第12話 いじめ
1
とある日の放課後。
担任の先生を除いて、1年1組のクラスメイト全員が教室に居残っていました。その中にはもちろん、私や
「…………」
普段であれば騒ぐ男子たちや世間話をする女子で賑やかな教室も、今ばかりはお葬式にいるのかと誤解するほどに静かです。流れている空気は重苦しく、呼吸をするにも妙に気を使ってしまいます。
なぜ、このような事態になってしまったのでしょうか。その答えは今朝の出来事にありました。
*
今朝。私はいつものように1年1組の教室に入りました。しかし、その際に若干の違和感を覚えました。
普段はのんびりとした空気が漂っているはずの教室から、どこか刺々しい空気を感じたからです。
何かあったのかと疑問に思い、様子をうかがいました。
すると、普段は楽しげにふざけあっているはずの
「あの、何かあったんで……」
私は彼らに質問をしようと近づきました。しかし、質問の途中で足を止めました。
この刺々しい空気の原因を理解してしまったからです。
彼らが見つめていたのは、高崎くんの机でした。
しかし、ただの机ではありません。彼の机の上には、赤色と黒色で「死ね」、「消えろ」、「学校来るな」などの誹謗中傷の文字がデカデカと書かれていたのです。
「……ひどい」
すると、私の声に気づいた館林くんがこちらに振り向きました。
「ごめん。前橋さん。朝からこんな気まずい感じにしちゃって」
「そんなことはどうでもいいんです。それより、その机の文字は?」
「……わからない。俺たちが教室入ったときにはもうこんな風に書かれてた。……おい、高崎。お前、これどうする?」
館林くんとは目を合わせずに答えました。
「取り敢えず、文字は消そう。先生に見られたら面倒なことになりそうだし。……みんなも、先生には黙っておいてくれないか?」
高崎くんからの問いかけに、その時、教室にいた全員が頷いていました。
「高崎がそう言うなら分かった。すぐに消そう。……ただ、このままこれを無かったことにするつもりはない。高崎がどこの誰とも知らない奴にいじめられてんのはムカつくし」
「何するつもりだ?」
「犯人を見つけ出す」
この館林くんの発言により、私達は放課後居残ることとなりました。
*
「正直に言ってほしい。この中で自分が犯人だと言うやつはいないのか? いま出てきて謝ってくれれば、この件はなかったことにするから」
教壇に立つ館林くんの問いに、名乗り上げる人はいません。
「……タテコウ。もういいよ。俺は別に気にはしていないし。多分、犯人も反省してるだろうし」
「俺はお前が一方的にやられてんのが悔しいんだよ! 普段から悪いことしてるやつが誹謗中傷書かれるならまだしも、お前みたいな良い奴をいじめるなんて、俺は納得できないんだ!」
館林くんはとても真剣な表情で言いました。普段のおふざけをしている時の彼からは想像もできない表情です。
しかし、いくら館林くんが真剣な表情を見せたところで、犯人が出てくる気配はありません。
このままの調子でいけば、全てが曖昧なままとなってしまいます。季節は既に冬。この1年1組という素敵な人達の集まりが、こんな曖昧な空気を纏ったまま終わってしまうなんて、私には耐えられません。
館林くんの様子を窺いながら、私は静かに手を上げます。
「……あの、館林くん。ちょっと良いですか?」
「うん。前橋さん、どうしたの?」
「その、仮に犯人の方に反省の気持ちがあるのであれば、先程の時点で名乗りあげていたと思います。しかし、名乗り上げる人は出てこなかった。つまり、犯人の方は少なくとも今の時点で名乗りあげて反省するつもりはないということです。
今のような形でこの教室に残り続けていても、時間の無駄となってしまいます」
「確かにそうだね……。ただ、今のこの微妙な空気のまま終わらせるのは正直キツイって言うか、何て言うか」
館林くんも私と同じような意見を持っていたようです。
それに、館林くんのその言葉を聞いた教室のみんなも、うんうんと頷いています。どうやら、この教室にいる全員が、この事態を変えたいと思っているようです。
「なので、ここは1つの提案なのですが、このクラスの、特に今朝早くから学校に来ていた人達から話を聞いて、犯人を推理してみませんか?」
「推理? それって俺たちみたいな普通の奴らにできるものなのか?」
館林くんは不安そうです。
当然です。推理なんて普通の高校生が日常的にやるようなことではなく、テレビか本のフィクションの世界でやるものなのですから。
でも、私は自信を持って返答できます。彼と一緒に沢山の日々を今まで過ごしてきたからその日々の中で、彼の凄さに驚かされましたから。
「大丈夫です。このクラスには1人。推理がとても得意な人がいるので。さぁ、出番ですよ。伊崎くん」
「えっ? 俺っ!?」
伊崎くんが驚いた様子で私を見ています。そして、嫌そうな表情で推理をすることを拒否しています。ただ、現状を変えられそうな人は伊崎くんしかいません。
「はい。さぁ、伊崎くん。前へ行きますよ」
伊崎くんの腕を引っ張って、無理矢理にでも壇上に立たせます。
「俺じゃ無理だって」
耳打ちで不安を訴えてきました。
「大丈夫です伊崎くんはいつも通りに推理すれば良いだけですから」
そうして、私は席に戻りました。後は、伊崎くんが推理し、事件を解決してくれるのを信じるのみです。
2
「え、えっと、それじゃあ、まずは、つ、机の詳しい様子について教えてください」
緊張しているのでしょうか。伊崎くんが異常に噛みながら推理を始めました。こちらを見る表情もかなり硬いです。
しかし、1年1組の平和のため、伊崎くん。ここは頑張ってください。
すると、高崎くんが手を挙げました。
「当事者として俺が説明するよ。
誹謗中傷が書かれてたのは俺の机の上部分で、側面とか支柱の部分には何も書かれていなかった。字は水性ペンで書かれてたから、結構簡単に消すことができたけど、書き込まれてた量はかなり多くて、殆ど端から端までだった」
「分かった。ありがとう」
高崎くんの話を聞くと、伊崎くんはいつものようにじっくりと考え始めました。どうやら、緊張していても、推理はいつも通りにできそうです。
「机以外のどこかに、誹謗中傷を書かれていたりはしていなかったか? もしくは、他の悪質なイタズラを受けていないか?」
「いいや。あの机の文字以外は特に何もない」
「誹謗中傷を書かれるようなことを以前に誰かにしたような覚えはあるか?」
「……多分ないと思う。もしかしたら、俺が気づいてないだけで、誰かを傷つけるような何かをやってたかもしれないけど……」
高崎くんは少し考えてから曖昧に答えました。すると、館林くんが声を上げました。
「いいや、高崎はそういうことするやつじゃないって分かってる。みんなだってそう思うだろ?」
館林くんの言うとおり、高崎くんが悪い人というイメージはありません。常に館林くん達と楽しそうに話し、クラスメイト全員と親しげに接していた姿を見ていましたから。
伊崎くんは私達の様子をさっと確認した上で、話を進めます。
「それじゃあ次に、その机を1番最初に発見した人を知りたい。自分が1番だって人はいる?」
「は、はい……」
手を挙げたのは
桐生さんは周りの目を気にしながら、気まずそうに立ち上がりました。
「わ、私が1番最初に見つけました。その、教室に入ったのは7時30分頃で、自分の荷物をロッカーに持って行こうとしていたときに気づきました」
「桐生さんが教室に入ったとき、教室の鍵はしまってた? それと、桐生さんが教室に入る前後で怪そうな人影はなかった?」
「鍵はしまってました。それと、怪しげな人もいなかったと思います」
「分かった。ありがとう」
伊崎くんの言葉を聞いて、桐生さんはガタンという音を立てて座り込みました。肩の荷が降りたといった表情です。
「桐生さんの次に教室に来たのは?」
「俺」
手を挙げたのは
先日、伊崎くんと教科書を取りに放課後の学校に行った際も、館林くんや高崎くんと一緒に遊んでいました。
「一応確認として、桐生さんが1番だったのは本当か?」
「あぁ、本当。俺、日直だったから早めに来て、大体35分。で、俺が教室に入るのと同時に桐生さんが机のこと教えてくれた」
「分かった。ありがとう」
2人の話を聞く限り、犯人は今朝、犯行に及んだ可能性は低そうです。となると、前日に教室にいた人物が犯人なのでしょうか。
「今度は逆に、昨日の放課後に最後に鍵を締めたって人はいる?」
伊崎くんも同じように考えていたようです。
「俺だ」
手を挙げたのは高崎くんです。
「付け加えると、館林と沼田も一緒にいた。そうだよな?」
高崎くんの発言を肯定するように、館林くんと沼田くんは頷きました。
この3人はよく放課後に教室に残っている姿を見てきました。昨日もそうだったのでしょう。
「その時の詳しい状況を教えてくれ」
「俺たちはいつもみたいに遊んでて、で、帰ろうってことになって、ジャンケンで鍵を締めて職員室に置いてくるのを決めてた。昨日は俺が負けたから、俺が鍵を締めた。時間は何時くらいだったっけ?」
館林くんが答えました。
「多分、9時半頃。俺たちが先に生徒玄関で待って、それから数分して鍵を職員室に置いてきた高崎が来てから帰ったんだ」
午後9時半まで残っていたとは驚きです。
学校が閉まるのが午後10時頃のはずなので、犯人は3人が帰ったあとの30分ほどで犯行に及んだのでしょうか。
「分かった。ありがとう」
「あっ、ちょっと待って」
突然、高崎くんが声を上げました。、
「俺が鍵を職員室に置いてきた帰り、館林と沼田が待ってる生徒玄関に行こうとしたとき、なんか誰かが廊下を歩いてた気がする」
「誰かが歩いてた? その人の特徴は?」
「えっと、背は俺よりも低くて、髪は短くて、コート着てる人だった」
「なるほど」
聞いている限り怪しそうな人物です。その人が犯人かもしれません。
ただし、高崎くんの上げた特徴と完璧に合致するような人物は、この1年1組にはいないので、見つけるのは大変そうです。
伊崎くんはしばらく黙ったままでいます。どうやら推理は難航しているようです。
何か手助けができればいいのですが。
あっ。そういえば、図書室の傷を推理していた時、伊崎くんは傷をつける時にかかる時間を考えて、犯人を導き出していました。もしかしたら、それが今回も役立つかもしれません。
「伊崎くん。ちょっと良いですか?」
「なんだ?」
「皆さんの話を聞いていて思ったのですが、犯人はどのようなトリックを使ってあのような大量の文字を書いたのでしょうか? あれだけ大量の文字を書くとなれば、それ相応の時間がかかるはずです」
「ん……確かにそうだな」
どうやら手助けが上手くいったようです。
「この教室に、鍵を使わずに入る方法を知っている人はいないか?」
「隣の教室からベランダを通って窓から侵入。あとは、廊下側の窓を予め開けておいて、そっちから侵入……とか?」
学級委員の
「それはできない。昨日俺たちが帰る時、窓も全部鍵をかけていたはずだ」
と、反論します。
沼田くんもそれに頷き肯定しています。どうやら、侵入方法は見つかりそうにありません。
すると、高崎くんが声を上げました。
「いや、ちょっと待って。廊下側の窓の鍵は開いてたかもしれない」
「え? 本当か高崎?」
館林くんが驚いています。
「ごめん。俺、曖昧にしか覚えてないんだけど、何となく、締め忘れてた気がする」
「それじゃあ、犯人は俺たちが帰ってから、その窓から侵入したってことか!」
館林くんの推理は筋が通っているように感じます。他のクラスメイトも館林くんの推理に納得をしているようでなるほどと頷いています。
ただ、違和感も少し残ります。
仮に高崎くんが窓を締め忘れていたとしても、それを犯人は気づくのでしょうか。偶然にしては出来すぎているような気がします。
伊崎くんもどこか不満そうな表情です。館林くんの推理に私と同じような違和感を抱いたのかもしれません。
すると、その伊崎くんが口を開きました。
「ちょっと良いかな? 仮に犯人が誹謗中傷を事前に書いておいた机を準備していたとすれば、もっと簡単にできるんじゃ」
なるほど。言われてみればその通りです。仮に事前に準備していれば、私が言い出した時間の問題はアッサリと解決できます。しかし、
「それもできない」
高崎くんが反論しました。
「俺も流石に自分の机がどれかってぐらいはわかる。間違いなく、文字が書かれていたのは俺の机だ」
「そうか……」
伊崎くんの推理はあっさりと否定されてしまいました。となると館林くんの推理が正しそうです。
「高崎と特に仲のいい館林と沼田に質問なんだけど、2人は犯人の動機になりそうな心当たりはないか?」
「……俺はない」
「俺も」
2人ともしっかりと考えた上で返事をしています。表情にも怪しさはありません。嘘をついているようにはとても思えません。
一体誰が、何のためにこんなことをしたのでしょうか。
そうして伊崎くんが教壇に立って推理が始まってから、約45分が経ちました。
教室に残っている私達は、正直かなり疲れてきています。
それも当然です。気まずい雰囲気を30分以上味わいながら、座り続け、更には人を疑わなければならないのですから。
しかし、そんな中で最も疲れているのは、恐らく伊崎くんでしょう。この中で誰よりも頭を回転させ、みんなの前に立ち、推理を続けているからです。
そんな彼ですが、先程、館林くんと沼田くんから犯人の動機となる心当たりを聞いた後から、様子が変わっています。
彼本人がこれに気づいているかは分かりませんが、実は、伊崎くんが答えに近づくと呼吸が深くなっていくのです。恐らく、推理をする際に頭を回転させるために、酸素を多く送ろうと体が無意識に動いているのかもしれません。
その証拠に、彼が推理を終えて私に説明をし終わると、決まって一呼吸おいて落ち着いてくのです。
そして、今現在の彼の様子はまさに呼吸が深くなってきています。
もしかしたら、伊崎くんは犯人が分かったのかも知れません。
「んんっ」
突然、伊崎くんが咳払いをしました。
教室にいた全員が伊崎くんに注目します。
「犯人がある意味で分かった」
「わぁ!」
思わず小さな声が漏れてしまいました。慌てて口を閉じて、伊崎くんの推理を聞く姿勢をとります。
「犯人は恐らく、このクラス以外の生徒だ」
このクラス以外の人物……。かなり指し示す範囲が広く感じます。しかし、伊崎くんの推理の説明はまだまだ終わっていません。
「まず犯人についてだけど、恐らく高崎が昨日廊下で見たっていう人で間違いないだろう。そいつの特定はできなそうだから、ひとまずはAとしておこう。
Aは高崎達が教室を出てすぐに、廊下側の開いていた窓から侵入し、誹謗中傷の文字を書いた。そして、バレないようにいち早く教室から出ていったわけだ」
つまり、大まかなトリックは、館林さんの推理と同じということですか。
……偶然開いていた窓から侵入するというのは、何となく違和感があります。ですけど、伊崎くんが言うのなら間違いないのでしょう。
「最後に犯人の動機だが、恐らく、高崎たちへの妬みだろうな。高崎たちは、人気者でいい奴らだから、当然恨みを買うような悪いことをしてはいない。それが逆にに腹立たしく感じ、妬んだ結果犯行に及んだんだろう。
これが俺が導き出した答えだ」
伊崎くんが言い終わると、教室は何とも言えない空気になります。犯人のトリックや動機がわかっても、犯人自体が分かっていないからです。
すると、そんな空気を変えるために現れたヒーローかのように、館林くんが立ち上がりました。
「みんなを疑って悪かった。ごめん」
そう言って、館林くんは深々と頭を下げます。
「でも、これで俺たちの中に犯人がいないってわかって凄くスッキリした。伊崎。みんなを代表して推理してくれてありがとう」
館林くんは伊崎くんに向けても同じように深々と頭を下げます。伊崎くんはそんな館林くんの態度に戸惑いつつも、軽く会釈して壇上から降りました。
「みんな今日はこんな遅くまで残ってくれて、本当にありがとう。この仮は必ず返すから」
「じゃあ今度、焼肉食べ放題おごれよ」
館林くんの言葉に沼田くんが発言し、教室にいたみんなが笑います。何となく、以前の雰囲気に戻った気がします。
「それじゃあ、この集まりは解散!」
館林くんの一言で、教室にいた全員が各々に喋りながら帰りだします。そんな彼ら彼女らの会話がいくつか聞こえます。
「私達の中に犯人がいなくてよかったね」
「ホントだよね。でも、前橋さんが推理ができるって言ってた伊崎くん。なんか、あんまりだったよね」
「うん。何て言うか、館林くんの言ってたこと代用しただけっていうか」
「まぁ、みんなの前に立って話を聞いていくだけでも凄いとは思うけどねーー」
伊崎くんに対する周りの評価があまり良くありません。普段の伊崎くんはもっと凄いのに。それが伝わっていないのは、少し悔しい気分になります。
しかし、今日の伊崎くんの推理は、私から見ても、あまり良いものには思えませんでした。
普段の伊崎くんの推理は、断片的な情報をつなぎ合わせ、そこから新たな答えを見つけ出すというものでした。
でも、今日の推理はそれに当てはまりません。今日の推理は、断片的な情報をただつなぎ合わせただけです。
私は自分の戸惑いを解決するために、伊崎くんに近づきます。
伊崎くんは高崎くんと話をしていました。
恐らく、先程までの推理の感謝を言われているのでしょう。彼らの話が終わったのを見計らって声をかけます。
「あの、伊崎くん」
私に気づいた伊崎くんが振り向きます。
「ん? あぁ、前橋か。いいか前橋。さっきみたいな場面で、突然俺を探偵のように扱うのはやめてくれ。俺にだって、感情というものがあるんだぞ」
ため息混じりに伝えてきます。本当に大変だったようです。
「その件に関してはごめんなさい。ただ、伊崎くんなら、きっとどうにかしてくれると思ったんです」
「俺は便利屋じゃないんだ」
「そうですよね。これからは気をつけます。……ただ」
「ただ?」
「今日の推理は、何だか普段の伊崎くんらしくありませんでした」
伊崎くんが何やら困ったような表情をしました。そして、私から目を逸します。
「みんなの前だから、緊張してたんだよ。だから、早く推理を終わらせようと思って、館林の言っていたものを利用したんだ」
伊崎くんの口から出た言葉に、多少の苛立ちを覚えます。
「……本当にそうだったんですか? ……つまり伊崎くんは、壇上から早く降りたいがために、あの推理を結論としたんですか?」
「……そうだよ」
目を合わせずに放たれた伊崎くんの言葉は、私の心の中の深い部分に刺さります。それは聞きたくなかった肯定でした。それと同時に、とても悲しい言葉でもありました。
「……分かりました」
それだけ告げて、私はその場を去りました。
3
高崎くんへのいじめ事件から3日が経過しました。
私達、1年1組の雰囲気は以前とあまり変わることはありませんでした。とはいえ、完全に以前と一緒ではないというのは事実で、どこかぎこちなく、偽りの雰囲気をまとっているように感じます。
その原因は、高崎くんが以前より元気がなくなってしまったからだと思います。しかし、あのようないじめをされたのですから、落ち込んでしまうのも無理ありません。
それでも、彼のテンションが下がれば館林くんや沼田くんがフォローし助ける。そんな雰囲気が、以前とは違う形だとしても、とても良いものだと思います。
そんな中で、私には、どうしても考えなければならないことがあります。それは、伊崎くんについてです。
あの日からというもの、私は伊崎くんと全くと言っていいほど話さなくなりました。
以前であれば、身の回りの気になること、学校生活への愚痴、今読んでいる本のこと、どうでもいいような世間話、など、彼の姿を見れば、話したいことが浮かんできました。
でも、今は何も浮かんできません。
彼の容姿は何も変わっていないのに、どこか、私から見た彼は以前とは違う、それこそ、別人のように見えてしまいます。
「はぁ。……伊崎くんと会うことがなければいいのに」
思わず独り言を言ってしまいます。
しかし、現実とは悲しいものです。毎週金曜日の放課後は必ず会わなければなりません。
ということで、私は今、図書委員の仕事として図書室のカウンターの内側で座っています。もちろん、隣には伊崎くんが座っています。
「……」
「……」
沈黙の時間が続きます。
普段から人があまり来ることがなく静けさを感じる図書室に、より一層の静けさを感じています。
早くこの時が終われば良い。いっそのこと、来週から仕事をサボってしまえば、彼に会わずに済むのかもしれません。そう考えながら、本を読み進めます。
「……そろそろ終わりだな」
伊崎くんが突然声を出しました。
時計を見てみれば、伊崎くんの言う通り1時間が過ぎています。
「そうですね……。それでは、さようなら」
そう言って、伊崎くんを置き去りにするように、足早に帰りました。
そうして帰宅している最中。私はあることに気づきました。それは、自分のポケットの中にスマートフォンがないことです。どうやら、学校に置いてきてしまったようです。
気づいた途端に慌てて向きを変え、学校へと走りました。
学校に到着したのは、まだまだ部活動が行われている時間帯でした。そのため、校舎内は所々照明が点いています。
そんな校舎を歩くと、なんとなく数週間前のことを思い出してしまいます。
あの時は隣に伊崎くんがいて、薄暗い校舎もすんなりと歩いていくことができました。
でも、今は違います。薄暗い校舎を独りで歩かなければらないのです。
そうして歩いていくうちに、私は気づきました。
伊崎くんが私の隣にいてくれることは、きっともう無いのだと。
教室では深くは関わらない。休日でも理由がなければ会うことはない。図書委員の仕事をサボってしまえば、週1回のペースで会うこともない。
そうした日々を過ごしていく内に、私の隣に彼がいたことを、私は忘れてしまうのかもしれません。
『伊崎くんと会うことがなければいいのに』
数時間前に自身が言った独り言が心の中で響きます。
きっとこのまま行けば、私の独り言は叶うのでしょう。そうして隣に彼がいたことを本当に忘れて、楽しい日々を再び過ごすことができるはずです。
「……でも、それって……とっても、嫌です」
この校舎の薄暗さが今までで1番怖いように感じます。
そうして、1年1組の教室に着いた時、教室の中に2つの人影があることに気づきました。私は壁にサッと隠れ、2人に気づかれないようにします。
「それで、俺を呼び出した用って何?」
人影の1つは高崎くんでした。どうやら、もう1人の方に呼び出されていたようです。
「あの事件の犯人はお前だよな。高崎」
「えっ!」
私は声を抑えながらも驚いてしまいました。
その理由は、あのいじめの犯人が高崎くん自身であったという事だけではありません。その人影のもう1つの正体は伊崎くんだったのです。
4
伊崎くんに問い詰められた高崎くんは、一瞬驚いたかのように見えましたが、すぐに普段のにこやかな表情に戻ります。
「なんだよ伊崎。俺が俺をいじめてどんな良いことがあるの?」
高崎くんがおかしそうに笑いながら言います。
高崎くんの言う通りです。自分で自分をいじめて喜ぶ人なんて一人もいません。
しかし、伊崎くんは真剣な表情のまま喋りだしました。
「良いことならある。クラスメートからの態度を変えられることだ」
「……」
伊崎くんの一言で、高崎くんが笑うのをやめました。そして、伊崎くんの方を見て動かなくなります。眼の前で起こった事態を呑み込めていないようです。
「お前はいじられキャラとしてクラスで人気者だ。特に館林や沼田と遊ぶときは、常にいじられる立場にいた」
伊崎くんの言う通り、高崎くんはどちらかといえばいじられキャラでした。
高崎くんが何かボケや行動をして、それに館林くんや沼田くんがツッコミを入れていたのをよく見かけていました。
しかし、それが一体、今回の事件とどう関わっているのでしょう。
「ただ、最近はそのいじりがエスカレートしてきていた。いじりがエスカレートすれば、その分、危険なことも起こるようになる。例えば、生徒指導沙汰になったり、大怪我をするようになったりな」
伊崎くんの言葉に、私ははっとさせられました。
以前、掲示板の推理をした際に、高崎くんは生徒指導の対象として先生に呼ばれていました。加えて、放課後にはプロレスの技をかけられていました。怪我はしていなかったようですが、プロレスを詳しく知らない私が見ても、危険だということだけは分かります。
「高崎。お前はもしかして、自分が誰かにいじめられているとクラスメートに思わせることで、いじりがこれ以上エスカレートするのを止めたかったんじゃないか?」
「…………その通り」
しばらくの沈黙の後、高崎くんが返事をしました。
そして、どこか力が抜けたような声で問いかけます。
「凄いな。どうしてわかったの?」
「仮に犯人が高崎以外の人物だった場合、犯人にメリットがないからだよ。それに気づいてからはすぐに答えを導き出せた。
犯人が高崎ならば、メリットはかなりある。使ったトリックは、俺がこの前に言っていたもの。まず、事前に誹謗中傷を書いた机を別の教室か階段の下に隠しておく。次に、放課後に最後まで残り、誰もいないタイミングに準備しておいた机を自分の机と入れ替える。あとは鍵を締めて何事もなかったかのように館林や沼田が待つ生徒玄関に行けばいい」
伊崎くんが流れる渓流のようにスラスラと説明をしていきます。それは、以前のような違和感のあるものではありません。
「そして、この犯行をバレないようにするためにお前はたくさんの嘘をついた。
俺たちに『これは自分の机だ』と言えば、このトリックを使う可能性を推理から除外できる。加えて、『職員室を出てから見た怪しい人影』や『窓の鍵を締め忘れ』という情報を流せば、必然的に館林の言っていたような推理に辿り着かせることができる。被害者の言うことを俺たちが鵜呑みにしてしまうからこそバレなかったわけだ。
これが、俺の推理だ」
伊崎くんはふぅと深く息を吐きました。伊崎くんが推理を終える際の普段通りの癖です。
伊崎くんの説明を聞き終えた高崎くんは、力がどっと抜けて倒れるように机に座りました。そして、柔らかい笑顔で伊崎くんを見つめます。
「伊崎って、凄いな。正直、こんな推理ができるやつなんて知らなかったよ」
「そりゃどうも」
「ちなみに、いつ俺が犯人だと分かったの?」
「館林と沼田から心当たりを聞き終わった時点で、何となく分かってた」
「その時点で……ん? それじゃあ、なんであの時に俺が犯人だって言わなかったの?」
「俺は何も、犯人を突き止めたい訳じゃない。ただこのまま、仲のいいクラスの状態を保ちたかったんだよ」
「そっか……。それじゃあ、なんで今、俺を突き止めに来たの?」
「お前が前より元気がないからだ」
「それは仕方ないよ。このまま俺が弱った所を見せ続ければ、前みたいに、いじりがエスカレートすることはないし、クラスの雰囲気も前と変わらないんだから」
すると突然、伊崎くんが高崎くんに近づき、胸ぐらをつかみました。普段は見せることもない不愉快そうな表情で高崎くんを睨みつけます。
「それは違うだろ! お前はクラスメート全員を騙して、お前に対する態度だけを強引に変えさせたんだ。お前から見れば『クラスの雰囲気も前と変わらない』と言えるかもしれない。だがな、お前以外のクラスメートは全員、元気のないお前に合わせた雰囲気に無理に合わせてるんだ!
嘘をついてないクラスメートが、嘘をついたお前のために苦しむなんて、そんなのおかしいだろ!」
伊崎くんは激しく怒鳴りつけていました。その声は、普段からは想像もできないほどに荒々しいものでした。
しかし、1度落ち着きを取り戻すと、胸ぐらを掴むのをやめて、2歩高崎くんから離れました。
「いいか、高崎。お前は嘘をついて自分だけ気楽に生活できるようにしたんだ。それなのに、クラスの雰囲気が前と変わらないなんて軽々しく言うな。
もしそれを言いたいのなら、それ相応の責任を持って行動をしろ」
「責任を持って行動…………分かった。自分勝手にしててごめん。ちょっと考え直すことにする」
伊崎くんに忠告された高崎くんは反省した表情で教室を出ていこうとします。
私は見つからないように、慌てて場所を移動し、見つからないように隠れます。高崎くんは私に気づくことなく、スタスタと歩いていきました。
私は正直、嬉しかったのです。
伊崎くんが推理をできていたことが。そして、それを知ることができたことが。
私は高崎くんが見えなくなったのを確認して、そっと1年1組の教室に入ります。そして、すぐに伊崎くんの元へ向かいます。
「えっ! 前橋。いたのか……」
「はい。私、スマホを取りに戻って来たんです」
自分の机の中を確認し、スマホを見つけます。
「もしかして、さっきの聞いてたか?」
「聞いてました。犯人は高崎くん本人だったんですね。それを分かっていて、伊崎くんはあの時……」
そう言おうとした瞬間、私の視界は歪みました。目に映る伊崎くんは、ゆっくりとおぼろげになります。頬にいくつもの涙がつたって落ちていくのを感じます。
「お、おい! 前橋。突然泣き出すなよ」
「す、すみません。ぐすっ。……でも、わ、私……」
伊崎くんを前にして、事の真相を伊崎くんに確認を取ろうとした瞬間に、私は気づいたのでした。
私の自分勝手な言葉と感情に。
クラスの雰囲気を守ろうとしていた彼に対して、苛立ちと失望を覚えてしまった。『会うことがなければいいのに』という言葉とは裏腹に、事の真相を知ってすぐに彼の元へ向かってしまった。
そんな情けない自分に、私は耐えられませんでした。
自分という存在が醜く思えてなりません。もし、存在を消せるような魔法があるというのなら、今すぐにその魔法をかけてもらいたい。
そんな自分に耐えられず、涙は止まることなく流れ続けます。
「私、伊崎くんに、酷いことをしました。伊崎くんは、何も悪くないのに、勝手に距離を置いて、真相を知ったら、すぐに近づこうとしてしまいました」
「別にそれぐらい……」
「それぐらいではないです!
私は……私は、伊崎くんの隣にいていい存在ではないんです!」
私の大声が教室に響きます。
すると、伊崎くんがゆっくりと近づいてきました。
「伊崎くん?」
疑問を抱くと同時に、私のおでこに強い衝撃が走りました。
伊崎くんがでこピンをしたのです。
「え?」
再度、伊崎くんを見ると、彼は背中を向けて荷物を整理し始めました。
「これで俺も前橋に酷いことした。だから、これでチャラってことで。ほら、教室の電気消すぞ」
そう言って、伊崎くんは教室の出口に向かいます。
「で、でも……」
「ん」
そう短く言って、伊崎くんは何故か肘を私の方に向けました。
「え、えっと?」
「暗いところ怖いんだろ? 今なら腕貸してやるぞ」
「……ありがとうございます」
涙を拭って伊崎くんの腕を掴みます。ほんのりと伊崎くんの温かな体温を感じます。
私は内心、納得がいきませんでした。私の罪は、でこピン1回と釣り合うようなものではないからです。
この不満を伝えようと暗闇の中の伊崎くんの横顔を見つめます。
すると、私の視線に気づいたのか、伊崎くんはこう言いました。
「もし前橋が責任として何か償いたいんだったら、俺が次に言うことを償いとしろ。俺とこれからも仲良くしてくれ」
「それって、全然償いになってないと思うんですけど」
「良いんだよ。前橋と何も話さない図書室の1時間が、俺は嫌なんだ」
「……分かりました」
やはり、伊崎くんは伊崎くんなのでした。
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