カンヘル教に入ってやる!

僕は、イリス王女に刺繍した手帳を渡せずに居た。

そもそも執事で無くなったので、簡単に宮殿に入ることは出来ない。

そんな事をポツリとサーアに愚痴ると

「私が届けようか?嫁いでこられるべランジュール王女の部屋を整える為に人手不足で、明日は宮殿へ呼ばれたから…」

べランジュール王女の名前を聞く度、僕の心は、ヒュッとなる。

アルさんが結婚するのは、王子なんだから、当たり前の事だと、何度も何度も頭の中で呟くのに、上滑りするばかりの言葉は、心に留まらない。

結局、聞く度に新しい感覚で心臓が震えるので、いっそ、耳栓でもしようかと思った程だ。

僕も、難儀だな…

こんなにアルさんを好きだなんて、自分でも知らなかったよ。

おとぎ話じゃないんだから、結ばれる事が無い相手に恋するなんて馬鹿の極みだと思ってたのに、当事者になってしまうとは、始末が悪い。


しかも、アルさんには会わないように、そこに全神経を集中させて生活している。本当は会いたい癖にだ。

自分で自分の愚かさと女々しさに嫌気が差してくる。

もーおー!いーやーだぁーーー!と叫びたい衝動に駆られる。

結局、イリス王女の手帳は、やはり自分で渡したいので、サーアの申し出は丁寧に断った。


数日後には、べランジュール王女がやってくるという、式は宮殿に来られてから一週間後くらいに行われるらしい。

王族の方々には、色んなしきたりなどがあり、何かと時間がかかるのだろう。

既に、ドレスはキッチリ仕上がっていた。

僕達は、とても腕の良いお針子だから、素晴らしいドレスを仕上げたのだった。

ビーズが太陽に当たるとキラキラと輝き、金糸と薄い桃色の糸で美しい模様を作り、清楚で可憐な雰囲気を醸し出ている。

腰の部分を膨らませたデザインで、前は短めの裾、後ろはどこまでも流れるような広がりを持たせた。

初々しいであろう花嫁が着るに相応しい衣装だ。



「ちょっと、そこの人〜」

ん?急に誰かに呼ばれて僕は振り向いた。

騎士の雰囲気はあるが、我が国の装いでは無い。誰だか分からないので、いぶかしんでいると

「いや、大丈夫だから、俺はべランジュール王女の護衛だから!ちょっと嫁ぎ先の内偵調査させて貰ってるだけ」

陽気な感じの男性がこちらへやって来る。内偵調査って、もっと密やかにやるもんじゃないのか?


「何の御用ですか?」

「いやぁ〜それが〜迷子になっちまった」

ヘラヘラとしながらも、目付きの鋭さだけはある。

普通の人では無いのは、僕にもすぐに分かった。

「内偵ならば、適当に色んな所を見たらいいんじゃないですか?」

この人に当たっても仕方ないんだけど、べランジュール王女の側の人間だと言うだけで敵視してしまう。

「そんな事言わずに、教えてくれよぉ」

「僕もここは新入りなので、詳しくないです。すいません」

僕が立ち去ろうとすると

「名前は?」

「リュカです、さようなら」

早く立ち去りたくて、名前を言うと走って逃げた。


なんだったたのだろうか、変な人に会ってしまった。しかも、あんな軽いのが護衛なんて、向こうの国も底が知れてるな。


なんて思っていたら、次の日のこと…

「リュカ〜おーい」

向こうから大声で呼びつつ、笑顔でやってくるのは、昨日の騎士。

一瞬無視しようかとも思ったけど、外交問題になるといけないと気付き、一応立ち止まる。

「ありがとう、リュカ」

手をギュッと握られ強引に握手される。馴れ馴れしいにも程がある。

僕は若干引き気味だった…変な人にまとわりつかれてしまったと。


しかしながら、その満点笑顔と、言葉の調子の良さは、普通の人には受けが良いみたいで…

たった今、すっかりハンナさんの食堂で寛いでいる現状に、僕は呆れている。


お腹が空いて死にそうと言うので、仕方なく食堂に連れて来たのだが…

「ハンナさんっ!!貴方天才!もう、嫁に欲しいくらいだよ」

こんな感じで次々に女性を口説いていく。

なんなら、男性にまで、手当り次第。

「俺は、全人類を愛せる」

などと言っている。本当におかしな人だ。

でも、憎めない感じなのもあって、僕も何となく話し相手になっていた

「リュカは、優しい!美人だし、男でも関係無い…俺と添い遂げよう」

昨日会っての、今日で、こんな感じ。

「あー、ハイハイどうも」

僕も本気では相手にしない。

それでも、彼は一向にめげない所が素晴らしいのか、唯の馬鹿なのか。

「リュカ、愛してるよ」

周りに人が居ようが関係無い、この物言い。

食堂にいる人々も、違う国の人だからと、なんとなく受け入れている。

「そもそも、僕は、貴方の名前も知らないので、無理ですね」

「おっ!興味持ってくれた?名前はね、カンヘルだよ!守護天使で龍人って意味、リュカを一生守ってあげるから」

確かに良い名前だと思ったが

「名前負けしてますね」

「もう!リュカのそういうキッツイとこも愛してるっ!」

「ハンナさん、助けてください…昨日会ったばかりなんですけど、この人」

厨房で鍋をかき混ぜるハンナさんに助けを求めたが

「まぁ、害は無さそうだから、いて貰っておきな〜リュカ。カンヘルは結構しつこそうだから、諦めな〜」

ご無体な…ハンナさんもすっかりカンヘル教の一派になってしまっている。

なんだか分からないが、カンヘルには、人を惹き付ける能力だけは、ありそうだった。

人が張り巡らしてる壁を素手でガンガン、ブチ破る感じ。

壁なんて、最初から無かったみたいな距離感を作る天才。

「リュカ〜好き好きっ」

もう諦めて、僕も苦笑い

「あっ!笑った顔も最高!」

「そうそう、リュカが笑うと幸運が訪れるんだよ」

ハンナさんが要らんことを言う

「なるほど〜俺にも幸運が来たよ!昨日!リュカと出会った」

過去の幸運ってなんだそれ。

思わず吹き出してしまった。

久しぶりに笑った。


そのうち、カンヘルとは、確かに気の置けない感じで、僕も一緒に過ごしていた。

肩を組んできたり、好き好き言ってくる割に、いやらしい感じはしないから、僕も全く警戒していなかった。

サーアみたいな友達が出来たと思った。国は違うが、彼は根は良い人間に見える。

「リュカ、大好きだぞ」

「どうも、僕も嫌いでは無いです」

通例となったこの会話。


「は?どういうことだ?」

後ろから聞こえたのは、低い低い声…

恐る恐る振り返ると、目の前にはアルさん。

久しぶりに見る彼は、痩せて少し疲れているようだった。

「私はカンヘル。べランジュール王女の護衛をしており、現在リュカの恋人です!アルビー王子」

アルさんの事を知ってる!

僕は、その事に凄く驚いた。

カンヘルは、いつもの感じと違い、少し真面目さを滲ませている。

よく見ると…この人、実は美男子なんだよな。よく喋るし、言葉に惑わされていたけど、きちんとしてると、結構な男前。


「リュカ本当か?」

「え、あ…まぁ」

もう、僕は…カンヘルの話に乗った。

アルさんを諦める良い機会だと踏んだのだ。

「ちょっと良いかな、カンヘル。リュカを借りるよ」

言葉は丁寧だが、苛立ちを存分に含んだ声色だった。


グッと腕を握られ、森を抜け湖の方へと連れて行かれる。

言葉は無く、怒っている空気が、ヒリヒリと痛い。

「リュカ、どうして?」

アルさんは、とても悲しい顔で問いただす

「アルさんこそ、もう、婚姻もお決まりになったのですから、僕の事は、ほおっておいてください、執事もクビにされましたし、用は無いはずです」

「え?何だそれ?それは聞いてない…誰が…」

「だから、僕は…お針子として、きちんと…べランジュール王女の花嫁衣裳も仕上げましたよ」

「は?嘘だろ…俺が国を離れてる間、何があったんだ」

僕を執事の仕事から外したのはアルさんだと思っていたから、それには若干驚いた。


「リュカ、俺は…他国へ根回しに行っていただけだ…べランジュール王女とも話をして…婚姻は確かにするが、それには訳がある。リュカは、お針子では無い」

「なんですか?アルさんは、結婚するんですよね?僕は、貴方のめかけにでもなればいいんですか?執事でも無い、お針子でもない、なんなんですか!僕は…もう、訳が分からない!カンヘル教に入って、カンヘルに守って貰います!」

溜め込んでいた怒りが、突然、蓋を突き破り吹き出した。

最後には、わめき散らして…そして、逃げた。



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