【KAC20241】見習い魔法使い、はじめの一歩

水城しほ

見習い魔法使い、はじめの一歩

 わたしには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それが何かと問われれば、いわゆる「証拠隠滅」というものだ。

 つい今しがた、エルーナ、とわたしを呼ぶ声がして、お父様が帰宅したという事実が突き付けられた。本来ならば自室にいるはずのわたしは、お母様の部屋へ勝手に入り込み、本棚に並べられていた約二十年分の日記を片っ端から読みあさっていた。見つかればこっぴどく叱られるのは間違いない。優秀な魔法使いであるお父様は、魔力を使ってわたしの居場所なんか簡単に探ってしまう。今までの経験上、この部屋へ現れるまでに要する時間はおそらく三分程度だ……え、たった三分で証拠隠滅なんて、無理じゃない!?

 バサバサと音を立てながら、床にまき散らしていた日記の四分の一ほどを本棚に突っ込んだ時、扉をノックする音がした。繰り返しわたしを呼ぶお父様の声は、明らかに機嫌が悪い時のものだった。


 本当に出来心だったんだ。今日はわたしに構う大人が誰もいなかった。お父様は魔法学研究所へお勤めに出ていて、お母様は親友からお茶会に招かれており、お目付け役のマリエラさんはおじいさまの来客に対応していたので、つまり、わたしはひとりで過ごしていた。午前中は自室で流行りの恋物語を読んでいたのだけれど、昼食の時、ふと思いついてしまったのだ。

 もしかして今日なら、お母様の隠し事を知ることができるかもしれない!

 お母様は、ときどき不思議な行動をしていた。満月の夜に従者も連れずに出かけて行くのだ。お父様は月の精霊についての研究をしていて、満月の夜に帰ってくることはない。お父様がいない隙を狙って、しかもたったひとりで出かけるなんて、貴族の女性としてはとてもありえない行動だった。まあお母様の出自は平民なのだけれど、だからこそ、貴族としての立ち居振る舞いをしっかりと叩き込まれているはずなのに。

 まさか、どこかの殿方と逢瀬……などと、ありえないことを何度も考えた。普段のお父様とお母様はものすごく仲が良い、不貞などありえるわけがない。幼馴染のアルヴァに相談した時だって、さらりと「お二人に限ってあるわけがないよ、何も心配しなくていいさ」となだめられて終わった。一応わかってはいるのに、胸の奥底の疑惑が拭えなかった。ちまたで流行っている恋愛歌のせいだ。

 吟遊詩人が広場で歌うそれは、望まない結婚の末に恋人が義理の兄となる悲恋を歌っている。その中に『満月の夜に会いに行く』という一節があり、ついついお母様と重ねてしまう。まさかお父様の兄上、ディリーク伯父様と……なんて。ディリーク伯父様は堅物を絵に描いたような方だけれど、未だ独身だし。美形だし。男と女なんて何が起こるかわかったものじゃないと、いま読んでいる物語にも書いてある。

 そんなわけで、真正面から「どこに行ってるの?」と疑問をぶつけてはぐらかされて、ケンカになったのが三日前だ。お母様はいつも「お父様と天体観測」と言い張るけれど、じゃあどうして、一度もわたしを一緒に連れて行ってくれないの。何度も何度もお願いしたのに、どうしていつも「もっと大人になってからね」なんて言うの。わたしはもう子供じゃない、十四歳だ。もうすぐ魔法使い養成所の入学試験だって受けることになっている。無事に合格して入所すれば、世間的にも大人と同じ扱いを受けるんだから……いつまでも子供扱いなのが腹立たしいのもあいまって、自分の手で疑惑をハッキリさせたかった。

 魔術師としての仕事をこなしているお母様の本棚に、魔法日誌が並べられているのは知っていた。その日誌が、日常のことを書き留めた「日記」を兼ねていることも。だからそれを読み解いていけば、真相がわかるに違いないと考えた。

 震える手で日記を開き、学生時代から約二十年分の日記を何時間もかけて読みあさり、お母様のプライバシーを完全にあばいたうえでわたしが知った真相は――勝手に抱いていた疑惑とは程遠い、お父様やわたしへの愛情にあふれるものだった。


 お母様は婚約当初から、お父様との間に子を持つことを望んでいた。この地で「辺境伯」という立場を継ぐ予定のお父様にとって、後継ぎがいないことは非常に困ることだからだ。しかし魔力持ちの女性は妊娠すると、魔力を胎児に吸われてしまう可能性がある。魔力は一旦枯渇すると、もう二度と回復することはない。そしてお母様は優れた治癒魔法の使い手として、領民の治療にあたることもある魔術師だ。その役目を誰が継ぐのかという問題に直面し、お母様は延々と悩み続けていた。魔力を捨てて愛する人の子を産み育てるのか、子を諦めて魔法使いの本分を全うするのか――日記には、その迷いが延々と記されていた。

 そんな時、お父様の実験によって月の精霊ルアが現れ、自分が魔力を補充しようと申し出た。そのおかげでお母様は決心を固め、無事にわたしが生まれることとなった。当時の日記には感謝と喜びの言葉が書き連ねられ、ひたすらにお父様やわたしへの愛であふれていて、読んでいて恥ずかしくなってしまう程で……そしてわたしは、自分の抱いていた疑念がいかに愚かなものであったのかを自覚した。

 ルアが補充した魔力のおかげで、わたしを産んだ後もお母様は魔術師のままだ。そして謎の外出の理由は、ルアが要望した「対価」だった。満月の夜はハニーケーキをたっぷり用意して、ルアと出会った湖のほとりで、真夜中のパーティーをすること――それを「天体観測」ということにしたのは、ルアの存在を隠す為だった。もしも精霊の力を借りたなんて話が広まれば、世界中が大騒ぎになってしまう。なにしろ魔法使いにとっての大問題が、全て一気に解決するのだ。しかし本来、精霊は人間の前に出ることを好まない。人間の方から精霊へ支援を強要するようになってしまったら、精霊は人間から離れてしまうかもしれない。それを知ったお父様は、迷わず研究をお蔵入りにして、決して他人に広めないことを誓ったのだそうだ。今も続けている研究は、精霊の謎を解き明かすためのものではなく、精霊と適切な関係を築くためのものだと記されていた。

 バカなわたしでも、わかる。ルアがいなければ、わたしはこの世に存在しなかった……そのルアを守るための隠し事を、わたしはあばいてしまったのだ。


 結局わたしの「証拠隠滅」は見事に失敗し、お父様はかつてない剣幕でわたしを𠮟った。繰り返し「親子とはいえ勝手に内面をあばくようなことをしてはいけない」と諭されたわたしは、泣きながらお母様へ謝ることになった。

 隠し事には、どうしても隠さなければいけない事情があることだって、あるのだ。

 それがわからなかったわたしは、やっぱり子供だったのかもしれない。


 数日後、アルヴァが家を訪ねてきた。ひとつ年上のアルヴァは魔法使い養成所の生徒で、普段は王都エベルタで寮生活を送っているのだけれど、すっかり落ち込んだままのわたしを見かねてお父様が招いてくれたらしい。

 中庭で一緒にお茶をしながら、先日の騒動について話をする。アルヴァのご両親はうちの両親と仲が良く、月の精霊についても承知していたのだと言う。さすがにアルヴァは今回はじめて聞いたらしいけれど、それだっておそらく「エルに内緒なのだからアルヴァにも内緒にしておこう」とか「エルが知ったのだからアルヴァにも知らせておこう」という、親たちの気遣いであるのに違いなかった。

 わたしの唇から紡がれる愚痴や自虐を、アルヴァは穏やかに受け止めてくれた。たったひとつ年上なだけなのに、いつだってわたしを守るように優しく接してくれる。


「ねぇアルヴァ、エルはこれからどうすればいいと思う?」


 こんな質問をされても困るだけなのはわかっているのに、アルヴァにはついつい甘えてしまう。わたしが自分を「エル」と呼ぶのは、お母様とアルヴァの前だけだ。目の前のお兄様は小さく微笑んで、うーんそうだなあ、と大げさに腕を組み、わかりやすく考えるような仕草をした。


「やっぱり、普段通りの元気なエルでいればいいんじゃないかな」

「でも、どんな顔してお母様にお会いすればいいのかわからないのよ」

「きちんと謝ったんだろう? 許して貰えたのなら、もうそれでいいじゃないか」

「そうかなぁ」

「大丈夫、フィアナ様は今もエルを愛しているよ。そう言われたんだろう?」

「そうだけどぉ」


 そう、お母様は許して下さったのだ。それどころかわたしを抱きしめて、隠し続けていたことを詫び、愛していると何度も繰り返した。だけどそれでも、自分がしでかした事の重大さに、自分自身が耐えられない。テーブルに突っ伏してうめくわたしに呆れるでもなく、アルヴァはわざわざ隣に座りなおし、何度も頭を撫でてくれた。


「そうやって反省できるのは、エルのいいところだよ」

「反省だけならおサルさんだってできるもん」

「またそうやって、自分を下げてしまわないの。エルはみんなに愛されていいんだよ」

「わたしみたいなおバカさんに、そんな価値ないの」


 自虐を繰り返すわたしに、ついに痺れを切らしたのか、アルヴァがふうと息を吐いた。さすがに呆れてしまったのかと、わたしが焦りを覚えて顔を上げると、耳元にアルヴァの吐息が触れた。


「僕だって、エルを愛しているよ」

 

 唐突に届けられた愛情表現を、どう受け止めればいいのか迷った。ほんの一瞬だけ、読みかけの恋物語を思ったけれど――いやまさか、そんなはずはない。アルヴァの普段の態度を考えると、そういう意味ではないのに決まっている。わかっているのに、なんだかおかしい。そういう意味であってほしいと、願ってしまったことに気が付いて――そしてわたしは、思ったことをそのまま口にしてしまった。好きなのかしら、と。

 アルヴァは一瞬動きを止めて、普段の余裕ぶりが嘘のように頬を染め、そしてもう一度わたしの耳元へ唇を寄せた。


「やっと、気が付いたの?」


 それがアルヴァの気持ちを指しているのか、それともわたし自身の気持ちを指しているのか、今のわたしにはわからなかった。ただひとつ、はっきりとわかってしまったことは、こんな形で自分の初恋を自覚してしまったということだ。

 ずっと兄のように慕ってきて、今みたいに距離が近くても平気だったはずなのに、急に恥ずかしくなってしまう。きっと赤くなっている頬を見られたくなくて俯くと、アルヴァの手がそっと頬に触れ、わたしの顔を上げさせてしまう。

 すると甘い雰囲気はどこへやら、アルヴァは今までに見たこともないくらい、意地悪そうな笑顔を浮かべていた。


「とりあえず、養成所の入試には絶対に合格しようね、エル」

「……え?」

「本当に僕のことを好きなんだったら、まずはそこから。僕のことを考えてて不合格になりましたなんて言ったら、もう二度と会ってあげないから」


 普段と全く違う表情のアルヴァは、それでもわたしの為を想うような言葉を繰り出してきた。ああ、きっとこの人もわたしのことを――そう思った瞬間に、アルヴァが私の肩をガッと掴んだ。


「休みの度にここに来て、みっちり勉強見てあげるよ。言っておくけど甘やかさないからね、睡眠時間なんか無いと思って」

「えぇー!?」

「大丈夫、エルはできる子だから。首席を取れるくらいに叩き込んであげる」


 そう言い放つアルヴァはますます嬉しそうで、わたしの中にひとつの疑念が浮かぶ。もしかしてこの人、わたしに意地悪できるのが嬉しいのでは……? そんなわたしの考えを見透かすように、耳元でダメ押しのように囁かれた。


「……意地悪だって思うかもしれないけれど、合格までは我慢するんだよ……?」


 色気すら感じる声の甘さに、つい戸惑いを覚えてしまう。怖い、わたしが知ってるアルヴァじゃない。それなのに、今までのアルヴァの優しさが嘘だとも思えず、嫌だと言うことができない。休みの度に一緒にいられることだって、嬉しい気持ちがないわけじゃない……このスパルタな申し出だって、本当にわたしを想ってのことかもしれない。だってアルヴァはいつだって、わたしを守るようにそばにいてくれたから。

 だから、がんばる、と返事をした。春からは子供じゃないわたしで、アルヴァの隣に立っていたい――その気持ちに嘘はないから、わたしはアルヴァの手を握った。

 わたしの手をそっと握り返し、よかった、とゆっくり息を吐いたアルヴァは、わたしの知ってるいつもの優しいアルヴァだった。


(了)

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