第08話【とんでもない女だな、彼女は】

「──とんでもない女だな、彼女は」


 人の目のないところではとんでもないことをされていると、あることとないことを織り交ぜてラインハイトが伝えたところ、エーレは忌々しそうに呟く。


「何でそこまで酷いことをされているのに、大人しくしているのだい?」


「弱みを握られているんだ……具体的なことはどうしても言えないんだが……生殺与奪の権を握られても過言ではない状況なんだ」


 ウテナのことを嘘を吐いていることが心苦しくなり、つい苦しげな表情を浮かべてしまうが、エーレからはそんな表情を浮かべてしまうくらい酷い目に遭っているのだと解釈し、結果としてウテナにとって良い方向に動いた。


「私に隠れてそんな奴に助けを求めようとするなんて、いつの間にそんな悪い子になってしまったのかなぁ、ラインハイトは」


「お、お嬢様……ッ!!」


 首を僅かに右に傾け、ゾッとするほど良い笑顔を浮べるウテナ。演技だと分かっていても、その微笑みを向けられたラインハイトは、恐ろしさのあまり震えそうになってしまった。人を恐怖に陥れる笑みを、愉しげに浮かべる彼女に慄きながらも、「彼の弱みを握って好き勝手弄ぶのを止めてくれないか? 彼から聞いたが、あまりにも酷い内容だった。キミは本当に人間なのか?」と、エーレは言い放つ。


「人間だよ。人間だからこそ、人間をどう痛め付ければいいのか知っているんじゃないか」


 面白おかしそうに、馬鹿にしたように、見下すように話す。


「悪い子にはお仕置きをしないよねぇ、ついでに一緒にいるお前も」


 鬼気とした笑顔をと共に、そう言い終えると、指輪のアレキサンドライトが妖光を放つ。眩しさのあまり二人は瞼を閉じ、エーレに至っては手で顔を覆っていた。


 目を開けられるようになると、見知らぬ場所におり、そこには、ウテナ、エーレ、ラインハイト──そしてユーベルが立っていた。


 ミウリアが他者から奪った異能力を使用し、異能力で作った異能空間に引き込んだのである。ユーベルは二人を異能空間に引き込む前に、予め引き込んでおき、待機させていた。


 予定通り、ユーベルはラインハイトの右腕を掴み、後ろ手に回した状態で捻り上げ、首をいつでも締め上げられるように腕を回す。ラインハイトの方が背が高いため、若干膝を曲げる形となってしまい、身体に負荷が掛かる体勢になってしまった。


 ウテナは愉快な笑みのまま、ラインハイトの眼の前にゆっくり移動する。


 ニヤッとした不気味な笑顔をに変えて、「ラインハイト」と──耳障りな甘ったるい声で名前を呼ぶ。


「お前だけ罰を受けるか、お前とエーレの二人で罰を受けるか──どっちか好きな方を選ばせてあげる」


 ラインハイトは瞳だけ動かしてエーレに視線を向ける。「私を人質にするというのは、そういうことか」と理解し、「……ユスティーツは関係ないから、罰は、私だけに」と、僅かに動かせる首を下に向けながら言う。長い淡藤色の髪が上手い具合に垂れ、誰にも彼の表情は見えないようになる。


「待ってくれ!」


 ウテナの予想通り、エーレは声を上げる。

 そして、ラインハイトに罰を与えないで欲しいと訴えて来た。


(想像通り過ぎてつまらないな)


 そう思いながらも、「いいよ。その代わり、お前がラインハイトの分も罰を受けろよ」と言う。ラインハイトが何かを言おうとしたので、ウテナは手で口を塞ぐ。「喋ったら許さない」と言われたので、彼は黙り込んだ。


 ラインハイトに目隠しをし、猿轡を付け、耳栓を付け、後ろ手の状態で手錠を嵌めると、ユーベルにしっかり見張るように言い、それからエーレに向き直る。


 彼女はユーベルから受け取った首輪を、エーレの国に装着した。途端に、能力が使用出来なくなった感覚と、能力が解除された感覚が、身体を駆け巡る。


「これは異能力を使用出来なくなる首輪。アインが作ったの。凄いでしょ??」


「キミの言うアインが誰なのかは知らないが、その人は異能力を無効化する首輪を作れる異能力者なのかい?」


 誇らしげに語るウテナにそう問えば、「そうんな訳ないだろ。ただの科学の応用だ」と答える。


「アインツィヒ・レヴォルテは、世界一の技術者だから、この程度の物なら簡単に作り上げて仕舞えるのよ」


の女の技術力は、最早異能力の領域に踏み込んでいると形容しても過言では無い」


 ウテナはエーレを椅子に拘束すると、机の上に置いてある紙束を手に取り、彼女はそれを読み上げた。その内容に、エーレは驚愕のあまり声にならない声を上げてしまう。


 それもそうだろう。

 エーレの過去を詳細に、まるで見てきたかのように、語るのだから。


 知らない筈の過去を事細かに語られる恐怖と、絶対に人に言えないほどではないが、出来れば知られたくない過去を語られる羞恥で、情緒がグチャグチャになった。


 涙が出そうになったが、泣いたら相手の思う壺だと思い、頑張って堪える。


「一〇歳までおねしょしてたとか恥ッずかしい」


 時折、嘲笑うようなコメントが挟まれたが、心の中でウテナを罵ることで耐え続けた。


「あーあ、会社が傾きそうになるなんて、貴方のお父様ってあまり有能じゃないのね。無能じゃないだけ救いようがあるけどさ」


「お前のせいじゃないか!」


 彼の父の会社が傾き掛けた理由は、ウテナにあると知っているユーベルは、声を荒らげずにいられなかった。


 気の弱い人間ながら怯んでもおかしくなかったが、ウテナは怒鳴られても意に返すことはなく、飄々としており、「私にそんな風に反抗してもいいのか?」と、挑発する余裕さえある。


「…………」


「黙るぐらいなら怒鳴らなきゃいいのに」


 そう吐き捨てると、紙束で彼の顔を軽く叩く。

 叩くことにすら飽きたのか、紙束を机に置き、それからスタンガンを手に取る。無言でスイッチを入れ、それを彼に暫く押し付けた後、思い切り角の部分で殴り付けた。


「あぐッ!」


「お前って本当に恵まれてるよな、羨ましい。お母様はお医者様で、お父様は経営者。事業は傾き掛けても、何とか持ち直して、今は軌道に乗っている。ああ、本当に羨ましい」


 そう言いながら、彼女は水を掛ける。


「今の私も、前世と比べたら遥かに良い境遇にいるけど、それでも、最初から幸せに生きてる奴って、何かムカつくんだよなぁ」


 詐欺師ファルシュから頭治安が悪い都市ヨハネスブルグ二号と呼ばれる女は言うことが違うなと思いながら、ユーベルは水を掛けた後、容赦なく電気ケトルで沸かしたお湯を掛ける彼女を眺める。ちなみに、一号はストラーナだ。


 彼の靴を磨いた新品の歯ブラシを口に突っ込んだり、何度も何度も鞭を振ったりしている内に、段々弱って声も出せなくなるエーレを退屈そうにウテナは見下ろす。


 徐々に気力を失ってしまい、意識を保っているのがやっとの状態になるエーレ。頬をペチペチ叩かれ、声を掛けられるが、上手く反応出来ない。それを確認すると、もうこれぐらいでいいかと判断し、ユーベルに声を掛けた。


「ラインハイトの拘束、解いちゃって」


「良いのか?」


「うん、もう充分痛め付けたし、気が晴れたからさ」


 ラインハイトから猿轡を外し、目隠し外し、手錠を外す。


「ラインハイト、ユーベルに腕を捻られていたけどさ、痛くなかった?」


「一応加減はされていたみたいだから、あまり痛くなかった」


「それならいいんだけど」


 と、言ってから、ウテナはエーレの顔を思い切り拳で殴り付け、両頬を片手で掴み、下に向けていた顔を無理矢理上に向かせる。


「実はラインハイトが皆のいないところで酷い折檻を受けているというのも、弱みを握られているというのも、全部が全部嘘で、お前が今まで苦痛を味わう必要性なんてどこにもなかった──としたら、どうする?」


「どうって……それって一体──」


「良い顔するじゃん。ずっとその顔でいたら、良い子ちゃんみたいな顔をしているときより全然見れる顔だわ」


「キミは……何を──」


「なぁ、ラインハイト。そこの間抜けな柘榴石に教えてあげなよ。お前が私の従順な下僕で、私のためならお前のことも騙すって」


 掠れた声で喋る彼を遮って、不気味な笑顔を浮かべながら、彼女はラインハイトに向かって語り掛ける。


「お嬢様が仰っている通り、私はお嬢様の従順な下僕です……私は、お嬢様に命じられれば、人を騙します。弱みを握られているから従っているのではありません。貴方を陥れるために、嘘を吐きました」


 嘘だと言って欲しい。ウテナに言わされているのだろう。弱みを握られているから、このようなことを言っているのだろう。衝撃のあまり声を出すことは出来なかったが、表情で真剣に訴えてくる。


「無駄な苦痛を味わって、一体どんな気持ちでいるのかな? 無駄に苦しんで、無駄に痛みを味わって、無駄に恥ずかしい思いをして、本当に惨めな奴」


 それを嘲笑うように、ウテナは彼を罵った。


「絶望している方が可愛げがあるな、お前」


 お気に入りの人形に触れるような手付きで、彼の頬を撫でる。「可哀想で、惨めで、漸く可愛げが生まれたお前への慈悲だ。怪我は治してやる」と言って、ウバロバイトが付いた指輪を嵌めた右手で彼に触れた。ウバロバイトが美しい光を放った後、彼の怪我は綺麗に消え失せる。「傷だらけの方が可愛げがあるな」と、少しだけ怪我を治したことを後悔しながら、彼の拘束を解く。


「何のために、こんなことを……」


 すっかり気力を失ってしまった彼は、か細い声で、誰に問うでもなく、このような台詞を口にする。


「邪魔になるかもしれなかった。ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもないけど」


 あっさりと言い放つウテナに、「……そんな理由で」と、呟く。


 そんな理由で人を痛め付けることが出来るのかとでも言いたいのだろうか。だとしたら、問う相手を間違えている。


「そりゃ、極悪令嬢ならこれぐらいのこと、平気でするでしょ。お前が言ったんじゃん。私のことを極悪令嬢だって。極悪令嬢の本気の断片を見せた。ただそれだけのことなのに、何をそんなに驚いているのか。訳が分からないよ、ホント」


「貴様、ウテナに其の様なことを言ったのか。度胸は有るな。無謀と形容する事が出来、蛮勇と形容することも出来るが。ある意味では、大したものだ。もしも死んでいれば、ダーウィン賞を貰えていただろうな」


 何せ、眼の前にいるのは彼が極悪令嬢と評した人物、その人なのだから──極悪令嬢、ウテナ・ヴォルデコフツォは、人を平気で死に追いやれる人物なのだから。


「お前がもし私達の邪魔になるような行動と発言をしたら、お前に今さっき与えた以上の屈辱と恥辱と絶望がやって来ると思え。少なくとも宦官になる覚悟しておけ」


 エーレ・ユスティーツが言っていた通り、ウテナ・ヴォルデコフツォはとんでもない女なのだ。

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