第23話過去と現在を往復する(ヴァンルード視点)

フォレスティーヌと出会ったのは5年前、木漏れ日がまだ柔らかい5月の心地よい日だった。

確かあれはケインズリアの公園。

ハーチェ湖の為に作られた市民の憩いの場。


その頃僕は父母が不慮の事故死をしたことで侯爵号を継いだ訳だけれども、まだ両親の死を受け入れられない僕にとっては耐え難い重荷だった。


自然と屋敷に篭りがちになる。

そんな日が続いて、なぜかふと気分が優れないのならば散歩でもしようと久しぶりに公園まで足を伸ばしたのだ。


季節はいつの間にか、とうに雪解けを終え、初夏の扉を開かんとしている。

(外はこんなにも暖かい)


何人かの子どもが僕の目の前を走りながら横切っていく。なんとも微笑ましい光景じゃないか。

手には露店で買ったのであろう、菓子が握られている。

それでその中の一人が目の前で転んだ。

転んだ子どもは火がついたように泣いた。

手に持っていたはずの菓子がもう食べられないと知ると、更に泣いた。

僕は驚いて、どうすれば良いか分からずに焦る。

そこへ、どこからか現れたご令嬢が、すかさずその子の手を取りベンチへと誘った。

僕も慌てて後を追う。


ベンチは湖畔を見渡せるように作られていて、僕はそのベンチの後ろで「大丈夫かい」とか「新しい菓子を買ってやろうか」とかなんとか言ったと思う。


木漏れ日に照らされた二人の後ろ姿。

美しく金色に輝く髪と青いドレスに、僕は目を奪われた。


(なんて美しいんだろう。この煌めきは、この世のものだろうか)


「これでもう大丈夫よ」

「おねえちゃん、ありがとう。でもドレスは大丈夫じゃあなさそうだよ?」

「良いのよ。破れてしまったの。裂け目が分からないように着てみたけれど…最後に役に立てて良かった。あ、ほら布のボリュームが多いから破れもそんなに目立たないのよ、今日はもう帰るだけだし、大丈夫なのよ」


どうやら自身が着ていた元々破れていたらしいドレスを割いて、擦りむいた足に巻いたようだった。

もうなんだかその頃にはすっかりそのご令嬢に惹かれていた。

後ろを向いていたから、顔はぼんやりとしか思い出せないけれど、美しい髪と心根の優しさに恋をした。


(破れたドレスをなんとかして着ようとするなんて、よっぽど思い入れがあるんだろうな。それにしても、なんて寂しそうなんだろう。この人の願いならなんだって聞いてあげたくなる)


そんなことをぼんやり考えていると、ご令嬢から声をかけられて、肩が跳ね上がった。

「すみませんが、この子を送ってあげてくださいますか?」

「もちろんです」と返事をして、確か約束通り新しい菓子を買ってやったと思う。

それでその子を友人たちの中へ返してすぐにあのベンチへ戻ったけれど、もう君はいなかった。


それから2年後、僕は君を見つけた。あれは何のパーティだったかな。

でも、あの例えようもない金髪は君だろう。どことなく面影もあった。

そこには妹もいたけれど、銀髪だったので絶対に違う。


2年という歳月でも記憶を朧げにさせるには十分だったし、なによりしっかり顔を見た訳じゃない。

だから、初めて会った君にこう聞いたんだ

「2年前に青いドレスが破れてしまったと仰ったのは貴方ですか?」

そうしたら君はこう答えた

「……何故、それを知っているの?」



ああ、やっと君を見つけた。





✳︎ ✳︎ ✳︎





フォレスティーヌはソファに肘をついて足を長く伸ばして欠伸をしている。

「あと2週間も謹慎してなきゃいけないなんて、退屈すぎて死にそう」

僕はその足をマッサージするのが好きだ。

「なんだか、君と出会った日のことを思い出したよ」

「ああ、ダンフォン侯爵令嬢の成人祝いのパーティでしょう?カヌレが美味しかったのよ。あそこのシェフはまだいるかしら」

艶やかな脹脛ふくらはぎを優しく揉んだ。

「ううん、そうではなくていつか君が転んだ子どもを助けたことがあったでしょう?」

「子ども?なにそれ。そこ違う、もっと下」

アキレス腱の辺りを親指で指圧する。

「ほら、ケインズリアの公園だよ。君のご実家から近いだろう?」

「あんなところで貴方に会ったかしら?」

土踏まずを、握った拳の指の関節で優しく押した。

「青いドレスは大切なものだったんだろう?同じものを探して買ってあげようか。僕は何故早くそうしなかったんだろうね?」

「青いドレスぅ?どのドレスのことよ。大体私はその公園にはあまり行かないの。子どもが多いから、ドレスを汚されたくないもの」


脱ぎ散らかしたヒールが転がっている。

僕は転がるヒールと同じ、床に正座して君が満足するまで指圧を続けた。


「もう良いわ」

その声を待っていたとばかりに、君の足の親指を舐めた。

脛に舌を這わせて膝に口付けする。

「ほ、ほら、破れていたのを無理に着ていただろう?」

「ああ、青いドレスが破れたのはリリアよ」

「えっ…」

「ねえ、もう良いでしょ!?離れてよッッ!!」

足で頭を何度も蹴られて床に卒倒した。


「だっさ」


その卒倒の刹那聞こえた彼女の声は、あの公園で聞いた優しい声とは大いに違った。




あの時の君は、いったい誰なんだい。






✳︎ ✳︎ ✳︎





(硬い)


と思って目が覚めると、赤い夕日が室内を照らしていた。

自分の体温で、床が温くなっている。


転がっていたヒールはいつの間にかなくなって、ソファにはフォレスティーヌの姿もない。


ふらふらと屋敷の中を彷徨って君を探した。


伽藍としている。

雇人も皆解雇した。今月の給料を払えないからだ。


「フォレスティーヌ!」


反響が虚しく返ってくるだけ。


ぽそぽそと寝室から何やら声がする。

ほっとして勢いよく扉を開けた。

「なんだそこにいたのかい」


僕の笑顔は凍りつく。


見たこともない男の上に、フォレスティーヌが全裸で跨っていた。


「誰…誰だ…おい、そこは僕のベッド…」

「丁度良かったわ!この人が私のお気に入りの奴隷。リンシャオというの。ね、シャオ。あ、私は愛称で呼んでるのよ。旦那様が伸びている間にフォン男爵が連れて来てくれたの。暇ったらなかったもの。本当にグッドタイミングよねぇ。シャオ、この人が私の旦那様よ、挨拶しなさい」

「初めまシタ。リンシャオ言います」


僕は絶句してしまう。

見れば、その男、リンシャオは労働のための筋肉しかない。

無駄な贅肉は一切ついていない。

茶褐色の肌はそれらを際立たせる。

足の裏はひび割れ、真っ黒だ。

そして、

何日も風呂に入っていないのだろう、酷く臭かった。


「ねえ、旦那様、この人のお部屋はすぐ用意できないのでしょ?」

「う、うん…?すぐは…すぐは…無理だよ…まず離れようか?二人とも…」

「ならこの寝室を使ったら良いわ!ね、シャオもそれが良いよね?」

「デモ、シャオはご主人のトコロ帰らないとコロサレる」

「フォン男爵でしょ?ううん、もう戻らなくて良いのよ。私がフォン男爵から貴方を買ったんだから」

「買ったって…買ったって、いつ…い、いくらで…」

「金貨30枚よ。いつかのドレッサーを全部売ったの。経済的でしょう?」

「え、えぇ!?奴隷に金貨30枚なんて……」

「はあ…」

僕の嗜めにため息をついて、ベッドから降りると、ローブを肩から掛けて詰め寄った。

人差し指で胸の辺りを小突かれる。

「あのね、シャオは人気なの。良い男だし、若いし、何度も抱いてくれるのよ」

「ま、まさか…君を妊娠させた相手というのは」

ちらりと彼を見る。微動だにしていない。

フォレスティーヌは笑った。

「違うわよ!その奴隷はもうとっくに死んでるもの」

「死んでるって…なんで…」

(もう何が何だか分からない)


次の瞬間、フォレスティーヌの頭が後ろに引っ張られた。

リンシャオが、彼女の美しい金髪を引っ張っている。

ぷちぷちと髪の千切れる音がした。

「フォレスティーヌ!!」


限界まで後ろに倒れた喉元は、女性のフォレスティーヌでさえ、これでもかと喉仏を隆起させた。

それを、

リンシャオが舐める。


「やめろ!!離せ!離せよ!」

僕は思わず二人に飛びかかる。

押しても引き離そうとしても、ビクともしない。

「うるさいわねぇ。そんなに驚くことなの?」

彼女は笑っている。顔が正面を向いた。蒸気した風呂上がりのような頬をしている。

リンシャオはフォレスティーヌを軽々と抱え上げた。


「ねえ、もう出ていってくれる?」


何故か僕の顔は濡れていた。

ぼたぼたと何か滴っている。

袖で拭っても拭いきれない。

僕は諦めて、流れるままぼたぼたと涙を流した。


「ひとつ、聞いても良いかな」

「なあに?」

「もし、君の目の前で子どもが転んだなら、君はどうする?」


助けるのか、見て見ぬ振りをするのか。


リンシャオの腕の中、面倒くさそうに答えた。

「通行の邪魔。蹴り飛ばすか、踏みつけるわね」



なんだ、君じゃあなかったのだね。





✳︎ ✳︎ ✳︎





一日中嬌声が聞こえる。

耳を塞いでも、階下に下っても、彼らは所構わずだった。

当然夜も眠れない。


だから僕はフォレスティーヌに離縁を言い渡した。

それは丁度謹慎が明けた日だった。

彼女は激昂して僕の胸ぐらを掴む。

だけれど、僕は知ってしまった。

「僕は僕が本当に恋した人を見つけたいんだ。君じゃあなかったんだろう?5年前、ケインズリアの公園で僕が出会ったのは一体誰だったんだろう?青いドレスが破れたのはリリアだと言うけれど、僕が見たのは金髪なのだよ」 

「この前から何を言っているの!?」

「僕はね、フォレスティーヌ、君こそがあの公園で出会ったご令嬢だと思っていたんだ。けれど君じゃないと知った以上、僕は君に優しくする理由はない。その靴もドレスもティアラもペンダントもイヤリングも指輪も全部全部外したまえ」

「ふざけないでよ!なんのためにカールライヒと離縁したと思っているの!?」

「まあ、でも僕もほら、この通り、資産が底をついてしまった。父母の代からいてもらった雇人だって誰一人残っていない。君だって不便だろ?贅沢もできないし。ならば実家に帰ったら良い。その方が今よりずっと"良い暮らし"ができるはずだ」

「ふぅーん。じゃあ、ドレスも靴もイヤリングも慰謝料代わり。あ、この家で揃えた馬車も家具も全部持っていくわね?だって私が買い替えの提案をしたんだもの。私に権利があるでしょう?あ、馬は死んじゃったから死体はいらないわ」


なんとあっさりしたことか。

初めから、僕への愛情なんて微塵もなかったのだ。

どんなに金をかけても、計り知れない愛情を注いでも、残ったものは何もない。

何もないどころか、この数ヶ月のうちに全て失った。

何故もっと早く気がつかなかったのだろう。

何故もっと…


失ったものを一つ二つと数えていくうちに気が狂ってしまいそうだ。


「いや、とうに気は触れていたか」


彼女は僕のネクタイバックルをするりと抜き取ると、それを眺めるようにして去っていった。

リンシャオは全ての色を混ぜたような黒い瞳で僕をじっと見て、何か懇願するような顔をした。


僕が何か言いかけようとした時

「シャオ、何してるの?早く行くわよ」


呼ばれた男は、口を開けて反対に目は閉じて、汚れた両手でぬるりと顔を拭うと、観念したようにフォレスティーヌの後を追った。

彼は何度も振り返っては僕を見た。

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