第11話【ベーゼ・ボースハイトは固く誓った】

 明らかに挙動不審なエーレ・ユスティーツに、「大丈夫なの? 顔色悪いけど」と、黄支子きくちなしの髪と桑染くわぞめ色の瞳をした女子生徒が声を掛ける。


「ああ、いや、大丈──ッ!」


 俯いていた顔を上げた瞬間、ウテナの姿が偶然視界に入り、青白い顔が更に青白くなっていき、体を震わせる。


「あの人に何かされたの?」


「……まあ、そうだね」


 彼は少し黙り込んだ後、当たりをキョロキョロ見回し、口を開く。


「彼女を怒らせるのはやめて置いた方がいい。というか、関わらない方が良い。アレに目を付けられたら終わりだ」


「アレに目を付けられたらって……怖い話じゃあるまいし」


「怖い話の方が遥かにマシだ」


 自分を痛め付けているときのウテナの顔を脳裏に浮かべる。愉悦に満ちた、人を傷付けることを何とも思っていない表情。冷淡な眼差し。


「彼女は悪意の塊みたいな人間だ、関わらない方が良い。目を付けられないように、慎重に生きていた方が良い。何が理由で目を付けられるか分からないからな」


「目を付けられたら終わり……」


 彼女はそのような人物と、過去に何度か出会ったことがある。気に入らない相手を破産に導いたり、公衆の面前で土下座されたり、関わってはいけないという箝口令を敷かれるレベルで好き勝手暴れていた。


「情けない話だが……彼女を見るだけで恐怖が蘇り、体が震えてしまうんだ。具体的に何をされたのか話すのは憚られるが……突っ掛かるようなことだけはしてはいけない」


 絶対にの部分を強調し、懇願するように訴えて来る。


「ウテナ・ヴォルデコフツォは、人を傷付けることに全く躊躇がなかった。きっと、僕が廃人になっても、彼女は何とも思わない。それどころか、ザマァ見ろとすら思うだろう。それくらい危険な人物だ。正直僕はマシな方だ。何せ自ら首を括るほど追い込まれていないからね」


 要するに自殺した方がマシだと思えるほど精神的に追い込まれていないと言いたいのだろう。最悪の場合は、死を選ぶことに躊躇いがなくなる精神状態にさせられる──あの人達のやり方に似ていると感じた。


 世の中には似たような人物がそこそこいるんだな──と、嬉しくない気持ちになりながら、とりあえずウテナ・ヴォルデコフツォとは関わらないようにしようと決意した。


 二人の会話を聞いていた新橋色の髪をした人物は、ウテナの背中を追い掛け、彼女に気付かれないように、遠距離から睥睨へいげいする。青朽葉の瞳は瞋恚しんいの炎で満ちていた。


『なぁ、愛する人を精神病院送りにされた気分はどうだ?』


 あのとき彼女に言われたことを、今でも一言一句覚えている。


『私に何かあったら、あの人の精神がもっと悪化する。だから手出し出来ない』


 忘れもしない。


『愛する人を壊した奴が目の前にいるのに、何も出来ないなんて、最悪な気分だよな。可哀想に』


 あのときの嘲笑を、侮蔑の眼差しを。

 忘れる訳がない。

 あのときの怒りを、屈辱を、ずっと憶持して来た。


 彼女の存在に気付いたとき、その場に頽唐たいとうしそうになり、切歯扼腕せっしやくわんのあまり、眼の前が見えなくなりそうになった。


(まさか、こんなところで、アレと再会することになるとは……)


 悪縁とは中々切れないものであるらしい。しき縁だ。因縁尽くという言葉が頭を横切った。


 忌々しい存在と再会してしまったことを嘆きたくなると同時に、復讐のチャンスが訪れたという歓喜が湧き上がって来る。


 今度こそ、彼女に復讐しよう。

 三年D組三番──ベーゼ・ボースハイトは固く誓った。


 深く深く憎んでいる、愛する人を壊した存在と再び巡り合うことが出来たのだから──何もしないでいる方がどうかしている。復讐の好機を逃すくらいなら、今後の人生を擲ってやろう。


 失った物も、失った者も、何一つ返って来ないが、構わない。一切報いを受けていない彼女に、報いを受けさせることが出来るのは、自分だけなのだから。彼女が報いを受ければ、愛する人も報われるだろう──自分も報われるだろう。


 人一人の人生を壊した彼女を責められるのは、のうのうと生きている彼女に制裁を加えられるのは、世界でただ一人、自分だけなのだから。


 愛に狂っている点では共通点のある二人だが、彼と彼女の最大の違いであり、致命的な違いであり、決定的な違いは、彼は愛へ振り切っている狂気に対する自制心がなく、彼女には愛へ振り切っている狂気に対する自制心があるということだ。


 彼は、愛する唯一の人への想いだけで生きていた。そして、愛する唯一の人への狂気だけで生きている。


 感情のままに、激情のままに、憎悪のままに、復讐したい気持ちのままに、彼女に襲い掛かったりしない。理性があるからだ。


 拳を握り締め、憎しみをグッと堪える。


 今襲い掛かって全てを台無しにしてはいけないと言い聞かせ、何とか日に日に増していく憎しみを抑える。


 全ては、目を覆いたくなるような醜悪な精神をした、醜怪な笑みを浮かべた彼女を打倒するためなのだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る