第35話【病院に来るか、輸血パックになるか、どっちか選べ】

病院ウチに来るか、輸血パックになるか、どっちか選べ」


 珍しく真剣な表情をしたストラーナが、アイザーム家に勝手に侵入したかと思えば、開口一番そう言い放った。


 エンゲルとアインツィヒは外出していた。家にはメランコリアとミウリアしかいなかった。ストラーナが不法侵入したことで、今は三人だ。


 ストラーナが不法侵入することは珍しくないので、またかと思ったが、いつものような螺子が抜けたような掴みどころのないトーンではなく、滅多に聞かない真剣なトーンで声を掛けて来た。


「いきなり……どうか、なさったのですか? ストラーナ様」


「見た目はいつも通りだけど、絶対体調良くないでしょ。病院行きなよ。診察代なら出してあげるからさ」


「………………………………ストラーナ様、何か拾い食いされましたか?」


「してねぇよ。そんなことするほどお金に困ってない」


「……儲かっていますものね」


「で、実際体調どうなの? 良くないでしょ?」


 最近、確かに体調は良くない。しかし今は一二月だ。室内は暖かいとはいえ、気温が低いことに変わりない。エアコンのせいで乾燥している。体調を崩してもおかしくない。


 ついこの間、風邪を拗らせて入院した身であるため、体調が悪いならすぐ病院に行った方が良いと思わなくもなかったが、熱もなく、今のところ倦怠感以外の症状はないため、暫くすれば治るだろうと、睡眠時間を取ったり、食事に気を付けたりと、生活習慣を軽く見直すだけに留めた。


「何かぼんやりしているし」


「……そ、そうでしょうか?」


「最近外出していないし」


「あぁ……」


 言われてみれば、倦怠感を感じるようになってから、外に出るのが億劫になり、外出する回数は自然と減っていた。


「メランコリア、ミウリアちゃんの保険証とかってどこにあるか知ってる?」


 メランコリアは保険証と、アバトワール病院の診察券を、スッと差し出す。


「今からタクシー呼ぶから、その間に出掛ける準備して」


「え、あ、え、えっと、分かりました」


 強引だと感じたが、倦怠感が続いているのは事実。病院に行く良い機会だと思い、言われるがまま、支度をし、メランコリアに留守を任せてタクシーに乗り込む。


「数値の上ではこの上なく健康なんだよね……」


 ストラーナの強い希望により、そこまでするのか言いたくなるほど、ありとあらゆる検査を受けさせられたのだが、リベルタが言うには、ついこの間入院したとは思えないほど健康らしい。


「血液検査の結果も問題ないし、レントゲンにも異常は見付からないし、時期が時期だから風邪かもしれない──くらいのことしか言えないかな、現段階だと」


「まあ、白血球がやや少なめだけど、正常の範囲内だし……」


「もしかしたら他の検査の結果が出れば、何かが分かるかもしれないから、検査結果を待って貰うしかないかな、今は」


 検査を受けた本人よりも真剣な表情で検査結果を眺めるストラーナは、父であるリベルタの言葉を聞き、「そうだね」と不承不承といった様子で引き下がる。


「はぁい」


 いつも通りの螺子の外れたトーンで返事をすると、「検査結果出るまで待とうねぇ」と、ストラーナはミウリアを連れて病室を出る。診察代は払うといったのは本当らしく、受付で財布を出そうとしたので、それを止めて、慌てて自分の財布からお金を出した。


 数値の上では、今のところ健康体とはいえ、倦怠感が続いているのは事実──後日分かる検査結果で、原因が判明して欲しい。


(明日また来てくれと言われたし……明日何か分かるといいなぁ)


 家に帰った後、そんなことを考えていると──「……ミウリアくん」と、エンゲルに声を掛けられる。


「ストラーナくんから連絡が来たけど、病院に行ったのだろう? 体調はどうなんだい? どこか痛いところとか、熱でもあったりするの?」


 そう言いながら、でこに手が触れる。当たり前のことだが、普通に温かい。平均よりは低めの体温だが、カメリアと比較すれば温かい。


「熱とかはなくて……ちょっと倦怠感があるだけなので……大したことはないです……」


「ついこの間入院したのに、大したことがないと言われても、説得力に欠けるよ……」


「あはは……その通りですね……」


「キミは自分を可愛いと思っている割に、自分を蔑ろにすることに躊躇がないから、心配だよ」


「そんなことないですよ……」


「そんなことあるよ」


 我が身が可愛いという気持ちと同じくらい、我が身を投げ捨てることに躊躇がない節があった。うっかり死んでも、案外それを受け入れてしまいそうなところがある。


 エンゲルは漠然とそう感じていた。


「倦怠感がある状態が続いているのだろう? それなのに放置していたのだから、充分自分を蔑ろにしているよ。今回はストラーナくんが居てくれて良かった。明日検査結果が分かるのだろう? 今日は安静にしていなさい。キミに何かあれば心配する人間は沢山いるのだから」


 と、珍しくキツめの言葉を貰う。


 休むと伝え、自室で一人切りになると、「ミウリアくん、病院に行っていたみたいだけど、大丈夫だったかい?」と、唐突に姿を表したカメリアが、心配そうにこちらを窺ってくる。


「今、分かる範囲では……特に異常はない、のですが……後日分かる検査結果で、何か分かるかもしれません……」


「何もないというのは、それは良いことだけど、最近調子が良くないのに、何もないというのは、奇妙というか、不気味だね」


「本当に何もなかったら…………ストレス、とかが、原因ということに、なるのでしょうか? ついこの間まで……シェーンハイト…………に、いましたから……自覚がないだけで、環境が変わったことに……ストレスを感じているのかもしれません…………」


「そうなのかな?」


「まあ、あの、そうですね……あり得ない話ではないと思います……ストレスって、自覚出来ない内に溜まったりすることもありますから……」


「原因が分かるといいね」


「そうですね……」


 ぼんやりしながら、返事をすると、カメリアにわしゃわしゃと頭を撫で回される。メランコリアの真似らしい。


「嫌?」


 小首を傾げ、問い掛けて来る。嫌ではないことを伝えたところ、また撫でられた。相変わらず冷蔵庫の中みたいに冷たい手で。


(エンゲルさんと違うな……当たり前だけど)


 ひんやりしていて気持ちが良いと思うのと同時に、優劣を付ける気はないが、エンゲルの手は温かったと思う。


 眠たくなり、目を閉じる。


 粘り付くような密度の高い闇に呑み込まれる感覚が襲って来て、総毛立つような悪寒が体を駆け巡るが、おもりが乗ったように重い瞼を持ち上げる気になれず、そのまま意識を手放す。


 泥沼にゆっくり沈むような感覚だった。


 どれだけ眠っていたのだろう。

 どこか遠くで、ミウリアと呼ぶ声がした。

 ミウリア、ミウリア、と呼びかけられる。

 切羽詰ったような呼び方だ。


(ミウリア……あぁ、私のことだ……どうしたんだろう……この声……誰かな……聞き覚えのある声であることは分かるのだけど…………普段の調子と違う……何が違うのか分からないけど……何かが違う……誰なのか分からないなぁ……誰だろう……誰かな…………)


 揺さぶられる感覚がして、瞼を持ち上げ、うっすらと目を開ける。


 肩甲骨まである、うねった白金の髪が、ぼやけた視界に映り込んだ。


「お前、顔色ヤバいぞ……最初死んでいるのかと思った……」


「アイン……ツィヒ……様……」


 アインツィヒは目覚めたミウリアを見て少し安堵した様子を見せたものの、焦ったような表情であることには変わりない。


 起き上がろうとしたが、腕に力が入らず、ベッドから落ちそうになる。


「無理すんなよ。お前、今、本当にヤバい顔色しているんだから……」


 アインツィヒに支えられ、落ちることは防がれたが、今度は眩暈がして、本格的に身の危険を感じた。


(死ぬかも……)


 身の危険を感じつつも、妙に冷静な感情が湧き上がってくる。不思議と焦りはなかった。アインツィヒの方が焦っていたくらいだ。


「エンゲル達呼んでくるから、お前無理に体動かさずにそこにいろよ」


 半分くらい意識がない状態だったが、ドタドタした足音だけは妙に記憶に残っている。救急車を呼ぶよりも、自分達が病院に連れて行った方が早いと思ったらしく、ベッドで横になっているミウリアを抱えて運び出すと、車に乗せ、直接病院に運び込んだ。移動の最中にアインツィヒが病院に連絡を入れたことで、その後はスムーズに処置して貰えた。


 病院に到着する前に、ミウリアは意識を失っていたので、彼女からすれば気が付けば病院のベッドの上にいたという状態だが──目が覚めると、メランコリアから熱い抱擁をれ、アインツィヒからも熱い抱擁をされる。


 体に障ると良くないからと、少ししたらエンゲルによって引き剥がされた。


「ミウリアくん──今の状態に心当たりある?」


 二人を落ち着かせると、エンゲルは椅子に座って、改めて声を掛けて来た。


「キミ、何もないらしいよ」


「えっ……」


「だから、普通ならこんなことにならない筈なのだけど、どういう訳なのか、ミウリアくんの体は弱っている──おかしいだろう?」


 おかしいとは思う。


「何か隠していることがあるんじゃない?」


 言われてから、「ああもしかして──」と、カメリアの姿が頭に浮かんだが、口に出すことはしなかった。


 ジッと、真剣な眼差しを向け、真剣な表情のまま、彼女の深碧の瞳を見詰めると──真剣な表情を崩し、眉を八の字に吊り下げる。


「キミのことが心配なんだよ……思春期の女の子が言いたくないことを無理に聞き出すのは抵抗があるけど──無理に言えと強制することは出来ないけど……キミが弱るとこんな風に心配する奴がいるということは頭に入れておいてくれ」


「エ、エンゲル様……」


「……そうだぞ。お前が死んだら、俺様はそれなりに悲しむし、ユーベルとか自殺しかねねぇんだからな」


「アインツィヒ様……」


 横に立っているメランコリアも無言で首を縦に振る。一回二回だけでなく、何度も何度も。


 改めてリベルタが状態について説明してくれたが、数値の上では本当に健康らしい。念のため、点滴を打って貰い、いくつか薬を処方して貰い、病院を去る。


 点滴を打っている最中、ストラーナがやって来て、父親から病状を聞いていたが、訝しむような表情を浮かべていた。


 家に帰ると(何故なのか不明だが、ストラーナが付いて来た)、「そういえば、カメリアさんはどうしているのだろう?」と、不意にカメリアの存在を思い出す。


 以前邪魔をしないで欲しいと言ったため、皆がいるところでは姿を表さない。


 一人になるためにトイレに入った。

 風呂には付いて来たがアインツィヒとストラーナだが、流石にトイレにまで付いて来ることはなかった。


 アインツィヒ、ストラーナ、エンゲルの話し声が聞こえて来たが、何を言っているのかまでは分からない。距離があるから仕方ない。気にはなったが、無理に聞こうという気にもならず、カメリアを呼んでみたが、反応はない。今はこの辺りにいないのだろうか。


 次の日になると、ストラーナは一度自宅へ帰ったが、それからも何日かアインザーム家を訪れ、ミウリアの調子について色々訊ねて来た。


(病気とかではないんだよなぁ)


 あくまでも、現時点では仮説に過ぎないが、九割九分九厘の確率で合っているだろう。


「病気じゃないとしたら、異能力のせいか?」


 冴えたアインツィヒに意見にドキッとしたが、「どうなのでしょう……」と言って誤魔化し、あくまでも知らないていを貫いた。


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