執事をクビにされお針子に戻る
アルさんから別れの言葉みたいなものを貰ったあの日から…
僕は、完全に仕事モンスターと化していた。
彼に買って貰ったペンと手帳を手に、クロードさんが引き気味になるほど、まとわりついて、メモを取る。
「呪文みたいに、何かブツブツ言ってるの、怖いですよ」
なんて、言われた。
だって僕には、もう…仕事しかないから。
アルさんは、どうやら…僕が察した通り、自分の本来の道へと戻ったのだろう…ここ数日、王宮には不在で。
東の隣国、エルメリア王国のお姫様に会いに行ったとクロードさんからも聞いた。
いよいよ、再婚されるのだろう…と、宮殿内ではもっぱらの噂だった。
僕は…心の中をしっかりと
アルさんへの気持ちを振り切って仕事へ
そんな訳で、失念したり、時々放心してしまい
「リュカ殿、鬼気迫る勢いで質問したかと思ったら、魂が抜けたみたいにボーッとしたり…少しお休みください」
クロードさんから、見切りを付けられてしまった。
僕は、ションボリして…部屋に帰ってきた。
ベッドに座ると、先日、僕のと共にアルさんが買ったイリス王女の手帳を眺めた。
何かしていないと、一人の部屋で延々と泣いてしまいそうなので、アルさんから頼まれた、イリス王女の手帳への刺繍を始める事にした。
何にしようか思いを巡らす。ふと、絵本の挿絵が浮かんだ。
僕は、兎を刺繍する事に決めた。イリス王女のあの絵本を借りて来ようと思い、立ち上がる。
イリス王女の部屋をノックすると、チェスターさんが出てこられ、指を立て静かに…という動作をされる。
眠っておられるのだろう。
僕が事情を説明すると、チェスターさんは、喜んで絵本を貸してくれた。
少しだけ楽しい気持ちになってくる。
やはり誰かの為にする刺繍は、気分が上がる。
ひと針ひと針、丁寧に、絵本と見比べながら、兎を刺繍していく。
耳はピンと立ち、丸くなるお尻とフサフサとしたシッポの毛並みを縫っているうちに、他の事が考えられなくなる。
集中していると、あっという間で、もっと時間をかけてするつもりが、仕上がってしまったので…
周りに小さな草花の刺繍を添える。
あまりごちゃごちゃと模様を入れると可憐では無くなるので、ここまでだと思った。
それにしても、僕は絵は笑われる程に酷いのに…刺繍なら、絵本の通りに模写したみたいに仕上げる事が出来る。
自分でも不思議だ…
イリス王女に渡すのが楽しみになってきた。
すると、ノックの音がする。
扉を開くと立っていたのはエマさん…
しかも、とても戸惑うような顔をしている
「リュカ、再びお針子の仕事が任命されたそうよ…」
「え?僕がですか?」
「ええ…明日からは、仕立て部屋へ勤務してくださいね」
扉は閉まった。
今聞いた言葉を何度も反芻し、やっと脳へと言葉が到達した。
あまりの衝撃に、心臓はバクバクとし、一向に収まらない。
僕は、どうやら執事の仕事をお役御免になってしまったらしい。
本当に不要とされ、アルさんの側にすら居られなくなったのだ。
これで良かったのだと思うのに、溢れる涙は、止まらなかった。
要らなくなった僕は、どうしたらいいんだろうか…
結局、駆け巡る負の感情に、寝付けず…寝たような寝てないようなで、朝が来てしまう、腑抜けた頭を振り…
ノロノロと服を着替える。
もう執事服は不要になったから、棚の奥へと押しやった。
ドレスの代わりに普段着として、支給して貰った、ダボッとした男物の服を着てベルトを締める。
鏡で見ると、そこら辺にいる若者と同じような姿に、少し安心する。
やはり、僕に執事服は、背伸びし過ぎた格好だったのだ。
懐かしい感じで仕立て部屋へ入ると、エマさんは、お針子に戻った僕を元気付けようと笑顔で言う
「久しぶりに腕を奮ってもらうわよ、今度も、とても大きな仕事だから」
今度も真っ白な絹布だが、キラキラとした飾りビーズを縫い付けながら刺繍するという…
今度は女性用ドレスだった。
「アルビー王子と、近隣国のべランジュール王女様との婚姻式の花嫁衣装を作るのよ」
やっぱり…予想した通りの答えだったけど、心に槍でも刺さったのかと思う程に痛みが走った。
僕は、好きな人を諦めながら、その人と結婚する方の衣装を縫わなくてはいけないのか…
今ほど、自分のお針子の腕を恨んだ事は無い…
これなら、まだ執事の仕事の方が良かった。
既に泣きそうだった。エマさんは、仕事への不安に涙ぐんでると思ったみたいで
「大丈夫よ、貴方の技量なら、今度も素晴らしいドレスが仕上がるわ、頑張りましょう、リュカはお針子だもの!王女の衣装を縫うなんて、とても光栄な事よ」
執事をクビにはなったが、お針子として頑張って…という言葉も含んで励ましてくれている
「そうですね、頑張ります」
気遣ってくれるエマさんの為に、頑張らなきゃと思った。
ただ一つ、古巣に帰ってきたという安心感だけはあった。
しかし、僕が庭で針仕事をする事は、もう無い…あそこは、アルさんとの思い出が詰まってて、そんな場所で、王女様の衣装など平静で縫える度量は僕には無い。
とにかく黙々と縫う。
ひと針に、何も込めない。
仕事に忠実に…指示通り、手を動かすだけ。
イリス王女への刺繍は、あんなに楽しかったのに…と考えそうになり、その想いを振り切る。
他の事を考えてはダメだ。
とにかく、目の前の布に針を落としていくだけ。
アルさんの事を思い、万が一にも泣いたりなんてしてしまったら、布を汚してしまう。
それこそ、お針子すらもクビになってしまう。
僕には、もう、これしか無いのだから。
疲れて来たら、ハンナさんの所へ行って、
それでなんとか心を保っていた。
あとは、サーアと街へ出掛ける事もあった。
僕は、サーアをあの美味しいパン屋へ連れて行ってあげたかったから。
なかなかに高級なパン屋さんなので、お腹いっぱい買うなんて無理で、僕達のお給料だと、一つづつのパンデピスを買うのがやっと。
サーアは可愛いが、やはり、お互いに恋愛感情は無く…
親友と呼べる唯一の人だ。
僕は、そっと、サーアだけに好きな人を吐露した。
もう、苦しくて苦しくて仕方なかったのだ。
アルさんへの想いは全く色褪せず、諦められないのに、毎日、ドレスを縫う仕事は、本当に堪らなくて…
大声で叫びそうになるのを何度も飲み込んでいた。
パンデビスをベンチに座って食べながら、食べかすを零すみたいに、零してしまった。
懺悔みたいな言葉で、好きな人がアルさんだと。
「うん、うん。大丈夫…誰にも言わない、リュカ、それって辛いね…」
と、王子への恋慕があるのに、お針子として婚姻式のドレスを縫う仕事をしている僕に同情し、めちゃくちゃ泣いてくれた。
立場がどうとか、性別がどうとか、そんなことは関係無いって、サーアは言ってくれた。
僕も一緒になって泣いた。
パンを食べながら子供みたいに泣く僕達の姿は、
アルビー王子の婚姻の衣装は、べランジュール王女の国で用意されるらしく、お互いの国でそれぞれのお針子が腕を振るうのだと聞いた。
僕達の花嫁の衣装を縫うという仕事の出来は、この国を背負っていると思われた。
今日はアルさんが帰ってきたと聞いて、僕の心はソワソワとし、とにかく落ち着か無かった。
僕の部屋をノックされ飛び上がる
「リュカ?居る?」
口には手を置いて、微動だにせず。そっと耳を済ませた。
部屋に鍵をかけていて良かった。
何度か声を掛けてくるアルさんを無視してると、留守だと思ったのか、溜息と共に足音は遠ざかっていった。
次の日には、また違う国へと旅立って行ったアルさん。
婚姻が近くなり、外交が忙しいのだろう。
それを聞いて安堵する僕。
もし、顔を合わせると、どうしたら良いのか分からないし、お門違いな恨み言を言ってしまうのも怖い。
このままで良い。
元のようにお針子に戻っただけだ。
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