第24話関わるな

お父様から手紙が届いた。

お姉様がヴァンルード伯、侯爵と離縁し、実家に戻ってきた旨と、カールライヒ伯爵が生きていたのなら何故そう言わなかったのか嗜める内容だった。一度顔を出しなさいと添えられている。


珍しく眼鏡を掛けて手紙を読んだ旦那様は、テーブルに便箋を置くと

「ご挨拶もまだだからな、一度ご実家に顔を出すのも良いかもしれない」

「えっ…でも実家にはお姉様もいるのですよ…」


掛けていた眼鏡を外して便箋の横に置いた。

「正直言うと会いたくはない。面倒だからな。だが君とのことならば話は別だ」

「…もう少しご自分のことも大切になさってください。私一人で行っても良いのですから」

「それは駄目だ」


さらりと髪の毛を耳にかけてくれる。

見上げると、私のおでこに、まだ傷が癒えてないおでこが重なる。

触れ合う部分に熱が帯びてゆく。なぜだろう、少しだけ疼いた。


(貴方の痛みが伝わってきているのならどんなに良いでしょう)


「どうやら自覚していないみたいだからこの際言うけれど…。君は自分を過小評価しすぎる…というか他人に奉仕しすぎるところがある」

「他人に尽くすことこそ、不出来な私が成さねばならぬことではないですか」

「ほらそれ。いつからそんなふうに思うようになったんだ?」

「…私は幼い頃から、そういったことに敏感で…他人様に理不尽を強要してはいないかと不安になるのです」

旦那様は私の頬を両手で包んだ。


たくさんの光を集めている瞳がゆらゆら揺れる。

「相手の立場になって考えることができるリリアは誰よりも立派だ。けれど、ひとつ忘れていることがある」

「忘れていること?」

むに、と頬を寄せられた。

「リリアが嫌だと思うことを必ずしも相手が嫌とは限らない。むしろ好きかもしれない。嫌だとしてもその程度に差があることだってある。明らかな加虐を除いて、そういう場合は多いだろう。一見好意的と思えるものを無理強いするのだってそうだ。例えば君が好きな甘味だって、5個も食べたらさすがに口の中がくどくなる。お好きならもっとどうぞ、さあさあと勧められても、好きだけどもういらぬと思うだろう?」

「…私何かしてしまいましたか?」

むにむに、と頬を揉まれ続ける。

「君がうわべの言葉だと捉えているものに対して、純粋に捉えても良いのじゃないかということさ。確かに言葉と心の内が違うことはあるだろう、だがそんなに多いことではない。人間そんなに器用じゃない」

「といいますと?」

「私は君のご実家に行く。君は素直に受け取るべきだ」

「…わかりました…それと、そのむにむにと頬を揉むのはお止めになってください」

「駄目か?」

「駄目です」


名残惜しそうに手を下ろした。

その手を握り返す。

「その…すぐには難しいかもしれませんが、あまり気遣いしすぎぬよう努力します」

「まあ、そうやって気を張ってばかりいずに、肩の力を抜けばいい」





✳︎ ✳︎ ✳︎





出涸らしのような紅茶を口に含む。

旦那様はそれを大層美味しそうに飲んでいる。

目の前の人が真実カールライヒ伯爵だと知って父も母も驚いて固まった。

「あ、ああ、確かにお互いまだ若い頃お会いした時の面影がある」

と言って、父はしばし懐かしむ顔つきをした。


それで旦那様は今までのことを説明した。

「私が倒れたのは本当です。ご存知の通り、リリア殿が我が家に嫁いだ日だ。それからしばらく昏睡状態が続きまして、妻がそれは献身的に看病してくれたのです。目が醒めてから随分時間がかかりましたが、お陰様でこの様に回復しました。妻も私もすぐお手紙を出すべきだったのですが、そんな訳でしたのでなかなかご連絡ができずにいたのですよ……レントバーグ家のご長女とその元夫のこともありましたしね」

「うんうん、そうか、それは大変だった。なるほど、それは仕方ない」などと相槌を打って聞いていた父だったが最後の一言に目を丸くし、咳払いをして顔を背けた。

母も目を閉じて、下唇を前に突き出した。

私の家族は、思っていることが思いっきり簡単に顔に出る。私を含めて。


老齢の侍女、ミーレが二杯目の準備をしている。

なんだかそれに違和感を覚えた。

「…あら、ミーレ?なんだかすごく痩せた…?」

「私なんぞに気を遣わないでください」

そう言って真新しい砂時計をくるりと返す。

度の強い眼鏡を掛け直しながら、よれよれの紙を何度も確認している。

「?」

その様子に疑問を持っていると、父が言った。

「最近、ミーレも少し呆けが始まってな、そろそろ田舎に戻ったら良いと薦めているんだ。彼女もそうしたいと言っているのに………フォレスティーヌが良しとしない」

「そんな…ミーレは確りしているでしょう?」

「いや、もう、駄目駄目。なんだか一日中、声がするとか言っているんだ、可笑しいだろう?」

それについては母も思うところがあるらしい。

「声なんて…それは屋敷の中には常に人がいるから声もするでしょう?それなのに…」


ミーレは両親の言葉に背中を丸くしながら、お茶を注いで私たちの前に置くとすぐに退出した。


「お父様、お母様、少し言い過ぎでは?」

「なんだ、貴様……あ、いや」

ごほんと咳払いをして誤魔化そうとしているが、瞳に怒気が孕んでいる。


「ところで」

旦那様に視線が集中する。

「本日はフォレスティーヌ殿はいらっしゃらないのですか?我々と顔を合わせない様にご配慮頂いたようで感謝申し上げます」

だが母の言葉に私達は絶句する。

「フォレスティーヌなら、自室におりますわ、呼んできましょうか」

旦那様の声は震えた。

「貴方達は、ご長女がカールライヒ家に乗り込んできたことをご存知ないのか!」

「あら、知っていますわ。でもリリア、そんなに会わないと言うほどのことなの?だって二人きりの姉妹じゃない、きちんと仲直りして?」

「お母様!子どもの喧嘩じゃないのよ!?」


父はぶるぶると顔を震わせて怒鳴る。

「ああああ!煩い!!なぜうちはこうなんだ!もう良い、さっさと帰れ!」

それまで、腕を組んでいた旦那様は立ち上がり

「では用件は済みましたので、失礼しましょう」

と言ったので父は慌てた。

「あ、いや、カールライヒ殿。私は貴方に話があるのだ」

「妻を帰して話すことなど私にはないですが?」


どかどかばたんと扉が開いて、寝起きのようにぐしゃぐしゃの髪をした姉が入室した。

「あら?貴方達来ていたの?」

驚くべきことに、姉はローブを着ているだけ。

なんという醜態だろう。

これにはさすがに母も嗜めた。

「な!貴方!今日はリリア達が来ると言ってあったでしょう!?お願いだから日中くらいきちんと服を着てちょうだい!!!殿方も見えているのですよ!?」

「良いわよ、すぐ部屋に戻るもの」

母は筋肉を無理やり動かして、なんとか笑顔を作り出した。

「ご、ごめんなさいねぇ、ほら、ヴァンルード侯爵と離縁して、あの子も色々と大変なのよ」


(馬鹿馬鹿しい)


「旦那様、申し訳ありません。レントバーグ家を代表し、私が謝罪します」


父の激昂は玻璃の窓を震動させた。

「この家の恥は貴様だ!なぜ貴様が謝罪する!?我が家に非があるみたいじゃないか!私のメンツが潰れるだろッ!そんなことも分からないお前はこの家の家族なんかじゃあ、ない!!!! 愚かで!短慮で!生意気だ!」

それからもわあわあと喚いている。

母は「もうやめてちょうだい!」と叫んだ。

姉はいつの間にかいなくなっている。部屋に戻ったのだろう。

10分ほどそんな風に喚いていただろうか、よく喉が切れないなと思っていると、父は突然、はあはあと息を切らして座り込んだ。

旦那様は改めて父に向き直る。父への対応をよく理解しているらしい。

「それで私に話すことと言うのは?その話が終わらないと帰れないのだろう?ならさっさと話してください」

思い切り悔しい顔の父はソファの肘掛けに手をついて居住まいを正した。

「今の若いものはどうか知らんが、私が若い頃というのはもっと心に野望があった。私の友人にナカタニという東洋人がいる。初めは東洋人なんて蛮族と思っていたがな、この男がある日一丁前に仕立てたスーツを着てきたのだ。それを見て私は驚いた、と同時に焦った。オーダーのスーツを東洋人が着るなんてお笑い種だったから、皆が嘲笑っていた。いや愚かなのは貴様らの方だ、と私は思った。あっという間にナカタニは一山当てて国に帰って行った。正直帰った時にはホッとしたくらいだ。ナカタニとは今でも年に一度くらいは手紙のやり取りをしているんだが、アズマノ国でも大いに繁盛しているそうだ。彼はね、ただこの国に視察に来ただけ。なのに訪れた他国で一儲けしていきやがった。悔しかったね、彼の商才に嫉妬すらした。彼の柔軟さや知らない土地に取り入ろうとする努力は評価したい」

「…はあ」

「まあ、最後まで聞いてくださいよ。物事はきちんと順番を踏んで、説明されるべきだ」

「また…貴方ったら…もう何度も同じ話…」

「お前は黙っていろ!私はカールライヒ伯爵と話しているんだ」


こんこんと喋ること実に一時間半、父は「ああ、この話はお前にもしただろう?」と私に振ったので「ええ、聞いたことがあります」

聞いたことがあるどころか、父の十八番だ。

私は誦じて言うことが出来るほどしつこく聞かされた話だ。

常人ならばとっくに逃げ帰っているだろう。

この話に意味などない。ただ自分は人を見る目があるという自慢話、老人の昔話。それに尾鰭は鰭がついて思いっきり回り道をして5分で終わる話を一時間半に引き延ばして話している。

ある意味才能といえよう。話術で人の精神を崩壊させる才能。

ただただ旦那様に申し訳なく、かと言ってそれを伝えられる状況でもなく、時が過ぎゆくのを待つしかなかった。


「それでな、我が家の再建費用を半分肩代わりするというのはどうですかな、全額ではあまりに負担が大きいと家内ともよく話したんですわ。だから半分で良いと」

「なぜそうなるのです?」

「きちんと順を追って話したでしょうに。我が家の家族の一員と言えるわけですから、カールライヒ殿とて。他ならぬ妻の実家です、取り入ろうという努力は必要だ」

「なるほど?」


(全然なるほどじゃないですけど!?)

私とて父に何を言っているのかと言い返したいが、ここで何かを言ったらまた逆鱗にふれ、今日は帰れなくなるかもしれない。

そう思うと旦那様に任せた方が良いと思えた。


旦那様はうんうんと首を縦に振る。

「私がお聞きしたいのは、なぜ建て直す必要があるのか、と」

「フォレスティーヌが帰ってきてからあちこちと娘に修繕点を指摘されましてな。ならば思い切って建て直そうかと。三人での生活が始まりますから、心機一転をはかろうと」


旦那様は、とうに無くなったティーカップの底を眺めて言った。

「……全額だ」

「え?」

「カールライヒの財力を舐めないでほしい。半分だと?我が家に汚名を着せる気ですか?カールライヒが負担したのは半分などと笑い物にしたいのですか?出すなら全額出しましょう」

大きく両手を広げている。

私は腰が抜けるほど驚き、その場の全員が固まった。

あれほど出資するよう長々と講釈を垂れた父でさえ、絶句している。

旦那様は涼しい顔で言った。

「全額でないのなら、出資はしない」

父は首をこれでもかと伸ばして、目を丸くした。

旦那様は続ける。

「それと、出資には条件があります」

「な、なんですかな?」


「レントバーグ家の全員が金輪際、私とリリアに関わるな」

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