第06話【お前をアイツの人質として利用出来るだろ?】
柘榴石の髪と金緑石の瞳が特徴的なその男子生徒は、身長一六二センチ程度しかなく、中性的な顔立ちも相まって、良く女装が似合いそうと言われる。
彼──エーレ・ユスティーツの父は、会社を経営しており、ウテナ・ヴォルデコフツォが当時の当主を引き摺り落とし、その際、あちこちと取引を打ち切ったりしたため、その煽りを受け、一時期は倒産の危機だった。今は持ち直しているが、一歩間違えば倒産してもおかしくはなかったと思う。
彼はメーティス学園に入学する前、両手の指で数えられる程度だが、ウテナ・ヴォルデコフツォに会ったことがある。
会ったことがあるといっても、あくまでも家同士の付き合いというだけで、形式的な会話以外は交わしていない。
同い年と思えぬくらい完璧な振る舞いに、一種の不気味さを感じたことをよく覚えている。凄いではなく、気味が悪いと感じた理由は分からないが、オカルトを信じる
これは後で知ったことだが、ウテナとの婚約の話を当時の当主から持ち掛けられたことがあったらしい。父も何か思うところがあったのか、返事を濁して誤魔化していたそうだ。誤魔化している内に、彼女の婚約者が決まったことで、話は無事流れたと言っていた。
彼女との婚約の話がなくなっていたことに喜びを覚えたのは事実だが、彼女の婚約者に選ばれたラインハイトのことを思うと、素直に喜べないものがあった。
婚約者に父親を自殺に追い込まれ、婚約者から下僕になった彼は、一体何を思っているのだろうか。
時折見ているこっちが辛くなる表情でウテナを見詰め、それから視線を逸らし、俯いている。心中穏やかではないのだろう。そんな彼の様子を知っているのか知らないのか、ウテナは彼を下僕として利用することに躊躇がない。パシリに使うだけならまだ良い方で、悪事に加担させることも平気でする。直接関わらせなくても、間接的に関わらせたりするのだ。
「いい加減にしないか! 人をどれだけ馬鹿にすれば気が済むんだ! キミという人間は!」
ある日、耐え切れなくなり、声を荒らげてしまう。怒鳴るのは良くないと分かっているが、抑え切れなかった。
学園にある自習室は、飲食物の持ち込みがOKなのだが、ウテナは家庭科室で紅茶を淹れさせ、それをここまで運ばせていた。けれど味が気に入らなかったらしく、捨てたりこそしなかったものの、
文句を付けられた紅茶達は、ラインハイトの胃に入った。一〇杯目くらいから、彼は紅茶を飲むのが辛そうな顔をしていた。
勉強に集中したいため、最初は右から左に聞き流していたのだが、とうとう耐え切れなくなり、前述の通り声を荒らげてしまったのだ。
「自習室で騒ぐのは禁止されていますよ。ユスティーツ様」
怒鳴られてもどこ吹く風で、馬耳東風、暖簾に腕押し、糠に釘。
「お嬢様……」
「別に私、悪いことをしていませんよね?」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、彼女はエーレに視線を向ける。声を荒らげている彼がおかしくて堪らないといった様子だ。
どれだけ他人を馬鹿にすれば気が済むのだろうと、柳眉を逆立てる彼を見て、公式サイトに書いてある通り、根は真面目だが感情的なのだなと、ウテナは思った。
「辛そうな顔をしている人間に、紅茶を飲むことを強要するのは、悪いことではないと言うのか。大体、キミは、彼の父親を──」
「それがどうかしたのですか?」
何も悪いことなどしていない──そう信じ切っているとしか思えぬ表情で、淡々と言い放った。
「なぁ、ラインハイト」
「はい」
「お前は私が悪いと思うか?」
「…………いいえ」
「と、本人が言っているのに、わざわざ口出しするのは如何なものでしょう」
「キミが! 言わせているだけじゃないか!」
「貴方の言う通り、言わせているのだとして、証拠があるのですか? 物証もなく、そのようなことを言うものではありませんよ。世の中、物証がなければ相手してくれませんよ、誰も彼も」
人に嫌われること、人に憎まれること、人に恨まれること、それらのことを趣味にしているとしか思えない嘲笑だ。
「そうやって人を嘲笑って楽しいか」
「ユスティーツ様は、私が惨めな目に遭えば嬉しいでしょう? 嫌いな奴の不幸は密の味と言うじゃないですか」
「キ、キミ! なんてことをいうんだ! キミが人の恨まれても自業自得としか思わないが、それを嬉しく思ったり、嘲笑ったりはしない。そこまで落ちぶれたつもりはない」
凛とした声で言い放つエーレ。正義のヒロインのお相手役の一人らしい立ち振る舞いだ。見る人によっては、感動的な何かを感じ取るかもしれない。
「ふぅん」
どうでも良さそうな反応を示した後、「お前って、ホントいい奴なのね」と、つまらなさそうに呟いた。
「私、いい奴って好きじゃないのよ。だってムカつくじゃない。そういうのは所詮、幸せに育った奴の言い分でしかないのに」
「ッ‼」
平素は決して目付きが悪くない彼女だが、本気で相手のことを睨んでいるときは、人を震え上がらせることが出来る目付きになっているのだと知った。
刺すような目付きという表現が生易しく、視線に物理的な攻撃力が伴っているとすれば、睨まれているエーレは死んでいたと思えるような、地獄の底から引っ張り出した複雑な感情が垣間見える目付きだ。
たった一瞬だけとはいえ、二度と見たくないと思うには充分だった。
「あーぁ、なぁんだか、萎えちゃった。行くよ、ラインハイト」
「お、お嬢様……!?」
ラインハイトの腕を掴むと、強引に引っ張る。ウテナの筋力は平均的なものであるため、力強く腕を掴まれいても、振り解こうと思えば振り解けた。しかし、彼は振り解くことはしなかった。彼女と共に、自習室を出て行く。
(大丈夫なのだろうか)
どう声を掛けていいのか分からず、ただ呆然とその背中を見詰める。窓から射す夕日によって、ゼミショートの黒瑠璃の髪が赤みを帯びていた。
『幸せに育った奴の言い分でしかないのに』
過去に数度暗殺され掛けている人生を思えば、彼の理屈は幸せな人生を送った奴の戯言なのだろう。ヴォルデコフツォ家を半ば手中に収める前までは、何度も食事に毒を盛られていたらしい。異能力のお陰で毒で死ぬことはなかったそうだが、その話を聞いたときは、どのように反応していいのか分からなかった。
その話をしたとき、ウテナと同じくラインハイトも一〇歳で、大変苦労したということは理解出来たが、彼には縁遠い出来事であったため、正確に彼女の苦労の程度を理解することが出来なかったのだ。
身を案じる言葉を投げ掛けることで、精一杯だった。
ちなみに、毒殺しようとした者達は、全員二度とそのようなことが出来ぬよう、徹底的に追い込んだ。追い込まれるあまり、一家心中したり、首を括ったり、幼いウテナの前で這い蹲って家族だけは助けてくれと乞うたり、それはもうひどい状態だった。
一家心中したと聞けば、「子供まで道連れにするなんて、馬鹿な奴ら」と嘲笑い、首を括ったと聞けば、「もっと楽な死に方を選べばいいのに。死ぬときまで苦しみたいなんて、マゾなのかな」とコメントし、家族だけは助けてくれと乞うたときは、無理難題を吹っ掛けて絶望に叩き落としていた。
毒殺され掛ければ、これぐらい叩きを落とさなければ気が済まないだろう。「火の粉は振り払わなければ、後々面倒だ」というのが、ウテナのデフォルトの思考なのだから。何故彼女に喧嘩を売る真似をしたのだろう。自殺の後押しをして欲しいのならばまだしも。
暫く歩くと、ウテナはラインハイトの腕から手を離し、「らしくないことを言ったなぁ」と呟く。
「大丈夫ですか?」
「うーん、大丈夫って訳じゃないけど……まあ大丈夫」
大丈夫なのか、大丈夫ではないのか、どちらなのだろうか。
「ちょっと腹が立っただけ」
「本当にそれだけなのですか?」
「それだけだよ」
「それなら良いのですが……」
世界一嫌いな相手が似たような発言をしていたから、余計に腹が立ってしまっただけだ。その人物はあくまでも外面のためだけに言っていたのだが──それでも腹が立って仕方がなかった。
本心から言っているからこそ、余計に。
「そんなことよりも、エーレ・ユスティーツだ」
「そんなことよりもって……」
「人の気配はないけど、念のため、場所を変えるか」
連れて来られた場所はゲーム部の部室だ。ウテナが唇の前に指を一本立てた右手を持っていく。喋るなということだろう。口を閉じ、首を縦に振る。
彼女は暗証番号でロックされた戸棚を開くと、そこから小さな機械がを取り出すと、その機械のスイッチを弄ると、それを持ったまま部屋中を歩き回った。
何をしているのか分からず、その姿を眺めていると、もう喋っていいよと言われる。なので、何をしていたのか問えば、盗聴器がないか調べていたと答えた。
「と、盗聴器?!」
「何驚いているのさ。多数の人間から恨まれている奴らが集まる場所だぞ、ここは。何か仕掛けられているかもしれないと常日頃から警戒するのは当然だろ」
「……確かに」
「部屋の物の配置も拘っているんだ。隠しカメラを設置したり出来ないように、皆であれこれ悩んで場所を考えた」
改めて室内を見回す。言われる前は特に気にならなかったが、よく見ると変わった配置をしている。鋭い人間が見れば、見た瞬間に違和感を覚えるかもしれない。
「冷蔵庫に葡萄ジュースあるから、それ取って。冷蔵庫の横に、紙コップあるから、それに注いで」
頼まれた通りにし、紙コップの中に入った葡萄ジュースを彼女の前に置く。すると、正面の椅子に座るように促された。
「ちなみに飲み物に毒が入っていたりすると、飲み物が変色し、異臭を放つようになる薬品が混ざっているんだよね。私は毒も薬も効かないけど、他の奴らはそうじゃないから」
「当たり前のことを訊ねますが……その薬品は、人体に害はないのですよね?」
「人体に害があったら使えないだろ」
「しかし、一体どこでそのような薬品を」
「ストラーナの親が医者なんだよね。だから、医療機関じゃないと入手出来ないような薬品を入手することが出来るんだよな」
医療機関ではないと入手出来ない薬品を入手することが出来たとして、それを一般人が使えば問題になるのではないだろうか。仮に問題になるとしても、ウテナは気にしないだろう。いくらでも揉み消せる立場にいるのだから。
「それで、エーレ・ユスティーツのことだけど、アイツ結構怒っていたね」
「深い付き合いはありませんが、ヴォルデコフツォ家の当主が、今の当主になるまでは──私の父が生きている頃は、ユスティーツ家と付き合いがありましたので。完全に知らぬ仲ではないからこそ、余計に怒りを感じているのかもしれません」
「レッヒェルン家とも付き合いがあるんだ」
「私がお嬢様の元婚約者であったことを知っている程度には、付き合いがありました」
「そんなことも知っているんだ。まだ婚約者だった頃に、お前の父親を自殺に追い込んで、婚約者から元婚約者にしただけでなく、下僕にした。事実だけを知っている立場なら、怒るのも無理はないよね」
内情を知らなければ、ウテナはラインハイトに対して極悪非道なことをしている女だろう。エーレが極悪令嬢と言うのも無理はない。
「私はお嬢様のことを微塵も恨んでおりませんのに……」
「お前は少しでいいから、私を恨むべきだと思うけどな。ラインハイトが恨んでいないなら、それ以上何も言うべきじゃないけども」
コイツはコイツでだいぶおかしい奴だよな──と思いながら、葡萄ジュースを煽る。その感想は間違っていない。
(未だに私が、キミのことを好きだと言ったら、どんな反応をするのだろうか)
ラインハイトは婚約者だった頃も、元婚約者になった頃も、下僕になっている今も、LIKEの意味ではなく、LOVEの意味で好意を抱いている。何故、彼女を好きになったのかと思わなくもないが。
「話を戻して、エーレ・ユスティーツに、お前のことを平気でいじめてそうな奴という印象を植え付けられたし、お前の言うことなら信用しそうだし、私に酷いことをされていると後でこっそり伝えて。具体的にどんなことをされているのか、とにかく私を極悪な存在に仕立てあげろ」
「……御意」
「そしたら、お前をアイツの人質として利用出来るだろ?」
本当、どうしてこんな相手を好きになってしまったのだろう。彼は頭を抱えた。
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