おまけ

 1



 日差しの強さと空の青さが際立つ夏の始まり。新しいクラスでの生活に慣れた頃の、とある金曜日のお昼休みのこと。


 俺は図書室のカウンター内のパイプ椅子に座って本を読んでいた。

 その理由は、図書委員としての仕事があるためだ。


 そしてもちろん、俺の隣には前橋まえはし琴音ことねがいた。今は、真剣な眼差しで文庫本を読んでいる。

 時折、髪を耳にかける仕草が何とも可愛らしい。


「涼太くん? どうかしました?」

「いや別に」


 見ていたことに気づかれてしまった。慌てて視線を本に戻す。ただ、何となくもう少しだけ、前橋の仕草を見ていたい。


 そっと、バレないように前橋の方を見る。すると、前橋とバッチリ目があってしまった。


「やっぱり何かありますよね?」

「いいや、別にないよ」

「本当ですか?」


 じーーっと、疑いの目を向けてくる。本に視線を落としても、俺の視界に入るように前橋が俺の顔を覗いてくる。これは逃れられそうにない。

 ここで俺が素直に「琴音の仕草が可愛かったから見てた」と言えば良いのかも知れない。ただ、素直に言うのは恥ずかしいので適当に誤魔化しておく。


「いや、何となく、昼休みの仕事にも慣れてきたし、琴音はどうなのかなって思って」

「慣れてきたかですか? そうですね、放課後と比べると利用者が多いですけど、そこまで大変ではないですからね。もう慣れたと思います。それに」

「それに?」


 聞き返すと、前橋が周りに聞こえない小さな声で続けた。

 

「涼太くんと一緒にいられますから」

「っ!」


 前橋からのまさかの言葉に、俺は返事ができなかった。

 前橋はというと、俺を見ながら可笑しそうに笑っていた。どうやら、恥ずかしがる俺の姿がツボにはまったようだ。


 ただ、このまま笑われ続けるのも嫌なので、どうにか話題を変えていく。


「そ、それにしても、こうして慣れてくると、図書室の常連が分かってくるな」

「そうですね」


 昼休みに図書室に来る人は多い。ただし、ある程度、決まった人たちが来ている。まさに常連がいるのだ。毎日来る人や、決まった曜日にだけ来る人、本の貸出期限に合わせてくる人など、様々な特徴があったりもする。

 ちなみに、友人の長野原ながのはらも、俺が昼休みに図書委員の仕事をしていると知って、時折遊びに来ており、常連になりつつある。とは言っても、本を読むわけではなく、俺と話すために来ているのだが。


「今日が何曜日か忘れた時に、あっ、あの眼鏡の人がいるから火曜日か、って気づく時あるんだよな」

「あっ! 私もそれあります!」


 2人で静かに笑い合う。別々のクラスになっても、こうして一緒に話せる場所が図書室にあって良かった。


「あっ、そういえば」


 突然、前橋が思い出したように呟いた。


「ん?」

「あの、1年生の時に同じクラスだった桐生きりゅう愛梨あいりさんを覚えていますか?」

「あぁ。あの水曜日に必ず来てるよな。いつも同じ席に座って」


 桐生さんは小柄な女子だ。あまり深く関わったことはないが、いじめ事件の時の弱々しい話し方が印象に残っている。

 水曜日の昼休みになると、彼女は常にカウンターの最も近くの椅子に、こちらに顔が見えるような向きで座っている。


「そうです。実は彼女、今までと行動が違うんです」

「……ん?」


 前橋の言うことが理解できない。


「あっ、すみません。言葉足らずでした。実はですね、彼女、1年生の頃から、決まって水曜日に図書室に来ているんです」

「へぇ。なんで前橋はそのことを知って……あ〜〜」


 言いかけている途中で思い出した。前橋は1年生の頃から、休み時間にもクラスメイトから逃げるために図書室を利用しているときがあった。その時に気づいたのだろう。


「ごめん。話を続けてくれ」

「はい。今は、カウンターから最も近い机に、こちらに顔を見せるような位置の椅子に座っていますけど、以前は決まって、カウンターから最も遠い位置に座っていたんです」

「なるほど」


 これが前橋の言う違いか。

 すると、前橋がパイプ椅子を傾けながら俺に顔を近づけた。


「涼太くん。推理してみませんか?」

「え? 何を?」

「桐生さんがなぜ座る位置を変えたのかを、です」


 さらに前橋が顔を近づけてくる。俺の膝に手を乗せて、俺に寄りかかってきた。


「な、何となくの気分で変えたかったんじゃないか?」

「1年間、常に同じだった位置を、気分だけで突然変えるとは思えません」


 前橋が想像以上に反論していた。どうやら、俺の返事は1択に絞られてしまったようだ。


「分かった。推理しよう。ただな、琴音」

「はい」

「見られてるかも知れないぞ」

「はっ!」


 前橋は慌てて俺から離れる。そして、周りの様子を伺った。

 幸い、こちらを見ていた人はいなそうだ。


 ここ最近、前橋との距離感はぐんっと近づいた。自然とボディタッチをすることも増えた。俺はそれがとても嬉しいのだが、付き合っている事を隠している手前、人前でイチャイチャとはできない。


「セーフですね」


 そんなことを言って、前橋は困ったように笑っている。

 前橋との関係を続けるためにも、ここは手を打たなくては。


「よし。それじゃあ、推理は放課後にやるか」


 こうして、放課後の図書室で再び集まることにした



 2



  放課後。


 俺と前橋は予定通りに図書室に集まった。ただし、カウンターには1年生の図書委員がいるので、カウンターから一番遠い位置の椅子に座っている。

 ちょうど桐生さんが1年生の頃に座っていたという位置だ。

 前橋は俺と相向かいになるように座った。


「それでは涼太くん。推理を始めましょう」

「そうだな」


 まずは手がかりを探す。


「琴音。桐生さんについて詳しく教えてくれないか? 俺はあんまり関わったことなくて」 

「分かりました。桐生さんは今、2年6組、つまり、私と同じクラスです。性格は大人しく、恥ずかしがり屋さんです。運動神経が良くて、女子バドミントン部に入っていて、毎日練習を頑張ってます。委員会は、去年が緑化委員で、今年が学級委員です」

「なるほど」


 そういえば、カウンターの近くで長野原と、学級委員の仕事の話題を話していたような気がする。元クラスメイトで、かつ、去年も今も学級委員の長野原からなら、良いアドバイスを貰えただろう。


「恥ずかしがりなのに、学級委員になるなんて意外だな」

「なんでも、学級委員になって、少しでも内申点を上げたいらしいです」

「内申点かぁ。俺も大学入試に向けて準備しておかないとなぁ」

「それじゃあ、今度、私の家で勉強会しましょう! 期末テストも近いですし。私が教えますよ」

「お手柔らかに頼む」


 さて、勉強会の話は一度、置いておくとしよう。

 ここまで聞く限り、言い方が悪いかもしれないが、桐生さんにはあまり特徴がない。


 本人の性格からよりも、実際の環境から推理したほうが良いかもしれない。


「1回、桐生さんが今、座ってる椅子に座ってみるか」

「そうですね」


 カウンター近くの椅子に2人で移動して、実際に座ってみる。正直、先程まで座っていた椅子と、そこまでの違いはない。

 俺に続いて、前橋も座ってみる。すると、僅かに首を傾げて、椅子を左右に揺らし始めた。


「何かあったのか?」

「はい。ほんの少しですけど、椅子が傾いています」

「本当か!」


 前橋に一度立ってもらって、俺が再度、座って確認する。言われてみれば、ほんの僅かであるが、右斜め前側に傾いている。椅子の右前足の先端に付いている小さなクッションのようなものがすり減っているのかもしれない。


 そんなことを確かめていると、カウンターに座っている1年生の図書委員2人組に、疑いの目を向けられてしまった。椅子の感触を味わっている不審者とでも思われたのかもしれない。


 そっと椅子から立ち上がり、カウンターから最も離れた位置に戻る。


「どうですか、涼太くん?」

「うーーん」


 現在、桐生さんが座っている椅子は傾いていることが分かった。ただ、座り心地が悪くなることに何のメリットがあるというのか。

 まだまだ、手がかりが足りない。


「桐生さんが座る位置を変えたのは、2年生になってからか?」

「そうですね……、2年生になってすぐの頃は、1年生の頃と同じ位置で座ってました。大体、5月の半ば辺りで位置を変えたと思います」


 つまり、1年生と2年生の区切りとして位置を変えた可能性は低いわけか。


「その時期に、図書室の椅子の入れ替えとか、大掃除をしたりとかって、あったか?」

「なかったはずです。大掃除は三学期にやったはずですけど、椅子の場所の入れ替えはなかったはずです。椅子ごとに数字が貼ってあって、場所が決まってますから」

「数字?」

「椅子の下の裏側を見てください」


 前橋が指差す先を見る。そこには、「A6」と書かれたシールが貼られていた。そして、机の裏には、「A」と書かれたシールが貼られている。


「なるほどね」


 つまり、桐生さんは椅子自体に固執しているわけではない。


「桐生さんが椅子の位置を変える前後で、何か変化したことはあったか?」

「そうですね……、あっ。読んでいる本が変わりました」

「具体的には?」

「以前はミステリー系の本を読んでいたんですけど、今は男性向けのライトノベル系を読んでいます」

「男性向けのライトノベル?」

「はい。理由は分かりませんが」


 女子が男性向けのライトノベルを読むのか。まぁ、アニメか何かを見て、ハマった可能性はあるかもしれないが、少し珍しい気がする。


「ライトノベルって、どこに置いてあったっけ?」

「たしか、このすぐ近くの棚でしたよね?」

「ちょっと探して見るか」


 2人で本棚を見て回る。すると、すぐに見つけた。カウンターから随分と離れた位置にある。

 つまり、ライトノベルの読みやすさ目当てで位置を変えた訳でもない。


「昼休みの図書室で、1年生と2年生とで変化したことはあったか?」

「そうですね……特にはありません。それこそ、私達が毎日、仕事をしているくらいです」


 となると、俺達が昼休みの図書当番になったことが原因で席を変えたのだろうか。

 しかし、俺達が昼休みの担当になったのは4月半ばから。5月半ばでは時期がズレている。


 5月半ば辺りで、位置を変えなければいけない理由が他にあるだろうか。

 ……もしくは、変えたくなるような理由が。


「……そうか」

「分かったんですか!」

「多分な」


 すると、前橋が姿勢を正した。


「では、説明をお願いします」


 呼吸を整えてから説明を始める。

 

「桐生さんが椅子の位置を変えた理由は、とある人物に近づくためだ」

「とある人物に近づくため?」


 前橋が首を傾げる。


「あぁ。まず、位置に関してだ。あそこはカウンターに近く、そして、カウンターに目線を送れる」

「なるほど」

「次に、時期についてだ。俺達は4月半ばから昼休みの図書当番になった。それから5月半ばになるまでで目立った変化は何だった?」


 前橋が天井を見上げて考えている。


「……あっ。長野原くんが涼太くんと話すために、図書室に遊びに来始めました」


 流石は前橋だ。察しが良くて助かる。


「その通り。そこに気づくと、桐生さんの行動のアレコレに説明がつく。学級委員になったことにも、男性向けのライトノベルを読み始めたことにも、座り心地の悪い椅子に座ってでも、カウンター近くの位置の椅子に変えたことにも。

 これは全部、だ。

 長野原と桐生さんは元々、同じクラスだ。だが、2年生になって離れ離れになった。2人の間にどんな関係があるのかは分からないが、離れていても接点は持ち続けていたいと桐生さんは考えたんだろうな。

 これが俺の推理だ」


 ふぅと息を吐き、心を落ち着かせる。

 前橋はなるほどと頷いた。


「流石です、涼太くん!」


 前橋は満面の笑みを見せていた。

 彼女の笑顔を見れたことに、俺の心は安堵するのだった。



 3



 推理をし終えたので、2人で図書室を出て生徒玄関まで歩いていく。

 すると、前橋が俺の右手を握ってきた。


「琴音。学校で握ってたら、みんなにバレちゃうぞ」

「大丈夫です。放課後は人がほとんどいませんから」

「……。まぁ、そうだな」


 というわけで、俺も握ることにした。


 前橋の手は小さくて柔らかい。そして、ほんのりと温かい。ずっと握っていたくなってしまう。前橋も同じようなことを思っているのだろうか。


 気になって、前橋の方を見ると前橋と目があった。思わず、2人で笑ってしまう。


 生徒玄関で靴を履き替えると、再び手を握って校門まで歩いていく。先程までいた校舎には「祝 全国出場 女子バレーボール部」と書かれた垂れ幕が下がっている。


「りっちゃん。頑張ってますね」

「そうみたいだな」


 太田おおた理央りおは、部内での人間関係でトラブルがあったものの、現在も部活動に努力している。

 今度の大会には、俺と前橋で応援をしに行くと約束もしている。活躍が楽しみだ。


 そんなことを考えている内に校門まで来てしまった。


「それでは、お別れですね」

「あぁ」


 前橋が少し寂しそうな笑顔で握っていた手を離す。そんな彼女を見て、声をかけずにはいられなかった。

 

「琴音」

「はい。なんですか?」

「あの、もし良かったら、これから喫茶店にでも一緒に行かないか?」

「いいですけど、涼太くんって、コーヒーとか好きでしたっけ?」

「好きってほどではない。ただ、もう少しだけ琴音と一緒にいたい」

「っ!」


 とてつもなく恥ずかしい。それに、顔が異常に熱い。

 もう少し、洒落た誘い方を知っていれば良いのかもしれない。ただ、俺には正直な気持ちを言う以外の手段が思いつかなかった。


 ただ、前橋が見せた笑顔が俺を安心させてくれた。


「ええ。行きましょう」

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図書室の2人と1時間の推理 ロム @HIRO3141592

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