第34話【純粋無垢な少年のような、あどけなさがあった】

「考えてみたんだよ、どうして、自分がエンゲルという人の姿をしているのか」


 一人で街中を歩き回っていたミウリアに、エンゲル(偽物)が唐突にそのようなことを言い出した。予想外の発言だったため、ミウリアは呆気に取られてしまう。


「……考えて、いたんですね……意外です」


 その気持ちを素直に口にすれば、「いつも分からないばかりだと申し訳ないから、自分なりに考えてみた」と返す。


 最初は、いつ話し掛けるのがミウリアにとって邪魔にならないのか窺っていたため、中々自分から話し掛けることは出来なかったみたいだが、知り合いがいないところでは話し掛けて良いと気付いてからは、積極的に話し掛けてくるようになった。


「自分なり考えてみた結果、キミが最も恐怖を感じない姿だからじゃないかという結論が出た」


「……何故なのか、その、お窺いしても?」


「この姿になってから、ミウリアくんは私を怖がらなくなったし、実際この姿のお陰で対話してくれるようになったから……メランコリアという人は近寄り難いし、ストラーナという子は掴みどころがないし、他にも理由はあるけど、全部挙げたらキリがないから、ここで終わらせておくよ。とにかく、他の人の姿でいるよりは、怖さを感じ難いかなと思ったんだ」


「口調とかが似ているのも……そういうこと、なのでしょうか?」


「一種の擬態なのかもしれないね」


「擬態……」


 言われるまで思い浮かばなかったが、擬態と言われれば確かに擬態と言えるかもしれない。中身まで擬態出来ている訳ではないが、彼の知性は高い。ある程度エンゲルについて知っている今は、エンゲルの振りをすることが出来るだろう。深い仲ではないのなら、エンゲルだと信じ込ませることが出来る気がする。


「まあ、貴方は……幽霊的な存在になっているみたいですし……擬態、能力、が、あっても、不思議じゃない、ですね……」


「能力というより、体質なのだろうね、この擬態は──自分で制御することが出来ないのだから、能力とは呼べない」


「ああ……」


 だとしたら、常時発動型の異能力は──ウテナやアインツィヒの異能力など──能力ではなく、体質と呼ぶべきなのかもしれないと、どうでもいいことが頭に浮かぶ。


 異能力に関しては、現代でも分からないことが多い。人間が有する科学で説明出来ない特殊な力のことを、便宜上、異能力と呼ばれることが多いが、実際はもっと細かく分類出来るのだろう。


「生態とも言えるかもしれない」


「生態……」


 アインツィヒの異能力は、生態というより体質だが、ウテナの異能力は、整体と言えるかもしれない──薬物が効かない、寝なくてもいい、疲れない、そういう生態の人間だと言われても、少なくともミウリアは否定することが出来ない。


 異能力の研究をしているエンゲルなら、また違う意見が出てくるのかもしれないが。


「まあ、この考え方が合っているかどうか分からないけどめ。私に確かめる術はないし」


「そう、ですね……エンゲルさんに、訊けば、何か分かるかもしれませんが……エンゲルさんは、その、貴方の姿、見えませんからね……」


 エンゲル(偽物)は、今のところ、ミウリア以外に認識されていない。そのような状態で、このような話をすれば、頭の病気を疑われかねない。


「そうだね」


「えぇ……」


「視られないというのは便利だけど、それと同じくらい不便だね」


 どう反応していいのか分からず、ミウリアは曖昧に笑って誤魔化す。


「そういえば、キミって私のことを貴方と呼ぶだろう?」


「まあ……そうですね……」


「最近気付いたんだけど、私に名前がないと、呼ぶとき不便なときがあるんじゃないかって」


「ないと、言えば、嘘になりますけど……なくても、別に……もう慣れましたし……」


「私もミウリアくんに名前で呼ばれたい」


「えぇ……」


「考えてくれない?」


「えぇ……?!」


 唐突だと感じてしまったが、しかし、名前がないのは不便かと思い、「……センス良い方じゃありませんので、あの、その、えっと……あまり、期待しないで下さい」と前置きしてから、名前を考え始めた。


 口では何やかんや言っても、結局応じてしまう辺り、だいぶ心を許しているのかもしれない──一緒にいても、取って食われることもなければ、肉体的にも精神的にも傷付けても来ない、心を許してしまったのだろう。


「……カメリア・エーデル──というのは、如何でしょうか?」


「カメリア・エーデル……」


 椿が好きだから、カメリア。エーデルシュタインから一部を拝借して、エーデル。安直だが、下手に捻った名前より良いだろう。


「あの、どう、ですか?」


「あぁ、とっても嬉しい──これからは、カメリアと、呼んでくれないだろうか? 一回、ここで呼んでくれないだろうか?」


「カメリアさん」


「ふふふ」


 周りに花が舞っていないのが不思議なくらい、朗らかな笑みだった。


 エンゲル(偽物)改め、カメリアは、「もう一回呼んでくれないかい?」と言った。


「カメリアさん」


「嬉しいなぁ。うふふ。自分だけの名前があるというのは良いねぇ」


 カメリアは彼女の手を取る。


「これからはミウリアくんに何度もこの名で呼んで貰えるんだね」


 彼の手は冷たくて、身震いしてしまう。温度以外は人間の手と変わらなかった。死後時間が経った体を連想させられるほど冷たいのに、柔らかさに関しては生きている人間と変わらない──不思議な体だ。


(冷たいことも吃驚したけど、カメリアさん、私に触れるんだ……今まで壁とかすり抜けていたから、勝手に触れないと思いこんでた)


 自然と握られた手に視線が向き、自然とジッと見詰める形になってしまう。


「あ、ごめん」


 それを咎められていると勘違いしたのか、慌てて手を離す。


「…………温かいね、ミウリアくんは」


「カメリアさんは……冷たいですね……」


「ああ、いや、そうじゃなくて──勝手に触ってごめん」


「いえ……気にしてないので」


 ミウリアは驚きこそあれど、悪気もなければ、下心もないため、別に気にしていなかった。相手が知らない男なら、嫌悪感を感じたかもしれないが、変な意図がないと分かりきっている見知った相手だ。軽度のスキンシップ──新愛の証として受け入れられる。


「…………良ければ……もう少しだけ、触れてもいいだろうか」


 躊躇が声と表情に表れつつも、カメリアはこちらの顔色を窺って来た。もしもここで、引いたりすれば、冗談と取り繕っていただろう。もしもここで、断りの言葉を述べたら、普通に引き下がるのだろう。


「ええと……頬とか、手を、少しだけなら……」


 触れる以外の意図がないと分かりきっていたから、軽く触られるくらいならいいかと思い、つい先程握られた手を差し出す。


 恐る恐るといった様子で、差し出された手に触れると、両手で包み込む。まるで、大事なものを握り締めているかのようだ。


「私の手と全然違う……」


 男女差、体温の違いがあるのだから、全然違って当然だ。


「人間というのは、皆こうなのかな?」


「ええっと……体温に関しては、似たり寄ったりだと思います……他、知りませんが……」


「じゃあ、ミウリアくんからすれば、私の体温? は、低過ぎるということになるのかな?」


「まあ、人間が……カメリアさんと、同じ体温になれば…………普通に死ねますね……」


 低体温症になって死ぬ。

 絶対とまではいかないが、かなり高い確率で死ぬ。


「死ぬの?」


「かなり高い確率で……」


「何というか……厄介だね、人というのは……いや、私も元は人間であるけれど──殆ど忘れてしまったから、自分が人間だったという実感があまりないのだよね」


 握っていた手を離すと、今度は頬の方に手を伸ばす。


 柔らかく、ゆっくりと、指を動かしたかと思えば、ムニムニと指の腹で軽く頬を押して、「……おおっ」と、未知のものに遭遇した子供みたいな声を上げる。


「柔らかい……」


 頬の感触が気に入ったらしく、「もうちょっとだけ、触っていいかな?」と訊いて来た。


「後少しだけ、でしたら……」


 瞳をキラキラと輝かせると、カメリアは一〇分くらい頬の感触を味わった。


 ふと、こうして話していると、カメリアは、存在は非人間的だが、中身はかなり人間的だと感じた。少なくとも、ストラーナとファルシュに比べれば、異常ではないし、非人間的でもない。


 彼の姿の元ネタ(という表現をするのはどうかと思うが、他に良い表現が浮かばない)であるエンゲルの方が、遥かに変と呼べる存在だろう。


 カメリアは知らないだけで、気質はそこまでおかしくない。


「偶には触れてもいいかな? 今みたいに」


「偶に、でしたら……」


 余程頬の感触が気に入ったらしい。何故そんなにも頬の感触が気に入ったのか不明だが。


 話し込んでいる内に、それなりの時間になったので、あまり遅くなると心配されると思い、家に帰ろうと足を動かす。Uターンして、今まで歩いて来た道を歩く。


 途中で、階段から落ちそうになったが、カメリアが咄嗟に腕を掴んでくれたことで、軽い怪我で済んだ。下手したら骨折しかねないため、「た、助かった……」と安堵の吐息が漏れる。


 喉が乾いたため、飲み物を買い、それを飲みながら帰った。真っ昼間と形容される時間帯と比較すると、冷え込んで来た上に、喉を潤すために冷たい飲み物を胃に入れたのが良くなかったのか、次の日──少しだけ体が重かった。


 少し怠いと思う程度で、熱などはなく、咳もなかったが、また風邪を拗らせて入院されては堪ったものではないと、アインツィヒに「お前絶対安静にしろよ」と言われる。


「振りじゃねぇからな? いいな? 分かったか?」


「はい……」


 エンゲルもメランコリアも、アインツィヒの意見に賛成らしい。


 熱もないのにと思ったが、また入院するのも嫌なので、大人しく病人扱いを受け入れた。病院に行こうかと言われたが、アバトワール病院には進んで足を運びたくなかったため、体が重い以外は症状が出ていないから大丈夫だと言い、そこだけは固辞した。


「大丈夫?」


 部屋に誰もいないとき、カメリアが声を掛けて来る。


「少し体が怠いだけで……他は、何もないのですが……この間、風邪を拗らせて、それで入院しましたので……それで……心配、しているみたいです……」


「この間、病院にいたのは、それが理由かい?」


「えぇ……」


「まだ一ヶ月も経っていないし、心配されるのも無理ないよ」


「まあ……幽霊(正確には違う)と会った後ですし……あのときは、怖がっていましたから、それで、その、無理に、病院に行かせるのも良くないと思ってくれたみたいで……今は、平気なのですが……」


 幽霊の正体を見たり枯れ尾花──今は恐怖を感じていないが、あのときは本当に恐怖を感じた。


「怖がらせてごめん……本当に、怖がらせる気はなかったんだけど、配慮が足りなかったよ」


「いえ……その、気にしていませんので……大丈夫です……」


 これは本当だ。怖い思いはしたが、物理的に危害を加えられた訳ではない。良くも悪くも何も知らなかっただけなのだ。今なら本当に悪意がなかったと理解出来る。だから、気にしていない。


「ごめんね」


「いいんです……気にしないで下さい……」


 短期間で、随分と警戒心が薄れてしまったという自覚はある。慣れてしまったのだろう。いつの間にか、「最初は怖かったけれど、少し接してみると、そこまで怖い存在じゃないというか、私の友達達の方が遥かに怖い存在だし……」と、失礼に値する考えが頭の片隅に浮かぶようになっていた。


 幽霊よりも害悪な存在である友人達より──遥かに善良な存在なのだから、何を警戒する必要があるのかと、気を許していた。


 手と頬だけでなく、最近は髪にも触れて来るようになった。「偶に」という言葉は、律儀に守っている。


 躊躇いながら、けれど、さり気ない動作で、触れて来るため、時折吃驚してしまうが、「嫌だ」「しないで欲しい」と言ったことはしないでくれるため、あまり気にならなかった。


 全く知らないという訳ではないにせよ、あまり知らない相手であることには変わりないのに。


「凄く滑らかで柔らかいよね。私の──ああ、いや、この場合、エンゲルのか……彼の髪とは違うな。男女差という奴なのかな?」


「純粋に……これは……髪質の問題だと思いますので……男女差というより、個人差という奴なのではないでしょうか?」


 カメリアの髪に触れる。

 エンゲルと変わらぬ手触りをしていた。


(エンゲルさんに、見た目は擬態? しているのだから、当然と言えば当然だけど)


 相変わらず見た目こそエンゲルそっくりだが、彼はエンゲルと違い、彼女のことを天使と呼ぶこともなければ、近いようで一線を引いているような態度を取ることもない。


 普通に会話をしている。

 男性と会話をしているというより、男児と会話しているという感覚に近いが。


 そんなことを考えながら白銅色の髪に触れていると、カメリアは溶けるような、力の抜けた笑みを浮かべた。エンゲルが絶対にしない笑顔だ。彼が力の抜けた笑みを浮かべても、だらしない印象の笑みにしかならない。彼のように可愛らしい笑みにならない。


 カメリアの力の抜けた笑みが「ふにゃ」なら、エンゲルの力の抜けた笑みは「ニマニマ」という感じだ。


 同じ顔なのに、こんなにも違うのかと、新たな発見を得た。


「キミに触られるのは心地が良いね」


 どこか照れ臭そうな表情に変化し、右手で頬を掻く。純粋無垢な少年のような、あどけなさがあった。


「もうちょっとそのままでいて」


 何となく、今のままは良くないと分かっているが、その表情を見るか、まあいいかという気分になった。


 これでもいいか──そう思えたのだ。

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