第21話【天使といっても過言ではない存在なんだ】
ミウリア・エーデルシュタインに、母親はいない、そして父親もいない。産んでしまった女と、種馬になった男がいるだけだ。産んでしまった女が誰なのか知らなければ、種馬になった男が誰なのかも知らない。
両親に当たる男女について、彼女が知っていることは多くない。確かなのは、男は犯罪者集団に属している人物で、女は犯罪者集団の被害に遭った人物であることと、女は運良く逃げ出し、どこかに消えてしまったこと。彼女を産んでしまった女は、彼女と同じ髪色をした美人であると、聞いたことはあるが、真偽の方は定かではない。
ミウリアは、その犯罪者集団のところに置いて行かれた──つまり、母親に見捨てられたことになる。
当時のトップに機嫌悪ければ、赤子の時点で死んでいてもおかしくなったが、美人の娘だから成長すれば良い売り物になるかもしれないという理由で、殺されずに済んだ。
彼女が成長し、便利な異能力を持った人間であることが分かると、その異能力が重宝され、ミウリアが死ぬと奪った異能力が使えないため、他の者達と比べると待遇は悪くなかった。比較的マシというだけで、酷い扱いを受けていることに変わりないが、メランコリアのように、正気を喪失するほど酷い目に遭わなかったのは、運が良かったのだろう。悪運とやらが強いのかもしれない。
器用で、大抵のことは熟せるからという理由で生かされ、薬と暴力のせいで自我が曖昧になり、記憶を殆ど失くした彼は、元々はどのような人物だったのだろうか。
現在は無機質で、無感情で、何を考えているのか、或いは考えていないか分からないが、昔はこうではなかったのは間違いない。
種馬に当たる男がいたあの組織は、現在は存在していない。
いつものように死体から異能力を奪い取り、いつもと違い、組織の人間に奪物質に変換した異能力を渡さず、メランコリアに渡した──指輪に変換したい能力を、彼の指に嵌めた。
彼に異能力と使わせるように誘導し、組織を壊滅させた。ミウリアとメランコリア以外の人間を殺して、遠くに逃げた。
推定一〇歳の肉体では、移動し終えた時点で限界を迎えてしまうらしく、逃げるだけ逃げると路地裏に倒れてしまう。
そこを偶然通り掛かったエンゲルに助けられ、アバトワール病院に運び込まれ、ストラーナと再会を果たした。
そのときに名前がないと不便だろうという理由で、ミウリアと名乗ることにした。ミウリアという名前にしたのは、深い意味はない。頭に浮かんだから、そう名乗ることにしただけだ。
ファミリーネームのエーデルシュタインは、エンゲルが後で与えてくれたものだ。
ストラーナの父の腕は本当に良い。
すぐに回復し、動けるようになった。
何故闇医者になったのだろうかと思ったが、闇医者をしている人間でなければ、戸籍なし名前なしの子供と、自分の名前以外忘れてしまった男を治療してくれなかったかもしれない。
ストラーナの友人でなければ、輸血パックにされていたかもしれないと思うと、素直に感謝するのは難しいが、この点に関しては感謝しなければならないだろう。
「キミは私にとって天使といっても過言ではない存在なんだ」
救急車を呼ぶだけならましも、それ以降も至れり尽くせり世話焼くエンゲルに、何故そこまでするのか問うたとき、彼はこのような回答した。
「生まれて初めて心から美しいと思えるものに出会ったんだ。私は今の今まで、美しいと思えるものがなかった。こんなことを突然言われても理解出来ないかもしれないが、世間一般では美しいと呼ばれているものが、私は美しいと感じることが出来なかったのだよ。頭では美しいのだと理解出来ても、心では美しいという気持ちが湧かない。醜いものは普通に醜いと感じるのに、美しいものは美しいと感じられないというのは結構しんどくてね。美しいという気持ちは感動に結び付くのだな。ああ、通りで今まで人生がつまらなかった訳だよ。これからは退屈とは無縁の人生を送れるだろうね。何故ならこんなにも美しいものが出会えたのだから。人生を楽しむということが出来る気がするよ。もっと近くでキミの姿を眺めさせてくれないだろうか? 絶対に触れたりしないと約束するよ。こんなにも美しい存在に触れるなんて畏れ多い。宝石に触れるとき、手袋を付ける人間の心境が分かる気がする。人間、本当に美しい物には軽々と触れるなんて出来ないだな」
エンゲルが始めた見たミウリアの姿は、お世辞にも美しいと呼べるものではなかった。服も髪もボロボロで、体にはあちこち傷があった。美しいという言葉の正反対を行く姿だった。
それなのに、彼は美しいと思ったと言う。
「どうして、こんなにも心惹かれるのか、自分でもよく分からないんだ。だけれど、とても美しいと思ったし、心惹かれたんだ。意味が分からないよね。混乱させてしまったよね。申し訳ない。だけど、本当に素晴らしいと感じたから。先程も述べた通り、美しいと思えるものに初めて出会えたから、キミのために何でもしてあげたいと思ったんだ。だからして欲しいことがあったら言ってくれ。本当に何でもする。歳上の男からいきなりこんなことを言われて怖いだろうし、吃驚してしまったかもしれないが、どうしても伝えておきたくて……」
一九歳も年齢が上の男から、いきなりこのようなことを言われれば、通常の一〇歳(推定)なら怖がってもおかしくはないが、ミウリアには前世の記憶があったこと、ストラーナなどのお陰で変人に対する耐性はあったので、驚きはしたが恐怖は感じなかった。
(……本当に、あのときは死ぬほど、驚いたな)
彼の言っている言葉が一切理解することが出来ないくらいには、衝撃的で、暫くの間、ポカーンと放心してしまったが。
綺麗に纏められた髪を、鏡で確認する。
ミウリアの顔立ちと、着て行く予定のドレスに合う纏め方をしてくれたらしく、非常に美しく仕上がっている。
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
ミウリアの可愛らしさが引き立てられている姿に当てられ、エンゲルは声にならない悲鳴を上げる。
「天使……」
一片の後悔なく死ねそうな表情を浮かべ、身振り手振りで感動を伝えてくる。
オーバーな動きをしているせいで、研究職に就けるくらいには頭が良い筈なのに、全然そんな風に見えない。
滂沱の涙を流すエンゲルに水を渡し、それからメランコリアの方に向き直る。
「髪、ありがとうございます……あ、あの……冬期パーティーがある日も……お願い、しても宜しいでしょうか?」
口数が少ない上に、偶に話しても、無感想な声しか発しないため、彼がミウリアに対してどのような感情を抱いているのか窺えないが、悪感情は持たれていない筈だ。
冬季パーティー当日。
メランコリアは髪を綺麗に纏めただけでなく、ミウリアに軽く化粧を施してくれた。
軽く化粧をしただけでも、技術が素晴らしいと見違えるように変わるらしく、自分の顔なのに、自分の顔とは思えず、ついつい鏡の前で見惚れてしまった。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぉわはぁ」
「えっと……あの……エ、エンゲルさん、大丈夫ですか?」
一応声が聞こえているらしく、首を縦に振って頷いてくれたが、全然大丈夫には見えない。後で聞いたことだが、ミウリアが美し過ぎるあまり、語彙力が喪失したらしい。
準備を終え、冬季パーティーの会場に足を踏み入れる。
整っていた顔が更に綺麗になっているため、男女問わず注目を集めてしまう。
「素材が良い奴はやっぱ違うんだな」
「メランコリアさんが……綺麗に、して下さったのです……」
「アインツィヒとかヤベェぞ。見ろよアレ。見た目だけは絶世の美女だ」
「そうですね……ウテナ様も、お綺麗ですね……ラインハイト様に、エスコートを頼んだのですね……ストラーナ様は、どこにいらっしゃるのでしょう?」
「あそこにいるぞ」
ファルシュが指差した先には、ゼーレにエスコートをさせているストラーナがいた。皆、彼女と関わりたくないと思っているのか、彼女が避けるように動いている。まるでモーセみたいだと、ミウリアは思った。
「ストラーナ様……相変わらず……その、えぇっと、畏れられていますね……」
「一緒にいるゼーレが可哀想になってくるな」
「それで、ユーベル様は…………あ」
辺りをキョロキョロ見回すと、ユーベルも錫色の瞳と目が合う。彼女のところまで歩み寄って来ると、「ミウリアさん、似合っていますね」と、屈託のない褒め言葉を口にする。
「あ、ありがとうございます……」
「
「え、ええ……そう言って頂けて、嬉しいです」
「誰かと踊らないのですか?」
「ほら、ご存知の通り……ダンス、得意じゃありませんので……誘ってくれるような相手も、いませんので……あははは」
前世の頃から運動神経が良いとは言えなかったが、今世は悪化しており、特に体力面が酷い。幼少期劣悪な環境にいた影響なのか、努力しても体力が付かないのだ。
「その……一回くらい、踊ってみたい、とは、思っているのですけどね……」
余程見知った相手でなければ、相手に申し訳無さそ過ぎて、誘われても踊る気になれないが。
ユーベルを一瞥してみる。
ミウリアのその姿を見て、誘って欲しいのだと察したファルシュは、彼女から見えない位置で、彼女を踊りに誘うよう、ユーベルに手の動きと目線で伝えた。最初は意味が分からないと言いたげな表情だったが、ファルシュの努力のお陰で正しく意味が伝わり、ユーベルは彼女に声を掛けた。
「ミウリアさん、宜しければ僕と一曲踊って頂けないでしょうか?」
「えっと……はい、喜んで」
差し出された手を手に取り、二人は踊る。ユーベルがぎこちないミウリアの動きに合わせてくれるため、何とか踊りの体裁は保てている。何度も彼の足を踏んでしまい、申し訳ない気持ちで一杯になったが。
「……足、踏んでしまって……すみません」
「いえ。お気になさらないで下さい。痛みは有りませんでしたので。貴方と踊れて光栄でした」
「わ、私も、ユーベル様と……踊れて、光栄でした」
二人がそんな風に話していると、「やあ、ミウリア嬢」と、聞き覚えのある声がする。
「宜しければ、この私と、踊って頂けないでしょうか?」
「シュ、シュヴァルツ様……え、えっと………………下手ですけれど、それでも良いのなら……」
僅かに悩む素振りを見せたものの、最終的には差し出された手を取った。断るのも失礼に当たるのではないかと思ったのだ。「大丈夫なのだろうか」と、ユーベルは心配になったが、嫌がっている訳ではないため、口を出さなかった。
「ミウリアちゃんはこういうところ来ないと思ったよ」
踊っている最中、リューゲは話し掛けて来る。踊ることに意識を集中していた彼女は、思わず体勢を崩しそうになる。崩しそうになるだけで、崩さずに済んだのは、
「去年は参加していなかったし」
「まあ、はい、そうですね……この通り、踊りが上手くありませんので……」
「ファルシュくんが来るから来たの?」
「まぁ、そういう、理由は……なくはない、ですが……」
「ファルシュくんのこと大好きだねぇ」
「…………」
非常に棘を感じる言い方だった。「ファルシュ様に何かされたのかな?」と、一体何をしたのか考えてみたが、情報商材、保険、心当たりが多過ぎて何をしたのか分からない。
「ファルシュくんと踊れなくて残念だった?」
「いえ、ファルシュ様と踊ると……絶対に転ぶので、その、人前で、ファルシュ様と踊るのは、ちょっと……」
ファルシュは器用な人間だが、ユーベルのように、他者に合わせて踊る技術は持ち合わせていない。
「ふぅん」
会話している内に踊り終わり、ふと辺りを見回すと、ストラーナが声を掛けられている場面を目撃する。
「良ければ、僕と踊って頂けないでしょうか?」
新橋色の髪をした、身長が一九〇センチはありそうな、線の細い男が、ストラーナを踊りに誘っていた。一体どこの命知らずだろうかと、視線を向けていると、「ボースハイトくんじゃん」と、リューゲが言葉を発する。
「……知り合い、ですか?」
「学年が同じで、去年クラスが一緒だっただけで、知り合いと呼べるほどの仲ではないよ。あくまでも名前と顔を知っている程度だね」
「あ、そうなのですね……えっと、何故、あの御方は、ストラーナ様にお声を掛けているのでしょう……ストラーナ様が、恐ろしくないのでしょうか……」
「随分酷い言われようだね、ペリコローソちゃん。気持ちは分かるけどね」
ストラーナは、誘いは断らなかったらしく、ベーゼと共に踊る。踊り終えたタイミングで、彼女の傍に寄った。
「ストラーナ様、先程の方は……」
「ああ、あれね。よく分からない。何か急に話し掛けられた。暇だったから踊ったけどね」
「あの、踊っている最中も、話し掛けられていましたが……」
「そうだっけ? 聞いていなかった」
「そ、そう、ですか……ストラーナ様、ですものね……えぇ、そうですよね」
無視されているベーゼが可哀想になるミウリアであった。「無視しなくても……」と思っていると、ストラーナに肩を叩かれる。
「あの人、ミウリアのことジッと見てたよ」
ストラーナが指差した先には、ふんわりした月白の髪をした男が立っていた。今は翡翠の瞳をこちらに向けていないが、こちらを気にしていると分かる素振りはあるため、見ていたというのは本当のことなのだろう。
「知ってる人?」
「いえ……全然、知らない人、ですけど……」
「どうかしたの?」
話し込んでいるストラーナ達の様子に気付いたのか、ウテナがこちらにやって来る。ラインハイトは連れていない。
「ああ、ウテナ様……えっと、実は、あちらにいる方が、私のこと……ジーッと、見ていたらしくて……私は気付かなかったのですが……」
月白の髪をした男を指差しながらそう言えば、ウテナは指を差された方向に視線を向ける。
「……ッ」
「どうかしたの?」
「あぁ、うん、何でもない……何でミウリアのこと見てたんだろうね? 可愛いからかな?」
「そういう感じはしなかったけどなぁ」
と、ストラーナが呟く。
外見に惹かれてジッを見詰めているというよりも──「何か別のものを見ているって感じなのよねぇ」
上手く表現出来ないが、ミウリアではない存在を、ミウリアを利用して見ているように感じた。
ウテナはある人物の顔を頭に思い浮かべ、視線の先にある人物の顔と比較していた。
(…………スゲェ似てるんだよな、アイツに)
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