第04話【良い子は可哀想な奴の味方だろ?】

「シエル・リュミエールという女子生徒と仲良くなりなさい」


 クラスメイトから極悪令嬢と呼ばわれている主人から申し渡された内容に、下僕であるラインハイトは、唐突過ぎて胸中では驚愕するものの、それを表に出さないように努め、出来る落ち着いた声を取り繕い、「仲良くとはどういうことでしょうか?」と問う。


「そのままの意味だよ。それ以上でもそれ以下でもない。最低でも気軽に話せる仲になってくれればいいよ。相手は男爵令嬢だから、その点は留意しておいて。ちなみに、急ぐ必要はないよ」


 男爵令嬢と聞いて、そういえば、リュミエール男爵が市井で育った、侍女との間に出来た吾子を引き取ったという話を思い出す。妻との間に出来た子供が病で亡くなったから、引き取られたのではないかと噂されている。


「承知しました」


 下がるように言われたので、指呼の間にいる彼女から離れ、部屋から退出する。


(彼女は一体何を企んでいるのだろう)


 ラインハイトに命令するとき、彼女は毎度毎度碌でもないことを考えている。


 それでも、ヴォルデコフツォ家にいた頃に比べれば幾分か落ち着いて来ているため、だいぶマシになったとは思う。マシになっただけで、良くはなっていないが。


 ウテナは現在、ヴォルデコフツォ家から離れ、居候のアインツィヒと、下僕のラインハイトと共にメーティス学園付近に家を構え、そこで暮らしている。


 下僕目線では、主人である彼女がどう見えているのかというと──極悪令嬢、ぐぅの音も出ない的確な評価、だ。


 面と向かってそのようなことを本人に言うことなど出来ないが、彼女が前当主と、その派閥を切り捨てた煽りを受けた生徒が、「極悪令嬢」と言い出したときは、「いくら反論の余地がない真っ当な評価でも、面と向かって本人に言ってはいけないこともあるのだぞ」と、思ってしまった。


 彼女が起こした──正確には彼女の裏にいる人間が激化させた派閥争いの煽りを受け、会社が傾き掛けた彼からすれば、一言物申さずにはいられなかったのだろう。「自分が自殺に追い込んだ男の息子を下僕にするなんて……人の心というものがないのかい? 頑是がないにも程がある」とも言っていた。傍から見ればそうなるのも仕方がない。ウテナがいないタイミングで、「キミも、どうして彼女に大人しく従っているんだい? 何か弱みでも握られているのか?」と訊ねられたが、別に弱みなど握られていない。


(……いや、弱みは握られているか)


 人を人共思わぬ人間ではないが、好意的な感情を抱いていない人間や、味方ではない者に対しては、股掌の上で弄ぶことも厭わないだけで。


(いや、人を人と思っているのに、あんなことが出来る方が恐ろしい……のか?)


 人を人と思っているのに、外道な行いをする者と、人と人とも思っていないのに、外道な行いをする者──どちらがマシなのだろうか。どちらも関わり合いになりたくないことには変わりないだろうが、個人的には後者の方がマシな気がした。


 日付が変わり、学生らしく授業を受け、休み時間になると、廊下に出て、クラスも違う相手とどのように親しくなれば良いのかと思っていると、一〇冊以上の本を運んでいるシエルを発見する。


 丁度良いと思い、「重そうですね。良ければ、半分持ちましょうか?」と声を掛ければ、「本当ですか? ありがとうございます。一人じゃ運ぶのがしんどくて……助かります」と、笑みを浮かべる。本を持っていなければ、頭を下げていただろう。


「どこまで持って行けばいいですいあ? 図書室でしょうか? それとも、学園図書局の方でしょうか?」


「図書室です。全て図書室にある本なので」


「分かりました」


 道中、シエルは話し掛けて来た。

 彼女がシエル・リュミエールと名乗った後、名を訊かれたので、素直に答える。学年、クラスを訊かれ、一年D組と返す。それから好きな教科、苦手な教科、好きな食べ物、好きな花、好きな色と、当たり障りのない質問をされ、それに全部答えた。


 図書室に到着すると、抱えていた本を一旦机の上に置き、本に貼られたラベルを見て、棚に戻そうとするのだが──「そこまで手伝って頂かなくても大丈夫です。戻すだけなら一人で出来ますから」と、シエルが止める。


「日直の仕事ですから……そこまでやって頂くのは申し訳ないです」


「日直は基本的に二人いる筈なのですが、もう一人の方は……」


「体調不良で休んでおります」


「なるほど。元々は二人でやる仕事です。一人では大変でしょう? 手伝います。図書委員ですから、どこに戻せばいいのか分かっていますので」


「そういうことでしたら……お願いしても宜しいでしょうか?」


 ラインハイトは自分が抱えていた本を、収納されていた位置に戻して行く。ある程度どこにどんな本があるのか把握している彼と違い、シエルは本を戻す動作は緩慢なものだった。本を戻し終えると、「手伝って頂きありがとうございます」と頭を下げられる。


 この時点のラインハントのシエルの印象は、良い子であるのは間違いないだろうが、男爵令嬢としては問題のある人物かもしれない、であった。礼の言うのは良い。しかし頭を下げるのはどうなのだろう。仮にも貴族の御令嬢なのだから、爵位を持たない人間に対して、簡単に人に頭を下げない方が良いのではないだろうか。ついこの間まで市井で暮らしていたと言うし、仕方ない部分もあるのだろうが。


(目的は果たせているし、それでいいか)


 貴族らしくない方がやりやすい。

 良くも悪くも。


 そんなことをナチュラルに考えてしまっている己の存在に、自己嫌悪を覚えた。彼女と長くいるから、彼女に毒されているのかもしれない。


「シエル・リュミエールと会ったみたいだけど、どうだった?」


 夕餉の時間、思い出したように主人であるウテナが、声を掛けて来た。シエルと仲良くなれと彼女がラインハイトに命令した件について全く何も知らないのか、「えっ」と上げたかと思えば、彼女の隣に座っているアインツィヒが、二人を交互に見る。


「親切にしてあげたみたいだね」


「悪印象は抱かれていないと思います」


「そう」


 それからもシエルに接触し、進展がある度に主人であるウテナに報告した。基本的に彼女は何があったのかというラインハイトの簡易的な報告を聞いているだけで、何か問うて来ることはなかったのだが、極稀に根掘り葉掘り質問して来ることがあった。


「エーレ・ユスティーツ……お嬢様のことを極悪令嬢と言い放った御方なのですが」


「あぁ。そんなこと言ってたっけ。アイツ」


「彼がお嬢様と私のことを話したみたいです。お嬢様の命令で接触したとは思われていないようですが──」


 放課後、家に帰ろうと支度しているとき、このようなことを言われた。


「ラインハイトさん……失礼を承知でお訊ねしますが、ウテナさんという方のせいでお父様が亡くなられたのは、本当ですか? エーレさんから聞いたのですが……」


 何故こんな人の多い場所で訊ねるのかと思いながらも、どう答えようか思考を巡らせていると、表情で悟られてしまい、「エーレさんが仰っていたことは、本当のことなのですね……」と、俯かれてしまう。


「ウテナさんに弱みの握られて従わされているというのも……」


「いや、それは──」


「私! 私に出来ることがあれば、いつでも言って下さい。いつこの間まで市井で暮らしていましたが……こんなのでも男爵令嬢ですし、出来ることは、あると思いますので……」


「気持ちは嬉しいです。ありがとうございます。けれど、そんなことはしなくていいです。間に合っているので」


 と伝え、主人である彼女が住まうこの家まで帰って来たことを話す。


「お嬢様が何を考えているのかは私の預かり知らぬところですが、もしかするとお嬢様の考えの邪魔になるかもしれませんので、ご報告させて頂きました」


 一通り伝えるべきことを伝えると、彼は主の反応を待った。彼女は数分考え込む素振りを見せた後、「エーレ・ユスティーツとシエル・リュミエールって仲良いの?」と、訊ねて来る。


「詳しくは知りませんが、それなりに話す仲みたいです」


「二人に関して知っていることがあれば、今ここで全部言え」


 大したことは知っていないのだが、それでも彼女の中で何か腑に落ちる部分があったのか、「そういうことか……」と呟く。


 何が腑に落ちたのだろうか。

 彼女は何を企んでいるのだろうか。

 きっと、知らぬ方が良いのだろう。


(シエル・リュミエール、彼女は良い子なのだろうな……)


 夜中、今更ながら彼女の善意に罪悪感が湧いて来る。彼は主であるウテナ違い、人並みに良心がある。そのため、ウテナが碌でもないことを企んでいると判っているのに、その企みに協力していることに、罪悪感を感じてしまうのだ。


『じゃあお前はこれから一生私の下僕ね』


 ウテナ・ヴォルデコフツォは極悪令嬢と呼ばれても仕方ない人間だ。


『みっともなくて、見苦しくて、見窄らしいお前のことなんて、誰も欲しがらないでしょ』


 常に人のことを見下しており、邪魔な人間を排除することに、人の人生を排除することに抵抗がない。「眼前で羽虫が飛び回っていたら叩き落としてくなるでしょ?」などと、平然と言ってのけるのだろう。


『可哀想だから、私は一生欲しがってあげる。誰もが欲しがらないお前を』


 そんな彼女に敵意を向けられたらと考えるだけでゾッとする。彼女に敵意を向けられた結果、彼女の母方の祖父母と、彼女の母方の伯父と、彼の父親は、皆自死を選んだ。死を選ばせたと表現した方が的確かもしれない。


 次の日、偶然、シエルが女子生徒三人に絡まれているところを遠目で見掛けた。助けに言った方が良いだろうと思い、止めた足を動かそうとしたタイミングで──偶々ウテナがその場所を通り掛かる。


 シエルに絡んでいた女子生徒三人は、ウテナの姿を見た瞬間、この世の終わりと言いたげな表情を浮かべ、脱兎の如く逃げ出す。


(何も、そこまで怖がら──怖がって当然だな。寧ろ、身の安全を鑑みれば、関わらないのが一番だ)


 シエルが絡まれている件は、一応は解決したので、この場から離れようと思ったのだが、彼女がウテナに話し掛けたので、暫く遠目から様子を見ることにした。


「ウテナさん、ですよね。助けて頂き、ありがとうございます」


「向こうが勝手に逃げただけですけどね。一応は助けたことになるのでしょうか?」


「結果的に、助かったのは事実なので……それにしても、彼女達凄く怯えていましたが、一体何をなさったのですか?」


「私何もしていませよ」


 その言葉に嘘はない。ウテナではない第三者が何かをしたのだろう。ゲーム部のメンバーが何かをしたのだろうと予想するラインハイト。


 ゲーム部とは、部長であるストラーナ・ペリコローソ、副部長であるゼーレ・アップヘンゲン、ファルシュ・べトゥリューガー、ミウリア・エーデルシュタインによって去年、設立された部活。かなり閉鎖的な部活で、創設者であり部長であるストラーナの意向なのか、設立当初からいるメンバー以外だと、アインツィヒ・レヴォルテ、ウテナ・ヴォルデコフツォ、ユーベル・シュレッケンの三名を除けば部員になることを認めていない。


 この三人以外が入部届を出しても受理しなかったらしく、部活棟の部屋を借りるために部活を設立したのではないか、部を私物化しているのではないかと、妙な噂が囁かれるようになった。


 あれは身内の集まりなのだろう。学園の施設を利用するために、部活を立ち上げたのだろう。彼らが卒業した瞬間、廃部になるのだろう。


 という具合に、好き勝手言われている。


「ウテナさんは……どうして、ラインハイトさんに酷いことをするのですか?」


、ですか」


「お父様は自殺に追い込んで、その上、自分の下僕にするなんて酷過ぎます!!」


「どうしてそのようなことを──」


 するのですか? と、続けようとして、シエルは言葉を詰まらせる。表情に変化はないが、視線と雰囲気が一気に恐ろしいものに変化し、恐怖のあまり、声を出せなくなった。


「リュミエール様」


 圧力を掛けられていると感じ、指先一つ動かせなくなってしまう。


「男爵令嬢ともあろう御方が、短絡的な発言をするのはお控えになった方が宜しいですよ」


「それは、どういう……」


「貴方が軽々しい発言のせいで、ラインハイトがどうなるのかとか──そういうことは、考えないのですか?」


「ッ!! そ、それは……!!」


「正義のヒロインらしく、可愛らしくて素敵ですけれど、ただそれだけですね。行動が伴わねば薄っぺらいものになってしまいますよ」


 何故煽ることを言うのだ。

 そう思った直後、ウテナはすぐに中庭から立ち去ったが、そのとき──一瞬だけ、ラインハイトに視線を向けた。


「なあ、ラインハイト」


 その日の夜、ウテナの部屋に呼び出され、首を僅かに右に傾け、悍ましいほど不気味な笑顔を浮かべながら、ある命令を下した。


「お前、シエル・リュミエールと、エーレ・ユスティーツに助けを求めろ」


「大変申し訳御座いません──それはどういった御命令でしょうでしょうか? 意味を理解出来ず申し訳御座いません。どうか、もう少し噛み砕いて頂けないでしょうか?」


「私に無理矢理従わされている。助けて。そういったことを言えばいい。ただそれだけ。親しくなりながら、折を見てそう訴えてくれればいい」


「何故、そのようなことを──」


 主人と下僕という関係を強いているのは私の方なのに──ラインハイトは真意の読めぬウテナの発言に、どうしていいのか分からなくなった。


(やはり、怒っているのだろうか。たった一言、あることを言うだけで、主人と下僕という関係は終わる。それなのに、未だに何も言わずにいる。怒られても仕方がないよな)


 だが、そうではなかった。

 彼女はラインハイトに対して、微塵も怒っていなかった。


「別にラインハイトに嫌がらせしようと思っている訳じゃないし、怒っていないから、そんな顔をしないでよ」


「なら、どうして……」


「だって、良い子は可哀想な奴の味方だろ?」


 また首を僅かに右に傾け、不気味で凄惨な笑みを浮かべる。魔王と呼ばれるストラーナの友人に相応しい笑みだ。極悪令嬢という仇名に見劣りしない。


「ああ、それと、二人の前だと態度悪くなるから宜しく」

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