第13話 年越し

 1



 現在時刻21時03分。


 俺は1人で電車に乗っていた。向かっているのは神奈川県の藤沢市。群馬県から3時間弱はかかる大移動だ。


 加えて言えば、今日は12月31日の大晦日。普通であれば年末の特別番組を家族揃ってみているような時間帯での大移動だ。


 なぜ年末にこんな大移動をしているのか。その理由を知るには、数日前に遡る必要がある。



 2



 12月29日。


 高崎たかさき大地だいちが起こした事件から数日が過ぎ、サンタの来ないクリスマスを終え、冬休みが訪れた。


 俺は部活に入っていない。また、冬休み中は図書委員の仕事も一切ない。

 そのため、基本的にはこたつに入ってゴロゴロするだけの日々を過ごしていた。

 こうして何もしていないうちに新年を迎えてしまうのだろうと決めきっていた。


 だから、そろそろ寝ようとしていた真夜中に前橋まえはし琴音ことねから突然の電話が来た時には驚いた。


『もしもし、伊崎くんですか?』


 電話越しとはいえ、前橋の声を聞くのは久々だ。なんとなく緊張する。


「前橋か? こんな深夜にいきなりどうした?」

『えっとですね、単刀直入に言います。伊崎くん。私と一緒に初詣に行きませんか?』

「初詣か。別にいいぞ。それで、いつ、どこの神社に行くんだ?」

『本当ですか! それでは、大晦日の夜から、龍口りゅうこう寺に行きましょう』

「ん? リュウコウジ?」


 知らない名前のお寺だ。少なくとも、俺の家の近所にはないはずだが。前橋の家の近くにあるのだろうか。


「どこにあるお寺だ?」

『神奈川県の藤沢市です』

「カナガワケン……神奈川県!?」

『はい。神奈川県藤沢市です。私の祖父母の家が龍口寺の近くにあるんです』


 初詣に誘うということは、てっきり群馬県内のお寺だと思い込んでいた。まさか神奈川県のお寺に行くことを突然誘われるとは意外だ。


 年末に予定は特にない。たまには県外のお寺まで行って初詣をするのもありかもしれない。


 ただ、1つだけ、問題点を除けばだが。


『とてもきれいなお寺ですよ。それに、初詣の時には沢山の人が来てとても賑やかなんです』

「えっと、前橋。ちょっと良いか?」

『はい。何でしょうか?』

「仮に行くとして、夜に初詣をするわけだ。その後、俺はどこで寝泊まりすれば良いんだ?」


 俺は現在、そこまでお金を持っていない。

 お年玉として大金を貰えるだろうと高を括って、ゲームを大量に買ってしまったからだ。

 そのため、神奈川までの交通費は足りるとしても、ホテルを利用できるようなお金はない。


 まさか、極寒の中、俺に野宿を強要するつもりだろうか。


『私と一緒に祖父母の家に泊まれば問題ありません』

「……」


 冗談で言っているわけではないということが、前橋の声色から分かった。


 しかし、自分で言うのも何だが、俺は思春期真っ盛りの男子高校生だ。そんな俺が、同級生の女子の祖父母の家に泊まるというのはどうだろうか。


「前橋。誘い自体はとても嬉しいんだが、前橋の祖父母の家に泊まるってのは、流石に気まずい」

『心配ありませんよ。祖父母は優しい人ですし、お母さんなんて、むしろ伊崎くんを呼んで欲しいと頼んできたぐらいなんですから』

「そういう気まずいじゃなくて、その……同級生の男女でひとつ屋根の下ってのは、ちょっと……」

『あっ…………そうですね。ご、ごめんなさい。私、お母さんに頼まれてから、何も考えずに電話してしまって。

 今の私、なんだか変ですね』


 前橋はあはは、と作り笑いをしている。

 電話越しにも焦っているのが伝わってくる。こんなに焦っている前橋の声を聞けるのは、ある意味でレアかもしれない。


「いや、そんなに変ではないけど。まぁ、あれだ。深夜テンションってヤツだな」

『深夜テンション……確かに、そんな気がします。考えてみれば、伊崎くんとこんな遅い時間に話すのは、これが初めてですね』

「そうだな。まさか、クラスの人気者の前橋と、こんな風に夜中に話すなんて、4月の頃には想像もできなかったな」


 本心からそう思う。


 俺自身、目立つ方でもないし、高崎や館林たてばやし幸喜こうきのような人気者ではない。

 図書委員という役職があったからこそ、ここまで前橋と仲良く慣れたのだ。


 前橋と仲良くなれるというメリットが4月時点で掲示されていれば、図書委員は大人気となっていただろう。


『人気者って言うのはやめてください。改めて言われると恥ずかしいので』


 ふんっ、という息遣いが聞こえてきた。どうやら「人気者」と改めて言われるのが本当に嫌らしい。


「ごめん、ごめん」

『……でも、あっという間に年末になってしまいましたね。もうすぐ2年生になるんですよ』

「4月の頃と比べても、今の自分なんて、まるで成長してないのにな」

『伊崎くんは成長してますよ』

「いや、してないだろ」


 少なくとも、身長と体重はまるで変化していない。そろそろ170センチ後半ほどの身長が欲しいのだが。生憎、俺の体は伸びる気がないらしい。


『してます。……あの事件の時、私がそう感じましたから』

「……」


 前橋の言う「あの事件」とは、高崎のイジメ事件のことだ。正直、内容が内容なだけに、あまり触れたくはない。


『……私、あの時に、自分の醜さを知ったんです。あぁ、私はまだまだ子供のままで、まるで成長してないなって。

 ……伊崎くん。どうすれば私は大人になれますか?』

「なんか、哲学的だな」


 大人になる方法なんて、俺が知っている訳がない。なぜなら、俺はまだ高校生の子供だからだ。

 それに、成長したと前橋が言っていたが、俺自身は正直少しも納得できていない。

 それこそ、俺からすれば、学業優秀な前橋の方がよっぽど大人に近いように感じてしまう。


 とはいえ、分からないから何も言わないのは前橋がかわいそうだ。ここは何かしらアドバイスを言うべきだろう。


「まぁ、大人になる方法は分からないけど、自分の理想の大人を目指すのが良いんじゃないか?」

『理想の大人を目指すですか? なるほど。それは確かに大事ですね』


 どうやら、良いアドバイスができたらしい。


「前橋には、理想の大人とかっているのか?」

『そうですね……私の理想は、祖母のような人ですかね。祖母はとても優しくて、賢い人です。それに、高校時代には生徒会長になるような人望と勤勉さがあったそうです』

「凄い人だな」


 前橋の学力の高さは遺伝的なものなのかもしれない。


『えぇ。まさに憧れの人です。ふぁ〜〜ん』


 普段は聞くこともない小猫の鳴き声に似た声がした。恐らく、前橋があくびをしたのだろう。


「眠そうだな。そろそろ電話切るか」

『そうですね。あっ、でもちょっと待ってください』

「どうした?」

『その、せっかくですので、どちらかが眠るまで電話は繋いだままにして、それまでお話しませんか?』

「……まぁ、たまには良いか」


 こうして、俺と前橋は片方が眠るまで話し続けていた。その内容は、他愛もない世間話だ。でも、そういう話をただのんびりとしているのがどうしようもなく心地よかった。


 気がつくと朝になっていた。最終的にどちらが電話を切ったのかは覚えていない。ただ、もう1度、前橋と夜遅くまで話していたいと、俺は願うようになっていた。



 3



 12月31日。19時32分。


 実家のリビングで年末の特番を見ていると、スマホに1本の電話きた。途端に、先日の前橋との電話が脳内で思い出される。


 妙な緊張と喜びの両方を覚えつつも、画面に表示された文字を見る。

 そこには非通知と表示されていた。


 勝手に期待して、勝手に落ち込んでしまった。そんな、ひとりジェットコースターのような感情が電話越しに伝わらないように電話に出る。


「もしもし、伊崎です」

『もしもし、伊崎くん?』


 電話の向こうから聞こえてくる声は、当然、前橋のものではない。ただ、聞き覚えのある声ではあった。


「えっと、前橋のお母さんですか?」

『えぇ。こんばんわ』

「こんばんわ」


 予想は的中した。

 しかし、こんな時間に、一体どのような用があるのだろうか。まさか、今から神奈川に来いとでも言うつもりだろうか。


『伊崎くん。琴音のことについて、何か知らないかしら?』


 前橋のお母さんの声のトーンはやけに低い。

 以前会った時は、もっと元気のよい、それこそ若々しさを津波のように伝えてくる印象だった。だからこそ、今の声からは事態の深刻さが伺えた。


「前橋のことについて? 前橋に何かあったんですか?」

『それが、琴音がいなくなってしまって』

「前橋がいなくなった!?」

『えぇ。18時頃に家を出てから、しばらく帰ってこないのよ。19時頃に琴音から数十回電話があったんだけど、その時には料理を作っていて出られなかったの。それで、ついさっき、電話をかけたんだけど繋がらなくって』


 ということは、電波の届かないところに前橋がいる。もしくは、電源が切れている、切っているということか。


『行き先を言わずに出て行ってしまって。

 てっきり、コンビニにでも行くのかと思ってたのだけれど』

「前橋の行き先に心当たりは?」

『ないわ。それで、もしかしたら伊崎くんなら知ってるかもとと思って電話したんだけど』

「ごめんなさい。何も知りません」

『そう……』


 心配していることが電話越しの声でも分かる。


『わかったわ。こんな時間に電話かけちゃってごめんなさいね』

「あっ、ちょっと待ってください。気になるんで、俺も前橋に連絡取ってみます」

『本当に! ありがとう。伊崎くん』

「いえいえ。それでは」


 電話を切ってすぐに前橋に電話をかける。しかし、繋がることはなく「ピーっと鳴りましたら」という留守番電話用の音声が流れるのみだ。


 ならばと、今度はメッセージアプリを確認する。


「ん?」


 なんと、30分ほど前に前橋からメッセージが届いていた。

 メッセージの数はたった1件。その内容はこうだった。


『助けて』


 メッセージを読んだ瞬間、俺は立ち上がった。

 クローゼットから厚手の上着を手にとって羽織る。ポケットに財布を入れて、急いで玄関へ向かう。


涼太りょうた? 急にどうしたの?」


 母親が不思議そうに俺を見る。当然だ。先程までゴロゴロと寝転がり、怠惰の限りを尽くしていた男が突然動き出したのだから。


 俺はマフラーを雑に首に巻き付けて、自転車の鍵を手に握りしめる。


「ちょっと出かけてくる」

「どこに?」

「神奈川」

「あら、そう。気をつけてね……えっ!? 神奈川っ!?」

「行ってきます!」


 そう告げて、 自転車を全速力で漕ぎ出した。


 向かうのは最寄りの高崎北駅。そこから信越線で高崎駅まで行く。高崎駅は様々な路線が通っており、加えて新幹線も通っている。最速で神奈川にたどり着くまでには、高崎駅に向かうのが必要不可欠だ。


 全力で自転車を漕いだおかげで数分で北高崎駅に到着することができた。急いで改札を通り、20時びったりに到着の電車に乗る。

 前橋の祖父母の家は神奈川県の藤沢市にあると、以前、前橋が言っていた。つまり、次に向かうべきは藤沢駅だ。


 電車内で次に乗る電車を調べる。

 幸い、20時7分出発の乗り換え不要で藤沢駅まで最速で行ける電車があった。ホームの番号を確認し、すぐに乗り換えができるように準備する。


 高崎駅は年末ではあるもののそれなりに人が多い。人の波に揉まれながらどうにか乗り換えを済ませる。


 乗ってから間もなくして、電車は動き出した。調べた情報によれば、今から2時間43分後の22時50分に藤沢に到着するらしい。


 乗った電車は高崎駅が始発だったのでまばらに空席があった。隅の方の座席に座り呼吸を整える。

 呼吸が落ち着いてから、前橋からの新たなメッセージがないかと確認する。残念ながら1件もない。


 だがしかし、とある人物からメッセージがあった。


『コットンがいなくなったって話聞いた?』


 前橋のことをコットンと呼ぶ人物は俺の知る限り1人しかいない。太田おおた理央りおだ。


 メッセージを送り返す。


『聞いた。理央に訊きたいんだが、理央は前橋から何かしらメッセージを貰ったか?』


 数秒してメッセージが返ってくる。


『ううん、何も。だから、すっごく心配だよ』


 理央にはメッセージを送っていないのか。一体、どういう理由があるというのだろうか。


『いっくんは何かメッセージ貰ってた?』

『貰ってた。助けてってな』


 しばらく返信が来ない。恐らく、「助けて」という言葉の重みを感じているのだろう。


 しばらくして、新たなメッセージが来た。


『ねぇ、いっくん』

『なんだ?』

『できれば、私がコットンを見つけたい。でも、私、バカだから、どこに行ったかなんて全然分かんない。だからさ、いっくんにお願い。コットンが今どこにいるのか、推理して』


 まさか、理央から推理をお願いされるとは思わなかった。

 俺という存在は、強制的に推理をすることになる運命に結ばれているのかと、思わず笑ってしまった。

 しかし、そのおかげで妙にリラックスをすることができた。


 すぐにメッセージを返信する。


『ああ。言われずともそのつもりだ』



 4



 現在時刻20時15分。


 電車は藤沢駅へ向かって淡々と走り続けている。幸い、雪などは降っておらず、天気予報を見ても大きな天候の変化はない。

 そんな中、俺は理央の言葉でリラックスしつつ推理を始めた。


 現在分かっていることは、前橋が助けを求めるような状況にいること。19時頃に俺と前橋のお母さんへ向けてメッセージと電話があったこと。それ以降、連絡が取れない状況が続いていること。


 一体、何があったというのだろうか。


 まず考えられるとすれば、迷子だ。

 しかし、藤沢の土地勘を知らない俺に連絡することはないはずだ。


 次に考えられるのは、誘拐だ。

 前橋の容姿はかなりの美人のため、誰かに誘拐されるようなことがあってもおかしくはない。しかし、警察に連絡がいっていないのがおかしい。仮に誘拐されていた場合、まず警察に連絡するだろう。そうなれば、警察づてに前橋のお母さんへ連絡が入るはずだ。だがしかし、前橋が電話をした相手はお母さんだった。つまり、警察沙汰でもないということだ。


 次に考えられることは、事故に巻き込まれた可能性だ。

 しかし、これも警察沙汰ではないという点から否定される。では一体、前橋に何があったというのか。


 推理の材料が少なすぎる。せめて、前橋のお母さんからもう少し情報を聞ければいいのだが。

 電車内での電話はあまりすべきではない。しかし、こういった緊急自体であればしても良いのだろうか。


 スマホの右上に表示された時刻は20時31分。


 藤沢駅に着くまでに、前橋の居場所を特定したい。一体どうすれば。


 悩んでいると、メッセージ通知が届いた。


「もしかして、前橋からか!」


 しかし、表示された文字は「母」の1文字。つまりは俺の母親だ。


「こんな時になんだって言うんだよ」 


 メッセージを確認する。


『これ。前橋さんのお母さんのメッセージID』

「え!?」


 予想外だった。なぜ急に母親が前橋のお母さんのIDを俺に送ったのだろうか。


 数分して、母親から新たなメッセージが届いた。


『突然、神奈川に行くなんて言うから驚いたけど、前橋さんの実家が神奈川だったなぁって思い出したの。それで連絡してみたら、前橋さんいなくなったって聞いたから。

 あんたが助けに行くなら、最低限、前橋さんのお母さんと連絡が必要かなって思って。それと、藤沢駅に着いたら黒色の車を探しなさい。前橋さんのお兄さんが車で待ってくれるらしいわ』


 恐ろしい記憶力と考察だ。

 しかし、前橋のお母さんとの連絡手段を手に入れられたのは大きい。

 ひとまず、感謝を伝えておく。


『ありがとう。助かる。でも、どうして前橋のお母さんのIDを知ってたんだ?』

『母親の情報網を舐めないことね。あんたが狙ってる女の子の親と仲良くなっておくのは大切でしょ?』

「『狙ってる』って……」


 まさか、母親同士がすでに繋がっていたとは。

 我が母親ながら恐ろしい。


『ともかく、さっさと前橋さんを助けて、付き合っちゃいなさい。

 それと、必ず無事に帰ってくること』


 母親には敵わないと思い知らされた。


 再度、母親に感謝を伝える。そして、すぐに前橋のお母さんへ向けてメッセージを送る。


『前橋がいなくなる前に、前橋が何をやっていたか分かりますか?』


 返信はすぐに来た。


『確か、お母さん、琴音のおばあちゃんと話していたわ。何を話していたかまではわからないけれど』


 前橋の祖母といえば、以前、話を聞いていた。確か、賢く人望もある、前橋が憧れている人だったはずだ。


 何か関係があるのだろうか。

 今のところわからないので、他の情報を聞く。


『前橋は何を持って出かけましたか?』


 しばらく返信が来ない。恐らく、前橋の荷物などを確認して、持ち出しているものを確認しているのだろう。


『多分、スマホと上着だけね。お財布は家に置いてあったわ』


 つまり、お金を必要とするような場所には向かっていない。考えられるとすれば、海、山、近所の家などか。


『前橋が出ていく動機のようなものは分かりますか?』

『分からないわ。コンビニに行って、充電器でも買ってくるのかと思ってたのだけど』


 ん? 充電器?


『なぜ充電器を買いに行ったと思ったんですか?』

『あの子、群馬にスマホの充電器忘れてきちゃったの。私達の使ってるスマホの機種とも違うから、貸してあげることもできなくて』


 つまり、前橋のスマホの充電は少なくなっていたのか。となれば、連絡がつかないのは電池切れの可能性が考えられる。


『でも、連絡がつかないのは電池切れのせいではないと思うわ。充電器を忘れたことに気づいてからは、あまりスマホを使わないようにしていたし。多分、50%以上はバッテリーが残っていたはずよ』


 50%以上残っていたのか。とすると、そこから0%まで使い切るのは逆に難しい。では、なぜ連絡がつかないんだ。


 まさか、電波の届かないような場所にいるのか。いやしかし、助けを求めるメッセージを俺に向けて送っていた時点でそれはない。


 現在時刻21時15分。


 推理開始から約1時間が過ぎた。

 普段、1時間という決まった時間で推理していたせいか、不意に集中力が切れた。

 1度、電車内のトイレに行って思考をリセットしようとする。だがしかし、席に戻った所で集中力が復活することはない。


 前橋のお母さんとしばらく連絡を取り続けたが、未だに推理は進んでいない。考えられる可能性も、全て何かしらの理由で否定される。

 そのせいで何も考えが浮かばなくなってしまった。


 何だか、以前にも同じようなことがあった気がする。一体、いつだっただろうか。


「あっ、夏祭りの時か」


 確か、あの時も、今と同じように推理が進まなかった。

 花火大会の会場にいる前橋の居場所を探す。規模は違えど、まるで今回と一緒のような状況だ。


「結局、俺は前橋がいないとまともに推理ができないのか……」


 落胆している間にも電車は進んでいく。車窓から見えたのは、見上げても屋根が見えないほどの大きさの建物。恐らく、さいたまスーパーアリーナだ。


 いつの間にか大宮まで来ていた。


 少し気分転換でもするかと、駅のホームにあった自動販売機でジュースを買う。頭の回転が良くなるように、糖分の多そうなジュースを。


 1口飲んで喉を潤すことはできた。だが、頭の回転が良くなることはなく、推理が進むこともなかった。


 また、夏祭り時と同じようになってしまうのか。

 悔しい。


 前橋は俺が成長したと言ってくれていた。しかし、実際はどうだ。半年前とまるで変わらない。


 なんで成長できないんだ。


 こうして悔しさを味わっているうちに、俺の視界は暗くなっていった。



 4



 気が付くと、俺は学校の図書室にいた。周りからは妙に騒がしい音が聞こえるが、俺以外の人はいない。


 すると、図書室のドアが開き、人が入ってくるが見えた。その人物とは前橋だ。

 前橋はゆっくりとこちらに向かって歩いてきて、俺の隣で立ち止まった。


「おつかれ、前橋」

「……」


 名前を呼んでも返事は一切ない。表情は笑顔でも怒り顔でも泣き顔でもない。無表情。人形にでもなってしまったかの様だ。


「前橋、どうしたんだよ?」


 すると突然、周りの風景が一変した。


「……ここは、教室?」


 いつの間にか、普段使っている1年1組の教室にいた。ただし、俺と前橋以外の生徒はいない。


「どうなってるんだ?」


 落ち着く暇もなく、風景は次から次へと変化していく。学校の廊下、通学路、前橋の部屋、夏祭りの会場、俺の部屋、ショッピングモール。


 そうして変化していく風景に、俺はとある共通点を見つけた。


「これって全部、俺が前橋と一緒にいた場所か」


 そう呟いた瞬間、変化し続ける風景が歩みを止めた。広がっていたのは、夜中の図書室だった。

 すると、隣にいた前橋が真っ暗な廊下へ向かって1人で歩きだした。


「おいっ、前橋! ちょっと待てよ!」


 必死に手を伸ばして前橋の腕をつかもうとする。しかし、どれだけ走っても前橋に追い付けない。


「……なぜ、伊崎くんは私に手を伸ばすのですか?」


 先程まで黙っていた前橋が突然喋りだした。


「それは、お前が暗いのが苦手って言ってたからな」

「……なぜ、伊崎くんは私に手を伸ばすのですか?」


 壊れたカセットテープのように、同じ内容を前橋は繰り返し喋る。


「なぜ、手を伸ばすのか……」


 なぜだ。なぜなんだ。俺はなぜ、前橋に手を伸ばすんだ。


 そんな時、ふと、あの夏祭りの日を思い出した。確かあの時、前橋はなんと言っていただろう。


『私は1人になりたかったのではなく……』


 そうか。あの夏祭りの時、前橋の口から聞いていたんだ。俺が憧れるべき人物とはどのようなものかを。


 何が『少しも成長してない』だ。何が『成長できない』だ。

 俺は夏祭りの後から、成長できていたじゃないか。そうでなきゃ、俺が前橋に手を伸ばせる訳がない。


「……なぜ、伊崎くんは私に手を伸ばすのですか?」

「……それは、俺が前橋の隣で、前橋を支えられる人になりたいからだ」


 俺の答えに、前橋はゆっくりと振り向いた。晴れやかな笑顔を見せていた。


「なら、早く私を助けてくださいね!」



 ブーン ブーン。


 腰のあたりから妙な振動がした。気が付くと、俺は電車内にいた。

 先程まで見ていたものは夢なのだと理解した。


 ブーンという振動の正体は理央からの電話だった。周りの人の迷惑にならないように小声で電話に出る。


「もしもし」

『あっ、いっくん? メッセージ送っても全然返信が来ないから心配したよ』

「ごめんごめん」


 そう言えば、俺はいつまで寝ていたんだ。


 スマホで時刻を確認する。表示されているのは22時35分。藤沢駅到着まであと20分しかない。


 どことなく、夏祭りの時とのデジャブを感じる。


「成長した俺でリベンジマッチだ」

『ん? なにか言った?』

「いや別に。それで、理央は俺に何を伝えたいんだ?」

『ん? えっとね、なんでいっくんにだけ助けてってメッセージを送ったのかなって思って』

「確かにな」


 俺も1度は考えた。一体なぜなんだ。助けを呼ぶにしても、なぜ理央ではダメで俺なら良いのだ。


 ……俺だけがわかる状況にいるからか。


「ナイスだ、理央!」

『ん? 何か分かったの?』

「あぁ」

『えへへ。もっと褒めてくれても良いんだよ?』

「調子に乗るな。でも、ありがとな」


 感謝を伝えて電話を切る。


 時刻時刻は22時40分。藤沢駅到着まで残り10分。


 睡眠により回復した脳をフルスピードで回転させる。


 前橋は19時以降、誰にも連絡を送っていない。その原因は恐らくスマホのバッテリー切れだ。

 前橋のお母さんはスマホのバッテリーが50%以上残っているから電池切れはないと言っていた。俺も最初は同じように考えていた。

 しかし、本当にそうだろうか。


 前橋が家を出ていったのは18時頃。

 今の時期の18時といえば真っ暗な時間だ。仮に電柱や住宅の明かりがあると言えども、前橋が向かった場所がそのような場所かどうかは分からない。


 真っ暗な場所に前橋が向かったと仮定して、スマホと上着しか持っていない前橋が一番最初に行うのは、だ。

 スマホのライトを使わなければいけないような真っ暗な場所に前橋は居続けた。そして、その場から帰れなくなる事態になり、お母さんに数十回と電話をかけた。しかし、お母さんが電話に出ることはなく、バッテリーを消費し続けた。

 スマホのバッテリーは気温が低いほど早く減る。恐らく、電話をかけ続けるうちにバッテリーが残り1%まで減ったのだろう。そこで、前橋は俺に『助けて』とメッセージを送った。この直後、スマホのバッテリーが切れた。


 こう考えれば、連絡が19時以降取れない理由に納得がいく。


 ではなぜ、俺にメッセージを送ったのか。

 仲の良い理央ではなく、俺にメッセージを送ったのか。

 その理由は、俺しか知らないような状況に前橋が置かれているからだ。


 理央には言っておらず、恐らく高崎や館林のようなクラスメートにも言っていないこと。


 そう考えていくと、俺はとある記憶を思い出した。学校の階段で前橋は言っていたのだ。暗い場所が苦手になった理由を。


『真夜中。誰もいないはずの屋根裏から、子供が駆け回っているようなギシッ、ギシッという聞こえて来たんだそうです』


 前橋は祖母から怖い話を聞いて、それが原因で暗い場所が苦手になった。


 そこで、気にすべき点がある。


 前橋がいなくなる直前、前橋は祖母と何かを話していたのだ。


 祖母といえば、前橋の憧れる人物。


 憧れの人物と何かを話した。その後、真っ暗な外に苦手ながらも出ていき、助けを求める状況に陥った。そして、神奈川の土地勘を知らない俺に助けを求めた。


 では、前橋の居場所とはどこなのか。


 ここまで考えたところで、電車は藤沢駅に到着した。



 5



 藤沢駅に到着すると、前橋のお母さんからのメッセージ通りにロータリーへ向かう。そこには、黒い車と身長185センチ超えの高身長の人物が手を振って待っていた。


「伊崎くん! こっちこっち!」


 走ってその人物に近づく。


 高身長に加えて整った顔立ち。10人に訊けば10人がイケメンと答えるような容姿をもった人物。前橋のお兄さんだ。


「こんばんわ。前橋のお兄さん」

「こんばんわ。早く乗って」


 言われた通りに車の助手席に乗り込む。


 イケメンが運転してくる車は、さぞかし高級だろうと考えていたが、実際は軽自動車だった。イケメンに対しての勝手な偏見を持っていたことが少し恥ずかしい。


「妹のために、わざわざ神奈川まで来てくれてありがとう」

「いえいえ」

「それで、どこに向かえば良いのかな?」

「ご実家の近くに、屋根裏部屋のようなものがある古い建物はありますか? 更に詳しく言えば、恐らく前橋やお兄さんが子供の頃に遊んでいたような建物です」

「……もしかして、おばあちゃんの倉庫かな?」

「そこです!」

「オッケー。全速力で向かうよ」


 お兄さんはアクセルを踏み込み、倉庫へ向かって運転しだした。全速力と言っていたが、実際は安全運転の範囲内での全速力だ。その一番の訳は、車の前後に貼り付けられた初心者マークが示している。


 安全運転で向かうこと16分ほどした頃。


「着いたよ」


 蔵のような建物に到着した。車を降りて建物をよく見る。

 屋根は瓦でできていて、壁は白。扉は木製でいかにも古そうなものだ。


 すると、その扉に木の板が寄りかかっていることに気づいた。これでは扉を開けることはできない。

 急いで木の板をどかして、扉を開ける。


「前橋、いるかっ!」

「……い、伊崎くん」


 ドアのすぐ左隣に、目の下を腫らした前橋が体育座りで座っていた。

 俺はすぐに前橋を抱きしめた。その途端だった。


「う、うわぁ〜〜ん、怖かったです〜〜」


 子供のように前橋は泣き出した。


 嗚咽混じりに泣く彼女の姿は、少なくとも学校で見ることのない弱々しいものだった。だからこそ、俺はどうしようもなく彼女を見つけられたことに安心できた。


「琴音。これ、上着とカイロ。寒かっただろ? 車の暖房効かせてるから、早く車に乗れ」


 お兄さんが前橋に暖をとるように諭す。

 俺は前橋に肩を貸して車まで一緒に歩く。


 車に乗った前橋はようやく泣くのを辞めた。暖かさとライトの明かりで安心したのだろう。

 お兄さんは前橋の様子を軽く見てから、運転席に座り、車を出そうとした。


 すると


「ちょっと待ってください」


 と前橋がそれを止めた。


「どうした琴音? 何か忘れ物?」

「私、どうしても今すぐに確かめたいことがあるんです」

「確かめたいこと?」

 

 お兄さんは「確かめたいこと」がよくわからないようだ。だがしかし、俺には心当たりがある。


「屋根裏に行くのか?」


 前橋は少し驚きつつこちらを見た。そして、嬉しそうに微笑んだ。


「さすが伊崎くんですね。そこまで分かってしまうなんて」

「なんだ? 伊崎くんは知ってるのかい?」


 お兄さんは困惑していた。無理もない。前橋が倉庫に行った理由など分かるわけがないのだから。


 前橋と俺は車を降りた。そして、倉庫の前まで近づく。また扉が木の板で開かなくなると困るので、お兄さんには、外で待ってもらうことになった。


 倉庫内は真っ暗だ。それに加えてかなり埃っぽい。恐らく、暫くの間使われていなかったのだろう。


 こんなところに何時間も閉じ込められていのだ。暗い場所が更に苦手になったに違いない。


「前橋、大丈夫か? 怖くないか?」

「……怖いです。でも、伊崎くんが隣りにいてくれるなら、怖くないです」


 そう言って、前橋は俺の腕に抱きついた。腕を握る手が震えているのがよく分かる。やはり怖いのだ。

 それでも、彼女の目は真っ直ぐ暗闇を捉え、前に進む意志を見せていた。


「……よし、それじゃあ、中にはいるぞ」


 スマホのライトの明かりを頼りに、真っ暗な倉庫へと入る。前橋は俺の右腕にぎゅっと抱きついている。さながら木にしがみつくコアラのようだ。


「屋根裏にはどうやって行くんだ?」

「奥の方に、はしごがあるはずです。それを登れば行くことができます」

「分かった」


 言われたとおりにはしごを探す。すると、木製のはしごが目に入った。


「あれか。よし、俺が先に登る。前橋はライト持っててくれ」

「分かりました」


 前橋にスマホを渡し、はしごを登っていく。

 屋根裏は真っ暗で、何があるかはまるでわからない。ただ、屋根裏に手を伸ばした時点で、蜘蛛の巣とホコリでまみれていることは分かった。


「ホコリが凄いけど、大丈夫か?」

「はい」


 前橋がゆっくりと登ってきた。手を伸ばして前橋を引き上げる。


「さて、それで前橋はおばあちゃんからなんて言われたんだ?」

「言われたのではありません。私が尋ねたんです。『祖母のような立派な大人になるには、どうすれば良いか』と。そして、祖母はこのように言いました。『倉庫の屋根裏へ行って、そこに置かれている箱の中を見なさい。そうすれば、きっと琴音も大人になれますよ』と」

「なるほどな。ということは、箱を探せばいいのか。あっ、あれか!」


 はしごを上がって少し移動した位置にそれらしき箱があった。ブリキでできた箱でランドセルほどの大きさがある。


 箱へ近づき手をかける。


「それじゃあ、開けるぞ」

「はい……」


 返事をした前橋はどこか悲しげだ。それは、暗闇に対する恐怖とはまた違う恐怖と闘っているように見える。


「どうした、前橋?」

「……私、本当に大人になれるんでしょうか?」

「え?」

「伊崎くんは、どんどん成長しています。

 あのイジメ事件の時、伊崎くんはクラスメート全員のために動けるようになりました。今日も、限られた情報から私の居場所をたった1人で見つけられるようになっています。

 それに対して私はどうでしょう。イジメ事件ではクラスメートのために動いていた伊崎くんの考えなどまるで気づけず、身勝手な考えをしていました。今日も、大人になるためにこの倉庫に来たのに、子供のように暗闇を怖がり、動けなくなり、伊崎くんに助けを求める始末です。

 こんな私が、子供のままの私が、大人になれるんでしょうか?」


 前橋からの問は言葉の端々が震えていた。きっと津波のように、不安が段々と大きくなって繰り返し押し寄せているのだろう。

 不安に押し潰されそうになっている前橋は、今までになく弱り切っていた。触れれば粉々に崩れてしまいそうなほどに。

 そんな彼女を、助けなければいけないと俺は思った。彼女の隣で彼女を支えていける大人になるために。


「……イジメ事件の時、推理したのは確かに俺だった。

 だけど、もしあの放課後、前橋が皆の前で手を挙げなければ、気まずい雰囲気が続いていたと思うんだ。今日だって、暗闇に怖がりながらも1人で倉庫まで来て、大人になろうと努力してた。

 そういう風に、現状を打破して、前に進もうとする力を前橋は持ってる。

 だから前橋。俺は断言するぞ。お前は大人になれるよ」


 俺の言葉を聞いた途端、前橋の瞳が潤みだした。


「……本当になれますか?」

「あぁ、なれるよ」

「……暗闇で動けなくなってもですか?」

「その時は俺が隣で助けてやる。第一、俺はお前の支えがあって成長できたんだからな。今度は、俺が前橋を支えるよ」


 潤んだ瞳。震える声。弱々しい華奢な体。それでも彼女は前に進もうと努力している。そんな彼女が、大人になれない訳がない。


 不安を乗り越え、その経験を自信に変えた彼女は、涙を拭いて微笑んだ。


「ありがとうございます。伊崎くん」

「どういたしまして。よし、それじゃあ開けるぞ」

「はい」


 俺は箱の右側を、前橋は箱の左側を持つ。そして、息を合わせる。


「「せーーの!!」」


 蓋を開けて中を確認する。


 そこには、古そうな子供向けのおもちゃや手紙、白黒の写真が乱雑に入っていた。


「この写真って」


 前橋が見ている写真には、嬉しそうな笑顔の少女と恥ずかしそうな表情をした少年が映っていた。

 どちらも制服を着ているので、おそらく高校生だろう。彼らは手を繋いでいて、恋人を思わせる。


「この映っている人は、恐らく祖母と祖父ですね。こっちの手紙は、ラブレターですかね? 相手は、祖父からのものですね。一体祖母は、なぜ私にこれを見せたのでしょう?」

「う〜〜ん」


 箱の中に入っていたものはどれもこれも前橋の祖母の若い頃に関連しているもの。その中には熱烈な文脈のラブレターのような、少し恥ずかしものまである。


 それらを前橋に見せた理由。


「多分、前橋のおばあちゃんは伝えたかったんじゃないか。『大人になっても、完全に子供ではなくなる必要はない』って。

 きっと、何処かで子供の心は残り続けるんだ。それを周りにはバレないように隠して、少しずつ大人になっていくんじゃないか?」

「……なるほど。やはり祖母は、私の憧れです」


 箱の中を一通り見た前橋は、満面の笑みを見せた。先ほどの弱々しい姿が嘘のようだ。


 そして、写真を1枚ずつ丁寧に箱にしまっていく。そんな時、俺の手に1枚の写真が目に止まった。前橋の祖母と祖父が手を繋いでいる写真。

 その時、俺は思い出した。いや、思い出してしまったというべきだろう。母親の言葉を。


『さっさと前橋さんを助けて、付き合っちゃいなさい』


 思い出した途端、今の状況が恥ずかしくなってきた。なんで俺はいま、前橋と一緒にいるんだ。大体、今さっき俺、前橋になんて言った。「今度は、俺が前橋を支えるよ」。恥ずかしすぎる。


 今すぐに記憶を消してしまいたい。


 そんなことを考えていると、前橋が箱の中にすべての物をしまい終えた。


「それでは、帰りましょうか。伊崎くん」

「あ、あぁ。そうだな」


 先程まで普通に会話できていたはずなのに、意識した途端にぎこちなくなってしまう。


 そう言えば、出会ってすぐのときもこんな感じでぎこちなかった。

 来年になれば俺達は進級する。俺と前橋は文系理系と別々に選んだので、当然クラスは分かれてしまう。そうなれば、今みたいに話せなくなってしまうかもしれない。


 それは、なんか、とてつもなく嫌だ。


「なぁ、前橋」

「なんですか?」


 はしごを降りきった所で前橋に声をかける。

 前橋は出口の扉に手をかけていて、ちょうど出ていこうとしていた所だ。


 前橋に近づき深呼吸をする。目の前の彼女をまじまじと見る。


 少し開いた扉から入る月明かりに照らされた綺麗な髪。吸い込まれてしまいそうなほど大きな瞳。降り始めた雪のように真っ白な肌。柔らかそうな唇。

 そのどれもが魅力的で柔らかさを感じるのに、今は逆に俺を緊張させる。


「どうしましたか、伊崎くん?」


 前橋は不思議そうに俺を見つめる。このままではずっとこの状況が続いてしまう。きっとすぐに逃げ出したくなる。


 しかし、俺は前に進むんだ。前橋のように。


「俺は前橋のことが好きだ。俺と付き合ってください」


 もしかしたら、今の関係が壊れてしまうかもしれない。それでも、言わずに後悔してしまいたくなかった。


 前橋は目を見開いて驚いていた。それもそうだ。突然の告白なのだから。


「わ、私……」


 前橋が返事をしょうとしたその時だった。


「おーーい、2人とも。そんな出入り口で止まってないで、早く車に戻れよ」


 前橋のお兄さんに声をかけられてしまった。


「も、戻りましょう!」

「……そうだな」


 前橋は俺の告白に対しての返事をすることなく、すぐに倉庫を出て車に乗ってしまった。


 これはあれだ。振られたってやつだ。非常に残念だ。神様なんていないのだと理解した。

 俺はしょぼしょぼと人生に疲れたサラリーマンのような足取りで車に乗った。


 俺と前橋は後部座席に座ることとなった。

 お兄さんは中で起こった事情など知らないからだ。

 なんというか、とても気まずい。


「ここから家までは5分くらいだから」

「分かりました……」

「それにしても、今日は忙しい1日になったね」

「そうですね……」


 お兄さんからの話も続けられそうな余裕がない。


 前橋は車に乗ってからというもの、1言も話していない。置物と化している。表情はどうかというと、気まずすぎて見ることもできない。


「そう言えば、伊崎くんは琴音と付き合ってるってことで良いの?」

「えっ?!」


 今、最もされたくない質問が来てしまった。俺の心に大ダメージが入る。まるで拷問を受けているようだ。


「い、いや、そういうんじゃ……」

「はい……」


 俺が弁解しようと言いかけた時だった。隣から声がした。今にも消えてしまいそうな、それでもハッキリと俺の耳に残る声だ。


 声の主は、前橋だった。


 前橋はゆっくりと俺の方に手を伸ばした。そして、俺の右手をぎゅっと握った。


「……付き合っています」


 困ったように微笑みながら前橋は俺を見た。柔らかな笑顔は天使のようで、俺の心を一瞬でふんわりと包み込んだ。

 そんな彼女の表情を俺は一生忘れることができないだろう。


「ふぅ〜〜ん。それじゃあ、伊崎くん。琴音のこと、これからもよろしくね」


 安全運転で車は進んでいくのだった。



6



 翌日、俺は前橋の実家で目覚めた。

 前橋家と共に朝食を食べ、一緒に初詣にも行くことになった。


 前橋は赤色の振り袖を着ており、とても綺麗な姿を見ることができた。正直、とても嬉しい。

 その後、前橋のお母さんに勧められる形で前橋とのツーショット写真を撮ることとなった。


 撮られた写真を見て、前橋は言った。


「何だか、屋根裏で見た、あの写真みたいですね」


 そう言われて俺は気づいた。前橋の祖母が前橋になぜあのような怖い話をしたのかと。

 考えてみれば単純だ。あの倉庫の屋根裏の存在を知っていた小さな頃の前橋は、当然登ろうとした。だがしかし、その先にはあの箱がある。


 つまり、見られるのが恥ずかしかったのだ。だからこそ、怖めの嘘をついたのだ。


「伊崎くん。この写真、後で送りますね」


 俺も当然、恥ずかしかった。でも、屋根裏にしまうのはもったいないので、自分の部屋に飾るとしよう。

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