのだろうと思わなくもないが、エンゲルが嫌がっているならばまだしも、彼は嫌がっていないため、ついでを言えば、カメリアも嫌がっていないため、問題ないだろう──というのが、ストラーナとファルシュに見解だ。


 ウテナなら「欲しいならそれでいいじゃん」と言うだろうし、ゼーレなら「ある意味両想いなんだし、それでいいんじゃない?」と言うだろう。アインツィヒも「まあ、いいんじゃねぇの?」と言うだろう。ユーベルならば「貴方様が御心みこころの儘に」と答える筈だ。


「どういう形で、手に入れれば……私は、満足するのでしょうか…………現状でも、手に入っていると言えば……手に入っていますし…………」


 物理的な部分はともかくとして、精神的な部分は手に入っていると言える。しかし、それでも、満足し切れない──手に入ったと、思えない。


 カメリアのことは手に入ったと思えたのに、エンゲルのことは手に入ったと思えない。欲しいという欲望が未だに湧き上がり続け、手に入ったという感覚がないのだ。


「ドロドロになるレベルでお前のことが好きって状態にでもなれば満足するんじゃね?」


「お前しかいないんだよ〜的な?」


「そうそう」


「うぅん……そうなのでしょうか?」


 カメリアのことがあるので、否定することは出来ないが、釈然とせず、判然しない反応を示してしまう。


 そうなったエンゲルを想像してみたが、今とあまり変わらなかった。もっと態度に示して欲しいということなのだろうか? それでもしっくり来ず、「こういうのじゃない」という心地になる。


 だが、どうなれば満足なのかと言えば、イメージが浮かばない。


「……こういう会話が、あったのですが──どうなれば、その、えっと……私は……満足するのでしょうか? そう、思います? エンゲルさん」


「本人に訊くんだね──キミからの相談なら、何でも受け付けるけれど、こればかりは、私がどう答えても君は満足しないと思う。人の考えていることを推察することは出来るけれど、本人すら自覚していないことを、こちらが推察するのは難しいかな? そもそも、私が今の地位より出世することが出来ないのは、対人能力に問題があるからだしね」


「……いや、まあ、そうですけど」


「対人関係に関する積み重ねは、ミウリアくんの方があると思うよ。こんなことを言うのは、情けないけど」


 エンゲルはミウリアとその友人、ミウリアがそれなりに気に掛けている対象であるメランコリには、それなりにコミュニケーションを取ろうとしているが、それ以外の対象とは、全くコミュニケーションを取らない。自発的に会話することは滅多になく、そのせいで、エンゲルの声を聞けば幸せになるという謎の都市伝説が出来上がったことがあった。今はメーティス学園の教室で授業をすることがあるため、自然とその都市伝説は消滅したが──それくらい、誰でも話さない男だった。優秀だったので、それでも問題なかったが、コミュニケーションを取らない相手と仲良く出来る者は殆どいない。そんな人生を歩み続けていたせいか、彼に友人はいない。親や親戚とも半分くらい絶縁していると言っても過言ではない状態だ。


 そんな彼が、唯一美しいと思い、心を踊らせることが出来る存在が、ミウリア・エーデルシュタインなのだ。


「ミウリアくんに欲しいと思われるなんて……私の人生はこのためにあったのかもしれないね」


 うっとりとした笑みを浮かべるエンゲル──顔立ちが整っているからまだ見れなくないが、かなりだらしなくて、三六歳という彼の年齢を加味すると、かなりキツいものがあった。


「ミウリアくんのように美しい存在から求めて貰えるなら、ミウリアくんと出会う前のつまらない人生を歩んだ甲斐があったよ」


「そ、そうですか……」


「真面目に回答するとしたら、ウテナくんとか、ファルシュくんとかに相談する方が、よっぽど建設的な答えが来ると思うよ」


「まあ、えっと……そうですね、はい……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る