第二章【冬来りなば春遠からじ狂犬】
第12話【夢にしては、妙に具体的で現実的だった】
幼い少女が泣いている。
その姿はウテナ・ヴォルデコフツォそっくりだが、彼女ではない。
毒を盛られたり、陰湿な嫌がらせをさせたり、起きた出来事には身に覚えがあるが、幼き日のウテナに似た少女は、彼女と違い、気丈に振る舞うことはなく、外見年齢相応の反応をしていた。
蚊の鳴くような声で、お母さんと呟き、亡き母に助けを求めている。
前世の記憶を持っていなければ──
ウテナと同じ異能力、
ウテナと違い、ウテナそっくりの彼女は、父と出会わなかったようだ。父と出会わないまま、時間は過ぎて行き、彼女はラインハイトではない男の婚約者になった。
幼いエーレ・ユスティーツが、婚約者として紹介されていた。
お互い婚約に乗り気ではなかった。
彼女は良く知らない相手と結婚する気にはなれず、相手が乗り気はでないため、エーレも結婚する気にはなれないといった感じだ。
成長してもそれは変わらず、婚約した当時と事情が変化したことで、二人が高校生になる頃には婚約は白紙になった。精神を病んだ彼女と結婚させたくないという、ユスティーツ家の意向もあったのだろう。
気が触れた彼女を見捨てる形で婚約を解消したことを、エーレ・ユスティーツは気にしているみたいだったが、正直狂っている相手と付き合うのは相応の胆力が必要だろうし、離れられるならそれに越したことはない。気に病む必要はないが、彼は自分の罪悪感を軽減するために、自分の連絡先を渡していた。彼女がそれを使うことはなかったが。
彼女は心療内科に通いながら、高校に通っていた。異能力のお陰と言えばいいのか、せいでと言えばいいのか、体調不良になることはない。代わりに、体調以外の形でストレスが現れていた。
文章が頭に入って来なくなったり、一時的に文字が読めなくなったり、一時的に頭に言語が存在しない状態になったり、外見が自分にそっくりであるため、普段なら何とも思わないが、ウテナに少しだけ同情心が湧き上がって来る。
「ァアアアアァアァァァァアアアアアァァァアアアァ! アアアアアァアアアァァァァァアアアアアアアァァァァ!」
時折、衝動的に暴れ回り、部屋の中の物を滅茶苦茶にし、破壊し回っているお陰で──お陰というのも変な表現だが──利用価値はないと判断され、高校生の彼女は、命を狙われることも、折檻されることもなく、放置されている。
「うふふふっ、ふふふふふふふふふっ、うふふふふふふっふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ!」
それが良いことなのかは分からないが。
ある日のこと。
「あは! あは! あははははははははははははははははははははははははははは!」
何が契機だったのかは分からない。
また発狂したかと思えば、突然走り出し、海に飛び込んだ。溺れているが、藻掻くこともなく、海中でも笑い続け──そのタイミングで、ウテナは目が覚める。
変な夢を見たと思いながら、起き上がった。
ウテナに睡眠は必要ないが、眠ることは出来ない訳ではない。寝るという行為は好きなので、趣味で眠っているのだが、このような夢を見るくらいなら、眠らない方が良かったと、睡眠を取ったことを後悔する。
「おはようございます。お嬢様」
朝食を用意しているラインハイトが、その手を止ないまま、視線だけ寄越し、挨拶する。
「あの、お嬢様」
「何?」
「タイミングがなくて今まで言い出せなかったのですが……シエル・リュミエールとエーレ・ユスティーツに助けを求めろと言い渡した件についてなのですが」
「ああ、言ったな。そういえば」
「シエル・リュミエールの方には、助けを求めることは出来なかったのですが、後でタイミングを見て助けを求めた方が良いのでしょうか? 彼の件もありますし、不審に思われる可能性はなくはないと思うのですが」
「うーん。今はいいかな。暫くは仲良くしておいて。私に迷惑している演技は続けて貰うけど」
「御意」
朝食を頬張りながら、今朝見た夢について思考を巡らせる。
(あれは一体なんだったんだろう)
夢にしては、妙に具体的で現実的だった。
(夢に出てきた私そっくりのあの人物、彼女は私ではないけど、ウテナ・ヴォルデコフツォではあるんだろうな)
夢でしかない以上、考えても仕方がないため、それ以上思考を巡らせることはしなかったが、妙に気になり、記憶に残ってしまった。
(とりあえずアインを起こすか)
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