第三章【天使は歪にひび割れた】

第20話【それもこれも、全部あの人達のせい】

 何とも平凡な人生だ。

 自分に瓜二つな容姿をした男が、幼い頃に両親を亡くし、妹と共に親戚の家をたらい回しにされながらも、それなりに楽しく生きていく──平凡だがつまらなくない、ありふれた夢だ。


 親戚の家をたらい回しにされたが、決して嫌われていた訳ではない。経済的な事情とか、仕事の事情とか、致し方ない理由が重なり、結果的にそうなっただけだ。


「冬休みもうすぐじゃん。皆冬休みどうするの? 私はここに家構えているけど、皆はそうじゃないもんね。やっぱ実家に帰るの?」


 ユーベルがそのような夢を見た日、ウテナがこのようなことを言い出した。


 自宅から学園に通っているウテナと違い、その他のメンバーは実家から離れ、ウテナの家に居候しているアインツィヒを除けば、基本的に寮で暮らしている。


「親は出張で家を開けているから、家に帰っても誰もいないし、今年は帰らないつもりでいるぞ。ぶっちゃけ俺は実家国内にあるから、帰ろうと思えば帰れるしな」


「私は……そうですね、エンゲルさんも、一度帰るつもりですし……ローゼリアに一回帰ろうと思います」


「僕はどうしようかな。親から家のブレーカーぶっ壊れたから、今年は帰省しなくて良いって言われてるんだよな」


「ゼーレ兄さん、それ大丈夫なの?」


「ブレーカー壊れているせいで食材が駄目になったっぽいし、暖房は全滅だから大変みたい。明日業者が来るみたいだけど、いつ治るか分からないどころか、治るかどうかも分からないし、今年は帰らなくていいって言われたんだよ」


「……本当にヤバそうだったら言ってね。良い業者紹介するとかは出来るし、最悪金積んでどうにかするから。アインツィヒ派遣してもいいし」


「俺様の許可を取って言えよ」


「どうせ何やかんや言いながら直すことには変わりないんだし、聞かなくても問題ないでしょ」


「……まあ、やらねぇことはなくもなくもなくもないかもだけども」


「ほらやっぱり。お前はそういう奴だよ」


 前世の兄に対しては甘く、前世の幼馴染のことを信頼し過ぎているウテナだった。


「俺とゼーレが居残りで、ミウリアが帰省するみてぇだけど、アインツィヒとストラーナとユーベルはどうするんだ?」


「私は帰ろうかな。異能空間にある死体実家に持ち帰りたいし」


「あ、そうですね……ずっと置いておく訳にも行きませんものね……ストラーナさん、異能力渡しておきますので、死体回収したら、後で返して下さいね……」


「すぐ返すよ」


 ペリコローソ家からアインザーム家までの距離は比較的近いため、徒歩で行き来することが出来る。二人共、保護者がそれなりにお金を持っているため、結構良いところに暮らしているのだが、普通に暮らしている分には問題ないのだが、一つだけ致命的な欠点があり、救急車に乗ることになった場合、高確率でアバトワール病院に搬送されることだ。アバトワール病院に搬送されてしまうことは、墓場に送られることと同義である。腕は良いが倫理観がないのだ。ミウリアがストラーナと友人でなければ、今頃輸血パックにされていただろう。


「で、アインツィヒとユーベルはどうなの? ゼーレくん達みたいに居残り? それとも帰省するの?」


「あー、その件なんだけどな、正直どうしようか悩んでんだよな……今世は親との関係が良好じゃねぇんだよな。親子っつーより、ビジネスライクな関係っていうか……元請けと下請けみてぇな関係だから、仲が悪いっつー訳じゃねぇんだけど、居心地悪ぃんだよな。最近はメールでしかやり取りしてねぇから、顔も見ていねぇし、声も聞いてねぇよ」


「前世のアインの両親は良い人立ちだったのにねぇ。何でお前みたいな娘産まれたのかと思うくらい、本当良い人達だったよ。お前があの人達の悪い部分を引き受けて産まれたとしか思えないな」


「それに関しては一切否定出来ねぇが、だからといっても限度っつーもんがあんだろ。喧嘩打ってのかよお前。事実陳列罪で訴えてやろうか?」


「弁護士にその内容で相談してみたら? 一〇〇パー呆れられるけど。それでアインは結局どうするの? 帰省するの? しないの?」


「……あー、そうだな。なあミウリア」


「………………あ、はい」


 自分に話題が振られると思っていなかったらしく、少し反応が遅れてしまう。


「えっと、はい、何でしょう……」


「俺様を泊めて貰うことって出来るか? お前がローゼリアにあるエンゲルの家にいる間、お前の家に世話になりたいんだ。食費とか、その他諸々の費用は全部自分で出すから」


「い、いいですけど……何故、私の家に?」


「そこのウテナ浮かれポンチは、冬休み期間はいつもより下僕とイチャイチャするだろし、俺様がいたら邪魔だろ」


「アイン、さっきの言葉は訂正するよ。お前はあのご両親の娘さんだ。ほんといい奴だよ」


「テメェの掌はクイックルワイパーか」


「柔軟性があるんだよ」


「それは柔軟性に失礼過ぎる」


 幼馴染だけでなく、兄からもツッコミを入れられてしまった。


「僕は、そうだな、妹に長期休み位は顔を出せと云わせているから、実家に帰ろうと思う。正直ミウリアさんの近くにストラーナが居るのは不安でしかないが、アインザームだけだなく、アインツィヒが居るのならば、最悪の事態は避けられるだろう」


「責任重大じゃねぇか。何があっても責任取れねぇぞ、俺様……な、何かあっても、恨まないでよね」


「好き勝手言ってくれるねぇキミ達」


「日頃の行いですよ、ストラーナさん」


 ゼーレ、ファルシュが居残り。ミウリア、ストラーナ、ユーベルが帰省。ウテナは変わらず自宅に残り、アインツィヒはミウリアの家に世話になることになった。ミウリアの家は、エンゲルの家でもあるのに、勝手に決めていいのかという問題はあるが、それに関してはミウリアの頼みならことわらないという前提があるため、皆了承されるものと考えていた。実際その通りになるので、その考えは間違っていない。


「ああ、そういえば、冬休み前、冬季パーティーが行われるけど、あれって皆どうする予定なの? 私はヴォルデコフツォ家の令嬢だから、一応は出席しないといけないんだよね。今の私の保護者は現当主ということになっているし、実権の握っている側だけど、表向きはちゃんと当主の顔を立てないといけないんだから、面倒だよ」


 冬季パーティーというのは、社交界の練習を兼ねた本格的な夜会のことである。参加するかどうかは自由だが、普段会う機会のない人間と会う絶好の機会であり、意欲的な学生はコネ作りのために出席したりする。ウテナのように、立場的な理由から出席しないといけない者もいるが、一般家庭出身の生徒には関係ない。


(シエルも参加するのなら……私と踊った後に、ラインハイトに誘わせるのもアリだな。ラインハイトの好感度を稼がせるチャンスだし)


 種類はどうあれ、好意を持った相手に対して人は弱くなる──ウテナも、そしてウテナの前世の両親も、そうだった。というか、この場にいる者達は多かれ少なかれ、常人よりもそういった傾向が強い。


 そして、良い子は、大切な存在を信じる傾向にあり、切り捨てようとはしない傾向にある。利用出来るものは、利用した方が良いだろう。


「ああ。どうしようかな? お父さんがドレス用意してくれたし、行こうかなと思わなくもないけど。エスコートはゼーレくんに頼もうかなぁ。という訳でゼーレくん、服用意して私のことをエスコート出来るようにしておいてね」


「貴方僕のことをパシリか何かだと思っていますよね。まあ、それくらいならいいですけど。服、どういうのを用意すればいいんでしょうか?」


「選ぶの手伝おうか? 兄さん」


「御令嬢のお前の方が詳しいだろうし、お願いしようかな」


「いいの選んであげるよ」


 そうやって、大抵の頼みを聞き入れてしまうから、いいように使われるのではないかとユーベルは思ったが、口にするのが億劫に感じたため、胸の中に仕舞っておいた。仕舞っておいて正解だ。珍しく正しい選択をした。


「俺はどうすっかな………………まあ一回くらい顔を出して見てもいいのかもな」


「アインは?」


「俺様踊るとか無理だぞ……でも、ウテナは行くんだよな。それなら、行こう、かな……」


「僕は、ミウリアさんが行くのであれば、行こうかと」


「私は、どうしましょう……」


 無意識に右手で左腕を撫でる。暫く悩む素振りを見せた。「……そうですね……その、皆さんが出席なさるのであれば、行きたいです」と、最終的には行くことを決意したが、あまり乗り気ではない。嫌という訳でもない。


 袖で左腕の傷痕は隠せても、ブラウスとブレザーを着た状態と違い、ドレス姿では上から触れると傷痕があると分かなくもないため、嫌という訳ではないが乗り気にはなれなかった。


 去年の冬季パーティーは熱を出したので、欠席の口実に利用した。ゼーレは用事があったので、ミウリア同様欠席したが、ファルシュとストラーナは出席したらしい。


 傷痕のことを人並みに気にしていることを、エンゲルも知っているため、長袖のドレス、しかも出来るだけ触られても服の下に傷痕があることが分かり難い物を用意してくれた。


「私はどんな物が似合うのかよく分からないからね、選ぶのはミウリアくんにお願いしようと思って、物だけはとりあえず揃えたんだ。人に贈り物をするならば、贈る相手について深く知らなければ合う物は選べないのだと、キミと出逢ったときに思い知った。身に付ける物に関しては、それが顕著に現れると言ってもいい。君に似合うと思って選んでも、いざキミがそれを身に付けると、脳裏に浮かべたイメージと掛け離れてしまう。キミの姿を思い浮かべて、キミのことだけを考えながら選んだのに何故だろう? 他の者に対してはそうではないのだが……キミは天使、つまりは天上にいるの風尚なの存在だから、私が適切な物を選べないのは仕方がないのかもしれない。至貴の存在に見合う物を見繕えなくて申し訳ないが、趣味じゃない物を渡されるよりはよっぽど良いだろうし……キミの美しさの前では、宝器も無価値になってしまうだろうね」


 テンションが低いと返事することすら億劫に感じる人間とは思えぬほど、ミウリアと接しているときのエンゲルが、立て板に水といった調子で一方的に話す。


 ユーベル・シュレッケンが偃月えんげつたよりだった頃、突然己のことを推しと言い出したのもかなり衝撃的な出来事だったが、エンゲル・アインザームに天使と呼ばれたとき、それを遥かに上回る衝撃が全身を駆け巡った。


 彼がミウリアのことを天使と言い出した理由は知っているが、その理由について、彼女自身は得心しかねている。得心していないが、分からないとは思えないし、否定するつもりはない。


 滔々と話す彼の横でドレスを選び、隣の部屋で着替えた後、その姿を見せると、「あぁ、素晴らしい……実に素晴らしい!」と、エンゲルは胸の前で手を組み、頬を紅潮させて感涙する。


 親類でもない高校一年生の女子のドレス姿に、今年三五歳になる男性が頬を紅潮させて感涙している──という、見る人が見れば犯罪的だと感じる絵面だった。両者の顔面偏差値が平均より高くても、キツイと感じてしまうだろう。せめて頰が朱に染まっていなければ、だいぶ見れるな絵面になっていたかもしれない。


 その場面に全く動じないメランコリア・ソムニウムは、ミウリアの髪を整えるために、椅子に座るよう促す。


 彼の場合、動じないのではなく、動じることが出来ないと表現した方が良いだろう。


 色々な髪型にされ、ドレスに似合う髪型を模索している彼の表情は無機質で、瞳から感情を窺うことも出来ず、動作もどこか機械的だ。


 爪が剥がれた手を器用に動かし、彼女の髪を結うメランコリアの姿は、狂気そのもの。


 正気と危機感を失っている者以外は、見た瞬間──元来た道を戻るだろう。


 ミウリアがメランコリアと出会った時点で、彼は既に壊れており、完全に正気を失っていた。壊れた彼を放っておかないのは、同情心なのか、仲間意識なのか、自分でもよく分かっていない。


(それもこれも、全部あの人達のせい)

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